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まなこ〜友
117
#ますしき
T
5,800
その日の夜。私の部屋に、雅が突然押し掛けてきた。
普段ならあり得ないアポなしの訪問に、心臓が少し跳ねる。当の雅は、特に悪びれる様子もなく、いつも通りの涼しい顔でそこに立っていた。
「どうしたの? 急に来るなんて珍しい」
「明日休みだし、バイトも無いしで来た」
「連絡くらいしてよ。私居なかったらどうすんの?」
「その時はその時じゃん。てか、何ピリピリしてんの?」
覗き込むような視線から逃げるように、すぐに顔を逸らす。今の私には、彼をまともに直視することができなかった。
この関係について一人でじっくり考えたかったし、今会えば、どうせまたいつものように彼の口車に乗せられて、曖昧に流されてしまうのが分かっていたから。
「夏帆?」
「……私達って、付き合ってるよね?」
私の問いかけに雅は少し口を開けてこちらを見た後、いつもの真顔に戻った。
「そうだね」
「これから先、ずっと家でしか会えないの?」
意を決して問い掛けると、雅は私が不機嫌だった理由を即座に察したようで、彼は少し笑い、私の頬を両手で優しく包み込んだ。
「それは夏帆次第じゃないの?」
彼の言葉の意図が理解できなくて、思わず「……どういう意味?」と問いかけ返す。
「付き合いがバレていいならいつでも外にデート行けるよ。俺はバレたくないって夏帆の気持ちを尊重してリスクは避けてるだけ。バレたくないんでしょ? 俺との交際」
今思えば、あれは絶対、わざとだったと思う。
交際を隠したいなんて言った私への仕返しに、奴はあえてセフレのような扱いを続けた。
そういう男だった、この男は。
「……バレないよ。たまに外出たくらいじゃ」
「バレたら何されるか分かんないんでしょ? それとも、嫌になった? 隠すの」
当時の私はそんな策略に気付くはずもなく、ただ雅の手のひらの上で、振り回されることしかできなかった。
それから数日。膠着状態のままこの関係をどうすべきかと悩み続ける日々が続いていた。
だけど、その終わりは、あまりに呆気なく訪れた。
サークルの部室に集まり、夏の活動計画について話し合っていた時のことだった。旅行先を部員達が話し合っている中、私は上の空でスマートフォンの画面をぼんやりと眺めていた。
「ねぇ、夏帆」
先輩たちの輪から戻ってきた友人が、不意に耳打ちをしてくる。顔を向けると、彼女は口元を緩ませ、早く言いたくて仕方がないという表情をしていた。
「今、先輩達の所からここに来る途中で、雅先輩のスマホのホーム画面見えたんだけど」
「雅くんのホーム画面?」
問い返した瞬間、友人の予想が確信へと変わったらしく、口元をさらに緩ませながら「やっぱりね」という呟きをした。
そこで私は、自分が犯した致命的なミスに気づき、思わず「あ」と声を上げて両手で口を塞いだ。
気が緩んでいた。いつもなら”雅先輩”と人前では呼んでいるのに、一瞬の油断で二人きりの時のように”雅くん”と呼んでしまった。
「そういう事だと思った、雅先輩のスマホのホーム画面は夏帆とのツーショットだったし、二人が付き合った時期は同じだし、雅先輩の彼女は年下で、夏帆の彼氏は年上だし。雅先輩の事くん付けだし」
「お願い、誰にも言ってないから黙ってて」
顔を真っ赤にして縋りつく私に、友人は「どうしようかな」と楽しげに追い打ちをかけてくる。
堪りかねて視線を投げると、輪の中心で頬杖をついた雅と目が合った。彼は涼しい顔でこちらを見つめ、ふっと唇の端を軽く持ち上げていた。
わざとだ。
見えないように隠していたはずのスマホを、あえて友人が通るタイミングで、見える位置に置いた。
そんな彼の行動はこれだけでは留まらなかった。
最初は私の友達に交際を気付かせた後、その後はついに隠す事すらしなくなった。
