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そのまま電気を消すだけ消して、麻耶は会社を後にした。
21時を回っても賑やかな東京の繁華街を、ぼんやりと眺めていると、無意識に今までの家へ向かう電車のホームにいた。
(習慣って怖いな……昨日も意識なくしても職場にいたし……人間ってすごい)
変な感心をしつつ、慌てて芳也のマンションへと足を向けた。
(冷蔵庫……空っぽだったよね……勝手にしていいって言われたし。帰りたくないな……)
ぼんやりと立ち尽くしていると、そこへ着信を知らせる音とともに、ポケットでスマホが揺れるのを感じた。
そしてもう一度ため息をついて、携帯の画面を見つめた。
【基樹】
(いつまでもこのままっていうのもね……)
「はい」
『麻耶?』
「うん……」
最近、電話で聞くことも少なくなっていた基樹の声に、麻耶は懐かしさを覚えた。
少し語尾が上がっていることから、基樹も同じことを思ったのではないかと、ふとそんなことを考えていると、
『会える?』
「え?」
『会って話したい。今どこ?』
麻耶は少し悩んで、今いる場所を告げた。
『じゃあ、昔よく行ったあのカフェで待ってて。すぐに行く』
「うん……」
麻耶は待ち合わせ場所に入ると、何をするでもなく、今までの基樹とのことを思い出していた。
10分ほどして、よく見慣れた姿が入り口から入ってくるのが見えて、ドクンと心臓が音を立てた。
しかし、基樹のふんわりとした優しい顔が、不安に満ちた表情をしているのを見て、麻耶はふと笑みが漏れた。
「どうした?」
麻耶の前の席に座り、コーヒーを注文すると、基樹は麻耶の表情の意味がわからないと言った様子で尋ねた。
「その不安そうな瞳。私に告白してくれた時と同じだなって思って」
「麻耶……」
俯いてしまった基樹を見て、麻耶も目を伏せて言葉を発した。
「責めたいわけじゃないの。こうなってしまったのは、私の責任もあるってわかってるし」
初めて、少しぬるくなったコーヒーを麻耶は口にした。
「麻耶……本当にごめん。彼女は……」
「それ以上はもういいよ。基樹は中途半端な気持ちで家に人を呼ばないでしょ? 彼女のこと、好きなんでしょ?」
驚くほど穏やかにその言葉を言えた自分を、麻耶は褒めたい気分だった。
「ああ、きちんと話そうって思ってたのに……つい。本当にごめん!」
テーブルに付きそうなほど、基樹は頭を下げた。
「基樹、やめて。目立つよ」
その様子に慌てて麻耶が言うと、基樹は頭を上げた。
「でも、二人の家に女を呼んだことはルール違反。だから、ここのコーヒーは基樹のおごりね」
麻耶はニコリと微笑んで基樹を見ると、ホッとした表情を浮かべた基樹がいた。
「もちろん……。麻耶、今どこに?」
「友達の家に泊めてもらってるから大丈夫。荷物はまた取りに行くけど、不要な物は申し訳ないけど基樹で処分して」
淡々と言った麻耶に、基樹は「もちろんだよ」と少し複雑な表情で頷いた。
「なあ、麻耶……」
何か言いかけた基樹の言葉を、麻耶は上から被せるように発した。
「じゃあ、基樹。さようなら。今までありがとう」
「ああ、麻耶も」
その言葉に、麻耶は笑顔で基樹を残して席を立った。
(あー、終わった。私の恋)
そう思うと、ようやく涙が流れた。
愛情かと言われたらわからないが、確かに麻耶にとって基樹は今でも大切な人には変わりがなかった。
初めて上京して、心細い時も、仕事でミスした時も、いつも優しい笑顔で抱きしめてくれた。
大好きだった……。
過去形になっているのか、自分ではわからなかったが、麻耶は涙を拭うと歩き出した。
(昨日のリベンジしよ! うん。ご飯食べて、お酒飲んで。今回は保護されることないしね。ムカつく社長の顔を見ないうちに早く自分の部屋に閉じこもらなきゃ)
そう思いスーパーに寄り、すぐ食べられる缶詰やおつまみ、缶チューハイなど目につくものを買うと、芳也のマンションへと帰った。
もちろん、芳也は帰っておらず、麻耶は「おじゃまします……」と小声で言うと、自分の部屋へと閉じこもった。
(さすがに先にシャワー借りるのも悪いしな……)
ゆったりとした黒のパーカーとハーフパンツに着替えると、窓の横に備え付けられているテーブルにスーパーの袋を置き、一人掛けのソファに身を沈めた。
(高級そうなソファだな)
夜景に目をやり、チューハイを一口飲むと、胃がカーッと熱くなって、涙も一緒に零れた。
(あーあ、夜景が綺麗だな)
そんな涙をごまかすように、さきイカも口に入れた。
昨日のおしゃれなパスタじゃないけど、今の私はこれで十分だ。
そんなことを麻耶は思っていると、物音がしてドキッとした。
(帰ってきた?)
