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【現実世界・オルタリンクタワー近く/立体駐車場】
車内に、短い震えが走った。
ハレルのスマホだ。
「……また?」
ハンドルを握ったまま、木崎がちらりと視線を寄こす。
ハレルは頷き、画面を覗き込んだ。
差出人不明。
電話番号でもなく、メールアドレスでもない。
見覚えのない文字列から、たった一通のメッセージ。
【塔の下ではやるな】
それだけだった。
「……なに、それ」
助手席のサキが、身を乗り出してくる。
ハレルは画面を見せた。
「さっきの、変なアカウントから?」
「うん。さっきまでは“気をつけろ”とか、“埠頭には行くな”とか……
今回はこれだけ」
木崎が、顎に手を当てて唸る。
「塔の下……」
ハレルは、喉の奥がきゅっと狭くなるのを感じた。
文面自体は短い。
だが、どこか――昔聞いた声の癖と、同じ匂いがする。
(……親父、なのか)
確証はない。
けれど、「クロスゲート」「埠頭」「塔」と、
全部つながっている話題にだけピンポイントで出てくるこの送り主を、
他に思い当たる人間がいない。
「どっちにしろ、妙に事情を知ってるやつだな」
木崎が低く言う。
「塔の下ではやるな、ってことは……
少なくとも、“塔の下で何かが起きる”前提は、あっちも知ってる」
「じゃあ、どうするの?」
サキが不安そうに問う。
「塔は塔で、カシウスたちが使いたがってる。
でも、コアを“器”に戻す場所は――病院の、第七特別病棟だ」
聖環医療研究センター・第七特別病棟。
長期昏睡の患者が集められている、“静かな病棟”。
「……病院の中身も、ちゃんと知らないと」
ハレルはスマホを握り締めたまま言った。
「コアを持って入るなら、どこが弱いのか、
どこが塞がれてるのか……
最低限、警備と監視カメラの位置は押さえておきたい」
「だろうな」
木崎は、シートに深く背を預けた。
「素人の忍び込みでどうにかなる施設じゃない。
特に“第七特別病棟”みたいな、理由のわからない患者を抱えてる場所はな」
サキが、おそるおそる口を開く。
「木崎さん、その……そういうの、分かるの?」
「少しはな」
木崎は、諦めたように肩をすくめた。
「元刑事って話、前にしたろ。
その頃にな……ギリギリ信用できる“知り合い”が一人いる」
「ギリギリ?」
「できれば頼りたくない。
向こうも、俺なんかとは二度と仕事したくないだろうしな」
苦い笑い混じりの声。
それでも、言葉の奥には「頼るしかない」と書いてあった。
「……でも、やるんですよね」
ハレルがそう言うと、木崎は少しだけ目を細めた。
短く息を吐き、木崎は決めたように言う。
「情報を全部渡す気はない。
向こうに“鍵持ち”のことも、コアのことも言うつもりはない。
だが――警備情報だけは利用させてもらう」
「その人、信じていいの?」
サキが小さく問う。
「信じるんじゃない。使える部分だけ使うんだ。
向こうも同じだろう」
その言い方は冷たく聞こえるけれど、
ハレルには、木崎が「なるべく誰も撃たずに済む道」を探しているようにも見えた。
「じゃあ……連絡、するんですか」
「向こうから、来るさ」
木崎は、ポケットから古びたスマホを取り出した。
「こんだけ派手に動いた。
湾岸の映像も、赤錆埠頭も、旧本社地下も……
あいつが嗅ぎつけないわけがない」
そう言った瞬間――
木崎のスマホが震えた。
画面には、短い名前表示が浮かぶ。
『城ヶ峰』
「……やっぱり、そう来るか」
木崎は短く息を吸い、通話ボタンを押した。
「木崎です」
『やあ、元・班長さん』
落ち着いた男の声が返ってきた。
どこか人の良さそうな響きなのに、
目だけが冷たいのが想像できる声だ。
『ずいぶん派手に動いてくれたじゃないですか。
湾岸の路地で、変な割れ目を開けてくれて』
「現場にいたのは、俺じゃない。
俺はただのフリーライターだ」
『なら、そのライターは、
