【異世界・王都外縁/オルタ・スパイア前】
その姿が、そこに立っていた。
細身の体格。
短く整えられた髪。
王国警備局の制服を基調にした装備――
ただし、胸のあたりだけが異様に変質している。
焼け焦げたはずの胸部。
そこを覆うように、半導体にも宝石にも見える板が埋め込まれていた。
金属光沢とガラス光沢の中間のような、硬い光。
その周りには、細かい魔術紋が刻まれ、淡い赤橙の光が脈を打っている。
顔を上げる。
瞳は――真っ黒だった。
白目がない。
夜の穴をそのままはめ込んだような、感情の温度を感じさせない黒。
「……カイト副隊長」
後列の若い隊員が、かすれた声でそう呼んだ。
リオの指先に、力がこもる。
アデルもまた、剣の柄を握る手にわずかな震えを覚えていた。
(違う)
頭では分かっている。
深灰の森で、彼は確かに息を引き取った。
その体は、王都の安置所に運ばれたはずだ。
だから、これは――
「……誰だ」
アデルが、低く問うた。
男は、ゆっくりと顔を傾けた。
その仕草だけは、かつて見知った部下のものに似ている。
ただ、次に紡がれた声が、すべてを否定した。
「ボク?」
ひとつの声ではなかった。
少年の高い声と、青年の声と、女の囁きと、年老いた誰かの低音が、
薄く重なり合って、最終的にひとつの輪郭を形作っている。
「ボクは――」
胸の半導体板が、ちかりと光った。
「この器を“貸してもらってる”側、かな」
「カイトでは、ないな」
アデルの言葉は、断定だった。
希望を一瞬でも抱けば、次の瞬間に砕かれるのがわかっているからこそ、
最初から切り捨てるように。
黒い瞳が、アデルを見た。
そこに「懐かしさ」も「戸惑い」もない。
「その名前、ボクたちのではないよ。
前の持ち主の“ラベル”だね」
多重の声が、楽しそうに笑う。
リオの眉がぴくりと動いた。
「……“ボクたち”?」
「一つじゃないんだ」
男――“カイトの器”は、胸元にそっと手を触れた。
半導体板の下から、かすかに複数の脈動が伝わってくるように見えた。
「いくつかの声が、ここで混ざってる。
ボクらとは別に、もっと“古い層”もいる」
「……カシウスの仕業か」
アデルの問いに、男はあっさり頷いた。
「うん。
“ボス”は、器を拾うのが上手いから」
胸のプレートが、かすかに明滅する。
焼け跡の中心から、煙のような魔力が漏れた。
後ろの隊員が一人、堪えきれずに叫ぶ。
「ふざけるな……!
副隊長を、返せ!」
彼が踏み出そうとした瞬間、アデルの左手が素早く横に伸びた。
「下がれ!」
同時に、“ボク”が右手を軽く振る。
「テスト、開始」
言葉と同時に、炎が生えた。
足元の影から、赤い輪が立ち上がる。
〈炎輪〉――第二階位の面攻撃魔術。だが、密度が違う。
「〈封縛・座標杭〉――二点!」
アデルの剣先から、白い杭が二本、地面へ打ち込まれた。
炎輪の手前で簡易障壁が立ち上がり、衝突した火が四方に散る。
「くっ……!」
熱風に押されながらも、隊員たちは踏みとどまった。
「リオ!」
「分かってる!」
リオは、左足を一歩だけ前に出し、右手で空中に紋を描く。
「〈閃撃・第二級〉――射線確保!」
白い線が一本、杭と杭の間を抜けて走った。
狙いは、胸のプレート――ではなく、その少し上、首元の魔力の歪み。
線が当たる、直前。
“ボク”の黒い目が、わずかに細くなった。
「へぇ」
胸のプレートが、カチリと音を立てて回転する。
表面の紋様が切り替わり、閃撃の光を“吸い込む”ように沈めた。
炎が、今度は一点に収束する。
“ボク”の掌の上で、灼熱の球が生まれた。
「〈焼痕標(ブレイズ・マーカー)〉」
低く呟き、軽く弾く。
放物線を描いて飛んだ火球は、アデルたちのかなり手前――
丘の斜面に落ちた。
爆発はしない。ただ、土と草を黒く焼き焦がし、円形の痕を残す。
その焦げ跡から、じわりと黒い亀裂が広がり始めた。
「……座標焼き付けか」
アデルの声に、ノノの早口がイヤーカフから飛び込んでくる。
《アデル!