学食で友人たちと昼食を囲んでいた時のことだった。突然、背後から頭の上にずしりと重みを感じて見上げると、雅くんが私の頭を肘置きにするようにして立っていた。
「夏帆、今日は? レポート終わったんでしょ。家来る?」
「ちょ、雅くん!」
「えええええ、雅の彼女って夏帆ちゃん!?」
「全然気付かなかったんだけど!」
爆弾を放り投げた当人は、騒然とする先輩たちをよそに、狼狽える私を見て笑っている。
それから噂が広まるのは一瞬だった。平穏を望む私にとって、この騒ぎは決して受け入れがたいものだった。
隣で口を緩ませる友人の視線も、好奇の目に晒されるこの状況も、もう限界だった。
「ちょっと来て!」
私は立ち上がるなり彼の腕を掴み、半ば引きずるようにして人気の少ない方へと連れ出した。
図書室の隅まで連れていくと、雅は反省の色も見せず「大胆」と、まるで他人事のように揶揄ってくる。
この男はこんなにも楽しそうだが、私は本気で腹を立てていた。こんな不本意な形で交際が露呈するなんて望んでいなかった。
「何でわざとそう言う事するわけ!?」
「夏帆が限界って感じだったじゃん。付き合い隠すの」
「だからって、勝手にバラすのやめてよ! 友達にも、わざとばらしたでしょ!」
「でも嬉しくない? 堂々とデート出来て、俺の事私の彼氏って出来るの。いつも裏で気にしてたじゃん。綺麗な先輩が近付いていくから余裕ないって」
「……そんな事言ってない」
不意に、彼の揶揄う様な声が消える。
「顔に全部出てんの。てか、俺が限界。最初は話したくないって夏帆をその気にさすのも、こっそりいちゃつくのも楽しかったけど、彼氏が俺だって知らずに夏帆に近付く間抜けな男を見てんのも飽きた」
そう言って、彼は私の頬に手を添える。
「……そんな男の人、居なかったし」
「気付いてないならそれでもいいけどさ、俺としては腹が立つんだよね。明らかに夏帆に気があるの俺からは見えてるのに、そのままにしておくの。いい加減こっちの気持ちも汲んでくんない?」
確かに「交際を隠したい」というのは、私の我儘で始めたことだった。雅くんには、ずっとその我儘に付き合わせてきた。
普段は無表情で、感情をあまり表に出さない彼が、今は明らかに怒りを滲ませている。
先程まで勝手に公表されたことに憤りを感じていたはずなのに、彼がそこまで私を独占したがっていたのだと突きつけられると、おかしなことに嬉しいと思ってしまった。
「今日から早速外で手繋いで、出掛けたりできるけど、どうする?」
彼は私の手を取り、指先を絡めるようにして優しく握り直した。向けられた微笑みは、甘く、ずるい。
それだけで、あんなに固執していた平穏な日常や周囲の目なんて、どうでもいいことに思えてくる。
私も彼の少し浮かれたような、普段は見せない愛らしい笑顔に、つられて笑ってしまった。
こういうところが、雅のずるいところ。
そして、私がどうしようもなくこの男の好きなところだ。
「どこ行く? 初めての外デート」
「あの時言ってたバーでも行ってみる?どうせなら同級生とはまだ行かなさそうな所連れて行きたいし」
「行きたい」
さっきまでの険悪な空気はなくなった。
私達はあっさりと仲直りをし、並んで図書室を後にする。
結局、私はまた彼に流されただけなのかもしれないけれど、いつかは限界が来ていた隠し事だ。
このタイミングで周囲に知られたことは、案外正解だったのかもしれない。
コメント
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ああ、読み終えたよ。今回のエピソード、雅くんの“わざとバラす”戦略が鮮やかで、思わず笑っちゃった。夏帆の「雅くん」呼びから、友達にスマホ画面を見せるまで、全部計算ずくの彼のペース。でも、その奥にある「もう隠すのは嫌だ」っていう独占欲が、普段は無表情な彼の感情を感じさせて、逆にグッと来たな。図書室で怒りを滲ませるシーン、甘くてずるい。