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#ころんくん
Yuka🍀🐼
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ちゃちゃ@あきしお最高
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#パクリ❌
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昼のスタジオは、妙に明るかった。
昨日と同じ場所。
同じ鏡。
同じ床。
同じメンバー。
なのに、タイキにもルイにも、全部が少しだけ落ち着かなく見えた。
理由は分かりきっている。
分かりきっているからこそ、余計に厄介だった。
「おはよー」
カノンが先に入ってきて、軽く手を上げる。
「今日もやるかー」
「おはよ」
ゴイチも続いて、タオルを肩にかける。
「……あれ、ルイ珍しく早いじゃん」
ルイはすでにスタジオにいた。
タイキも、その少しあとに入ってきた。
あえて時間をずらしてスタジオ入りしたのだ。
「……おはよ」
「おはよ」
アダムが壁際から短く返す。
一見、何も変わらない。
表向きは。
でも、変だった。
ルイが最初にやらかしたのは、音源確認の時だった。
いつもなら絶対に間違えない立ち位置の番号を、ひとつ飛ばした。
しかも自分で言った直後に、「あ」と小さく止まる。
「珍し」
ゴイチがすぐ笑う。
「ルイがそこ間違える?」
「……ちょっと寝不足」
ルイが何でもない顔で返す。
「昨日の合同練習、だいぶ長かったもんな」
カノンがすぐ納得したように頷く。
「さすがに響いてる?」
「まあ」
ルイは短く返して、視線だけを一瞬逸らした。
その“寝不足”の理由を知ってるのは、当然タイキだけだ。
タイキはそれを聞いた瞬間、変に胸がざわついて、持っていたペットボトルを開けようとして手元を滑らせた。
「うわ」
キャップが半分開いた状態で、水が手元からこぼれる。
床に小さく散る。
「何してんだよ」
カノンが吹き出す。
「今日はそっちもかよ」
「……っ、いや、別に」
タイキは慌ててタオルで拭こうとしゃがみこむ。
耳が少しだけ熱い。
ルイが一歩だけ動きかけて、でも止まる。
それを見てしまったタイキは、余計に落ち着かなくなる。
「大丈夫?」
ゴイチが笑いながらタオルを投げてよこす。
「二人とも珍しくぽやっとしてんな」
アダムがそのやり取りを静かに見ていた。
そして、ほんの少しだけ口元を動かす。
「昨日の合同練習が響いてるな」
声は淡々としている。
でも、その言い方には妙な含みがあった。
タイキとルイは、同時にほんの少しだけ動きを止める。
カノンとゴイチはそこまで気づかない。
「あー、それで疲れてんのか」
カノンがすぐ笑う。
「確かに昨日、精神的にも体力的にも重かったしな」
「納得」
ゴイチも頷く。
「合同練習って変に気遣うし」
「……まあ、そんなとこ」
ルイが落ち着いた声で返す。
タイキも「……多分」とだけ言って、視線を落とした。
心の中では、二人とも同じことを思っていた。
ある意味、響いてる……。
昨日の合同練習も、たしかに響いている。
でも今の寝不足も、ミスも、落ち着かなさも、その続きの夜と朝のせいだ。
それを言えるわけがない。
だから、何でもない顔をする。
仕事の顔に戻る。
戻るつもりでいる。
それなのに。
ルイが目の前で小さなミスをするたび。
タイキがひょんなところで動揺を出すたび。
二人の中だけに分かる熱が、余計にじわじわ広がっていく。
カノンは笑いながら「今日ほんと変」と言うし、ゴイチも「昼入ってまだ起きてねぇのか?」と茶化す。
アダムだけが何も言わずに、ただ少しだけ分かってる目で二人を見ていた。
スタジオの空気はいつも通り。
仕事もちゃんと進む。
誰にもバレるほどじゃない。
でも、タイキとルイの中だけでは、全然いつも通りじゃなかった。
ルイが視線を上げる。
タイキと目が合う。
ほんの一瞬。
それだけで、今朝の額へのキスも、ベッドの近さも、腕の熱も、全部一気に思い出してしまう。
タイキは無意識にペットボトルを握り直した。
ルイはいつもより半拍遅れて目を逸らす。
それだけで、またカノンが笑う。
「なに、二人とも今日ほんとに変なんだけど」
「うるさい」
タイキがすぐ返す。
「お前もな」
ルイも続く。
その返しだけは妙に揃っていて、今度はゴイチまで笑った。
「そこだけ息ぴったりなの何なんだよ」
それにも二人はまともに返せなかった。
返したら、たぶん余計に顔に出るから。
だから、また何でもないふりをして、仕事の空気に戻っていく。
でも胸の内側では、二人ともずっと同じだった。
昨日の合同練習、だいぶ響いてる。
でも、本当に響いてるのはそのあとだ。
そう思いながら。
音は流れている。
メンバーもいる。
雛子は端でタブレットを見ながら、スタッフと小さく確認を取っている。
一見、いつも通り。
なのに、タイキだけは何度もルイを見てしまっていた。
そのせいもあって、タイキはルイの異変に気付く。
何かがおかしい。
明確にミスしてるわけじゃない。
踊れてないわけでもない。
でも、ルイの動きがほんの少しだけ鈍い。
「……ルイ?」
曲間、タイキが小さく呼ぶ。
ルイは壁際でペットボトルを持ったまま、ゆっくり顔を上げた。
「ん?」
声は普通だ。
低くて、落ち着いていて、いつものルイ。
でも、焦点が合うのが少し遅い。
タイキは眉を寄せた。
「流石に静かすぎない…?」
「そうか…?」
短く返して、ルイは水をひと口飲む。
それも、いつもなら流すはずの仕草なのに、今日はやけに喉が動くのが見えた。
「次、頭から通すぞー」
