「かんぱーい!」
いつもの如く渡辺の音頭で始まった飲み会では、由樹は篠崎から一番離れた席に座っていた。
1杯目は飲み干すという篠崎の定めたルールの元、グラスを開けたメンツに、ビール瓶を持った金子と細越が忙しそうに酌をして回る。
「……いてて。胃に滲みるよ。新谷君。染み入るじゃないよ、滲みる!」
渡辺が言う。
「あんな極寒吹きさらしの分譲地で、6時間も地盤調査させるんじゃないよ!」
言いながら金子が注いだ2杯目を飲みほし、渡辺は珍しく怒っているようだった。
「す、すみません…」
細越が注いでくれた2杯目に口をつけつつ、由樹は上目遣いで渡辺を見つめた。
「複合地盤だとは露知らず……」
「しかもあれだ。10点もとったのに、きっと敷地調査終わったら再調査とかなんだ、絶対……」
渡辺が半ばやけくそで2杯目もあける。
「それまで契約取れるように頑張ります…」
由樹がグラスに口をつけると、斜め向かいの篠崎が笑った。
「悠長なこと言ってんな。明日中に100万、入金するってよ」
「……え?」
一同が驚いてマネージャーを見上げる。
「え?じゃねえだろ。地盤調査の報告書持っていくときに書類、全部揃えておけよ。お客さんも、ローンの申し込み用紙やら登記簿謄本や住民票やら、全て揃えてくれるって言ってるから」
「…………」
篠崎は皆の注目を浴びながら、2杯目のグラスを開けた。
呆然としつつ、それでも本能的に、隣に座る金子がそのグラスをまたビールで満たす。
「100万円って契約金の?契約取れたってことですか?」
渡辺が向かい側の席から聞く。
篠崎がグラスに口をつけながら視線だけ上げた。
「あれ、言ってなかったか?」
「聞いてないっすよー!!」
渡辺と金子が同時に立ち上がる。
「ペナルティ回避!おめでとう!新谷君!」
「おめでとうございます!」
由樹は2人を見上げ、そのあと、篠崎を見つめた。
「ありがとうございます!決めていただいて……!」
篠崎はまたグラスに視線を戻しながら小さく首を振った。
「俺は何もしてねぇよ。地盤調査の仕組みを説明しただけだ。
向こうから、契約するにはどうしたらいいんですか?と言われたからそれも説明したら、明日入金するってよ」
「……すごいじゃーん!新谷君!」
渡辺が興奮して新谷の髪の毛を撫でる。
「この間のアプローチ、相当刺さったんだね!」
「……ありがとうございます!」
由樹も涙目で渡辺を見つめる。
「新谷さん!おめでとうございます!」
金子が感極まって、由樹を抱きしめた。
「あ……ちょっと……」
「よかった!!本当に、よかったです!」
「あ、えっと、ありがとう…」
「おいおいおいおい」
渡辺が金子を引きはがす。
「よくもまあ、篠崎さんの前で堂々と!」
抱きついた金子の項の向こうにいる篠崎を盗み見る。
彼は笑いながら、お通しの平貝のバター炒めを口に頬張っていた。
存分に飲んで食べて、金は約束通り由樹が払い、会はお開きになった。
渡辺と金子に挟まれ、相当飲まされたのだが、それでも由樹は全く酔っ払うことが出来なかった。
居酒屋に入る直前、篠崎が言った言葉が、ずっと脳裏を回っている。
◇◇◇◇◇
「今日は、マンションに帰る」
由樹が驚いて見上げると、
「話をしよう。いいな」
そう言って、彼は目を合わさずに店の中に入って行ってしまったのだった。
◇◇◇◇◇
この後、
どんな話があるのだろうか。
「渡辺さーん、足はありますかー?」
金子が間延びした声で言う。
「あー俺、奥さーん」
由樹は白い息を吐きながら隣に並んだ篠崎を見上げた。
「篠崎さん……」
「代行待つのもめんどいし俺たちはタクシーでいいよな」
「あ、はい」
「明日の朝、タクシーで駐車場に回ってから来ればいいだろ」
言いながら、篠崎は歩き出した。
―――それは、一緒にですか?
由樹はその質問をするのが恐ろしくて、ただタクシーを拾うために繁華街に歩き出した篠崎に続いた。
「仲良しですねー」
その並んで去っていく後ろ姿を見ながら、金子は口を尖らせた。
渡辺が苦笑いをする。
「どーかなー。ありゃ……」
「え?」
「ま、なるようにしかならないかな?」
「……何の話をしてるんですか?」
「いや、こっちの話」
聞きなれたクラクションに渡辺が振り返ると、愛娘をチャイルドシートに乗せた愛妻が、運転席から手を振っていた。
「昨日までの雪はなんだったんだろうな」
タクシーの窓から見える星空を見上げながら篠崎が笑った。
「明日は雨らしいですよ」
由樹も不安に押しつぶされそうな胸を誤魔化そうと、話に乗っかる。
「マジか。じゃあ一旦雪溶けるといいな。敷地調査を見合わせてる現場があるんだよ」
「そうなんですね…」
言いながら由樹は反対側の窓から空を見上げた。
「……あ、そういえば、来週の開発部の説明会のことで、紫雨が電話ほしいって言ってたから。明日かけてやって」
「わかりました」
「また天賀谷に出張だけど、次の日はハウジングプラザのイベントだからちゃんと帰って来いよ」
「あ、はい」
「今回はエコキュート説明会だと」
言いながら篠崎が笑いながらこちらを振り返る。
「エプロンつけないから、セゾンちゃんって呼ばれなくて済むな」
由樹は複雑な思いでその顔を見上げた。
『セゾンちゃん』
彼がそう呼んでいるうちに、距離を置けばよかった。
『セゾン君』
彼がゲイだと分かった時点で、自分から遠ざけるべきだった。
『新谷』
―――違う。
責任転嫁するな。
彼が悪いんじゃない。
全て自分が悪いんだ。
謝らなければ。
聞いてもらえなくても。
謝り続けるんだ。
許してもらえるまで。
そうしないと、自分はもう―――。
後部座席に座る篠崎と自分の間のスペースを見下ろす。
この距離を一生縮められない――――。