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第十七話 雷槍、因果を穿つ
雷は、落ちる前から結末を持っている。
空が裂ける。
光が走る。
音が遅れて世界を揺らす。
人は雷を見てから避けることはできない。
気づいた時には、もう落ちている。
だから雷は、古くから神の裁きと呼ばれた。
だが、槍もまた似ている。
放たれた瞬間、心臓へ届く。
距離も防御も、途中の過程すら意味を失う。
結果が先にあり、過程が後から追いつく。
そして、もう一つ。
後から放たれたはずなのに、先に届く剣がある。
敵の切り札に反応し、その因果を反転させる逆光の刃。
雷。
槍。
剣。
先に落ちるもの。
必ず届くもの。
後から返すもの。
それらが、神杯の十七夜に集められた。
◆
冬木の空は、昼のように明るかった。
だが太陽はない。
雷だった。
黒い神杯の亀裂から漏れた雷霆の残滓が、街の上空に網のように張り巡らされている。
凛は衛宮邸の居間で宝石板を睨みながら、舌打ちした。
「ゼウスが退いた後の雷霆の欠片を、神杯が回収してる。しかもそれを霊脈に流して、因果干渉の層を作ろうとしてるわ」
士郎は右手を見る。
狩猟の標的印は消えている。
だが、今は別の感覚があった。
何かが自分の動きを待っている。
こちらが一歩踏み出した瞬間、その一歩に結果を被せようとしているような、不気味な圧。
アーチャーが壁にもたれたまま言う。
「因果の層か。厄介だな」
凛が頷く。
「次の中心反応は二つ。サーヴァント反応、槍兵。クー・フーリン」
アルトリアの目が鋭くなる。
「ランサーですか」
「ええ。それとマスター反応、バゼット・フラガ・マクレミッツ」
その名前に、空気が変わった。
メディアが少しだけ目を細める。
「封印指定執行者。戦闘特化の魔術師ね」
アーチャーは低く言った。
「加えて、因果を返す切り札を持つ」
士郎は眉をひそめる。
「因果を返す?」
凛が宝石板を操作しながら説明する。
「バゼットの持つ礼装、フラガラック。相手の切り札に反応して、後出しなのに先に届く性質を持つ。つまり、相手が決定的な一撃を放った瞬間、その因果に割り込んで返す」
士郎は息を呑む。
「後から出して、先に当たるのか」
「そう」
凛の表情は険しい。
「そしてクー・フーリンの槍は、因果を逆転して心臓へ届く。今回の層は、その二つにゼウスの雷霆残滓が絡んでる」
ジャンヌが静かに言う。
「先に決まる死と、後から返る裁き。それを神杯が利用しているのですね」
イリヤは胸元の豊穣の種に手を当てていた。
「また、誰かが狙われるの?」
凛は少しだけ言葉に詰まる。
だが誤魔化さない。
「たぶん、士郎。神杯にとって士郎は核へ向かう鍵だから。今回は直接、士郎の行動を潰しに来る可能性が高い」
イリヤの顔が強張る。
士郎はすぐに言った。
「大丈夫だ」
イリヤは不満そうに眉を寄せる。
「そういう時のお兄ちゃんの大丈夫は、信用できない」
凛とアーチャーが同時に頷いた。
「分かる」
「同感だ」
「二人して何だよ」
桜が少しだけ笑った。
けれど、その笑みはすぐに消える。
「でも、本当に気をつけてください。因果って、避けられるものなんですか?」
メディアが答える。
「避けるというより、成立させない方がいい。因果の攻撃は、条件が揃った瞬間に結果が固定される。なら条件をずらす必要がある」
「条件をずらす?」
メディアは士郎を見る。
「あなたが得意なことよ。完全な本物ではなく、不完全な贋作を使う。意味を曖昧にする。結果が固定される前に、対象の定義を乱す」