スタッフの声が飛んで、それ以上は聞けない。
タイキは自分の位置へ戻ったけれど、そこから先はずっとルイのことが気になって仕方なかった。
通しが終わる。
ゴイチがタオルで首を拭いて、カノンは床に座り込み、アダムは壁にもたれて息を整える。
その中で、ルイだけが一歩下がった。
「……ルイ?」
タイキが今度ははっきり呼ぶ。
ルイが返事をする前に、雛子が先に近づいた。
「ちょっと待って。顔上げて」
「平気」
「平気な人はそういう顔しないのよ」
ルイが少しだけ眉を寄せる。
でも言い返す元気もあまりないらしく、雛子に言われるまま少し顔を上げた。
雛子の手が額に触れる。
その瞬間。
「……熱っ」
空気が変わった。
タイキの心臓がどくっと鳴る。
ゴイチが「え」と顔を上げて、カノンも立ち上がる。
アダムだけが静かに目を細めた。
「ルイ、お前熱あんの?」
タイキの声が思ったより強く出る。
ルイは視線を逸らした。
「……朝から、ちょっとだるかった」
「朝から!?」
タイキが一歩詰める。
ルイはその勢いに少しだけ目を上げたけど、そこで初めて、いつもの余裕がない顔をした。
その顔が見えた瞬間、タイキの中で何かが完全に切り替わる。
「何で言わないんだよ」
掠れた声で出たその一言に、ルイは少しだけ目を伏せた。
「言ったら、休まされるだろ」
「当たり前だろ」
即答だった。
タイキは自分でも驚くくらい、本気で怒っていた。
でもそれ以上に、焦っていた。
ルイが弱ってる。
その事実だけで、頭の中がうるさくなる。
「帰れ」
アダムが短く言う。
「今日もう無理」
「送る」
タイキが即座に言った。
早すぎるくらい早かった。
迷いが一切ない声音。
ルイはそこで、ようやくタイキの方を見た。
少しだけ熱のこもった、ぼんやりした目。
「……いい」
小さく首を振る。
「お前、ここ抜けたらだめだろ」
「でも」
「でもじゃない」
ルイは少しだけ眉を寄せる。
「合同の締め、お前いるだろ。流れ、崩したくない」
タイキの喉がつまる。
その顔でそんなことを言うな、と一瞬思う。
送らせてほしい。
せめて家まで。
今すぐタクシー呼んで、一緒に乗って、玄関まで上がって、ちゃんと寝かせたい。
でも、ルイの言うことは正しい。
ここでタイキが抜けたら、合同練習の空気が崩れる。
周りにも迷惑がかかる。
分かっているからこそ、何も言えなくなる。
「俺、タクシーで帰る」
ルイが言う。
「家着いたら連絡する」
「一人で大丈夫か?」
ゴイチが聞く。
「タクシー乗れば平気」
ルイは短く返す。
「ちょっと寝ればたぶん落ち着く」
「たぶん、って言い方やめろ」
カノンが眉を寄せる。
「ちゃんと水飲んで、薬あんなら飲めよ」
「うん」
アダムはすでにスマホを取り出してタクシーを呼んでいた。
そういう時、誰より静かで早い。
「五分」
短く告げる。
「ありがと」
ルイはそう言って、でも立ち上がる時に少しだけふらついた。
タイキの手が反射で伸びる。
肩に触れる。
触れた瞬間、ルイがほんの少しだけ力を抜いた。
「……タイキ」
「何」
「ちゃんとやれよ」
そんなことを言う。
熱があって、だるそうで、それでも最後に言うのがそれで。
タイキは一瞬だけ言葉を失った。
「……それ、今お前が言う?」
「言う」
ルイは少しだけ笑う。
「帰ったら、連絡するから」
その“するから”が約束みたいに響く。
タイキは触れた肩に入る体温を感じながら、小さく頷いた。
「……分かった」
少し間を置いてから、低く続ける。
「絶対出ろよ、電話」
ルイが少しだけ目を丸くする。
それから、熱のある顔のまま、ほんの少しだけやわらかく目を細めた。
「……うん」
⸻
タクシーに乗り込むルイを、タイキはスタジオの外まで送った。
本当は家まで行きたかった。
助手席じゃなくて隣に座って、途中で眠ったら肩を貸して、玄関まで連れていきたかった。
でも、そこはルイが許さなかった。
だからせめて、ドアが閉まる瞬間まで目を離さない。
「着いたら連絡」
タイキがもう一度言う。
「分かってる」
ルイは少しかすれた声で返す。
ドアが閉まる。
タクシーが走り出す。
見えなくなるまで、タイキはその場を動かなかった。
「……行った?」
後ろからカノンの声がする。
タイキは小さく息を吐いて、ようやく振り返った。
「うん」
「お前も顔色やばいけど」
ゴイチが言う。
「大丈夫か」
「大丈夫」
タイキは短く返す。
「やる」
その声で、カノンとゴイチはそれ以上何も言わなかった。
アダムだけが、タイキの顔を一瞬だけ見て、何かを察したように目を伏せる。
⸻
そこからのタイキは、本領発揮だった。
むしろ、だからこそだった。
ルイがもうここにいない。
体調を崩して帰った。
家に着くまでは気が気じゃない。
今すぐにでも連絡したい。
本当は仕事どころじゃない。
でも。
だからこそ、早く終わらせる。
ちゃんと終わらせて、電話する。
それだけのために。
タイキの集中は、逆に研ぎ澄まされた。
無駄がない。
確認も反応も、一拍で入る。
トレーニーが詰まれば明るく空気を切らずに直し、先輩アーティストとの動線確認も一度で通す。
場の温度を読みながら、必要なところだけテンポよく引っ張っていく。
さっきまでルイのことで頭がいっぱいだったのが嘘みたいだった。
「……うわ」
カノンが途中で小さく漏らす。
「入ったな、タイキ」
「うん」
ゴイチも頷く。
「今日一番仕上がってるかも」
アダムは壁際でその様子を見ながら、静かに思っていた。
たぶん今のタイキは、仕事のために集中してるんじゃない。
仕事を終わらせるために集中してる。
その先に、別の目的がある。
タイキの目が変わっていた。
揺れてはいる。
でも迷わない。
一秒でも早く全体を締めるための、真っ直ぐで鋭い目。
「そこ、もう一回」
