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──それは、2002年の7月。 ロサンゼルスがまだ、連続殺人という言葉に晒される前のこと。
南空ナオミは『停職』をくらっていた。
あの頃の私は、まだ若くて、真っ直ぐで、自分が“負ける”なんて思ってもいなかった。
それが慢心だと、あとになって気づく。
しかし、気づいたときにはもう遅い。時すでに過去形だ。取り戻せる過去など、存在しない──
(まさか、犯人が13歳だったなんて……)
そんな言葉を口にした瞬間、自分の無能さを認めることになるから、絶対に言いたくなかった。
でも、言いたくないと願ったところで事実は事実だ。事実の方が、こちらの都合なんて気にしてくれるはずもない。
思い返せば、当時の私は、“犯人像”というものを勝手に大人サイズで想定していた。
麻薬取引。犯行の巧妙さ。逃走経路の複雑さ。組織の影。監視カメラの死角。電子記録の改ざん。
どれをとっても、どう考えても“成人男性の犯行”だと決めつけていた。
まさか、その“黒幕の影”の正体が──『13歳の少年』だなんて。
あの日、頭の中で“犯人像”が崩れ落ちていく音がした。
いや、正しくは──“犯人像という積み木を、私が勝手に大人サイズで積み上げていただけ”だった。その積み木のてっぺんに、少年の小さな顔がぽん、と置かれた瞬間。……なにもかもが、滑稽に見えた。──私が。
私の想定も、推理も、数ヶ月分の追跡記録も。
全部、見当違い。
13歳。
たったそれだけの情報が、捜査の何ヶ月よりも重かった。
あまりにも重い、13の事実。
“13歳が、FBIを数年欺いていた”。
これをどう言い換えても、状況のヤバさが薄まることはない。むしろ、言い換えるほど凶悪さが増す。
だってそれは、つまり──
“13歳で、私たちより賢かった”ということだから。
あの年齢で、私たち捜査官を手玉に取り、逃げ切り、痕跡を残さず、嘲笑うように消えた。
衝撃というより──敗北だった。
そして、一番ショックだったのは──
“その犯人を撃ち殺すことが出来なかった”という事実。
任務遂行のためなら、撃つべきだった。
たとえ13歳でも、だ。
子供でも、撃つのが私の役目──しかし、それでも撃てなかった。
引き金に指を掛けたあの一瞬。私は、人間としての躊躇に負けた。その一秒が、捜査班全員の数ヶ月を吹き飛ばした。
結果、チームには多大な被害が出た。
負傷者まで出し、私の判断ミスで死にかけた者もいた。
私の弱さで。
クビにならず、停職で済んでいるだけ、まだ“マシ”な方だ。
そう、まだ……マシ。
なぜなら、あの13歳の少年は─────
『欧州バイオテロ事件』の犯人 だったのだから。
子供を殺さなかったことが“正義”かのように錯覚するのは、いつも罪を犯した側の論理だ。
被害者がどれだけ出て、苦しんだか、その苦しみを終わらせる機会を私が潰したのだと──だから今も、私は忘れられず、あの現場を思い出す──
✧✧✧
──現場はアーリントン・ショッピングモール。アメリカらしい、広すぎるくせに道案内はテキトーな構造で、初めて来た人間を迷わせるために設計されたとしか思えない無駄に贅沢な建物。
そんな迷宮の一角──『Jolly Jack’s Toy Barnジョリー ジャックス トイ バーン』という、子供向けのファンシーな名前がついた店の中で、“13歳の麻薬常習犯”と、“31歳の共犯者”は、完璧なまでの受け渡し劇を演じていた。
もっと正確に言えば──『我々が“犯人”として認識していたのは、後者だけだ』。
名前は、マルコム・ヴェクスラー。
後の取り調べ記録によると、元は玩具のパッケージング業者で、今は運び屋。
そして子供──名前は明かされてない。理由は単純。その子は逃げ切ったからだ。
我々が所属していたチームは完璧だった。というか、完璧でなければならなかった。
私服捜査官たちは、思い思いの衣服で“らしく”振る舞いながら、店の内外に点在していた。
ペアレンツ、カップル、店員のフリ──完璧な劇団員たちの集いである。
その中心に、“芝居”の本番を迎えた演者がいた。この劇場において、彼は“プレゼント役”だった。
──ヴェクスラーは、息子の誕生日プレゼントを選んでいた。
あくまでも、“そんな風に”見えた。
だだっ広い売り場の一角。
棚に並ぶぬいぐるみたちを適当に撫で、ミニカーのおもちゃに小首をかしげ、価格を見て「たっけぇな」と呟き、でも結局は──
息子が持ってきたジグソーパズルに、すべてを託すことにしたらしい。
「お、これがいいのか? ほんとに? 400ピースだぞ。お前、ちゃんと完成させられるか?」
父親らしい。微笑ましい。少しお節介なほどの──父親らしいやりとり。
けれど私の目は、息子がその箱をヴェクスラーに差し出す“直前”に、箱の中に『何か』を滑り込ませたのを──見逃さなかった。
ほんの僅かに、箱の蓋が持ち上がった。
それだけだった。
それ“だけ”のはずだった。
──けれど、なんだろう。
あの子の目が、鏡みたいに、怖かった。
心が映らない、光だけを反射する目をしていた。
子供らしい無邪気さ? ない。
あるのは、計算と、焦りと、演技と──プロフェッショナルの矜持、だけ。
「……なに?」
不意に出た、私の声。誰にも聞こえない、吐き出すような疑問詞。
ありえない。彼は子供だ。
共犯か?
