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放課後。サッカー部の練習に合流する前、魔王はゆっくりとその練習風景を眺めた。
そもそも部活動というものに馴染みがない。
魔界では、己の武術を磨く『鍛錬』があるにはあったが、稀なものだ。脳筋のオークが重い斧をぶんぶん振り回すぐらいである。
魔物は生まれながらにして一定の魔力や攻撃力を有する。種によってそれらの値は千差万別で、勇者の冒険譚で耳にするレベルアップなどは存在しない。
(なお、魔王は規格外である。只でさ強いのに、鍛えるほどに強靭さを増す)
ドラゴンに生まれし者は、生来の火炎を吐き、厚い鱗に守られた守備力は一級品だ。
しかし、低級魔物・スライムは、実戦経験を積み重ねてもスライムの域を越えられない。
それだけに、この世界。
ヒューマンは、鍛えるほどに、生まれ備えた能力値を上げる。その論理において、魔王は親近感を覚えていた。
部活動がもたらす効果を知った魔王は、部員達の一挙手一投足を値踏みするように観察する。
身体能力が優れた者はいない。スライムにさえ劣るだろう。
所詮はヒューマン……だがしかし――。
魔王にとって不思議でならないものがそこにはある。
まず、能力値がバラバラだ。
例えばスライムは、押しなべて均一な攻撃力、防御力、知性、素早さを持つ。
しかし眼前のヒューマンは、ある者は他者よりも走る足が速い。シュート力も違う。能力値が各人でそれぞれ異なっている。
だがそれ以上に、魔王にとって解せないもの――
「ファイッ! オーっ!」
部員達は今、グラウンドを走っている。四〇〇メートルトラック×三〇周の計十二キロをランニングしてから、ボールを蹴る練習に入るようだ。
十二キロ。魔王にとってはお遊びみたいな距離だ。
「声出そうぜえっ!」「おうーっ!」
トップを独走するヒューマンのかけ声に、周回遅れの者が歯を食いしばり応える。
小賢しいドラマの演出。魔王は唾を吐きかけた。
――と、
後続グループで駆けていた者がペースを落とした。倒れそうになる。
周囲が気づき、大丈夫か? と声をかけた。先輩大丈夫っす。応答するも、彼のふくらはぎは痙攣していた。
どう見ても大丈夫ではない。魔王は内心笑いそうになる。これ以上走れないことは明らかだ。
ちょっと休んでろ! いや大丈夫っす! おまえそこ前にケガしたとこだろ。平気っす。身体を大事にしろ! 自分が走りやめたら全員で完走できません!
クソ茶番。
冷めた感情で、魔王は、ヒューマンどものやり取りを眺める。それなのに……いつしか拳をギュッと握っていた。
いいんだよ、ケガを押してまでやり遂げるな。おまえがケガを引きずる方が俺達には辛い。先輩! 俺がおまえの分まで走る。先輩!
沈みゆく赤い夕陽を背景に部員達が血潮を漲らせる。じゃかじゃーんと壮大な効果音が流れそうな雰囲気。
なんだ、これは……。つん、と目の奥と鼻に何かが集まる。つ、と魔王の頬に雫が伝った。
今まで抱いたことのない感情に、魔王は襲われた。
涙。
そんな、吾輩が……いや、まさか。
ぶんぶんと首を激しく振る魔王。
吾輩は魔界に君臨していた王だ。感動に身を投じるなぞ、ありえぬ。他者への憐れみは寝首を掻かれうる。沸いた感情を打ち消そうと、魔王は首を振り続ける。
しかし、
衝動的にその場から駆けてだしていた。あまつさえ、魔王はこうも叫んだ。
「おまえの分は吾輩が走る!」
バックパックを投げ置き、制服姿のまま四〇〇メートルトラックを魔王が走り始める
一瞬、ぽかんとした空気が生まれた。
だが、サッカー部キャプテンである藤堂武光が、
「みんな、碧人にならえ!」
と気炎を吐くや、ドドドドと怒涛の勢いの足音が校庭内に溢れた。
*
走り終えた魔王。不可解な気分に襲われていた。履いている砂埃まみれのローファーを、見るともなしに見ていた。
どうしてあんなことをしたのか?