タイキが短く言う。
「今のタイミングだけ揃えて終わる」
誰も逆らわない。
その声に、自然と全員が従う。
音が流れる。
確認。
修正。
もう一度。
揃った。
「よし。今日はここまで」
スタッフが言うより少し早く、空気がまとまる。
最後の挨拶も、きっちり揃う。
タイキは終わった瞬間に、ようやく肩の力を少しだけ抜いた。
でもそれでも、休む前にまずスマホを取る。
画面を見る。
ルイから、短いメッセージが入っていた。
「着いた。薬飲んで寝る」
その一行だけで、胸の奥に少しだけ呼吸が戻る。
でもまだ足りない。
声を聞かないと、足りない。
タイキは荷物をまとめるより先に、スマホを握り直した。
カノンが「帰るぞー」と言いながら通り過ぎる。
ゴイチが「タイキ、先出るぞ」と声をかける。
アダムは何も言わず、ただ一瞬だけタイキのスマホを見た。
タイキは短く「うん」とだけ返した。
それから、少し離れた廊下側へ歩く。
人のいない場所。
そこで、迷わずルイの名前を押す。
ちゃんと仕事を終わらせて。
ルイに電話する。
今のタイキには、それだけだった。
、
スタジオの外に出ると、夜の空気は少しだけ冷たかった。
さっきまであれだけ身体を動かしていたのに、熱はもうほとんど感じない。
そのかわり、胸の奥だけがやたらとうるさい。
タイキはスマホを握ったまま、ルイの名前をもう一度見た。
さっき送られてきた短いメッセージ。
“着いた。薬飲んで寝る”
それを見た時は、少しだけ安心した。
ちゃんと帰れた。
薬も飲むつもりでいる。
じゃあ、大丈夫かもしれない。
そう思ったのに。
電話に出ない。
呼び出し音。
しばらく待つ。
切れる。
もう一回。
また、出ない。
「……」
タイキは、スマホを耳から外した。
画面が暗くなる。
スタジオの下。
人通りはそこまで多くない。
なのに、ひとりだけ取り残されたみたいに落ち着かなかった。
ルイだって子供じゃない。
そんなこと、わかってる。
熱があるからって、いちいち大騒ぎする歳でもない。
ちゃんと家に帰って、薬も飲んで、あとは寝るだけ。
たぶん、それが正解だ。
看病に行ったところで、無理して起きてるなんてことになったら逆効果だよな。
そう思う。
思うのに。
(でも……)
弱いところは見せないの、知ってる。
しんどくても「平気」って言う。
熱があっても「ちょっとだるいだけ」って言う。
聞いたところで、大丈夫って返すのも目に見えてる。
それも、知ってる。
だから余計に困る。
(食事、ちゃんと取れてなかったら……)
薬は飲んだって書いてあった。
でも、水だけで飲んでたら?
ゼリーとかも食べてなかったら?
あいつ、帰った瞬間に面倒になって、そのまま寝てそうだし。
(それだと、余計治んないだろ……)
タイキはもう一度スマホを見る。
電話する理由なんて、いくらでも作れる。
水飲んだか確認とか。
熱計ったか確認とか。
食べたか確認とか。
でも、その全部の奥にある本音は別だ。
顔、見たい。
ちゃんと見て安心したい。
弱ってるなら、そばにいたい。
そこまで言ってしまったら、もう自分でも止めづらい。
「……っはぁ」
小さく息を吐いて、タイキは足元を見る。
帰るか。
行くか。
悩みに悩む。
ほんとに、くだらないくらい悩む。
だって、ルイはたぶん嫌がる。
大丈夫って言う。
寝てるなら寝かせとけって顔もする。
でも。
出ないんだよな、電話。
それだけが、タイキの理屈をどんどん削っていく。
⸻
一方その頃、ルイはタクシーを降りていた。
玄関の鍵を開ける。
扉を閉める。
そこでようやく、緊張が切れた。
「……っ」
額に手を当てて、そのまま玄関の壁に寄りかかる。
思っていたより、しんどい。
スタジオではまだ、持っていた。
持っているつもりだった。
帰って薬を飲んで、少し寝れば大丈夫だろうと、本気で思っていた。
でも、家の中に入った瞬間、身体が一気に重くなる。
熱がある時の、骨の奥がだるい感じ。
立ってるだけで地味にきつい。
「水……」
声に出してみても、誰も返さない。
当たり前だ。
ルイはふらりと靴を脱いで、そのままキッチンへ向かった。
いつもなら、帰ってきてからやることなんて山ほどある。
バッグを片付ける。
服を整える。
風呂の準備。
軽く部屋を見て、明日のことも少し考える。
でも今日は、何ひとつやる気が起きない。
冷蔵庫を開ける。
ペットボトルの水を出す。
その冷たさが気持ちいい。
キャップを開けて、何口か流し込む。
「……っは」
喉は少し楽になる。
でも、それだけだった。
食べるもの。
薬。
着替え。
頭の中では順番がわかってる。
でも、身体がついてこない。
このままベッドに行ったら負けな気がする。
勝手に、そう思った。
何に対してなのかは自分でもよくわからない。
でも、ベッドに入ったら本当に終わる気がして。
そこまで行ったら、明日のことも何も考えられなくなる気がして。
だからルイは、ソファーに向かった。
深く腰を下ろす。
「……ちょっとだけ……」
それだけ、のつもりだった。
背もたれに頭を預ける。
手に持っていたスマホは、いつの間にか横に落ちた。
水のボトルはローテーブルの端に置いたつもりで、少し傾いて止まる。
目を閉じる。
ほんの少し休んで。
ほんの少しだけ。
そう思ったところで、意識はもう落ちていた。
⸻
スタジオの下で、タイキはもう一度電話をかけた。
コール音。
長い。
出ない。
「……ルイ」
小さく名前を呼んでも、当然返事はない。
タイキは通話を切って、しばらくそのまま画面を見つめていた。
行くべきか。
いや、寝てるなら起こすのよくない。
でも、こんなに出ないのはやっぱり気になる。
着いたって連絡のあとに倒れてたら?
薬だけ飲んで、そのままソファで寝てたら?
食べてなかったら?