アーチャーが補足する。
「要するに、真正面から受けるな。考えて動け」
「分かってる」
「本当にか?」
「たぶん」
アーチャーは深いため息をついた。
「不安しかないな」
◆
因果の層は、冬木大橋に開いていた。
かつて何度も戦場となった場所。
川の上に伸びる巨大な橋。
夜風が吹き抜け、街灯が白く揺れている。
だが今夜の冬木大橋は、雷で縫われていた。
橋の両端には雷の門。
空には雷霆の網。
川面には無数の槍の影が映っている。
橋の中央に、二つの影が立っていた。
一人は青い装束の槍兵。
クー・フーリン。
赤い槍を肩に担ぎ、獣のように鋭い目で士郎たちを見ている。
その表情はどこか楽しげで、どこか面倒そうだった。
もう一人は、黒いスーツ姿の女性。
バゼット・フラガ・マクレミッツ。
短い赤髪。
鍛えられた身体。
手には戦闘用のグローブ。
その立ち姿には隙がない。
彼女は士郎たちへ向かって、静かに言った。
「来ましたか」
凛が一歩前に出る。
「バゼット。あなた、神杯に協力してるの?」
バゼットは首を横に振った。
「協力ではありません。契約に縛られているわけでもない。ただ、神杯は私たちの性質を利用している」
クー・フーリンが肩をすくめる。
「ま、そういうこった。こっちも好き好んで雷まみれの橋で待ってたわけじゃねぇ」
士郎は彼を見る。
「なら、戦わなくていいんじゃないのか」
クー・フーリンはにやりと笑った。
「そう言いてぇところだがな。神杯の層ってやつは、問われたら答えなきゃ進めねぇんだろ?」
バゼットが続ける。
「この層の問いは、避けられない一撃を前に、あなたがどう動くかです」
士郎の背筋が冷えた。
バゼットは士郎をまっすぐ見る。
「衛宮士郎。あなたはこれまで、多くの者へ手を伸ばしてきた。終末、裁き、愛憎、死、王権、月影、豊穣、狩猟。あなたは常に、自分から動いた」
「ああ」
「では、その一歩が誰かの死を呼ぶ時、あなたはどうしますか」
雷が鳴る。
バゼットの声は冷静だった。
けれど、その問いは重い。
「行動には因果があります。救うための一歩が、別の誰かを危険に晒すこともある。攻撃を放てば、返される。守ろうとすれば、守れなかった結果も生まれる」
クー・フーリンが赤い槍を回す。
「要は、坊主。今回はお前が動くたびに、因果が牙を剥くってことだ」
凛が宝石板を確認して叫ぶ。
「神杯の術式、発動してる! 士郎を中心に因果反応が集中してるわ!」
橋の上に、雷の文字が浮かぶ。
攻撃すれば、槍が来る。
切り札を使えば、逆光が返る。
止まれば、雷が落ちる。
逃げれば、橋が閉じる。
完全な詰みのようなルール。
士郎は歯を食いしばる。
「ずいぶん意地が悪いな」
クー・フーリンは笑った。
「戦場なんざ、だいたい意地悪なもんだ」
バゼットは静かに構える。
「始めましょう」
◆
最初に動いたのはクー・フーリンだった。
地面を蹴る。
速い。
青い影が雷の橋を走り、赤い槍が士郎へ向かう。
セイバーが即座に割り込む。
不可視の剣と赤槍が激突した。
金属音。
雷が足元で跳ねる。
「久しぶりだな、騎士王!」
クー・フーリンが笑う。
「相変わらず軽口を叩く余裕はあるようですね、ランサー」
「そっちこそ、相変わらず堅い!」
槍と剣が火花を散らす。
ランスロットが横から加わり、クー・フーリンの進路を塞ぐ。
「王へ槍を向けるなら、私が相手をする」
「おっと、円卓の騎士まで来たか。今日は豪華だな!」
クー・フーリンは二騎を相手にしながら、なお楽しそうだった。
