「藍子ちゃん、次書道だって。行こ」
「あ、うん」
「藍子ちゃん、一緒にお弁当食べよ」
「うん」
「ね、今日も一緒に帰らない?」
「うん、もちろん」
次の日から、私と雪は常に行動を共にするようになった。
二人で休み時間を過ごし、二人でお弁当を食べ、毎日一緒に登下校した。
中学では友達が出来ずずっと一人で過ごしていたため、些細なことが私にとっては新鮮で、嬉しかった。
けれどひとつ不思議だったのは、私はもとの内向的な性格もあり雪のほかに友達ができないことは自然なことだったが、雪が私のほかに交友を持とうとしなかったことだ。
雪は周囲から浮く程整った容姿をしているため、言うまでもなく入学直後から噂が広まり
「インスタ教えてよ」だの
「うちらと一緒にお昼食べようよ」
などと、廊下を歩く度に誰かしらから声をかけられる。
しかし雪はいつも誰からの誘いも意に介さず、やんわりと躱しつつ隣にいる私の手を引いて「新たな出会い」の可能性を捨てるのだった。
きっと雪なら男も女も選り取りみどりであろうに。
この一連の流れをいつも隣で見ていると雪のその姿勢は不可解でしかなかったが、入学して以来雪しか友達のいない私にとっては都合が良いことでもあった。
雪が私の手を握って
「ごめんね。私は藍子ちゃんと食べたいから」
「私、SNSしてないんだ」
と否の返事をする瞬間だけは、私は仄かな安心感と優越感に包まれた。
しかしその反面どうしても、やはり雪が優しいばかりに一人でいた私への同情心から一緒にいてくれているだけなのではないか、気を遣わせているのではないかと邪推してしまう。
だって、隣にいても私と雪じゃ釣り合わなさすぎるのだ。
可愛らしい低身長と無駄に伸びた長身、さらさらのストレートと伸ばしっぱなしのまま広がる癖毛、輝く大きな瞳と覇気のない小さな目。
人間、自己肯定感が低いと友達の存在すらネガティブに解釈してしまうものだ。
私は雪の真意を確かめたかった。
────キーン コーン カーン コーン…
4限目終了のチャイムが鳴り、ガタガタと席を立つ音や教室で食べよう屋上で食べようなどと話す声が一斉に溢れかえる。
「藍子ちゃん、お弁当食べに行こっか」
「うん」
雪が私の席へやってきてそう声をかけるのを合図に、私たちも教室を出て「いつもの場所」へと向かった。
廊下を進んだ先の、校舎の端にある空き教室。
誰にも使われなくなった光の届かないこの教室が、私たちの憩いの場だった。
初めて雪から「一緒にお弁当を食べよう」と誘われた時、いい場所があると言われついて来たのがここだったのだ。
てっきり中庭や屋上あたりだと思っていたが、雪はここが「静かで落ち着く」らしい。
入学して間もない中いつこんな場所を見つけたのかは分からないが、私も騒がしい場所は苦手なため気に入ってはいた。
いつも通り二人で向かい合わせに座り、弁当を食べ始める。
「あ、今日フルーツ入ってる…」
「ほんとだ。いいなあ」
そんな会話を交わしながら、私はずっと話を切り出すタイミングを窺っていた。
今と思って顔を上げ口を開いてもいざ聞くとなると尻込みしてしまい、結局誤魔化すように箸を口に運ぶ。
そんなことを繰り返しているうちに、気付けば私も雪も弁当をほぼ食べ終わっていた。
私はいよいよ焦りはじめ、何度目か分からないがちらと雪を見ると隅に残していた最後の一切れの卵焼きを名残惜しそうに口に運んでいて、そのとき初めて
「ああ、好きなものは最後に食べるんだ」
と知った。
そして、私の弁当箱のバランやフルーツ用の容器はもう空になり白米だけが中途半端に残っていることに気がついたとき、やっと枷が外れた気がした。
「…雪ちゃん」
「なんで私と一緒にいてくれるの?」
もっと、ほかに釣り合う子がいるのに。
気を遣わなくても、私は大丈夫だから。
───やっぱり雪の隣は私には似合わないよ。
あくまで自然に尋ねたつもりだったが、喉が震えるのが分かってそれ以上はいわなかった。
返答はない。
しんとした沈黙が続く。
恐る恐る顔を上げると、目の前に座る雪はまるで私の問いが聞こえていなかったかのように最後の卵焼きを咀嚼し続けていた。
きっと聞こえていなかったのだと判断し、私は小さく「ご馳走様でした」と言ってきたなく余った白米を残して弁当箱を片付けようとした。
私は自分の立場であんなことを言ってしまったことをすこし後悔していた。
そのとき、よほど大切に味わっていたであろう最後の卵焼きを飲み込んで、ついに雪が顔を上げたのだ。
「あ… ごめん、やっぱり」
なんでもない。
そう言いかけたが、目に飛び込んだ雪の形のいい唇がゆっくりとひらかれるさまに見惚れてしまった私は、口を噤むしかなかった。
雪の唇がうごき、言葉を発するまでの瞬間が異様に長く感じた。
「藍子ちゃんが好きだからだよ。」
雪の思いもよらない返答に、その美しすぎる笑みに気圧されて、私はすぐに言葉を発することができなかった。
「…え…好き、って、どういう…」
ガタタと音を立てて雪が立ち上がり、机に手をついて、困惑する私を真上から見下ろしながら言った。
「ねえ、雪って呼んで」
こんなこと、決して特別なやり取りなんかではない。
友達同士の普通の会話のはずだ。
それなのに、その唯一無二の美貌故か、ややハスキーがかった玲瓏たる声故か。
雪の言葉は、人間以上のなにか崇高な存在のような有無を言わさぬ情調を感じさせ、私はただ従うしかなかった。
「…雪」
「うん」
隔離された静かな空き教室のまんなかで、雪の垂らす髪がカーテンのように私たちをまわりの景色から覆い隠す。
「私、藍子ちゃんと仲良くなりたい。
だから、一緒にいたいの。」
「私と一緒にいるのは、いや?」
周りの目が気になったって私には雪以外友達がいないし、なによりその雪の目を見て「嫌だ」なんて言えるはずがなかった。
私は首を振る。
「嫌じゃない。」
雪は、嬉しそうに微笑んだ。
コメント
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文才の神すぎませんか!? ほんとに最高です大好きです!!