頭の中で、悪い想像ばっかりが膨らむ。
「……だめだ」
ぽつりと漏れる。
理屈じゃない。
もう無理だった。
タイキは顔を上げる。
駅とは逆の方向。
ルイの家の方角。
「……起きててほしくは、ないけど」
そう言いながら、もう足は動いていた。
途中でコンビニ寄って、ゼリーとスポドリと冷えピタ。
あと、何か喉通りそうなもの。
ドアの前まで行って、寝てるなら静かに置いて帰る。
それなら起こさなくて済む。
それなら、たぶん言い訳も立つ。
そうやって自分に言い聞かせながら、タイキは歩き出す。
でも、本当は。
置いて帰るだけで済む気が、全然してなかった。
ルイのマンションに着いた頃には、外はもうすっかり暗くなっていた。
夕陽の名残みたいな赤さも、ビルの隙間から消えている。
街灯とエントランスの照明だけが、妙に白く足元を照らしていた。
タイキは片手にコンビニの袋を持ったまま、もう片方の手でスマホを握っていた。
ゼリー。
スポーツドリンク。
水。
冷却シート。
喉に通りそうなスープ。
一応、熱がある時でも食べやすそうなものを選んだつもりだった。
買いながら何度も思った。
ただ置いて帰る。
起こさない。
迷惑かけない。
それが一番いい。
そう思っていたのに、いざルイの部屋の前まで来ると、足が止まった。
インターホンを一回だけ押す。
室内から、小さく電子音が響いた気がした。
けれど、反応はない。
「……」
タイキは数秒待って、もう一度だけ押した。
やっぱり、出ない。
スマホを見る。
着信履歴。
LINE。
既読はついていない。
やっぱり寝ているんだろう。
なら、起こさない方がいい。
熱があるなら、眠れているだけで十分だ。
下手に起こしたら、逆にしんどくなるかもしれない。
そう思う。
思うのに、扉の前から離れられなかった。
「……少しだけ……」
自分に言い訳するみたいに呟いた。
買ったものだけ置いていこう。
そう思って、コンビニの袋を玄関の端にそっと置く。
けれど、そのまま背を向けることができなかった。
ただ買って、顔も見ずに帰る。
それが正しいのかもしれない。
でも、できなかった。
かといって、しつこくインターホンを鳴らして無理に起こしたいわけでもない。
ルイが本当に眠れているなら、そのまま眠っていてほしい。
タイキは玄関ドアの隣の壁に寄りかかって、ずるずるとその場に座り込んだ。
廊下の床は少し冷たい。
膝を立てて、片腕をそこに乗せる。
「……何やってんだろ、俺」
小さく笑った声は、廊下に吸い込まれて消えた。
ここ数日、ずっと一緒にいた。
一緒に帰って。
一緒に過ごして。
手に触れて。
キスして。
同じ時間を重ねて。
その全部が嬉しくて、浮かれていた。
隣にいるルイが、前より近い。
それが嬉しくて、少し調子に乗っていた。
ルイの視線ひとつで心臓が跳ねることも。
ルイが自分だけに見せる顔に、何度も持っていかれることも。
ずっと、嬉しかった。
でも。
「……ルイの体調に、気付けなかった」
喉の奥が、少しだけ苦くなる。
朝からだるかったと言っていた。
それなのに、気づけなかった。
いつもより静かだった。
水を飲む回数も多かった。
動きも、ほんの少し鈍かった。
今なら思い当たることはいくらでもある。
なのに、その時の自分はただ、ルイのことを見ていたつもりで、見えていなかった。
きっとメンバーの中でも、自分が一番に気づけるはずだった。
子供の頃から一緒で。
ルイがどんなふうに我慢するのかも、弱いところをどんなふうに隠すのかも、誰より知っているはずだった。
それなのに。
タイキはLINEを開いた。
指先が少しだけ迷う。
それから、短く打った。
差し入れ、玄関に置いておく。
送信。
続けて、もう一文。
ちゃんと、少しでも食べてよ。あと水分も。
送信。
画面を見つめる。
既読はつかない。
「……浮かれすぎ……」
苦笑しながら、立てた膝に肘を置いた。
片手で自分の髪をくしゃりとかき混ぜる。
責めたところで、熱が下がるわけじゃない。
今さら気づけなかったことを悔やんでも、ルイが楽になるわけでもない。
それでも悔しかった。
ルイの「平気」を、平気じゃないと見抜けなかったことが。
「……もう少しだけ……」
そう思いながら、タイキは壁に頭を預けた。
扉の向こうに、ルイがいる。
それだけで少しだけ落ち着く。
顔は見えない。
声も聞こえない。
でも、同じ場所のすぐ向こうにいる。
その気配だけを頼りに、タイキは静かに目を閉じた。
⸻
ルイが目を覚ました時、最初に感じたのは頭の重さだった。
まぶたの裏が熱い。
身体の芯がだるい。
喉も乾いている。
ソファーの背に頭を預けたまま、しばらく動けなかった。
「……」
部屋は暗い。
いつの間に寝ていたのか、よくわからない。
帰ってきて、水を飲んで、それからソファーに座って。
その先の記憶が曖昧だった。
「……時間……」
掠れた声で呟いて、ルイは手探りでスマホを探した。
指先がソファーの隙間を撫でる。
横に落ちていたスマホに触れた瞬間、ようやく拾い上げる。
画面をつける。
タイキからの着信が、何件も入っていた。
LINEも。
ルイはそこで、ゆっくり目を開いた。
差し入れ、玄関に置いておく。
ちゃんと、少しでも食べてよ。あと水分も。
数秒、文字を見つめる。
「……まじか」
思わず、息に混じって声が漏れた。
ここまで来たのか。
来るなとは言っていない。
でも、来るとも思っていなかった。
いや。
本当は、少しだけ思っていたのかもしれない。
タイキなら、電話に出なければ心配する。
着いたとだけ送って寝たら、きっと気にする。
差し入れくらい持ってくるかもしれない。
でも、それは困る。
こんな時間に、外で待たせていたら。
もし本当に玄関前にいたら。
ルイはソファーの背に手をついた。
身体が重い。
立ち上がるだけで、足元がぐらつく。
「……っ」
思わず眉を寄せる。
熱が上がっている。
分かる。
さっきより明らかに身体が熱い。
息も少し浅い。
それでも、行かないわけにはいかなかった。
玄関までの数歩が、やけに長く感じる。
