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「では、こちらの招待状でよろしいですか?」
麻耶は打ち合わせに来ていた山口夫婦にニコリと笑いかけた。
「はい、水崎さんもこっち?」
新婦の沙苗に声をかけられて麻耶もじっと招待状を見た。
「はい、私もこちらのデザインが好きですね」
「よかった」
嬉しそうに答える沙苗に、新郎の隆も頷いた。
「次回はご招待される方の確認と、進行についてもお話していきますね。主賓でスピーチされる方はお決めになられましたか?」
「あ、隆どうするの? 副社長に頼むの?」
沙苗の言葉に、隆はしばらく考え込むようにした後、
「いや、専務に頼もうと思う」
「そうなんだ。健斗さん……やっぱり来られないの?」
「いや、一応来られる予定だけど、帰国がはっきりしない以上曖昧なことは言えないって」
「そうよね」
隆と沙苗の言葉を聞きながら、
「ミヤタ自動車のような大きな会社ですと、主賓の方やお席順などいろいろ配慮する部分も多いと思いますが、遠慮なくおっしゃってくださいね」
ミヤタ自動車は国内最大手の自動車メーカーだ。
これぐらいの会社になると一社員の結婚式でも、招待客が100名を超してくる。
麻耶も慎重に打ち合わせを進めないといけないなと気を引き締めた。
「ありがとうございます。副社長が同期なんですが、今アメリカにいるのではっきりしなくて」
(さすが大手。アメリカとか海外に転勤とか、別世界の話だよな……)
麻耶は感心しながら二人の会話を聞いていたが、ふと芳也の噂を思い出した。
(もし、この会社の息子だったら、社長ってすごい御曹司……)
急に転がり込んだ家主がさらに雲の上のような人のような気分になり、慌てて隆に目を向けた。
「そうなんですね。お若いのに副社長ってすごいですね」
打ち合わせも終え、最後にもう一度チャペルを見たいという二人とチャペルを見て、お見送りをする。
(終わった……)
大きく息を吐き、ちらりと腕時計に目を向けると、21時を回っていた。
(まだ誰かいるかな……)
どうしてもお客様の仕事の都合に合わせると、夜遅い打ち合わせも多くなる。
先ほどつけたチャペルの電気を消すために、麻耶は人気のない少し薄暗い館内を小走りに急いだ。
緑の中にライトアップされたチャペルに目をやり、うっとりと見上げた。
(こだわり抜かれただけあるな……やっぱりナイトウェディングも素敵だよ……自分の結婚式もこんなところで……って漠然と思ってたのにな)
その隣にいるのは? そこまで思って、やはり別れた基樹とそこに立つことが想像できず、別れは必然だったのかもしれない。
そんなことを思いながら、麻耶はそっとチャペルの大きな扉を開いた。
誰もいない静かなチャペルは、怖いほど綺麗だった。
ステンドグラスから漏れる月の光と、暖色のスポットライトが祭壇の十字架を照らしていた。
信仰のない麻耶ですら、厳粛な気持ちになり、神に誓うことの重さを感じた。
ゆっくりとバージンロードを歩いて、高い天井を見上げた。
(何しているんだろ? 本当だったら、前に愛する旦那様がいて……)
ほとんど毎日といっていいほど見ているチャペルだったが、ひとりぼんやりとそこを歩いていると感傷的な気持ちになり、慌てて電気を消すために足を進めた。
そんなことを思っていると、コツコツという歩く音がして、慌てて祭壇の上に目を向けた。
(社長……)
急に祭壇の上に現れた芳也は、表情なく麻耶を見下ろしていた。
かなり大きな大聖堂のため、まだ距離はあるものの、あまりにも綺麗で神秘的にすら見える芳也の顔から目が離せなかった。
「……お前、何しているんだ?」
そこで初めて、自分が座り込んでいることに気づいた。
その問い掛けはもっともだったが、麻耶からすればそれは自分が芳也に投げかけたい台詞だった。
しかし、びっくりしすぎて言葉が出ない麻耶に、芳也は祭壇をゆっくり降りると、麻耶の手を引いて立ち上がらせた。
ようやく煩い心臓の音が収まってくると、麻耶は視線をそらした。
「それはこっちのセリフです! 社長こそ何されてるんですか?」
「俺はちょっと夜のチャペルを見ておこうかと思っただけだよ」
そう言うと、芳也はまた祭壇へと階段を上っていった。
「それと……ぼんやりと一人でバージンロードを歩く可哀想な女を見てた」
ニヤリと口角を上げて言った芳也に、麻耶はキッと睨みつけると唇を噛んだ。
「別にいいじゃないですか」
それだけを言った麻耶をじっと芳也は見た後、そっと麻耶の手を引いて自分の横に立たせた。
そして不意に言葉を発した。
「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓います」
急に言い出した芳也に、ただその綺麗な顔を見上げた。
そんな麻耶に、ふわりとこれでもかという極上の微笑みを湛えた芳也が、ゆっくりと麻耶に近づく。
(……ちょっと……まっ……て。なに? この……状況……)
麻耶の唇に芳也の唇が触れるまで……あと1秒。
なぜかわからないが、無意識に麻耶はゆっくりと目を閉じていた。
瞼の裏に、ニヤリと妖艶に笑みを浮かべる彼の顔が浮かんだ……。
幸せなはずのチャペルの鐘の音が、頭の中で響いた。
フッと笑う声が聞こえて、慌てて目を開けると、そこには意地悪そうな顔をした芳也の顔があった。
「少しは夢が見れたか?」
(はあ!? 何! それ!)
麻耶は芳也の言葉に、目を閉じてしまった自分に腹が立ち、ギュッと手を握りしめた。
目が熱くなるのを感じて、さらに手を握りしめた。
(悔しい! 悔しい! 絶対泣くもんか! この悪魔!!)
俯いて必死に涙をこらえていると、
「怒ったのか?」
面白そうな声が降ってきて、また心がざわざわと音を立てた。
(限界!)
上を向かそうと伸びてきた芳也の手を、力いっぱい跳ねのけると、くるりと踵を返して階段を急いで降りた。
(最低! 最低! 私の気持ちを何だと思ってるの? 大っ嫌い! こんな人!)
涙が頬を伝う。
(悔しい! 悔しい!)
「水崎!!」
後ろから腕を取られ、強引に引き寄せられた。
麻耶の涙で濡れた顔を見て、芳也は動きを止めた。
「悪い……ふざけすぎた……」
不意に掛けられた言葉にも、麻耶は反応できずにいた。
「本当に……」
「どうもありがとうございます。男に浮気された可哀想な女に同情してくれて。完璧な社長様には私の気持ちなんてわかるわけないですよね。でも、あなたなんかで夢なんか見ないから! だからもう早くここから出て行って!」
叫ぶように麻耶は言うと、チャペルの電気を落とすためにその場を離れた。