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2025.1.8
「あっ!!おはよーなかむ!!」
「うわっ!びっくりしたぁ……おはよう、ぶるーく」
スパイシーだがどこかまろやかな香りを纏わせ教室に入ってきたこいつは、俺を見るなり抱きついてきた。いつもと何も変わらない、俺は友達に見せる笑顔をみせる。
大丈夫、今日も上手く笑えてる。
相変わらず甘くていい匂い、好きだ、などと香りも表情も変えることなくぶるーくは言ってくる。この香りに潜んで表立ってくる俺の気持ちなど知らずに。
ああ、なんて惨めで浅ましく愚かな人間なんだなどと思えばじわりと自身からペトリコールが立つ。生クリームのように甘ったるい香りにかき消されてはいるが自分では分かっている。
君だけには伝わらないで、気づかないで。
そしてどうかこの気持ちを抱えたままでもいいからずっと君の隣にいさせて。
好きだと思うほど上手に息ができなくなる。
好きだと思うほど自分のことが嫌いになる。
この苦しさから逃れるようにひとつ、大きく息を吸い込むと君の香りで肺がピリつく。
いっそ君の手で僕の全てを終わらせてくれないか、だなんて隠した思いは今日も君の紅茶に溶ける。
甘い甘い香り。僕が大好きな匂い。
互いの匂いが混じり合ってミルクと砂糖たっぷりの胃がもたれそうなほどに甘い甘い紅茶の匂いがただよう。
ねぇ、なかむ。僕は知ってるよ。
必死になって隠そうとしてるけど僕のことが大好きなことも、悩んで悩んで分からなくなってたまに雨が降りそうな匂いがすることも。そのたびに思ってしまう。もっとこちら側にきて戻れないところまで僕に落ちてくれってね。僕の言葉や行動で表情も香りもころころ変わる君が可愛くて、いつもからかってしまうのは許してほしい。
こんなにも僕が大好きだって匂いをさせてるのに気づかないほうがおかしいよね。
いま君の空が曇ったのは僕が香りも変えずに好きだっていってるから?
君の匂いと僕の匂いが混じって分からなくなってるだけで、僕も好きだって感情は垂れ流しなんだけどなぁ。それなのに勘違いして、必死になって隠そうとして可愛いね。
「今度の休日さ、僕の家でゲームしよ?」
もうそろそろやばいかな、雨が降ってしまう前に僕の腕の中に入れてあげなきゃ。
「僕ん家に泊まっていいからさ」
俺がいつからこうだったのか記憶にはない。
幼い頃から俺には家族しかいなかった。
別に怒っているわけではないのになぜずっと不機嫌なんだ、なにが不満なんだと言われ続けた。生意気で反抗的な生徒だと教師からも目をつけられている。
本当の俺はそんなんじゃない。
ただみんながしているようにお話しして仲良くなって笑い合いたいだけなのに。
中学時代、いろんな人に話しかけられる理由が分からなかったが、自分の匂いを知ってからは人の目をみないように下を向いて歩くのが癖になっていた。痛いのは好きじゃない。
ふとした瞬間に同じ境遇であったことを、本当の匂いが覆い隠されていることを知った以来、2人でいることが増えた。
ああ、お前も勘違いをされてきたのか。
今まで寂しかったな。
自然とこいつの匂いが落ち着くのは俺のことを嫌ってなどいないと分かっているから。こいつの匂いはみんなが思っているものとは全然違う。誰も寄せ付けない静かで暗く冷たい深海でも、海面は太陽を反射して何よりも輝いていることを俺は知っている。
今日もひとり、静かに廊下を歩く。
ふと背後から肩に伝わる衝撃。
動揺。
しまった、と思うと同時に俺を中心に辺りが深い深い海へと沈む。
「……すみません。」
俺が謝るとぶつかってきたやつから怒りの感情が溢れる。どうせいつものことだ。
そう思っていたがあいつから出た言葉は臆病な子供から発せられたように聞こえた。
もしかしてお前も俺と同じなのか?