いつもの部屋なのに、距離感がおかしい。
床がほんの少し揺れているみたいで、壁に手をつきながら進む。
ドアの前まで来て、鍵を開ける。
小さな音。
それから、ゆっくりドアを開けた。
冷たい廊下の空気が入ってくる。
玄関の端に、コンビニの袋が置いてあった。
そしてその横に。
壁にもたれて、座ったままうとうとしているタイキがいた。
ルイは、目を見開いた。
「……タイキ」
声が掠れた。
自分でも驚くくらい、弱い声だった。
その声に、タイキのまぶたが薄く開く。
最初はぼんやりしていた目が、ルイの姿を認識した瞬間、はっきり揺れた。
「……ルイ?」
ルイはサンダルのまま、玄関の外に一歩踏み出した。
「お前、何……」
そこまで言ったところで、身体が大きく傾いた。
足に力が入らない。
視界が一瞬、暗く滲む。
「ルイっ……!」
タイキが反射的に立ち上がった。
コンビニの袋がかさりと揺れる。
次の瞬間、タイキの腕が正面からルイを受け止めた。
熱い。
触れた瞬間、タイキの表情が変わった。
服越しでも分かるくらい、ルイの身体が熱を持っている。
「っ……熱……」
タイキは思わず声を漏らした。
ルイはタイキに支えられながら、額を少しだけタイキの肩に寄せた。
普段なら絶対にしない。
人前どころか、二人きりでも、こんなふうに体重を預けることは滅多にない。
でも今は、身体が言うことを聞かなかった。
「お前まで……風邪ひく……」
耳元で、小さく呟く。
かすれた声。
熱でぼやけた息。
それでも出てきた言葉がそれで、タイキは一瞬だけ泣きそうになった。
「病人が何言ってんだよ……」
困ったように笑う。
でもその腕は、少しも緩めなかった。
待っていてよかった。
そう思った。
本当に、よかった。
もしこのまま置いて帰っていたら。
ルイがソファーで寝たまま熱を上げていたら。
水もろくに飲まず、食べもせず、そのまま朝までいたら。
考えただけで、背中が冷える。
「ルイ、中入るよ」
「……タイキ」
「いいから」
タイキはルイの腕を自分の肩に回させるようにして、身体を支え直した。
ルイは一瞬だけ抵抗するみたいに息を吐いたけれど、すぐに力が抜けた。
本当にしんどいんだ。
それが分かって、タイキの胸がきゅっと痛む。
「歩ける?」
「……歩ける」
「今の返事、信用できない」
「……ひど」
「ひどくていい」
タイキは片手でコンビニの袋を拾い、もう片方でルイを支えたまま玄関の中へ入った。
ドアを閉める。
外の冷たい空気が遮断される。
部屋の中は、妙に静かだった。
「ソファー?」
「……ん」
「ベッド行ける?」
ルイは少しだけ黙った。
それだけで、タイキには答えが分かった。
「ソファーね。無理すんな」
ルイを支えながら、ゆっくりリビングへ向かう。
さっきまでルイが座っていたソファーには、スマホと水のボトルが置かれていた。
ローテーブルの上には、キャップがちゃんと閉まっていないペットボトル。
薬は出ていない。
タイキの眉がぎゅっと寄る。
「……薬、飲んでないじゃん」
ルイは黙った。
「飲んだって送ったよな?」
「……飲むつもりだった」
「それ、飲んでないって言うんだよ」
「……うん」
素直に認める声が小さすぎて、タイキはそれ以上責められなかった。
ソファーに座らせると、ルイはそのまま背もたれに沈み込む。
額にかかった髪が少し汗で湿っている。
タイキはすぐに袋を開けた。
スポーツドリンク。
ゼリー。
冷却シート。
水。
スープ。
「まず水分」
「……ん」
「自分で持てる?」
ルイが手を伸ばす。
でも指先が少し震えて、キャップを開けるのに手間取った。
タイキは無言でボトルを受け取る。
キャップを開けて、ルイの手に持たせる。
けれどそのままでは危なそうで、結局ボトルの底を自分の手で支えた。
「ゆっくり」
ルイは言われるまま、少しずつ飲んだ。
喉が動く。
熱い息が、ボトルの縁にかかる。
タイキはそれを見ながら、ようやく少しだけ呼吸できた。
「食べられる?」
「……いらない」
「ゼリー一口」
「……」
「一口だけでいいから」
ルイは目を閉じたまま、少しだけ眉を寄せた。
拒否したい。
でも拒否する元気もない。
そんな顔だった。
タイキはパウチのゼリーを開けて、ルイの手に持たせようとする。
けれどルイは受け取らなかった。
「……タイキ」
「なに」
「悪い」
その一言に、タイキの手が止まった。
怒りたいのに、怒れない。
なんで言わなかったんだよ。
なんで一人で帰ったんだよ。
なんで電話に出ないんだよ。
なんで薬飲んだなんて嘘みたいなこと言うんだよ。
言いたいことは山ほどある。
でも、目の前のルイは熱で目元を赤くして、ソファーに沈んでいて。
それでも最初に言うのが「お前まで風邪ひく」で、次が「悪い」だった。
タイキは唇を噛む。
「……謝んなくていい」
声が少しだけ震えた。
「そのかわり、ちゃんと頼って」
ルイが薄く目を開ける。
「聞いたら、大丈夫って言うの分かってる」
タイキはゼリーを持ったまま、ルイの前に膝をついた。
「でも、大丈夫じゃない時は、大丈夫じゃないって言って」
「……」
「俺、気づけなかった」
「朝からしんどかったのに」
「一番気づけるはずだったのに」
そこまで言って、タイキは少しだけ視線を落とした。
「浮かれてた」
小さく笑う。
でも笑えていない。
「ルイと一緒にいれるのが嬉しくて」
「近いのが嬉しくて」
「そういうことばっか見てて」
「ちゃんと見れてなかった」
ルイは黙って聞いていた。
熱でぼんやりしているはずなのに、その目だけはちゃんとタイキを見ていた。
「……違う」
掠れた声。
タイキが顔を上げる。
ルイはゆっくり息を吐いた。
「俺が、隠した」
「……でも」
「タイキのせいじゃない」
短く、でもはっきり言った。
それだけで、タイキの胸の奥が詰まる。
「……そういうとこだよ」
「何が」
「今も俺のこと庇うとこ」
ルイは少しだけ笑おうとして、すぐ咳き込んだ。
「っ……」
「ほら、喋んな」
タイキは慌てて水を差し出す。
ルイが少し飲む。
それから、今度は素直にゼリーを一口含んだ。