だが、彼の目は常に士郎を見ている。
標的は明確。
士郎が一歩動けば、槍がその先を読んでくる。
アーチャーが矢を放つ。
クー・フーリンは軽く身体を捻って避ける。
「お前もいるのか、弓兵。面倒だな」
「こちらの台詞だ」
その瞬間、バゼットが動いた。
士郎へ向かうのではない。
アーチャーへ向かって踏み込む。
拳が走る。
速く、重い。
アーチャーは双剣で受ける。
バゼットの格闘は魔術師のものではなく、戦士のものだった。
無駄がない。
間合いを奪い、呼吸を潰し、次の動きを封じる。
凛が宝石を投げる。
「アーチャー!」
爆発がバゼットの足元で起きる。
だが彼女は爆風の縁を踏み、最小限の動きで回避する。
「遠坂凛。あなたの宝石魔術は強力ですが、起爆前の癖が残っています」
「うるさいわね!」
凛は次の宝石を構える。
だが、バゼットは彼女を見て言った。
「撃つなら撃ちなさい。切り札でなければ、私は返しません」
その言葉に、凛の手が止まる。
フラガラック。
切り札に反応する逆光剣。
相手が強力な一撃を放つほど、それは機能する。
ギルガメッシュが不快そうに笑った。
「小癪な礼装だ。ならば切り札ではない宝で埋めればよい」
王の財宝が開く。
無数の宝具が橋の上へ降り注ぐ。
バゼットは回避し、クー・フーリンは槍で弾き、雷の網が一部を焼き払う。
だが、宝具の雨は途切れない。
「英雄王!」
バゼットが叫ぶ。
「それは切り札ではないのですか」
ギルガメッシュは鼻で笑う。
「我にとっては投石程度だ」
「腹立つけど、事実なのがもっと腹立つわね」
凛が呟く。
しかし、雷の網がギルガメッシュの宝具の一部を捕らえ、神杯の雷霆へ変換し始めた。
エルキドゥがすぐに鎖を伸ばす。
「ギル、神杯が宝具の因果を利用してる!」
「ちっ」
ギルガメッシュは宝具の射出を一瞬止める。
その隙に、雷が士郎へ落ちた。
士郎は反射的に盾を投影する。
だが、雷は盾の上からではなく、盾を投影したという行動の結果へ落ちた。
盾が生まれる前に、士郎の腕へ衝撃が走る。
「っ!」
士郎が膝をつく。
イリヤが叫ぶ。
「お兄ちゃん!」
ジャンヌの旗が白い光で士郎を包む。
メディアが即座に術式を張る。
「なるほど。行動の過程ではなく、結果に雷を置いている。厄介ね」
凛が歯を食いしばる。
「普通の防御じゃ駄目ってこと?」
「ええ。防ぐという結果を選んだ時点で、その結果に雷が乗る」
士郎は腕を押さえて立ち上がる。
「じゃあ、どうしろって言うんだよ」
アーチャーがバゼットの攻撃を受け流しながら叫ぶ。
「結果を固定させるな!」
「具体的に!」
「考えろ!」
「またそれか!」
士郎は周囲を見る。
雷。
槍。
逆光剣。
すべてが結果を持っている。
必ず落ちる。
必ず刺さる。
必ず返る。
なら、こちらは結果を持たないものを使うしかない。
完成していないもの。
用途が決まっていないもの。
剣か盾か道具か分からないもの。
士郎は息を吸う。
「投影、開始」
手に生まれたのは、歪な鉄片だった。
剣ではない。
盾でもない。
ただの曲がった鉄。
雷が落ちようとして、止まる。
神杯の因果術式が、その鉄片の結果を定義できない。
防御なのか。
攻撃なのか。
囮なのか。
士郎はそれを地面へ投げた。
鉄片が雷の文字の上に落ち、術式の一部を乱す。
凛が目を見開く。
「効いてる! 因果の固定が乱れた!」
メディアが笑う。
「また雑な正解を出すわね!」
クー・フーリンが口笛を吹く。
「やるじゃねぇか、坊主」
しかし次の瞬間、クー・フーリンの目が変わった。