まさか。
けれど、気づかないふりをするわけにはいかない。たとえ、気づかないふりがしたかったとしてもだ。
急いで内線に指を走らせる。
〈──少年が渡したパズルの中、検査を。子供が何かを仕込んだ〉
ヴェクスラーが演じてるのではない。
むしろ──“プレゼント役”なのは、彼の方。
その予感は、唐突に、しかし確かな重さで、私の胸を叩いた。
〈……………〉
「……?」
誰も反応しない。
無線のボタンを押し直し、私は言った。
〈繰り返します。──子供の方。彼が、パズルに何か仕込んだ可能性〉
……沈黙。
砂漠のように乾いた無線空間に、言葉が吸い込まれていく。
誰も、信じていなかった。
──捜査対象は、あくまでヴェクスラー。
息子は、ただの巻き添え。
……その前提が、チーム全体の思考を停止する。
〈……、了解〉
数秒後、返ってきた声は、息を飲むように微かで、疑いを孕んでいた。
“子供が何かをした”という仮説を口に出すことさえ──憚られている。
あの子は誰にも、疑われていない。
彼を疑った最初の人間は──私だ。
この違和感が、ただの偏見であることを祈るしかなかった。
だが、経験上。この祈りは、大抵──裏切られる。
ヴェクスラーは、レジへ向かった。
店員が笑顔でパズルを受け取り、バーコードを読み取り、「ギフトですか?」と問う。
ヴェクスラーは、父親になりきった芝居で頷く。
その僅かな間にも、少年の視線は──店内の鏡、出入口、客の配置、FBIの動線を一つ残らず確認していた。
13歳の目じゃない。
あれは“現場を読む仕事人”の目だ。
紙袋が渡され、ヴェクスラーは息子を演じる少年とともに店を出る。
そのときだ。
空気が変わった。
いや、正確には、“空気の密度”が変わった。
“駿河”が動いた。
「……すみません、少しよろしいですか」
ヴェクスラーの少し前を歩いていた駿河が、立ち止まり、振り向きざまに足の角度を変えた。
たった一言だったのに、その声は、周囲の喧騒を一枚、上からサランラップで包んだみたいに抑え込んだ。
騒がしかった店内の音が、ワンテンポ遅れて耳に届くようになった。私は、ほんの一瞬、聴覚にバグが生じたかと思った。それくらい、“駿河の声”は強かった。
ヴェクスラーが──そして隣にいた少年が、それをどう聞いたのかは知らない。
でも私にはわかった。
あれは、“試合開始の合図”だった。
「……ええ、構いませんよ。何か、問題でも?」
駿河はその質問には答えず、ただ歩き出す。
そして──人目のつかない店の裏手。その場に着いた途端、駿河は切り替えた。
目も、声も、空気も。
「今、麻薬取引の容疑で捜査しています。あなたの持っているそのパズルの中身を、確認させてください」
ヴェクスラーの笑顔が、0.8秒かけてひび割れる。
目が、指先が、わずかに震える。
「……なんの冗談です? これは息子の誕生日プレゼントで──」
──焦り、というより、“防御反応”。
否定の文法が、あまりにも完璧すぎた。普通、そんなこと言われたら、「え?」とか「何の話ですか?」から始まるはずだ。
だけど彼は、いきなり“防御の台詞”から入った。それは、すでに“自分の罪”を知っているということだ。
駿河は一歩、前に出た。
「すぐ済みますから。開けていただければ、それで──」
手を差し伸べた、その瞬間──
“動いた”のは、ヴェクスラーではなく、
──少年だった。
パズル箱よりも存在感の薄い、ただの“子供”だと思われていたその少年が──ゆっくり、ボディバッグのファスナーを開けた。
中に手を突っ込むと、おもちゃを取り出すような仕草で“それ”を取り出した。
そう、そこから出てきたのは──
“銃”。
子供の手には不釣り合いなサイズの、銀色の塊。
その質量は、子供の“可愛さ”を逆方向にねじ切るほどの異物感。
マグナム弾。
「──ッ!!」
音より先に、空気が震えた。
(まずい──ッ!!)
