テラーノベル
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焚き火の火が静かに揺れている。
避難地には再び重い空気が流れていた。
北方森林群の生存者が語った内容は、そこにいる誰もが予想していたより深刻だったらしい。夜哭きの森の住人達は互いに顔を見合わせながら黙り込み、北方森林群から流れてきた魔獣達もどこか落ち着かない様子で耳を動かしている。
失われたのは森だけではない。
そこで暮らしていた者達の生活そのものだ。
それはほんの少し前までの自分達にも言えることで、だからこそ誰も軽々しい言葉を口にできなかった。
大和もまた沈黙していた。
長として何かを考えているのだろう。
焚き火の向こう側に座る横顔は相変わらず感情を表へ出さないが、その視線だけは鋭く、北方森林群の生存者が語った一言一句を整理しているようにも見えた。
「奴らは迷わなかった」
男の言葉が頭に残っている。
結界。
隠し道。
魔獣避け。
それぞれ仕組みが違う。
対策も違う。
本来なら一つの方法でまとめて突破できるようなものではない。
研究所にいた頃、煌魔学の資料は嫌というほど読まされた。
人間が扱う技術にも限界がある。
魔力を利用する技術であれ、対魔兵器であれ、それぞれに得意不得意が存在し、一つの成果を得るだけでも膨大な時間と試行錯誤が必要だった。
だからこそ引っ掛かる。
夜哭きの森で見た対魔装備。
北方森林群で起きた結界突破。
さらに迷い霧の弱体化。
それぞれ別の現象なのに、起きている時期だけが妙に近い。
偶然だと言われればそうかもしれない。
だが研究者という生き物は、一度違和感を覚えてしまうと簡単には切り捨てられないものだ。
ノートへ仮説を書き出し、資料を積み上げ、何日も悩み続けた末にようやく答えへ辿り着くことも珍しくない。
だから今の感覚も似ていた。
何かが足りない。
何かを見落としている。
だが、その何かが分からない。
そんな曖昧な感覚だけが胸の奥へ引っ掛かっている。
「予紬さん」
隣から聞こえた声に顔を上げる。
しゆらだった。
いつの間にかかなり近くへ来ている。
相変わらず距離感がおかしい。
抱えられていたシエルは完全に眠っていたが、しゆら自身は俺の顔を覗き込むようにしてこちらを見ていた。
「考え事ですか?」
「少しな」
そう答えると、しゆらは納得したように頷く。
それ以上深く聞いてこない辺り、昔から変わらない。
聞くべきことと聞かなくていいことの線引きが妙に上手いのだ。
「難しい顔をしていました」
#フライギ
にもあえ
229
葉菜
26
「そんなにか」
「はい」
即答だった。
少し傷付く。
だが否定もできない。
実際、頭の中はずっと先程の話で埋まっていた。
そんな俺を見ていたしゆらが、小さく笑う。
「なら少し休んでください」
「休んでいるつもりなんだが」
「考えている時点で休めていません」
反論できなかった。
研究所にいた頃から何度も似たようなことを言われている。
結局、考えること自体が半ば癖になっているのだろう。
その時だった。
静かだった避難地の空気が不意に揺れる。
誰かが立ち上がった。
視線が自然と集まる。
北方森林群の生存者だった。
まだまともに歩ける状態ではないはずだ。
それなのに男は無理矢理身体を起こし、ふらつきながら大和の方を見ていた。
「まだいる」
掠れた声だった。
大和が顔を上げる。
「何がだ」
男は息を整えながら続けた。
その顔には先程までとは違う焦りが浮かんでいる。
「北方森林群には……まだ生き残りがいる」
周囲の空気が変わる。
住人達が顔を上げる。
千代も。
大和も。
俺も。
全員が男を見る。
男は震える手で北を指差した。
「全員は逃げられなかった」
その言葉は焚き火の周囲へ重く落ちた。
「子供もいる」
誰も喋らない。
男は唇を噛む。
悔しさを押し殺しているようだった。
「だから頼む」
掠れた声で続ける。
「見捨てないでくれ」
焚き火がぱちりと弾ける。
風が吹く。
そしてその瞬間、俺は気付いた。
この避難地へ辿り着いたことで一息つけると思っていたのは、どうやら自分だけだったらしい。
北方森林群の問題は終わっていない。
むしろ今、この場所へ持ち込まれたばかりなのだ。
生存者の言葉が落ちたあと、焚き火の周囲には重い沈黙が広がっていた。
北方森林群は既に失われたと思われていた。
だが実際には違う。
まだ取り残された者達がいる。
子供もいる。
逃げ遅れた半魔達もいる。
その事実は、そこにいる誰にとっても無視できるものではなかった。
「名前は」
沈黙を破ったのは大和だった。