そこ、“境界のマーキング”されてる!
今は小さいけど、あとで好きなだけ“開け閉め”される!》
「分かっている」
アデルは一歩、前へ。
「やらせるか」
剣先が、焦げ跡の手前に突き立てられた。
「〈封縫・戻り線〉――書き換え!」
白い線が、黒い焦げ跡の輪郭をなぞる。
境界に刻まれかけた“印”の上から、別の筆致で上書きするように。
黒い亀裂が、じり、と後退した。
“ボク”が、肩をすくめる。
「うん。やっぱり、いいデータ。
この“器”を選んだの、正解だった」
プレートが淡く光り、胸元の魔術紋が再配置される。
「じゃあ、今日はここまで。
ボクの役目は、“顔見せ”と“マーキング”。
次は――もっと人数、増やして来るね」
リオが食い下がる。
「待て! お前、カイトの身体を――」
「カイト?」
黒い目が、首を傾げる。
「その名前は、もう“空っぽ”だよ。
ボクの中に、ひとつも残ってない」
「ボクのことは“代用(サロゲート)”って呼んでおいて」
言いながら、胸元の名札を指でつまみ、乱暴に引きちぎった。
名札は靴元に落ち、風に転がされて草むらへ消える。
「さよなら、カイト。
――またね、観測者(キィ・ホルダー)たち」
足元の靄が、一気に濃くなった。
塔の影と繋がり、黒い“穴”に変わる。
アデルが踏み込むより早く、“ボク”の姿はそこでぷつりと途切れた。
静寂だけが残る。
「……隊員、負傷は」
アデルが短く問い、すぐ後ろを見る。
「軽い火傷が一人。自力で動けます!」
「すぐ治療班と交代しろ。ここは暫定で封鎖する」
リオは、焦げ跡のあった場所を睨みつけた。
アデルの上書きで境界の揺れは弱まっている。
それでも、完全に消えたわけではない。
(死んだ仲間の体まで、使い捨てにするのか……)
拳に力が入る。
だが、今は追撃よりも守る座標を整える方が先だ。
「ノノ」
アデルがイヤーカフに呼びかける。
「今の記録、全部送る。分析を急いでくれ」
《了解。
“カイトの器”の奪還は――今は後回し。
まずは、こっちと現実側の“再会ポイント”を死守する》
リオは頷いた。
「……ハレル。そっちも急げよ」
呟きは、風に溶けた。
丘の上、細い塔が静かに空を刺している。
その根元で、光と影の“挨拶”は、確かに一つ、終わったばかりだった。
◆ ◆ ◆
【現実世界・都心外縁~聖環医療研究センター近く】
夜の街が、少しずつ低くなっていく。
オルタリンクタワーのガラスの針は、もうバックミラーの奥だ。
軽バンは環状道路を外れ、郊外寄りのバイパスへと進路を変えていた。
運転席で、木崎が淡々と標識を追っている。
助手席のサキは、膝の上でタブレットを広げ、
地図アプリを拡大したり縮小したりしていた。
後部座席。
ハレルの足元には、黒いケース。
四つの光が、蓋越しにかすかに脈打っている。
「……もう一回、整理する」
木崎が言った。声には、余計な感情を混ぜていない。
「聖環センター・第七特別病棟。
夜間の警備は、警備員二名の巡回と、監視カメラの自動監視」
「巡回ルートは、三十三区割り、でしたよね」
サキがタブレットを見ながら続ける。
「一周に十五分。
第七特別病棟の廊下側を通るのは、二十三時十五分と四十五分」
「そう」
木崎は片手でハンドル、
もう片方でダッシュボード上のメモを軽く叩いた。
「カメラの死角は、物資搬入口の角、非常階段の踊り場、それから――
エレベーター前の、ここだ」
メモに描かれた簡略見取り図に、赤ペンで丸が三つ付いている。
「この三つを繋げば、第七特別病棟のフロアまで“人目を避けて”行ける。
逆に言えば、どこかでヘマをすれば、速攻でバレる」
