翌朝、いつも通りの時間に茶糖家へお迎えにやって来た善悪の両目は3であった。
迎えたコユキも同様である。
普段のコユキであれば、
「今日はパスね! こんな眠ったい状態で座薬(座学)やらポックン(特訓)やらやった所で、効率も何もありゃしないわよ。 って事で、も一度寝るわ~。 おやすみ~、ってそうだ! 後で目が覚めた時食べるから、お弁当作って持って来て置いてね。 ふぁあぁ~」
となって|然《しか》るべき所なのだろうが、今日に限っては違っていた。
何やら鼻息も荒くやる気が漲って(みなぎって)いるらしい。
善悪の車に乗り込むや否や口にした内容から、早速やる気の理由が明らかになった。
「ね、ね、先生! 今日は何やるんです? あれですよね? ハヤサ…… モットモット…… ですよね?」
だそうだ。
恐らく、昨日の成果と、可愛いオルクス君の言葉に触発されて、やる気スイッチを切り忘れた物と見える。
それ自体は、善悪にとっても好ましい事なのだが、いつも通りの慎重な言い口で、やんわりとだが否定した。
「気持ちは分かるでござるが、午前中は座学でござるよ。 回避訓練は午後でござるな」
コユキはあからさまに不満げな表情をして、今にも抗議の声を上げんばかりだが、善悪が続けて発した言葉で口を噤(つぐ)んだ。
「拙者は午前中に檀家さんの法事に行くのでござるよ。 昼食前には戻って来るでござるから、我慢して自習していて欲しいのでござる」
「……そうなんだ。 わかりました」
幸福寺に着いて朝の食事を終えると、善悪はいつもの作務衣(さむえ)から法衣に着替えを済ませた。
袈裟(けさ)は持って行って現地で身に付けるんだそうだ。
出掛ける準備が整うと、本堂で待っていたコユキに対して、三冊の本と原稿用紙を渡しながら声を掛けた。
「では行って来るでござる。 コユキ殿はこの本の中からどれか一冊を選んで読むのでござる。 それで、終わったら感想文にまとめて欲しいのでござるよ。 分かった事や不思議に思った事なんかをね。 図解が多くて読むのに時間は掛から無いとは思うのでござるが、念の為マンガも入れて置いたでござるよ」
そう言われコユキは渡された本のタイトルにを目をやると、そこには、『楽しく身につくステゴロ』、『今すぐ使える喧嘩テクニック』、『マンガで見る徒手空拳(としゅくうけん)』とそれぞれ書いてあった。
――――うわぁ、善悪こんなの買って読んでるんだー。 引くわー。 ってかどんな人がこれ書いてるんだろう? 自費出版よね?
そんなコユキの心中の呟きに気付く事もなく善悪はお仕事(法事)に出掛けて行くのであった。
正午を三十分程回った頃、善悪はやや急ぎ気味に幸福寺へと帰ってきた。
駐車場に車を停めると、着替えも後回しにして本堂へと向かう。
――――昼前には戻ると言って置いて遅くなってしまったのでござる。 コユキ殿にはひもじい、いや、淋しい思いをさせてしまったのでござるな。 怒っていなければ良いのでござるが……
そんな風に思いながら、本堂に入ると、そこにはグオ――――グオ――――と大鼾(おおいびき)を掻いて眠りこけるコユキの姿があった。
「やはり、遅れたゆえ退屈して眠ってしまったのでござろう。 申し訳無い事でござった。 さて、眠らせて置いてあげたい気持ちもござるが、食事の時間も過ぎている事でもあるし、どうしたものか?」
呟きつつコユキに近付いた善悪が目にした物とは。
本堂の経机(きょうづくえ)の横で大の字になって大鼾を掻くコユキと、机の上に取り残された、読書感想文というタイトルの文字と茶糖コユキと書かれた署名、何故か三十九歳の文字、それ以外には何も書かれていない原稿用紙の束、更に、コユキの頭の下に積まれて枕と化した自身の愛読書達、そこに流れ落ち続けるコユキの口から垂れた大量の涎(よだれ)、なぜか、コユキの脇に雑に置かれている、野菜の星の戦士のソフビが上下に別れた無残な姿、そして、あろう事かコユキに胸の前で確り(しっかり)両手で掴まれ、か細く白光するオルクス君の姿であった。
それらを目にした瞬間に、善悪の中で激しい怒りの感情が荒れ狂い、直後に何かがブチっと音を立てて破壊された。
善悪は慌ててソフビを拾い上げ、コユキの手からオルクス君を引っ手繰るようにして取り上げると、丁寧にソフビの中に戻してから、御本尊の脇へと戻して言った。
「オルクス君、申し訳無かったでござる。 大丈夫でござったか?」
ソフビ越しでも分かるくらいに、オルクス君は一回輝きを増すことで善悪に答えたようだ。
ホッと安堵の息を吐く善悪の頭の中に、思いもよらない言葉が響いた。
『コウフク卿(きょう)、ゼンアクさま! 私です、マーガレッタでございます!』
「っ!」