赤い槍が低く構えられる。
セイバーが表情を引き締める。
「来ます!」
槍の魔力が高まる。
結果を先に決める一撃。
心臓を穿つ因果逆転の槍。
クー・フーリンは士郎を見る。
「悪いな。これも層の問いだ」
士郎の胸が冷たくなる。
槍が放たれれば、結果が先に決まる。
避ける、受ける、弾く。
それらの過程は意味を失う。
セイバーが前に出る。
だが士郎は叫んだ。
「待て、セイバー!」
「シロウ!?」
「俺が標的だ。セイバーが受けたら、因果がずれるかもしれない」
アーチャーが怒鳴る。
「馬鹿を言うな!」
士郎は歯を食いしばる。
だが、分かっていた。
この層は、士郎の行動を問うもの。
誰かを庇わせて終わるなら、それは神杯の思うつぼだ。
クー・フーリンの槍が赤く輝く。
バゼットもまた構えている。
士郎が切り札を使えば、フラガラックが返る。
何もしなければ、槍が来る。
盾を作れば、雷が落ちる。
詰み。
だが、本当にそうか。
士郎は右手を握った。
自分の剣は偽物だ。
未完成だ。
結果を持たない。
ならば、心臓へ届く槍の結果を、心臓以外へずらすことはできないか。
心臓を守るのではない。
心臓の意味を変える。
命の中心。
願いの核。
神杯が狙う場所。
士郎はイリヤの豊穣の種を思い出す。
桜の影を思い出す。
ジャンヌの裁定を思い出す。
アルトリアの赦しを思い出す。
切嗣の言葉を思い出す。
命の中心は、肉体の一点だけではない。
誰かと繋がっているもの。
帰る場所。
明日へ向かう願い。
士郎は投影する。
剣ではない。
小さな空洞。
心臓の形をした、空の器。
それは本物ではない。
命など宿っていない。
だが、神杯の因果術式に一瞬だけ誤認させるための贋作。
「投影、開始」
士郎の手に、赤い光を帯びた小さな偽心が生まれる。
クー・フーリンの目が見開かれる。
「おいおい、そんなもんまで作るかよ!」
槍が放たれた。
赤い因果が走る。
結果は心臓を穿つ。
だが、その瞬間、士郎は偽心を前へ投げた。
槍の結果が揺らぐ。
士郎の心臓か。
偽の心臓か。
神杯の雷が因果を固定しようとする。
バゼットのフラガラックも反応しかける。
だが、士郎は攻撃していない。
切り札を放っていない。
ただ、結果の対象を乱した。
赤い槍が偽心を貫いた。
同時に、衝撃が士郎の胸を掠める。
完全には逸らせない。
士郎は吹き飛び、橋の上を転がる。
「士郎!」
凛が叫ぶ。
イリヤが駆け寄ろうとするが、桜とメドゥーサが支える。
士郎は苦しげに息を吐いた。
だが、生きている。
クー・フーリンは槍を引き戻し、笑った。
「はっ。無茶苦茶だが、通しやがった」
アーチャーが士郎の前に立つ。
「本当に、心臓に悪い戦い方をする」
「今のは、心臓を狙われたからな」
「冗談を言えるなら生きているな」
士郎は苦笑しながら立ち上がる。
バゼットは静かに見ていた。
「なるほど。あなたは切り札を使わず、因果そのものの対象を乱した」
「これで合格か?」
士郎が問う。
バゼットは首を横に振る。
「まだです」
彼女の右腕に魔力が集中する。
フラガラック。
逆光剣が起動しかけている。
「あなたは槍を越えた。では次に、返される因果をどう越えるか」
士郎は息を呑む。
クー・フーリンの槍を越えた直後。
今度はバゼットが来る。
だが、ここで士郎が強い一撃を放てば返される。
何もしなければ、バゼットの格闘と雷が詰めてくる。
凛が叫ぶ。
「士郎、切り札は使わないで!」
「分かってる!」
バゼットが踏み込む。
拳が来る。
速い。
士郎は双剣を投影する。