どうして旧クロスゲート地下の件でも、
赤錆埠頭の件でも、同じ場所にいるんですかね』
木崎は、視線をフロントガラスの外へ向けた。
オルタリンクタワーが、黒い輪郭だけを夜空に刻んでいる。
「で、そっちは俺に何をさせたい」
『単刀直入に言いましょう。
“そっちが見ている光景”を、少し分けてほしい』
城ヶ峰の声に、わずかな熱が混じった。
『監視カメラに映らないもの。
計算に入らない影。
物理法則に噛み合わない揺れ。
……そういうものを、あなたはもう一度見始めている』
木崎の眉が、ほんの少しだけ動く。
「そっちも何か、拾ってるんだろ。
じゃなきゃ、わざわざ俺をかけ直してこない」
『ええ。こちらにも、こちらの線があります』
城ヶ峰は、何か紙をめくる音を立てた。
『聖環医療研究センター・第七特別病棟。
“原因不明の昏睡患者”
“クロスゲート関連の調査対象”
……この病棟に、あなたが追っている“行方不明者”の何人かがいる可能性が高い』
ハレルとサキは、息を呑んだ。
木崎は、それを見ないふりをして話を続ける。
「その情報、タダってわけじゃないだろ」
『もちろんです。
こちらも、合法ギリギリのところで動いていますからね』
城ヶ峰は、少しだけ声を落とした。
『代わりに欲しいのは――
旧クロスゲート地下で、あなたが“見たもの”の一部。
具体的には、異常な反応のログ。
あなたのカメラに残っている範囲で構いません』
「全部は渡さない」
木崎は即答した。
「向こう側の事情も、子どもたちの顔も、
そっちに丸投げする気はない」
『分かっています。
こちらも、そこまで厚かましくはありませんよ』
城ヶ峰の声は、どこか楽しんでいるようですらあった。
『こちらから出せるのは――
・第七特別病棟の簡略配置
・夜間警備の大まかなルート
・監視カメラの“死角”になりやすい位置
このあたりです』
「ずいぶんとまあ、出血大サービスじゃないか」
『ええ。
それだけ、この件は“こちら側だけで処理できる範囲”を超えている、ということです』
少しの沈黙。
『一つだけ、確認させてください』
「なんだ」
『あなたのそばにいる少年――
彼は、雲賀という名字ではありませんか』
車内の空気が、ぴしりと張りつめた。
ハレルは無意識に背筋を伸ばす。
木崎は、ほんの少しだけ目を閉じてから答えた。
「名前は、今は出さない。
ただ――父親のほうは、あんたもよく知ってるはずだ」
『でしょうね』
城ヶ峰の声が、わずかに柔らかくなった。
『あの人の“調査ファイル”は、まだ閉じられていません。
そのことだけは、伝えておきましょう』
「……そうかよ」
木崎は短く息を吐いた。
「じゃあ取引だ。
そっちの“紙切れ”と、こっちの“ログ”を交換する。
ただし――向こうで何が起きていて、
こっちがどこまで踏み込むつもりかは、教えない」
『それで構いません。
こちらも、“全部を知りたい”とは思っていない』
意外な言葉だった。
『今はまだ、ね』
通話が切れた。
木崎はしばらくスマホを見つめ、それから助手席側に向き直る。
「……というわけで」
「というわけで、って」
サキが半分呆れたように言った。
「すごくヤバそうな人と話してたよ、今」
「ヤバいが、完全な敵でもない」
木崎は、さっき送られてきたばかりのファイルを開く。
簡略化されたフロア図。
「警備員巡回ルート(夜間)」と書かれたメモ。
「カメラ死角/死角になりやすい」と印のついたポイント。
「こいつを使えば、
第七特別病棟の“外側”までは、何とか潜り込める」
「中は……?」
「そこから先は、こっちの世界だけじゃ決められない」
木崎は、コアのケースをちらりと見た。
「向こう側と、タイミングを合わせてやるしかない。
コアも、鍵も、器も――全部、揃えて」
ハレルは無意識にネックレスを握った。
胸の奥で、コアの光と何かが呼応するような感覚。
(戦う場所も、やり方も――
もう、選んだ)
塔の上空で、わずかに風が回った。
