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泣きじゃくってボロボロになっている百子を宥めすかしながら、美咲は百子を家に招き入れる。少々物が散らかっているが、そこは百子に勘弁してもらおうと密かに願いながら、先に百子を風呂場に放り込む。その間に部屋をある程度片付けて夕食を作っていたら、烏よりも早く上がった百子が後ろに立っていて驚愕した。手伝う旨を申し出た百子に、美咲は座っててと言ったのだが、手を動かしていたいと百子が譲らなかったので、お皿の位置や調味料の位置を細かく指示した美咲は浮かない顔で風呂に向かった。
(頭痛い……)
百子は段々と酷くなる頭痛と耳鳴りに耐えながら何とか味噌汁と鯖の塩焼きを仕上げる。美咲の言うとおりにじっとしてる方が本当は良いのだが、手を動かしてないと余計なことを次々と考えそうで、そちらの方が余程堪えるのだ。百子が配膳を終えたタイミングで美咲が風呂から上がってきたので、まずは夕食を取ることになった。いつもよりもゆっくりと食事を取る百子だったが、美咲の作った味噌汁や鯖の味噌焼きの美味しさが胃に沁みて、別の意味で涙を溢れさせて目を閉じた。
「美味しい……ありがとう、美咲……」
まつ毛からはらはらと大粒の雫が落ちるのを見て美咲は驚いたものの、すぐに微笑む。
「大げさよ。でもありがとう。心が冷えてるなら、まずは温めないとね」
そんなことを美咲から言われるものだから、百子はさらに涙を流しながら、通常よりも倍近くかけて完食した。食器洗いを二人で手分けして終わらせ、ラベンダーのお茶を淹れてリビングのソファーに座る。
「百子があんなに取り乱してるの、高校の時以来ね。何があったか教えてくれる?」
そして百子はしゃくりあげながら少しずつ今までの出来事を話す。陽翔の家に同棲していること、百子の両親に陽翔が挨拶に行ったこと、今日弘樹の浮気相手である木嶋に挑発されたこと、陽翔が女性と話していたことを話すだけなのに、言葉を詰まらせたり涙に溺れて聞き取れない声になってしまい、結局30分以上かかってしまった。
「本当になんてことを……! 百子、よく耐えたね……辛かったね……」
美咲はそっと百子を抱きしめる。元彼の浮気相手がよりにもよって同じ会社の後輩だったということだけでもショックなのに、その直後に想い人が他の女性と歩いているところを目撃するなんて追討ち以外の何者でもない。
「ほんっと信じらんない! 木嶋さんって仕事も他の人に押し付けちゃうし、自分がミスしても謝らないし、そのくせ男性社員には色目使うから本当にウザかったけど、彼女いる男性に近づいて略奪するなんて、恥知らずにも程があるわ! どれだけ自分勝手なのよ! 一体恥知らずという言葉を良心と一緒に捨てるなんて、どうやったらできるのかしら」
明け透けな物言いは何とも美咲らしいが、今日は言い方がどこもかしこも棘だらけだ。それだけ木嶋は美咲にとって唾棄すべき存在なのだろう。木嶋と美咲は同じ部署なのだ。
「でも、私はスカッとしたわ。ももちゃんが木嶋さんに怯まないでしっかり自分の言いたいことを突きつけたんだから……すごいよ、ももちゃん」
美咲はそう言って百子の頭を撫でる。百子はまだ鼻をぐずぐずと言わせていたが、美咲に木嶋のことをぶちまけたお陰で幾分か頭痛も和らいでいたことに気づいた。
「そんな、すごいだなんて。本当は私もあの場で怒りたかったわよ。悔しくて辛くて悲しくて、しかもその元凶が目の前にいるってなったら目の前が真っ暗になりそうで……でもそれを怒りながら出しても私が悪者になるだけだもん。周りの人もびっくりするし。泣かれたら勝ち目ないし。何となくだけど木嶋さん泣き落とし上手そうだし」
美咲はうんうんと頷いた。
「よく分かったね。ももちゃんの言うとおりよ。あいつ、ミスを指摘しただけで泣き真似するんだから……! こっちは声を荒らげずに指摘してんのに……あいつはパワハラだとか何とか言うけど、後輩って立場を使ってそんなことする方がよっぽどパワハラだと思うんだけど!」
「パワハラって上司でも部下でも関係ないよ。権力を振りかざせるのは部下も同じだもん……」
百子の発言を皮切りに、美咲は上司や同僚の愚痴をしばらくこぼしていたが、百子のスマホが何度も震えるのを聞き、思わず美咲はそちらに顎をしゃくった。
「出なくていいの? もうこれで5回目よ?」
「……今は出たくない」
沈んだ声でスマホを一瞥し、百子は美咲の方を向いてため息をつく。
「傷心のももちゃんにこんなことを言うのも何だけどさ、話し合いしなくてもいいの? 陽翔さんは聞いてる限りだとももちゃんのことを大事にしてるのに。ももちゃんのご両親に挨拶にも行ったんでしょ? そんな人がももちゃんを裏切るのは考えにくいと思うんだけど」
百子は目線を彷徨わせて拳を握っていたが、下を向いてしまった。陽翔を信じたい思いと、あの光景を作り出した陽翔に憤りを覚えている気持ちが同じくらい声高に叫んで百子の中でせめぎ合っているのだ。
「……分かんない。分かんないの……! 陽翔を信じたいけど、陽翔のあんな|表情《かお》を他の|女性《ひと》に向けてるところは見たくなかった……! 陽翔が心底嬉しそうにしてるのは私の前でだけだったのに……」
そう言いながら今日のあの光景が浮かび、百子は首を勢い良く振ってそれらを頭の中から追い出した。視界が次第にぼやけていったが、固く握られた両手を、美咲の両手がふんわりと包み込むその感触だけは、ふらふらと揺れる百子の心を捉えていた。
「良かった。ももちゃんはちゃんと陽翔さんが好きなんじゃないの」