もし、彼の愛が偽物だったら?
俺は鼻で笑った。もしも偽物だったのなら、明日の朝、手ごろな刃物で彼の喉笛をかき切ってやればいい。失敗すればまた次の朝。それも失敗すればまた次の朝。そうやっていけば、いつかは殺せるはずだ。躊躇うことはない。頸動脈を突けば、血が噴き出して俺の顔は血塗れになって……それは心底、興奮するだろうから。
「──ボーっとしてないで帰るぞ」
顔を上げると、ちょうどいま、俺の頭の中で殺されていた彼が立っていた。
「赤、頬切られてやんの」
「うるせぇ。お前も左手切れてるだろ」
「知ってるし」
人数が多かったせいだ。四方八方から襲い掛かられて、無傷でいるには少し厳しかったのだ。結局、無理やり殺し合って、血塗れになって、血に飢えた獣のように人の内臓を刃で突いた。サイコーの気分だった。今夜は絶対セックスがしたいと思った。女の心臓を抉り出したら、そう思った。
「報告書どっち出す?」
「じゃんけん」
「はァ? この前は俺だったじゃん」
「次回は俺がやるなんて言ってねぇだろ」
「俺活字苦手なの」
「俺もだよ」
「うそつき」
思ったよりも時間が経っていたらしく、月がよく見えた。黒塗りの自動車に乗り込み、シートベルトを引っ張った。正直、桃くんの運転は不安になるほど乱暴なので。頭上の手すりにも掴まる。そのたびに桃くんは安全運転を心がけてるつもりなんだけど、と文句を言ってる。ダウト。
「おなかすいたな」
「カップラーメン食いてぇ~」
こんな野蛮な仕事をしている人間に充分な休養があると思ってはいけない。常に社畜だ。知らぬ土地に駆り出され、知らぬ人間と殺し合い、知らぬ存ぜぬ何か、持ちだしては不味そうなものを盗む。それが俺たちの仕事。命の危険とは握手ができそうなくらいのオトモダチ。一日一食カップラーメン、なんてこともざらにある。なので、俺たちの中では腹が減ったらカップラーメンと言うのは定番中の定番。口に出せばもっとお腹が空いてくる。
「今日は寝れると思う?」
「長くて一時間。短くて三十分くらい」
「キリンかよ」
「いまさらでしょ」
夜の街は車通りが少ないと期待していたが、案外そうでもない。家に帰るまであとどれくらいかかるんだか、お互い溜息が絶えない。桃くんなんてしまいには煙草を吸いだしてしまった。寿命縮まるからやめなよって言ってるのに。そう言ったらいつもこの仕事に就いてる時点でもうだいぶ縮まってる気がするって言い訳するんだからたぶん辞めるつもりはないんだろう。煙を吸いたくなかったので窓を開けた。吹き込んできた風に髪が靡く。
「帰ったら、セックスできるかな……」
「はァーい俺はんたーい」
「腰振ってりゃいいんだから安いもんでしょ」
「お前まだ自分がボトムになったこと引きずってんの?」
「本来挿れるべきではない場所に無理やり抜き差しされてる俺の気持ちがお前に分かるか!」
「いや、あれは赤が大貧民で負けたのが悪い」
「ジョーカースぺ3で消すのは卑怯だよ」
「ルールの範囲内だわ」
何徹目か分からない二人、片や運転手がぎゃいぎゃい言い合う姿は客観的に見ればかなり、そう、シュールだったが、本当にその夜は余裕がなかったのだ。二人とも満身創痍、いますぐベッドにダイブして眠りにつきたい。片方はそれに加えてセックスもしたいと来たものだ。
「カーセックス……」
「あんなのエロ同人でしかできねーよ」
「だよねー。とするとベッドしかないか」
「寝ろよ」
「眠いんだけどめっちゃムラムラする……」
「一回ヌけば治る治る」
「は、薄情者!」
そもそも二人ともこんな仕事に就いておきながらイチャコラできるとは思っていないし、大前提としてできていない。それ故に性欲は全くと言っていいほどないのだ。そんな二人のうち片方が根を上げるほど、最近は本当にキスすらしていなかった。ベッドについたらどちらもすぐ夢の中に旅立ってしまうのだ。そのうえ、それが悩みの種になる暇もなく日々は慌ただしく過ぎ去っていってしまう。
「後ろもしなきゃ満足できない身体にしたのはお前のくせに!」
「いや、お前いつも男としてのプライドがなんとかって言って渋るだろ。いまだにトップ狙ってること俺は知ってるからな」
「そう言うのは知らぬが仏。体格的に隙を狙わなきゃ勝てない俺の気持ちも理解してよ」
「別に俺は赤なら掘られても平気だけどさ……カッコつかないだろ」
「ふふふ……元からカッコなんてついてないよ♡」
「っあー、お前のそういうところ愛してる」
「そりゃどーも」
煙草の吸殻を窓から投げ捨て、桃くんはラジオを流し始めた。たぶん、助手席だとしても寝たら怒られて叩き起こされる運命なんだろう。だから俺は必死に目を開き、流れゆく景色をぼうっと眺めつづけた。一曲目は、最近売れ出したアイドルのデビューシングル。もちろんのことラブソング。つらつらと並べられていく平凡な愛の言葉に、ちょっとだけ笑ってしまった。
「ロマンティックだねぇ……」
「死体の上でキスしてる俺らが一番ロマンに溢れてるだろ」
「死体の上でキスなんかしねーよ!」
愛してる、神に誓う愛、貴方だけ。
まるで俺たちとは別次元の話だ。俺たちに言える言葉なんて、せいぜい大好きが限界。愛してるなんてずしりずしりと伸し掛かる言葉、言えるわけない。神にも誓えない、貴方だけなんて根拠もなく言えない。好きさえ、喉に突っかかって上手く声に出せないのに。
「今日は大人しく寝ようぜ。赤もそれがいいだろ」
「……百歩譲って、ヌきあいっこは」
「だ~め。俺もう勃たないもん」
「〝もん〟ってなんだよ〝もん〟って」
二曲目。どこぞの学校で歌われていそうな卒業ソング。青春が何だか、これまた共感できない変な曲が来た。絶対に夜に聞く曲ではないことは判った。俺も桃くんと甘酸っぱい恋愛ができていたら嬉しかったのだけれど、残念ながら出会ったのは血だまりの上、ハジメテも二人で三十人を殺した帰り道のラブホ。思い返してみるとそんな感じ。末期だ。
「じゃあ、キスしよ」
「……我慢できそ?」
「休みができたら尻で抱くよ」
「それなら俺も受けて立つわ」
夜はまだ明けないらしい。
三曲目、失恋ソング。
桃くんがラジオを切った。
「長いのと短いの、どっちがいい。つっても、長いのしたらお前歯止めが効かなくなるな」
文句を言おうとして、やめた。
今夜一度限りのキスもお預けなんてそんなのない。
「……短いの」
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