「役割分担、決めよう」
ハレルは、ケースに視線を落としたまま言った。
「運転と外の監視は、サキ」
「う、うん」
サキは顔を上げる。
「私、病院の中には入らない。
駐車場の端っこに車を停めて、外の様子を見る。
変な揺れがしたり、警察が来たりしたら、すぐ連絡する」
「それでいい」
木崎が頷く。
「病院の中に入るのは、俺とハレルだけだ」
「……俺も、行く」
ハレルはケースの縁に手を置いた。
「コアを持ってるのは俺だし、鍵も。
“器”の前まで、運んでいかないと意味がない」
「分かってる」
木崎は、少しだけ目を細めた。
「俺が表向きの“理由”を作る。記者証を出して、
『長期昏睡患者の家族会の取材』って建前で受付を通す」
サキが不安そうに口を挟む。
「そんなの、信じてもらえる?」
「全部は無理だろうが、入口までは通せる」
木崎は淡々と言う。
「中に入ったあとが本番だ。
巡回の時間とカメラの死角を使って、
研究棟側の廊下から第七特別病棟へ抜ける。
その間、ハレルは“ただの助手”を演じろ。余計な目を引くな」
「……はい」
ハレルは短く返事をした。
木崎が、ちらりとルームミラー越しに彼を見る。
「塔の下でやるな、っていう“忠告”もあった。
塔は塔で別の地獄が開きかねない」
言いながら、スマホの画面を思い出す。
差出人不明の短いメッセージ。
【塔の下ではやるな】――それだけ。
「だから俺たちは、“病棟側”でやる。
城ヶ峰からもらった情報も、本来は患者を守るために使うべきだ」
「……でも、実際に動くのは、ルールから完全に外れてますね」
サキが苦笑する。
「合法ギリギリどころか、アウト気味」
「だからこそ、時間を短くする」
木崎の声に、少しだけ元刑事の鋭さが混じった。
「病院に入るのは、一回だけ。
目的は、“三人分の器の確認”と、“コアを近づけたときの反応”を見ること。
無理に戻すかどうかは、状況を見て判断する」
「三人を、一度に……?」
「欲張るな」
木崎が即座に制した。
「ノノの話じゃ、“完全安全”なんてコースは存在しない。
どれだけ条件を揃えても、リスクは残る。
だったら、最初の一人は、慎重にやるべきだ」
ハレルは、ケースをそっと撫でた。
(佐伯蓮。村瀬七海。日下部奏一……
誰から、戻すか)
名前を口に出しかけて、やめる。
決めつけるには、まだ情報が足りない。
「まずは、実際の“器”を見る。
どんな状態で、どう繋がれているか。
そこからだ」
木崎の言葉に、二人は黙って頷いた。
車窓の外に、白い建物が見え始める。
緩やかな坂の上に、ガラス張りの外来棟と、その奥に背の高い入院棟。
夜間でも、いくつかの窓が淡く光っている。
道路脇の案内板に、青い文字が浮かんだ。
《聖環医療研究センター Seikan Medical Research Center》
「……着いた」
サキが小さく呟く。
木崎はウインカーを出し、センター横の来客用駐車場へと車を滑り込ませた。
エンジン音が静かに止まる。
しばしの沈黙。
だが、不必要な言葉は誰も口にしなかった。
「サキ」
木崎が振り向く。
「ここから先、外は任せる。
何かあったら――迷わず、逃げろ。俺たちのことはいい」
「そんなの、よくないけど……」
サキは、それでも真っ直ぐな目で頷いた。
「分かった。ちゃんと見てる」
ハレルはケースの取っ手を握る。
四つの光が、病院の方角へ、少しだけ揺れを強めた気がした。
「行こう」
木崎がドアを開ける。
夜風が、白い建物の方から流れてくる。
聖環医療研究センター・第七特別病棟。
器たちの眠る場所が、すぐそこにあった。