タイキはその様子を、祈るみたいに見ていた。
「……もう一口」
「……ん」
「えらい」
言った瞬間、ルイが薄く目を開けた。
「……子供扱い?」
「病人扱い」
「同じだろ」
「今は同じでいい」
タイキはそう言いながら、もう一口ゼリーを渡した。
ルイは文句を言う気力もないのか、素直に飲む。
その素直さが、逆に苦しかった。
「熱、計るよ」
「体温計……」
「どこ」
「そこの、棚……右」
タイキは立ち上がって、言われた場所を探す。
体温計を見つけて戻ると、ルイはまた目を閉じていた。
「寝るな、計ってから」
「……寝てない」
「その返事、半分寝てる」
体温計を渡すと、ルイは脇に挟んだ。
数十秒の沈黙。
ピピッ、と音が鳴る。
タイキが表示を見た瞬間、顔が固まった。
「……38.8」
ルイは目を閉じたまま、ほんの少しだけ眉を動かす。
「上がったな」
「上がったな、じゃない」
タイキは深く息を吸った。
「病院、行く?」
「……寝たら下がる」
「その判断を今のお前に任せたくないんだけど」
「……タイキ」
「なに」
「いて」
その一言で、タイキの中の言葉が全部止まった。
ルイは目を閉じたまま、ソファーに沈んでいる。
でもその声だけは、はっきり届いた。
いて。
普段のルイなら、そんなふうに言わない。
頼む時も、もっと整える。
冗談にするか、余裕のある顔をするか、何かしら逃げ道を作る。
でも今は、ただ短く言った。
タイキは膝をついたまま、ルイを見上げた。
「……いるよ」
返事は、すぐだった。
「いる」
もう一度言う。
「だから、ちゃんと寝て」
ルイの肩から、少しだけ力が抜けた。
その様子を見て、タイキは冷却シートを取り出す。
封を開けて、前髪をそっと避けた。
額に触れる。
熱い。
本当に熱い。
冷却シートを貼ると、ルイがほんの少しだけ息を吐いた。
「冷たい?」
「……ん」
「気持ち悪くない?」
「大丈夫」
「それは信用していい大丈夫?」
ルイが薄く目を開ける。
「……たぶん」
「たぶん禁止」
「厳しい」
「今日だけは厳しくする」
タイキは毛布を探して、ソファーの端に畳まれていたブランケットをルイにかけた。
それから薬の袋を見つけて、水とゼリーの残りを確認する。
「これ、食後って書いてある」
「……だからゼリー」
「ゼリー二口は食後じゃない」
「……厳しい」
「うるさい。もう少し食べて」
ルイは苦笑しようとして、できなかった。
でも、タイキが差し出すゼリーを、また少しだけ飲んだ。
そのたびにタイキは「よし」と小さく言う。
ルイは目を閉じたまま、掠れた声で呟いた。
「……タイキ」
「なに」
「外で寝るなよ」
タイキは一瞬、目を丸くした。
それから、困ったように笑う。
「それ言うために起きてたの?」
「……お前まで風邪ひいたら、困る」
「だから病人が何言ってんだよ」
でも、嬉しかった。
熱でしんどくても、ルイはタイキのことを気にしている。
自分の方が倒れそうなくせに。
タイキはルイの手元に落ちかけていた指先をそっと取って、ブランケットの中へ入れた。
「俺は大丈夫」
「ちゃんと中に入ったし」
「ルイもちゃんと寝ろ」
ルイは少しだけ目を開けて、タイキを見る。
「帰る?」
「帰らない」
即答だった。
「ルイが寝たら、静かにしてる」
「必要なら病院も連れてく」
「夜中に熱上がったら起こす」
「だから、今日は諦めて」
ルイはしばらくタイキを見ていた。
熱で焦点が少し甘い。
それでも、その目は柔らかかった。
「……強引」
「うん」
「タイキっぽい」
「褒めてる?」
「……たぶん」
「だから、たぶん禁止」
ルイがほんの少しだけ笑った。
それだけで、タイキは少し救われた気がした。
やっと笑った。
ほんの少しだけだけど。
「寝て」
タイキは声を落とす。
「俺、ここにいるから」
ルイは返事をしなかった。
でも、ブランケットの下で、さっき入れた指先がほんの少しだけ動いた。
タイキの手の甲に触れる。
掴むほどの力はない。
ただ、そこにいるか確かめるみたいに。
タイキはその指先を、そっと包んだ。
「いるよ」
小さく言う。
ルイはそれを聞いたのか聞いていないのか、目を閉じたまま、今度こそゆっくり眠りに落ちていった。
タイキはしばらくその手を離せなかった。
部屋の中は静かだった。
外の廊下よりずっと暖かくて、ルイの呼吸だけが小さく聞こえる。
スマホの画面は暗い。
買ってきた袋はテーブルの上。
冷却シートの白だけが、ルイの熱い額に浮かんでいる。
タイキはソファーの前に座ったまま、もう一度小さく息を吐いた。
「……待っててよかった」
誰に聞かせるでもなく呟く。
返事はない。
でも、ルイの指先がほんの少しだけタイキの手の中で緩んだ。
それだけで、十分だった。
深夜、部屋の中はひどく静かだった。
エアコンの低い音。
冷蔵庫の小さな唸り。
時々、外を通る車の音。
その全部の隙間に、ルイの呼吸があった。
熱のせいで少し浅い。
眠れてはいる。
でも、安らかではない。
タイキはソファーの前の床に座ったまま、しばらくルイの寝顔を見ていた。
冷却シートは貼り替えた。
水も枕元――というかソファー横のテーブルに置いた。
ゼリーも少し食べた。
薬も飲ませた。
これ以上できることなんて、ほとんどない。
だから、ただ見ているしかなかった。
「……」
ルイはソファーに横になっている。
ブランケットを肩までかけて、額には冷却シート。
いつも綺麗に整っている髪は少し乱れていて、汗でこめかみに張りついていた。
それだけで、胸が苦しい。
普段のルイは、隙がない。
だるそうな顔なんて見せない。
しんどい時ほど黙るし、平気なふりをする。
なのに今は、完全に熱に負けている。
それが怖いのに。
同時に、こんなに弱っているルイを自分だけが見ていることに、どうしようもなく胸が締めつけられる。
「……ルイ」
小さく呼んでも、返事はない。
代わりに、ルイの眉がわずかに寄った。
タイキは身を乗り出す。
「ルイ?」
「……ん……」
低く、喉の奥で詰まったような声。
ルイの指先がブランケットを掴む。
呼吸が少し乱れる。