──ズガァァァァンッッ!!
乾いた破裂音ではない。
“爆発”に近い衝撃が、ショッピングモール全体に叩きつけられた。
銃声ではなく、落雷。
13歳の指から放たれたのは、もはや武器ではなく、兵器だった。
駿河の身体が、横に弾き飛ばされる。
肩──肉ごと抉られたかのように赤く裂け、壁に叩きつけられた。
あれは“子供”が扱う威力ではない。
誰より先に、少年の顔を見た。
無表情。
子供らしい怯えも、罪悪感もない。
あるのは“計算された射撃後の確認”だけ。
その瞬間、私は理解した。
──騙されていたのは、私たちの方だった。
駿河が呻き声を上げる。
「っぐあッ……! は、はぁッ……ッ、くそっ、ちくしょう……!!」
少年は躊躇なく、二発目を打とうと銃口を下げ、腹部へと狙いを移した。
世界が歪む。
人々の悲鳴が、遅れて響く。
「ッ──!!」
私はもう走り出していた。
反射的に。
訓練より速く。
思考より先に。
拳銃を抜く。
息を殺す。
視界が収束する。
──あの少年を止めなければ、また“死ぬ”……!
人が死ぬ……!誰かが!
私の仲間が死ぬ!
「──駿河ッ!!」
それを合図にしたかのように、捜査官たちは一斉に動いた。
──囲め。奴はまだ子供!取り逃がすな!射線に気をつけろ!
そんな相反する指示が交錯するなか──少年は、瞬時に判断した。
倒れた駿河を盾にして、銃を駿河に突きつける。
「動くなッ!こっちには“こいつ”がいる!」
わざとだ。あえて殺さず、生かしたまま、盾にする。
人間の皮を被った悪魔。
──やはり、あの子供は“凶悪”だった。
「銃を下ろせ!!」
捜査官のひとりが叫ぶ。
その瞬間──
── ズガァァァァン!!!
容赦なく、再び撃たれた。
駿河の身体がのけ反り、腰──右脇腹付近を中心に、血が弾け、赤い点描が空中を舞った。
「──ッ、ぐあ……あああああッ!!!」
取り囲んでいた捜査員の引き金が一気に絞まる。
「この男殺すぞ!」
駿河の背に隠れたまま、少年らゆっくりと──いや、あまりにも“なめらかに”、滑るように後退する。
背後のガラスフェンスの端──その角に、小さく身体を縮めるようにして、しゃがみ込む。
「──は、っ……はあ……っ!」
その呼吸は荒く、短く、はっきりと“恐怖”の音が混ざっていた。
私は階段を三段、駆け降りる。
拳銃〈G17〉を迷いなく構える。
照準──ガラス越し、少年の頭部。
いける──!