切り札ではない。
ただの防御と受け流し。
だが、バゼットの攻撃は重い。
士郎一人では捌ききれない。
アーチャーが横に入り、双剣でバゼットの拳を受ける。
凛の宝石が足元で爆ぜる。
バゼットは爆風の縁を抜ける。
セイバーとランスロットはクー・フーリンを抑えている。
ジャンヌは雷からイリヤを守る。
メディアは因果術式の解析に集中している。
士郎はバゼットの動きを見た。
彼女は強い。
だが、迷いがないわけではない。
戦士としての決着を求めている。
神杯に完全に従っているわけではない。
ならば。
「バゼット!」
士郎は叫んだ。
「お前は、本当に俺を倒したいのか!」
バゼットの拳が一瞬だけ止まる。
「戦場でその問いは無意味です」
「無意味じゃない!」
士郎は双剣を構える。
「神杯はお前の戦いを利用してる。切り札を返す力も、クー・フーリンの槍も、雷も、全部俺たちを詰ませるために使ってる。でも、お前自身はどうなんだ!」
バゼットの目がわずかに揺れる。
クー・フーリンが苦笑した。
「坊主、それを今聞くかね」
「今じゃなきゃ駄目なんだろ!」
士郎は続ける。
「お前は、戦うためにここにいるのか。それとも、神杯に勝たせるためにここにいるのか!」
バゼットは沈黙した。
彼女の拳に宿っていた魔力が、わずかに揺らぐ。
凛が小さく呟く。
「士郎……」
バゼットは目を伏せる。
「私は、決着を求めていました」
彼女の声は静かだった。
「かつて奪われた戦い。終わらなかった契約。届かなかった一撃。神杯はそれを拾ったのでしょう」
クー・フーリンは槍を肩に担ぎ直す。
「ま、オレとこいつの縁も面倒でな」
バゼットは士郎を見る。
「私はもう一度、正面から戦いたかった。自分の手で、納得のいく決着を得たかった」
「それは悪いことじゃない」
士郎は言った。
「でも、その決着を神杯に決めさせるな」
バゼットの目が細くなる。
「あなたに言われるとは」
「俺も、何度も言われたからな」
アーチャーが小さく鼻を鳴らす。
その時、神杯の雷霆が激しく鳴った。
バゼットの迷いを感知した神杯が、強制介入を始めたのだ。
雷の網から黒い電流が伸び、バゼットの右腕へ絡みつく。
フラガラックを強制起動させるつもりだ。
凛が叫ぶ。
「神杯がバゼットの礼装を暴走させる気よ!」
バゼットの顔が苦痛に歪む。
「っ……!」
クー・フーリンの表情が変わる。
「おい、神杯。そいつはねぇだろ」
彼の赤槍が雷の黒線を弾く。
だが、神杯の雷はさらに増える。
今度はクー・フーリンの槍にも絡みつき、因果逆転の一撃を強制発動させようとする。
槍と剣。
因果を決める槍と、因果を返す剣。
神杯は二つを同時に暴走させ、士郎を中心に因果の矛盾を爆発させようとしていた。
メディアが叫ぶ。
「まずい! 槍とフラガラックが同時に暴走したら、因果衝突で橋ごと吹き飛ぶ!」
凛が顔を青くする。
「冬木の霊脈にも逆流する!」
士郎は走り出した。
アーチャーが叫ぶ。
「待て、衛宮士郎!」
「待てない!」
士郎はバゼットとクー・フーリンの間へ向かう。
雷が落ちる。
投影する。
今度は鉄片でも偽心でもない。
避雷針。
雷を受けるためのもの。
ただし、落ちた雷を地へ逃がす道具。
神杯の雷は行動の結果へ落ちる。
ならば、結果を受け流す結果を作る。
橋の上に、無数の歪な避雷針を投影する。
雷がそれらへ落ち、川へ流れる。
士郎の身体にも痛みが走る。
だが止まらない。
イリヤが叫ぶ。
「お兄ちゃん!」
豊穣の種が光り、士郎の足元に小さな芽が生える。