「……っ」
「ルイ、大丈夫?」
タイキはすぐに膝立ちになって、ルイの額に手を伸ばした。
熱い。
さっきより少し上がっている気がする。
「……やば……」
思わず声が漏れる。
ルイの唇が何かを探すように動いた。
「……たい、き……」
名前。
掠れて、熱に溶けたみたいな声。
タイキの心臓が、きゅっと縮んだ。
「いる。いるよ、ルイ」
返すと、ルイの眉間が少しだけ緩む。
でもすぐ、また苦しそうに息を吐いた。
「……行くな……」
「行かない」
「……」
「どこにも行かない」
タイキはそう言って、ルイの髪にそっと触れた。
額の冷却シートを避けるように、汗で湿った前髪を横に流す。
こめかみから耳の上へ。
頭の形を確かめるみたいに、ゆっくり撫でる。
ルイの呼吸が、ほんの少しだけ落ち着いた。
「……これ、楽?」
返事はない。
でも、ルイが無意識にタイキの手の方へ頭を寄せた。
それが答えだった。
タイキは一瞬、息を止める。
「……そっか」
声が柔らかくなる。
「じゃあ、こっち」
この体勢のままだとルイの首がつらい。
そう思って、タイキはそっとソファーの端に座り直した。
ゆっくり。
起こさないように。
でも、首の角度が楽になるように。
ルイの頭の下へ、自分の膝を差し込む。
一度、ルイが苦しそうに身じろぎした。
「ごめん、ごめん。ちょっとだけ」
タイキは声を落として、ルイの後頭部を支えながら、自分の太ももの上へそっと乗せた。
膝枕。
した瞬間、自分の方が固まった。
「……」
何やってんだろ、と思う。
でも、ルイの呼吸がさっきより少し深くなった。
その事実だけで、全部どうでもよくなった。
タイキは片手でルイの頭を支え、もう片方の手で髪を撫でる。
ゆっくり。
何度も。
同じリズムで。
「大丈夫」
「ここにいる」
「寝てていいから」
小さく、何度も落とすように言う。
ルイは目を閉じたまま、熱に浮かされた息を吐いた。
「……タイキ……」
「うん」
「……さむ……」
「寒い?」
タイキはすぐブランケットをもう少し引き上げた。
肩口を包むように整える。
「これでどう?」
「……ん……」
「まだ寒い?」
「……」
ルイは答えなかった。
代わりに、タイキの膝の上でほんの少し丸まるように頭を寄せた。
タイキはその動きに胸を押さえたくなる。
普段なら、絶対にこんなことしない。
甘えたいと思っても、たぶん言葉にしない。
寄りかかりたいと思っても、一度は我慢する。
タイキが気づいて、引き寄せて、ようやく少しだけ力を抜く。
それがルイなのに。
今は、熱で余裕が削られているせいで、無意識の方が先に出ている。
「……ほんと、ずるいな」
小さく呟いた。
ルイは聞こえていない。
タイキはまた、髪を撫でる。
「俺には、甘えていいんだよ」
言ってから、自分で少し照れた。
でも、取り消さなかった。
「ルイが俺にしてくれたみたいにさ」
「今度は俺がやるから」
深夜の静けさの中で、その声だけがゆっくり落ちる。
ルイの呼吸が、また少しだけ整った。
タイキはそのまま、ずっと頭を撫で続けた。
時計の針が進む。
外の音が遠くなる。
部屋の空気が夜の底に沈んでいく。
膝の上のルイは熱くて、重くて、弱くて。
でも、確かにここにいる。
タイキは片手でルイの髪を撫でながら、もう片方の手でスマホを確認する。
時間。
熱の記録。
薬の間隔。
夜間病院の検索画面も開いたままにしてある。
でも、呼吸が少し落ち着いているなら、今は寝かせる。
タイキはそう判断して、またルイを見る。
「……寝てて」
ルイのまぶたがかすかに震える。
「ちゃんと見てるから」
返事はない。
けれどルイの手が、ブランケットの中から少しだけ出て、タイキの服の裾に触れた。
掴むほどの力はない。
ただ、そこにあるものを確かめるみたいに。
タイキはそれを見て、胸がいっぱいになった。
「……いるって」
そっと、その指先に自分の手を重ねる。
ルイはそれ以上動かなかった。
そのまま、深夜はゆっくり過ぎていった。
⸻
朝方。
カーテンの隙間から、薄い光が差し込んでいた。
完全な朝ではない。
夜の青さがまだ少し残っている、曖昧な時間。
ルイは、ひどくゆっくり目を開けた。
最初に思ったのは、頭が重い、だった。
次に、身体が熱い。
喉も乾いている。
まぶたも重い。
でも、昨日の夜みたいに意識が沈みすぎてはいない。
ぼんやりと天井が見える。
いや。
天井じゃない。
少し斜めの視界。
近くに、誰かの手。
髪を撫でられている感覚。
「……」
ルイは数秒、状況を理解できなかった。
額に冷たい感触。
身体にはブランケット。
そして、頭の下にある柔らかい温度。
ゆっくり視線を動かす。
タイキがいた。
ソファーに座って、少し背中を丸めたまま、眠そうな目でルイを見下ろしている。
ルイの頭は、タイキの膝の上にあった。
「……」
一気に、意識が醒めた。
「……っ」
ルイは反射的に身体を起こそうとした。
でも、熱の残った身体は思ったように動かない。
少し起き上がっただけで、頭がぐらつく。
「ルイ」
タイキの手がすぐに肩へ添えられた。
「急に起きんな」
「……いや、これ」
声が掠れている。
自分でも驚くくらい弱い声。
ルイは片手で顔を覆いかけた。
恥ずかしい。
膝枕されていた。
しかも、たぶんかなり長い時間。
頭を撫でられていた。
寝ている間に。
自分から寄った記憶はない。
ない、はずなのに。
断片的に思い出す。
暑い。
寒い。
タイキの声。
冷たい手。
髪を撫でる感触。
行かないで、と言った気がする。
「……最悪」
ルイは掠れた声で呟いた。
タイキが少し眉を上げる。
「何が」
「俺」
「なんで」
「……甘えすぎ」
その言葉を言った瞬間、ルイは自分でさらに恥ずかしくなった。
甘えすぎ。
そうだ。
甘えていた。
熱でぼんやりしていたからとか、しんどかったからとか、言い訳はいくらでもできる。
でも、それだけじゃない。
タイキがいたから。
タイキの手が冷たくて気持ちよかったから。
タイキの声が聞こえると安心したから。
だから、力を抜いた。
ちゃんと、甘えた。