夜の空気の中に、別の世界の匂いが、かすかに混じる。
その頃。
遠く離れたもう一つの世界でも、
次の戦場に向けての準備が静かに進んでいた。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都外縁/オルタ・スパイア周辺】
夜の丘陵地帯に、一本の細い塔が立っていた。
観測塔《オルタ・スパイア》
その周囲の空気は、さっきまでの小規模な“揺れ”を収めつつある。
塔の根元。
アデルとリオ、そして数名の警備局員が、周囲の警戒を続けていた。
「……一旦、戻る」
アデルが塔を見上げながら言う。
「スパイア自体の安定度は、ノノの補正で保てている。
だが、ここの“揺れ”が完全に収まることはないだろう」
「こっちが戦場になったときの練習にはなったけどな」
リオは、右手首の腕輪に触れた。
さっき塔の周囲で使った捕縛魔術と攻撃魔術の余韻が、まだ微かに残っている。
「……でも今回は、病院側だ」
「そうだ」
アデルは頷く。
「現実側の少年たちが、“器”を守る戦場を選んだ。
なら私たちは、このスパイアと――境界そのものを守る」
リオは、塔から少し離れた夜空を見た。
そこには何もないはずなのに、
どこか、ガラス越しに別の街の光が滲んでいるようにも見える。
(ハレル……ちゃんと届いたか)
その時、アデルのイヤーカフがかすかに振動した。
『――アデル、そっちの揺れ、一旦落ち着いた?』
ノノの声だ。
「最低限はな。
こちらはこれから王都に戻る。詳細な作戦立案が必要だ」
『了解。
スパイアの安定度ログは取れたから、あとで解析する。
……気をつけて帰ってきて』
通信が切れる。
アデルは部下に撤収を指示した。
「帰還準備。
街道まで出たら、隊列を間引いて警戒に回せ」
丘を下る土の道に、松明の灯りが点々と連なる。
月は雲に隠れ、周囲はじわじわと暗くなっていった。
しばらく行ったところで――リオの足が、ぴたりと止まる。
「……アデル」
「分かっている」
アデルも、剣の柄に手をかけていた。
前方の空気が、黒く滲んでいる。
地面と空の境目が、墨を垂らしたように曖昧になっていた。
「境界混濁か」
リオが腕輪に触れる。
青白い光が指先に灯る。
滲みは、やがて形を持ち始めた。
狼のような輪郭、
しかし背中からは鳥の翼のような影。
足元は人間の靴音に似た響きを立てながら、土を抉っている。
「……また、“混ざって”るな」
部下の一人が、喉を鳴らした。
「隊列を広げろ。
リオ、先に“場”を押さえろ」
アデルの指示に、リオは頷く。
「〈捕縛・第三級〉――面で縛れ」
青白い線が、地面に三角形を描くように走った。
薄い膜が張られ、“ここからここまではこの世界だ”と告げる。
黒い獣は、その境界線に爪を立てた。
ギギ、と嫌な音がして、動きが一瞬鈍る。
「今だ」
アデルが剣を抜き放つ。
「〈第三階位・氷刃〉」
冷気を帯びた斬撃が走り、黒い獣の片翼を切り裂いた。
滲むような影が吹き飛び、夜気に溶ける。
「よし――」
そう言いかけた時だった。
――コツン。
何か硬いものを石が叩くような、小さな音。
先ほどまで黒い滲みがあった場所の、少し奥の暗がりから聞こえた。
「止まれ」
アデルが手を上げる。
隊列が一斉に足を止めた。
暗がりの中から、足音が近づいてくる。
ひとつ、ふたつ――規則正しい歩調。
やがて、影が形を取った。
細身の体。
王国警備局の軍服に似た服――
だが、胸のあたりが不自然に黒く焼け、そこだけ異質な光を放っていた。
胸の中心。
焼け焦げたはずの穴を覆うように、半導体のような素材が埋め込まれている。
金属とも宝石ともつかない板が、魔術紋のような線に縁取られて、淡くきらめいていた。
顔を上げたその男を見て、部下の一人が息を呑む。
「……カイト、隊長……?」
アデルの指が、剣の柄の上で強張った。
「……嘘だ」
深灰の森で倒れた、あの部下。
自分の腕の中で息を引き取ったはずの青年。
その姿が、そこに立っていた。