俺の感情を知って寂しそうな顔を一瞬みせた後踵を返そうとした彼を引き留め、いつもみたいな勘違いをされないように言葉を紡いだ。
ねぇ、君はこの気持ちをわかってくれるでしょ。
いつも2人で話し始めるといつの間にか周囲の人はいなくなっていた。否、遠まきに俺らのことをみていた。沸き立つ怒りと冷酷な嫌気が入り混じった空間、喧嘩が始まるとでも思っているのだろう。きっと俺らにしかわからない。
ここには木々が生い茂り心地よい風が吹いていることを。
学校のチャイムと共に、カラカラと小気味良い音を立てながら開いた扉の先、いつもの場所で隠れるように座りこむ。
蝶が飛び立った後の空間に乱雑に積み上がった本が四方を囲む誰もこない場所。”忘れられた本たち”の墓場。人よりも感情を受け取ってしまうらしい俺は、香り溢れたこの世界ではマスク越しであろうと息をするのもままならない。安息の地を探し回り見つけたここが落ち着くのは、自分の匂いと近い古い本たちの匂いしかしないからだ。
他の生徒たちは授業を受けているなか、今日もひとり、本の世界へ閉じこもる。
美しい文字だけの世界へ。
夢うつつに文字の海を旅しているとなにかの匂いが混じる。鼻が曲がるような匂いたちとは違う。初めて違う匂いに心地よさを感じた。ただひたすらに心が安らぎ嗅いだことのないはずがどこか懐かしい匂い。なによりも心地よいそれにそっと心を預け、指にかかっていた意識を完全に手放した。
またあいつがいない。
そう教師に言われた俺は、通りがかったクラスの黒板を眺めながら校内を遊歩する。
「学級委員だからっていいように使ってるよな…」
成績優秀、頭脳明晰、ザ優等生な俺は教師から授業を受けることよりも、クラスで見た回数を両手で数えられるであろうとあるクラスメイトの捜索を優先されていた。
「あ?こんなところに空き教室あったんだ。」
普通の学校生活を送っていたら絶対に通らないであろう廊下を進んでいると、名のない教室を見つけた。見るからに古く、内側から覆われているのか窓ガラスから中の様子を伺うことはできない。きっと鍵がかかっているかゴミが詰まって動かないだろうと思いながら、手をかけ力を込める。長年、動いていなかったであろう扉はカラカラと軽い音を立てながらすんなりと俺を迎え入れてくれた。と、同時に視界に溢れかえる乱雑に積み重なった本とその香り。
「失礼しまーす。誰かいたりしますかー?」
近くにあった本を見てみるに破れや汚れ、新しい本に入れ替えたため図書室から外された古本たちらしい。きっとここは忘れられてしまった”本の墓場”だ。物珍さに古本を数冊手に取りながら奥へと進むと入り口からは大きな本棚で隠され見えなかった窓から日が差し込んでいた。キラキラと埃が舞う中、小さく座り込み本を膝に乗せたままうたた寝をしているやつがいた。みつけた。
「スマイルさん?こんなところでサボりですか?埃っぽいし身体に悪いから教室に戻りますよ。」
「……誰、お前。」
俺からの優しい問いかけにぶっきらぼうに答えたかと思うとスンと鼻を鳴らし匂いを嗅がれる。
綺麗な顔してずいぶんなご挨拶だな。
「……いい匂い。」
眠たげな瞳を僅かに開いたかと思えば腕を掴まれ引き倒される。それはあまりにも突然のことでしばらく思考が停止してしまった。胸元に鼻を埋め、深く息を吸われる。こんな匂い初めてだといいながらポジションを探すように動く。俺も人にこんなことされるのは初めてだ。
ようやく動きが止まりどいてくれるのかと思い顔をみやる。
その目は閉ざされていた。
「……え?ちょ、はぁ!?」
叩き起こそうとしたが無表情なはずがどこか多幸感に溢れた表情を見てしまいチリチリと焦げつくような香りが混じる。
胸に乗る暖かさと秋の心地よい陽気にあてられ静かに目を閉じる。あーあ、きっと先生に怒られてしまうな。