生存者の男は少し驚いたような顔をする。
「榊(さかき)だ」
掠れた声で答える。
「北方森林群の見張り役をしていた」
大和は小さく頷いた。
それ以上詳しくは聞かない。
今は経歴より状況の方が重要だった。
「榊」
大和が静かに呼ぶ。
「軍はどれくらいいる」
榊は少しだけ目を閉じる。
思い出したくないのだろう。
それでも答えた。
「分からない」
その声には悔しさが滲んでいた。
「だが少なくとも、俺達が今まで相手にしていた軍とは違った」
誰も口を挟まない。
「結界を破った」
「魔獣を追い払った」
「森の地形も把握していた」
榊は焚き火を見つめながら続ける。
「最初から全部知っていたみたいだった」
その言葉に住人達の表情が曇る。
夜哭きの森で起きたことと似ている。
違う森。
違う防衛手段。
それなのに結果だけは同じだ。
俺の中に残っていた違和感が少しだけ重くなる。
だが今は考えている場合ではない。
もっと現実的な問題が目の前にあった。
「ここも見つかる」
千代が言った。
誰も否定しない。
「うむ」
大和も頷く。
「いずれ来る」
その言葉は断言だった。
来るかもしれない、ではない。
来る。
だから準備する。
そういう意味だった。
焚き火の周囲が静まる。
そして。
「なら作るしかあるまい」
最初に口を開いたのは意外にも年老いた半魔だった。
「何をじゃ」
千代が聞く。
老人は周囲を見回した。
山。
川。
岩場。
そして避難民達。
「守る場所じゃ」
その言葉に何人かが顔を上げる。
「また逃げるのか?」
別の半魔が言う。
「次も?」
「その次もか?」
誰も答えない。
答えられない。
だからこそ。
「儂は嫌じゃな」
千代がぽつりと呟いた。
その声は大きくない。
だが全員に聞こえた。
「せっかく作った居場所を捨てた」
赤い瞳が焚き火の向こうを見る。
「また作って」
「また捨てる」
「そんなのは嫌じゃ」
周囲が静まる。
子供達も聞いていた。
魔獣達も耳を向けている。
その中で俺はふと周囲を見回した。
天然の要害。
左右の川。
背後の山。
侵入経路は限られている。
森より守りやすい。
なら。
「作れるかもしれないな」
思わず呟いていた。
全員の視線が集まる。
「何をじゃ」
千代が聞く。
「要塞だ」
自分でも驚くほど自然に言葉が出た。
研究者としての思考だった。
地形。
防衛。
資材。
必要人数。
頭の中で勝手に計算が始まる。
「川がある」
俺は続ける。
「石もある」
「山もある」
「人手もある」
半魔達を見る。
魔獣達を見る。
そして大和を見る。
「普通の人間なら無理だ」
「でも、ここにいる連中なら話は別だ」
少しずつ空気が変わり始める。
誰も笑わない。
現実味があると感じたのだろう。
「石壁かの」
千代が言う。
「石壁だけじゃ足りない」
俺は首を振る。
「もっと硬くする」
研究所にいた頃の知識を思い出す。
石灰。
砂。
水。
そして魔力。
完全なコンクリートは難しい。
だが似たものなら作れる。
「魔力を混ぜる」
「魔力?」
榊が眉をひそめる。
「固まる前に高濃度の魔力を流し込むんだ」
頭の中では既に計算が始まっていた。
「魔力が抜けた後に内部へ空洞ができる」
「圧縮が起きる」
「普通の石材より強度が出るはずだ」
大和が静かに聞いている。
千代は完全に理解していない顔だ。
だが。
「つまり硬くなるんじゃな?」
「かなり」
「それでよい」
理解を放棄した。
しゆらが小さく笑う。
「予紬さんらしいですね」
その言葉に周囲からも苦笑が漏れた。
重かった空気が少しだけ和らぐ。
そして大和が立ち上がる。
焚き火の火が黒い瞳へ映る。
「やるぞ」
短い言葉だった。
だが十分だった。
「鉱山を探す」
「石を切り出す」
「住居を作る」
「鍛冶場を作る」
「会議所も必要だ」
住人達の目が変わる。
避難民の目ではない。
何かを作る者の目だった。
夜哭きの森を失った。
北方森林群も失われた。
だから。
今度は奪われない場所を作る。
焚き火の向こうで、大和が静かに言う。
「ここを拠点にする」
その言葉を聞いた瞬間。
後に国の始まりと呼ばれることになる最初の会議が、静かに幕を開けた。
コメント
1件
ああ、この話、すごく良かったです……。予紬さんの研究者としての違和感や、そこから「要塞を作る」という発想に至る流れが、本当に彼らしいなと思いました。そして何より、大和さんの「やるぞ」の一言で、避難民たちの目が「作る者」に変わる瞬間が、胸に響きました。奪われた場所の代わりじゃなく、今度は奪わせない場所を、みんなで作っていく。その決意が、焚き火の揺らぎと共に静かに広がっていく感じが、とても好きです。