その自覚が一気に押し寄せて、ルイは視線を逸らした。
「……」
タイキはしばらく何も言わなかった。
それから、ふっと優しく笑った。
「ルイも、俺にしてくれただろ。こうやって」
ルイが目を動かす。
タイキは、照れも茶化しも混ぜずに、ただ優しく言った。
「俺が寝落ちした時」
「こうやって頭、撫でてくれたじゃん」
そう言いながら、タイキの手がもう一度ルイの髪に触れる。
前髪から、頭の横へ。
ゆっくり。
落とすみたいに。
「だから、お返し」
その声があまりにも柔らかくて、ルイは何も言えなくなった。
お返し。
そう言われると、拒めない。
昔からそうだった。
タイキは時々、こうやって真正面からくる。
逃げ道を塞ぐわけじゃない。
でも、逃げなくていい場所を作る。
「……でも」
「でもじゃない」
タイキは、昨夜の自分みたいな言い方をした。
ルイが少しだけ目を細める。
「真似?」
「お返しって言っただろ」
「……ずる」
「病人に言われたくない」
タイキはそう言って、またルイの頭を撫でた。
ルイは起き上がろうとしていた力を、少しずつ抜いた。
まだ恥ずかしい。
タイキの膝の上にいることも。
頭を撫でられていることも。
それを心地いいと思ってしまっていることも。
全部、恥ずかしい。
でも。
起き上がれないほどしんどいのも本当で。
タイキの手が冷たくて、気持ちいいのも本当だった。
ルイはゆっくり息を吐いた。
「……熱、まだある?」
「あると思う」
タイキはすぐに額へ手を当てる。
「うわ、まだ熱い」
「……だよな」
「計る?」
「あとで」
「ほんとは今」
「……厳しい」
「昨日からずっと厳しいよ」
タイキの指が、ルイの髪をまた梳く。
その指先が冷たい。
額も、こめかみも、頭の奥も熱いから、その冷たさがやけに心地よかった。
ルイはぼーっとしたまま、無意識にその手の方へ頭を寄せた。
タイキの手が止まる。
「……ルイ?」
呼ばれて、ルイは自分が何をしたのか一拍遅れて気づいた。
でも、もう引く気力がなかった。
熱のせいで頭が回らない。
恥ずかしいのに、気持ちいい。
距離を取るより、触れていてほしい。
ルイは目を伏せたまま、小さく呟いた。
「タイキの手……冷たくて気持ちいい」
あまりにも素直な声だった。
タイキの胸が、きゅっと鳴った。
本当に、音がしたみたいだった。
「……」
言葉が出ない。
ルイが甘えている。
ちゃんと、自分に。
隠さずに。
整えずに。
余裕のある顔も作らずに。
ただ、気持ちいいって言った。
それだけなのに、タイキはどうしようもなく胸が苦しくなる。
「……そっか」
ようやく、それだけ返す。
声が少しだけ掠れた。
「じゃあ、こうしてる」
タイキは手のひらをルイの額からこめかみへ移し、ゆっくり撫でた。
冷たさが逃げないように、少しだけ長く触れる。
ルイは目を閉じる。
「……ん」
小さく息が漏れる。
その反応がまた、タイキの胸を締めつける。
「ルイ」
「……なに」
「こういう時くらい、遠慮すんなよ」
「……してない」
「してる」
「今は……してない」
ぼんやりした声。
でも、その言葉はちゃんと本音だった。
タイキは一瞬、泣きそうになるのを堪えた。
「……じゃあ、いい」
「うん」
「水、飲めそう?」
「……あとで」
「今ちょっとだけ」
「……厳しい」
「厳しいタイキ、嫌?」
ルイは少しだけ目を開けた。
熱で潤んだ目。
焦点が甘い。
でも、タイキだけを見ている。
「……嫌じゃない」
また素直。
タイキはもう、だめだった。
胸の奥がぎゅっと縮んで、苦しいのに、あたたかい。
「じゃあ、飲んで」
「……ん」
タイキは近くのボトルを取る。
ルイの頭を膝に乗せたまま、少し身体を傾けてキャップを開ける。
「起きれる?」
「……少し」
ルイが起き上がろうとする。
タイキは背中に手を添えて、ほんの少しだけ支えた。
いつものルイなら、自分でできると言う。
支えられることを恥ずかしがる。
でも今は、タイキの手に逆らわなかった。
それだけで、また胸が痛い。
水を飲ませる。
一口。
もう一口。
「よし」
「……子供扱い」
「病人扱い」
「またそれ」
「便利だから」
ルイが少しだけ笑った。
本当に少し。
でも、朝方の薄い光の中では、それだけで十分だった。
水を飲み終えると、ルイはまた力を抜く。
タイキはゆっくり頭を膝の上へ戻した。
「寝れる?」
「……たぶん」
「たぶん禁止」
「……寝れる」
「よし」
タイキはまた髪を撫でる。
ルイは目を閉じた。
けれど、眠りに落ちる前に、小さく口を開く。
「タイキ」
「ん?」
「……昨日、来てくれてよかった」
タイキの手が止まりかけた。
ルイは目を閉じたまま続ける。
「待っててくれて」
「……よかった」
熱のせいで、言葉が少し途切れる。
でも、その分だけ余計に真っ直ぐ響いた。
タイキは奥歯を噛んだ。
「……うん」
それ以上言うと、声が揺れそうだった。
だからただ、撫でる。
ルイの頭を。
髪を。
こめかみを。
「寝て」
「起きたら、また水」
「熱も計る」
「薬も飲む」
「で、まだ高かったら病院」
「……予定、詰まってる」
「病人のスケジュール管理」
「雛子さんみたい」
「言うな」
ルイがほんの少しだけ笑って、またタイキの手に頭を寄せた。
タイキはもう、何も言えなかった。
ただ、優しく撫で続ける。
朝方の薄い光の中で、ルイはまだ熱を持ったまま、タイキの膝の上で目を閉じている。
完全には下がらない熱。
重い身体。
掠れた声。
でも、昨日より少しだけ、力が抜けている。
タイキに甘えることを、自分で許している。
その事実が、タイキには何より大きかった。
「……いるから」
小さく言う。
「寝てていいよ」
ルイはもう返事をしなかった。
でも、タイキの手に擦り寄るみたいに、ほんの少しだけ頭を動かした。
それが返事だった。
タイキはその仕草を見て、困ったように笑った。
胸がきゅっとして、苦しくて、でも嬉しくて。
「……ほんと、熱ある時のルイ、ずるい」
聞こえないくらい小さく呟いて。
それでも手は、ずっと優しく、ルイの髪を撫で続けていた。