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どうしてこんなことになったのだろう。
自分の本当の気持ちから逃げたからだろうか。
それでも、付き合い、結婚をしていたこの数年は、彼を愛していたし、大切にしていた。
でも……。
「離婚して」
その言葉を自分からいう日が来るなんて。地位や名誉を手に入れると同時に、優しさを失うのは仕方がないのだろうか。
そんな私の言葉を、となりにい女性が心の中で喜んでいたとしても、私はもうどうでもいい。
私は幸せになる権利などないのだから。
忘れたいのに、心に居座り続けたあなたを、私は得る資格なんてないーー。
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「食事は?」
「いらない。食べてきた」
ちらりと壁に掛けられた高級なアンティーク時計に視線を向けると、針はすでに23時を回っていた。
広々としたリビングは、落ち着いた間接照明に照らされ、天井の高い大きな一軒家ならではの静けさが漂っている。フローリングの床には毛足の長い高級なカーペットが敷かれ、ソファは柔らかそうなレザー張りで、上質さを感じさせる。
「会食だったの?」
私は、部屋着のまま尋ねる。夫は、つい先ほど帰宅したばかりで、スーツ姿のままネクタイも外さず、少し疲れた様子だ。彼は最近IT企業を立ち上げ、軌道に乗り始めたところで、会食の機会が非常に多い。私は視線をそらしつつ、問いかけた。
「ああ」
リビングの奥には豪華なダイニングテーブルがあり、私たちはいつもそこに並んで食事をしていた。だが、最近は夫から夕食がいるかどうかの連絡すら来なくなってしまった。
作っていた食事を冷蔵庫にしまうために、キッチンへと向かう。
どれくらい経っただろうか、このすれ違いが始まってから。
「今日の仕事はうまくいった?」
少しでもこの関係を修復したくて、明るい声で私は尋ねた。
「お前なんかに話をしてわかるのか?」
しかし、夫はバカにしたように鼻で笑い、冷たい声音で返してくる。その一言が胸に刺さり、私は無意識にキュッと唇を噛みしめた。
結婚してわずか一年半で、こうも夫婦の関係が変わってしまうものなのだろうか。
私、神崎 沙織と夫である智也は大学の時から付き合い、卒業後一年で結婚をした。
それほど派手な二人ではなかった私たち。穏やかでひだまりのようなお付き合いをしていたはずだった。
しかし智也の成功が続くにつれて、彼の態度が少しずつ変わってきた。お金とステータスを手に入れることで、彼は変わっていってしまったと思う。
四年前――
大学のキャンパスは新緑がまぶしく、私は今日も智也を待っていた。服装はいつもシンプルで、無駄な装飾は一切なし。肩にかかる黒髪も、特に手入れはしていないが、智也はそれがいいと言ってくれていた。
『ごめん、待たせた?』
笑顔で走って来る智也。身長175センチで爽やかな彼は、大学で外見は目立つ存在だが、性格はシャイで、とてもかわいい。
そのことに気づいて、智也から告白をされ、私は徐々に彼に心を開いて行った。
「ううん、大丈夫だよ。それより、昨日バイトで来れなかった講義のノート」
奨学金を使って通っている智也は、生活費も全部自分で稼いでいるため、どうしてもバイトを優先する日がある。
「沙織、本当に頼りになるよ。お前がいなかったら、俺、とっくに大学辞めてる」 「でしょ? 持つべきものはかわいい彼女?」
すこしふざけて言った私を、智也はギュッと抱きしめた。
「ねえ、ここ外、外!!」
「じゃあ、早く家に帰ろう」
そう言いながら、小さな1Rのアパートへと急ぐ。玄関から見渡せる全ての空間は決して広くはない。窓際には、小さな観葉植物が並び、それもまた二人で一緒に育てている大切なものだった。
「これ、ちょっと塩が多かったかも」
私は夕食を準備しながら、キッチンとテーブルの間を忙しく行き来する。智也はそんな私を笑顔で見守りながら、勉強をしていた。
「沙織の料理はいつもうまいし大丈夫だよ」と笑ってくれる。。
彼が起業したいという夢をかなえるために、あの頃の私はできる限りのサポートをしてきた。
「これうまい。本当に沙織は料理もできるし、最高の奥さんになるよ」
遅くまで勉強をする智也の背中を見つめながら、小さなシングルベッドで目を閉じる。そんな日々が幸せだった。
そんな昔をつい思い出してしまっていた私は、小さく息を吐いた。
「食事作らなくていいっていただろ? これ見よがしにため息ついて、俺に対する嫌味か?」
「そんなわけないでしょ? 私はただ自分のすべきことを」
「別に頼んでない」
それだけを言って、リビングを出て行く智也に、私はキュッと自分の胸元を握りしめた。外に出ていく彼の足音がだんだん遠ざかり、家の中は再び静寂に包まれた。
どうして? お金があることはこんなにも人を変えてしまうの?
涙を耐えつつ、私は料理を片付けた。