「銃を下ろしなさい!!」
喉が裂けそうなほどの声で叫んだ瞬間──
少年が、こちらを振り向いた。
ただ、それだけだ。
ただ……振り向いただけ。
だけど、私の頭は──一瞬で“真っ白”になった。
その顔。
その表情。
“人を撃った子供の顔”ではなかった──
“死神を見た”者の顔だった。
黒く、底の見えない恐怖。
その恐怖が、少年の瞳孔を極限まで広げていた。
唇はわなないて、歯が触れ合い、小さくカチカチと音を立てる。
銃を構えている右手は震え、握りしめる力が逆に弱くなっている。
──ああ。
この子は、自分が“死なない”とさえ思っていたんだ。
人を撃って。
大人を盾にして。
逃げ切れると思った。
捕まるとは思ってもいなかった。
死ぬかもしれないとは、欠片も考えていなかったのだろう。
だから今、目の前の“死”に、初めて気づいた。
遅すぎる恐怖に飲まれている。
何人もの命を奪ったくせに──自分が死にたくない、と泣きそうな顔で震えていた。
「───ッ!!」
何してる!
戸惑うな!
早く撃て──早く!
撃て!
撃て、撃て!!
この子は人を殺そうとした!
駿河を──駿河を撃った!!
こんなところで、止まってる場合じゃない!!
何を迷ってる!? どうして指が動かない!?
殺されるぞ──誰かが、目の前で!!
早く! 早く!
引き金にかけた指が、冷たい。
汗ばむ掌とは裏腹に、銃だけが異様に冷たい。
撃たなきゃ。撃たなきゃいけないのに!
──でも……。
その少年が恐怖で顔を引きつらせたまま、唇を噛み、目に涙を浮かべて──
「助けて」なんて、言ってない。
けれど、顔が言っていた。
「死にたくない」って。
────っ。
震える。
指が。
視界が。
膝が。
心臓が。
違う、違う、違う。そうじゃない。
私は──FBI捜査官。
法の側。正義の側。
人を守るために、この手に銃を持っている。
止めなきゃ。この子を、止めなきゃいけない。
人を殺した子供を、これ以上、誰かの未来を壊させるわけにはいかない。
……なのに、引き金が──引けない!
「ナオミッ!撃てッ──!!」
誰かがそう叫んだ──その瞬間。
目の前で爆ぜた。
シュゴォォッ──!という音とともに、白煙が爆発するように捜査員を囲った。
消火器。
まさかの消火器。
非常時に使うあれが、まるで“非常”そのものとして、解き放たれた。
「──ッ!?」
ヴェクスラーが、まるでタイミングを計ったように、煙を散布する。
「視界が……!」
「下がれ!下がれ!」
錯乱。混乱。混濁。
そして次の瞬間──
白煙の中からヴェクスラーが現れた。
その手に、さっきまで握っていたはずの“消火器”を──今度は、投擲武器として。私目掛けて投げてきた。
「ッ!?」
反射で地面を蹴る。
避けるよりも、蹴り上げたブーツが、鉄の塊を正面から迎撃し、バシィンッ!!という鈍い金属音。
飛んできた消火器は軌道を逸らされ、ガラスに激突し転がる。
──だが、それが“合図”だった。
「───ッッ!!」
まるで爆竹。
いや、火薬仕込みの死神の祝砲。
煙の向こうから、狂気の音が四方八方に咲き乱れる。
ガアアアンッ!!
ガァンッ!!
ガアアアアンッ!!!
ガアアアアンッ!!!
ガァァァンッ!!!
鳴り響いたのは、異常な重低音。
心臓に刺さるような、胃の底を打ち抜くような音圧。
「伏せろ!!」
「撃ってきやがる!あのガキ──ッ!」
違う。そんな生易しい話じゃない。
“撃ってる”だなんて、曖昧なものじゃない。
相手が持ってるのはマグナム弾。
──“撃ち抜いてる”!
その轟音の中。
──少年は、煙と銃声と混乱を切り裂いて、飛び出した。
身体は軽い。
服は血で濡れているはずなのに、動きは重さを知らない。
ショッピングモールの非常用シャッターが降りかけている中、迷いなく、風のように滑り抜ける。
──終わった。
──逃げられた。
戦場に、一瞬で静寂が訪れる。
──私は、何もできなかった。
膝から崩れ落ちるわけでもなく、泣き叫ぶわけでもない。
ただ、呆然と。
ただ、唖然と。
“理解できなかった”。
今の出来事が、現実であることを。
13歳の子供が、FBIを相手に制圧したことを。
そして──逃がしたことを。
私の視界には、閉じられたシャッター。
薬莢と、血の匂いと、消化器だけが残っていた。
「……………負けた……」
ただその一言だけが、喉をすり抜けていった。
あまりに空虚で、あまりに弱く、それは、何も出来なかった敗者の言葉だった。