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《総理官邸・記者会見室》
フラッシュの光が、
一斉に白くはじけた。
演台の前に立つ鷹岡サクラは、
原稿を一度だけ見下ろし、
顔を上げた。
「本日は、
アストレアA計画と、
それを取り巻く世界の状況について
政府の考えをお伝えします。」
後ろのスクリーンには、
地球と小さな宇宙船、
そしてオメガのCG。
「まず、
アストレアA計画に携わる
全ての研究者・技術者と、
そのご家族に対して。」
「日本政府は、
皆さんの安全の確保を
最優先の課題の一つとして
位置づけています。」
一瞬、
会場のざわめきが小さくなった。
「ここ数日、
世界各地で
科学者個人を標的にした
不安な出来事が報じられています。」
「祈る人がいてもいい。
反対する人がいてもいい。
問いかける人がいてもいい。」
「その全ては、
民主主義社会において
守られるべき“自由”です。」
サクラは、
ほんの少しだけ声のトーンを上げた。
「ただし——」
会場の空気が
すっと張りつめる。
「誰かを殴る“自由”は、
この国には存在しません。」
「どのような信仰、
どのような正義の名の下であっても、
人を傷つける行為は
決して許されません。」
記者たちのペンが、
一斉に走り出す。
「アストレアAは、
地球を守るための
プラネタリーディフェンスの一環です。」
「その是非について、
さまざまな意見があることは
私も理解しています。」
「だからこそ、
“議論する場”と“殴る場”を
絶対に混同してはならない。」
「政府は、
JAXA/ISAS をはじめとする
研究機関への警備を強化し、
同時に、
宗教・思想を理由とした
不当な扱いが行われないよう
細心の注意を払います。」
記者が手を挙げる。
「総理。
黎明教団の名前を出さなかったのは、
理由がありますか。」
サクラは一拍置いた。
「特定の団体だけを
“悪者”にすることが、
新たな分断を生むからです。」
「問題は“名前”ではなく、
“線を越えた行為”です。」
「祈る人も、
計算する人も、
この国では同じ“人”です。」
「その“人”に
手を上げるかどうかだけが、
政府が介入する線です。」
会場の片隅で、
中園広報官が小さく頷いた。
(これで、
少しでも“的”が増えないといいんだけど——)
《ニュース専門チャンネル・スタジオ》
<速報 鷹岡総理“殴る自由はない”と明言>
テロップが流れ、
サクラの映像が繰り返される。
コメンテーターが腕を組んだ。
「かなり踏み込んだメッセージですね。
宗教や反対派を名指しせず、
“暴力だけは線を引く”と言った。」
「“科学者を守れ”という世論と、
“信仰の自由を守れ”という世論の
どちらにも配慮しつつ、
“殴る自由はない”と。」
別のコメンテーターが続ける。
「SNSでは早速
〈#殴る自由はない〉
というハッシュタグが出始めています。」
「同時に、
〈#祈る自由はある〉
〈#ロケットの前に立つ自由〉
というタグも。」
スタジオのモニターには、
日本地図と世界地図、
そしてオメガのCGが並ぶ。
「地球防衛(プラネタリーディフェンス)をめぐる
“言葉の戦い”は、
これからさらに激しくなりそうです。」
《新聞社・社会部》
桐生誠は、
テレビから流れる総理会見を横目に、
キーボードを叩いていた。
(“殴る自由はない”。
でも、
“立つ自由”はどう扱われる?)
画面には、
既に書きかけの記事の見出し。
<総理、“殴る自由はない”と明言
アストレアAめぐる“線引き”はどこまで有効か>
編集長が背後から覗き込む。
「どうまとめる。」
「“正しいことを言っているようで、
実は一番難しいラインを引いた”って感じです。」
「殴らなければいい、
という理屈で
ロケットの前に座り込む人も出てくるかもしれない。」
編集長はうなり声を上げた。
「そこをどう書くかだな。」
桐生は、
少しだけ自嘲気味に笑った。
「“国民は冷静に”って書くだけなら簡単なんですけどね。
今この瞬間だって、
冷静じゃいられない人間が
世界中に何億人もいる。」
「その中の一人ひとりに
直接マイクを向けるわけにもいかないから、
せめて“線を越えたときの重さ”だけは
何度でも書いておきたい。」
(そして——
オメガを見つけた科学者も、
オメガに祈っている信者も、
同じ“怖がっている人間”だってことも。)
彼は、
その一文を記事のどこに置くかを考えながら
再びキーを叩き始めた。
《JAXA/ISAS 相模原キャンパス・食堂》
昼休み。
テレビから総理会見の再放送が流れている。
「誰かを殴る“自由”は、
この国には存在しません。」
その一文が流れたところで、
食堂のあちこちから
小さな拍手が起きた。
白鳥レイナは、
トレーを持ったまま立ち止まり、
画面を見つめる。
隣にいた若手が、
ぽつりと呟いた。
「……なんか、
やっと“こっち側も見てくれてる”って感じしました。」
「“科学者を守れ”って、
あんまり政治の人の口から聞こえてこなかったから。」
レイナは、
少しだけ微笑んだ。
「見てくれてるわよ。
最初から。」
「たぶん、
私たちよりよっぽど
怖がってると思うけどね。」
若手が目を丸くする。
「総理が、ですか?」
「国民全員分の心配を
まとめて背負わされてるんだから。
そりゃ怖いわよ。」
(だからこそ、
“殴る自由はない”なんて言い切るには、
相当覚悟がいったはず。)
レイナは、
席に着きながら
自分のスマホを取り出した。
職員用チャットには、
短いメッセージが流れていた。
<官邸より:
本日の総理会見を共有。
プラネタリーディフェンス関連職員の
安全確保に関する文言あり。>
(……背中は、
いちおう守られてるってことね。)
少しだけ肩の力が抜けた気がした。
《黎明教団・信者専用オンラインチャット》
ログインすると、
最上部にリンクが固定されていた。
<【速報】“殴る自由はない”総理会見 全文>
その下には、
既にいくつもの書き込み。
<殴るつもりなんかないし>
<でもロケットの前に立つのもダメってこと?>
<“立つ自由”はあるよね?>
<セラ様が言ってた
“静かな祈りとしてロケットの前に立つ”ってやつ>
<政府は科学者だけ守るのか>
<信者のことは?>
画面のどこかで、
誰かが短く書き込む。
<“自由”って言葉は便利だけど怖い>
<誰かが“自分の自由”を叫ぶたびに、
別の誰かの自由が削られていく気がする>
数秒後、
別の返信。
<だから神様のルールが必要なんだよ>
<人間のルールは、
いつも誰かの都合で書き換えられる>
コメント欄の流れが、
少しずつ熱を帯びていく。
<アストレア当日、
祈りの行列を作ろう>
<前に立つ人と、
後ろで祈る人と>
<殴らなきゃいいんでしょ>
その“解釈”が、
やがてどんな現実を呼び寄せるのか——
この時点で見えている人は、
ほとんどいなかった。
その日、
地球の上では
“言葉の線引き”が行われていた。
自由と暴力。
祈りと行動。
科学者と信者。
オメガの軌道は
何も知らないふりをして、
ただ静かに、
昨日より少しだけ
地球に近づいた。
本作はフィクションであり、実在の団体・施設名は物語上の演出として登場します。実在の団体等が本作を推奨・保証するものではありません。
This is a work of fiction. Names of real organizations and facilities are used for realism only and do not imply endorsement.
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