お出迎え? いやいや。私からは関わるなって言われたし……
そんなことを考えているうちに、廊下を歩く音がして、芳也が帰宅したことが麻耶にもはっきりと分かった。
扉の近くで聞き耳を立てていると、すぐにシャワーの音が聞こえてきた。
麻耶は特に何も言われないことに安堵して、またチビチビとチューハイ片手に夜景を眺めていた。
「水崎?」
不意にドアの向こうから声をかけられて、麻耶はビクンと体が飛び跳ねそうになった。
どう答えていいかわからず、ただ息を潜めた。
「風呂入ってないだろ? 入るぞ」
「え?」
有無を言わさず、ガチャッと開いた扉の向こうには、スウェットの上下に髪をタオルで拭きながら麻耶を見る芳也がいた。
濡れた髪、ちらっと見える鎖骨、少し不機嫌そうな表情がまた色っぽく見えた。
(細身に見えるのに、意外に引き締まった体だったな……)
朝の芳也を思い出して、麻耶はぼんやりと芳也を見ていて、ハッと今の現状を思い出して顔を背けた。
「おまえ……今日もか?」
呆れたような芳也の声に、
「今日は……外じゃないので……迷惑は……」
じっと麻耶を見た後、ツカツカと芳也はやって来ると、缶チューハイとつまみの入った袋を片手に、もう一方の手で麻耶の腕を取り立ち上がらせると、
「風呂入って来い」
それだけ言うと、ビールやつまみを持って部屋から出て行ってしまった。
(何よ……いいじゃない。家で一人で飲んだって。それを取り上げるなんて。少しはあんたのせいでもあるんだから!)
また怒りが湧いてきたが、居候という立場で文句も言えず、用意をするとバスルームに逃げ込んだ。
(うわー!!)
そこには普段見ることのない、丸いバスタブにジャグジー、壁にはテレビ。
そして極めつけは、大きな窓から見える夜景だった。
浴槽にはお湯が張られていたが、さすがにゆっくり入るのは図々しいか……と思っていると、
「おい。俺は入ってないから、好きな入浴剤入れてゆっくり入って来い」
その言葉に呆然としていると、ドアの向こうの気配が消えた。
(一応気を使ってくれたのかな……さっきのことも悪いって……)
洗面所にはいくつか入浴剤が並べられていた。
(社長がこれを使ってるの?)
おしゃれな包装の可愛らしい入浴剤。ローズ、ラベンダー、レモングラス。
有名なブランド物で、使うのがもったいないくらいだった。
【効能 リラックス】と書かれたラベンダーを手に取ると、そっとお湯に入れた。
一気にお湯が紫色になり、いい香りがバスルームに広がる。
麻耶は大きく息を吸い込むと、シャワーを浴びて浴槽に浸かった。