雷に焼かれかけた橋の上で、その芽は士郎へ向かう道を示した。
桜の影が士郎の足元を支える。
ジャンヌの旗が雷を和らげる。
凛とメディアがバゼットの右腕へ絡む神杯の術式を剥がす。
エルキドゥの鎖がクー・フーリンの槍へ絡み、強制発動のタイミングを遅らせる。
ギルガメッシュの宝具が雷霆の網を撃ち抜く。
セイバーとランスロットが士郎への道を開く。
アーチャーは最後に弓を引いた。
「行け、衛宮士郎」
矢が神杯の因果術式の中心を撃ち抜く。
一瞬、槍と剣の暴走が緩んだ。
士郎はその間へ飛び込む。
「投影、開始!」
作るのは、結び目を解くための楔。
槍の因果。
剣の因果。
雷の因果。
三つが絡まった中心へ、それを打ち込む。
士郎の腕が裂けるように痛む。
だが、血の描写は不要だった。
痛みだけが、彼の意識を焼く。
「これは、神杯の決着じゃない!」
士郎は叫ぶ。
「お前たちの戦いを、勝手に使わせるな!」
楔が因果の中心へ刺さる。
バゼットの右腕から黒い雷が剥がれる。
クー・フーリンの槍から神杯の強制力が消える。
雷霆の網が砕け始める。
バゼットは歯を食いしばり、自分の意思でフラガラックを停止させた。
クー・フーリンも槍を引く。
神杯の因果衝突は不発に終わった。
橋の上に、静けさが戻る。
◆
雷の網が消えると、冬木大橋には夜風が戻ってきた。
バゼットは右腕を押さえながら、士郎を見た。
「なぜ、そこまでします」
士郎は息を切らしながら答える。
「神杯に、勝手に決めさせたくなかった」
「私たちは敵かもしれない」
「今は違った」
バゼットは目を伏せる。
クー・フーリンは赤槍を肩に担ぎ、にやりと笑った。
「やれやれ。敵も味方も、その場で変わるってか。忙しい戦争だ」
凛が近づく。
「バゼット。神杯との接続は?」
バゼットは自分の右腕を見る。
「ほぼ切れています。ですが、因果の層はまだ完全には閉じていない」
アーチャーが言う。
「なら、最後の問いが残っているということか」
クー・フーリンは士郎を見る。
「坊主」
「何だ」
「お前、さっきの問いにまだ答えてねぇぞ」
「問い?」
「先に手を伸ばすことの責任だ。動けば因果が生まれる。誰かを助けるために動けば、別の何かが変わる。お前は、それでも先に動くのか」
士郎は黙った。
橋の上には、これまでの戦いの残滓が残っている。
自分が動いたことで、神杯の層は開いた。
敵にも材料を与えた。
仲間を危険に晒した。
それは消えない。
でも、動かなければイリヤは終末の中にいた。
ジャンヌは裁きに使われていた。
ランスロットは愛憎に縛られていた。
アルターエゴは炉に呑まれていた。
桜の影は神杯に奪われていた。
士郎は答えた。
「動く」
クー・フーリンは目を細める。
士郎は続ける。
「でも、動いた後の因果から逃げない。俺が手を伸ばしたことで起きることも、ちゃんと見る。間違えたら止めてもらう。自分だけで抱えない」
アーチャーが静かに士郎を見る。
凛は少しだけ笑った。
イリヤは胸元の種を握りしめる。
士郎はもう一度言う。
「先に手を伸ばす。でも、返ってくるものから逃げない」
その言葉に、因果の層が静かに震えた。
バゼットが目を閉じる。
「良い答えです」
クー・フーリンは笑った。
「ま、百点じゃねぇが悪くねぇ」
「厳しいな」
「戦場だからな」
クー・フーリンは赤い槍を地面に立てた。
「因果の層は開いた。神杯の核へ進めるぜ」
バゼットは士郎へ向き直る。
「私とランサーは、しばらく同行します」
凛が驚いた顔をする。
「え、あなたたちも?」