おまえの分は吾輩が走る、なんて……。
「碧人、サンキュ」
ふくらはぎ痙攣男が魔王に礼を言う。まだ足をひきずっていた。
軟弱者め、魔王は喝を入れるため、ふくらはぎ痙攣男を睨もうと……。
どこまでも透きとおるような笑顔を、彼は魔王に向けていた。
「退院直後の碧人に助けられるなんて、オレ、一生おまえに頭あがらないよ」
ぽり、とふくらはぎ痙攣男が後頭部を掻く。なはは、と弱々しい笑い声をあげ、彼は本当に頭を下げた。
脳裏で魔界での過去が過ぎった。
ふがいなさを見せた配下は、見せしめとして公開処刑に処した。
気の緩みは魔王軍の士気の劣化だ。体制崩壊の綻びである。だからして、魔王は冷酷に対応してきた、はずだ。
「……、まあ、仕方がない、だろう……」
魔王は彼にぷいと背を向けた。
きつく唇を噛む魔王。その肩にぽんと手を置かれた。
「おかえりだな、碧人。いやーいい走りだ。入院してたのにおまえ速くなったな」
ふくらはぎ痙攣男が、やっぱり後頭部を掻きながら、魔王にサムズアップした。
魔王は黙り込んでいる。
そもそも、背後から肩に手を置かれた時点で、魔王はいっぱいいっぱいだった。
どうしてかというと――、
ふくらはぎ痙攣男の醸しだす雰囲気が、魔王の亡き兄にあまりにも似ていた。
兄、イグノアリウスは、魔王とは腹違いだった。
大魔王の息子であるにもかかわらず偉ぶらない兄は、飄々と風になびかれているような男だった。
それは、イグノアリウスの母が大魔王の側室であったがためであるかもしれない。ゆくゆくは正室の子・魔王が魔界を治め、イグノアリウスが配下となるのは既定路線のこと。
しかし、魔王が玉座について暫くの後、反旗の狼煙があがった。反乱である。
魔王の治世で力を失いつつあった元重鎮の魔物が、イグノアリウスを焚きつけた。
魔界であまねく情報網を張っていた魔王は、即座に元重鎮を捕え、処刑した。
問題は、捕縛されたイグノアリウスである。
魔王の兄とは言え、今回のクーデターで首領に担ぎ上げられた。
生かしておくと後に禍根が生じる。イグノアリウスを含め、縁者全員に処刑命令が下った。
処刑の前、収監されているイグノアリウスに、魔王は会った。
蜂起に加担しなければ、一族として過不足のない生活を送れたバカ兄。そのツラを最後に見てやろう。さぞ、兄は魔王を恨んでいるだろう。
だが――、
魔王の顔を見たイグノアリウスは、後頭部をぽりっと掻きながら破顔した。
「いや~、まいった。おまえ強くなったな。敵わなかったよ。おまえだったら、伝説の女魔王と結ばれて、最強になれるんじゃねー」
言い伝えは古くから魔界にあるものだった。
〝魔王と処女魔王とが結ばれ、偉大なるチカラが生まれる〟
馬鹿らしい口伝である。魔王の他に魔王は存在しない。しかも、処女ということは女の魔王だ。そんなことは断じてあり得ない。
(死の直前に至ってなおホラ話を真に受けるとは……担がれて当然の器量しか持ち合わせない兄だったか)
失望する魔王が去る際、イグノアリウスはサムズアップした。
「おまえ、いい魔王になれよ~」
夜を待たずにイグノアリウスは処刑された。
反省を感じさせない〝サムズアップ〟が問題視された。
魔王がイグノアリウスに会いにいかなければ、彼はその生命をもう一夜長らえることができただろう。
魔王は処刑を見物しなかった。
執行報告を受けた魔王は、玉座で小さく頷きを示した。ただ、それだけだ。
小鳥がさえずりを止め、どこかへと羽ばたいていった。
なお、古からの魔界の言い伝えには、続きがある。
〝指どうしを突き合わせる者が危険を炙り出し、長い髪を二つに結んだ者による黄金色の光がチカラを助ける〟
己さえいれば最強・最恐と自負していた魔王には響かなかった言い伝えである。
「スパイク履いてきな~」
魔王が履くローファーを、ふくらはぎ痙攣男が指さす。魔王は口を結んだままだ。
彼が言葉を続けた。
「なんか久しぶりに会ったらさ、また一緒にボール蹴りたくなってきたよ。おまえ、いいフットボーラーになれよ~」
魔王は――こっくりと一度だけ頷き、グランド脇にあるサッカー部の部室の方へ向かった。
また一緒ではない。初めて一緒にボールを蹴るのだ。
野暮な言葉を吐かずに済んだ。魔王は人知れず安堵していた。