「神杯に戦いを利用されたまま終わるのは、不愉快です。それに、因果の層を越えた以上、私たちにも責任があります」
クー・フーリンは肩をすくめる。
「ま、面白そうだしな」
ギルガメッシュが不満げに言う。
「また人数が増えるのか」
エルキドゥが笑う。
「衛宮邸、そろそろ本当に入りきらないね」
士郎は疲れた顔で空を見る。
「増築するか……?」
凛が即座に言った。
「現実逃避しない」
◆
衛宮邸へ戻る頃には、夜は深かった。
イリヤは眠そうだったが、台所へ向かおうとした。
士郎が止める。
「今日は卵焼き無理だ。もう寝ろ」
「明日?」
「明日」
「本当に?」
「ああ」
イリヤは少しだけ考えて、頷いた。
「じゃあ、明日にする」
その言葉は、狩猟の夜に彼女が選んだ行き先と同じだった。
明日。
士郎は小さく笑う。
「おやすみ、イリヤ」
「おやすみ、お兄ちゃん」
イリヤが部屋へ戻った後、士郎は廊下で立ち止まった。
アーチャーが隣に立つ。
「また無茶をしたな」
「でも生きてる」
「それを毎回免罪符にするな」
「分かってる」
アーチャーはしばらく黙っていた。
そして、静かに言う。
「先に手を伸ばし、返ってくる因果から逃げない。口で言うほど簡単ではないぞ」
「ああ」
「それでも行くのか」
「行く」
アーチャーは小さく息を吐いた。
「なら、せめて一人で行くな」
士郎はアーチャーを見る。
その言葉は、彼が言うからこそ重かった。
「分かってる」
今度は、ちゃんとそう言えた。
◆
黒い神杯には、また深い亀裂が入った。
終末。
祝祭。
裁き。
愛憎。
創造。
死。
王権。
月影。
豊穣。
狩猟。
因果。
十一の層が開かれた。
神杯の核は、もうすぐそこにある。
だが、その奥から新たな反応が浮かび上がる。
凛は宝石板を見つめ、表情を強張らせた。
「これは……海王反応?」
士郎が振り返る。
「ポセイドンか」
「ええ。でも最初に戦った時より反応が深い。海だけじゃない。境界、深淵、都市沈降……神杯が冬木そのものを海に沈めるつもりかもしれない」
メディアが低く言う。
「序盤で現れた海王が、ここで戻ってくるわけね」
アルトリアは剣に手を添える。
「始まりの敵が、再び立ちはだかる」
クー・フーリンが笑った。
「いいじゃねぇか。槍の次は海か」
バゼットは静かに拳を握る。
「神杯核へ向かう前の大きな防衛層でしょう」
凛は宝石板を見て、さらに眉をひそめる。
「場所は冬木大橋の下流、港湾区から海へ続く霊脈。しかも、久遠寺零士の反応もある」
士郎は夜の窓を見る。
遠くで、海鳴りがした。
冬木に、本来聞こえるはずのないほど大きな波の音。
神杯戦争、第十七夜。
士郎は避けられない槍と返される因果を越え、先に手を伸ばす責任を受け入れた。
だが次に待つのは、始まりの神。
海王ポセイドン。
神杯の核へ至る道は、深き海の底へ沈もうとしている。
第十八話へ続く。
聖杯
1,049
涅槃
1,281
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わあ……第17話、読み終わりました。因果の層、めちゃくちゃ重かったですね。避雷針や偽心臓で因果そのものをずらす発想、士郎らしい泥臭さと閃きが光ってました。そして「先に手を伸ばすけど、返ってくるものから逃げない」という答え——あの場で言えるのは、積み重ねてきたからこそだとしみじみ。アーチャーが「一人で行くな」と言ったのも胸に来ました。次は海王ポセイドン…始まりの敵が立ちはだかるのが、また物語の円環を感じさせますね。続きが待ち遠しいです🌊