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仕事を覚えてもらう間、俊は滝谷桃を連れて昼食など
いつも一緒に外に出て食べた。
もちろん上司である俊の奢りだ。
彼女は仕事を一通り覚えれば、そのあとは女性パート社員の人たちとも
交流を図り親睦も深めなければならないだろうから、昼食なども今のように
毎日一緒にというわけにはいかなくなるだろう。
だからそれまでになんとか少しでも距離を詰めておく必要があった。
昼食時に雑談がてら俊は現在桃に恋人がいないという情報を
ちゃっかりゲットした。
その時も信じられない気持ちで俊は舞い上がった。
こんなにチャーミングで誰が見ても好きになりそうな女子に彼氏がいないなんて!
『なんでや!』
思わずコテコテの関西弁で叫んでいた……心の中でだが。
「学生時代はボーイフレンドとかいなかったの?」
恋人がいないと聞き、驚いたり猜疑心を覚えたりとせわしなく気持ちが揺れる俊は、
いつになく桃に食い下がった。
相手に付き合っている人間、付き合っていた人間……がいるかどうかなんて、
年頃になってからこの方、気になった異性など今までひとりもいなかった。
しかし、桃に対しては訊かずにいられなかったのだ。
質問された桃の顔色がさっと変わったのを俊は見逃さなかった。
やっぱり……全然男っ気がなかったわけでもなかったのかと
少し残念な気持ちになる。
「3年間付き合っていた人がいました。
でも彼は長男で地元に帰らなければならなくなって東京で就職しました。
それで遠距離交際も考えましたけど、まぁお互いにいろいろあって
お別れすることになりました」
◇ ◇ ◇ ◇
学生時代のことを話してくれた彼女は寂しそうに見えた。
『俺だったら、こんな可愛い女性を置いて地元に帰ったりしない。
彼女の恋人は彼女の良さがわかってなかったんだな、きっと。
そうとしか思えない』そんな風に俊は思った。
だが彼のお陰で現在彼女は奇跡的にフリーなわけで、俊は東京に帰ってしまった男に
感謝したい気持ちでいっぱいになった。
今の職場にいるうちになんとか彼女と付き合えるようになりたいと
俊は考えた。
彼女の魅力が本社の男たちに浸透してしまってからでは取り返しが
つかない……と。
そこで半年間、俊は桃にアプローチし続けて自分が次の仕事場である
販売企画部に異動になるまでに交際できるよう持ち込んだ。
そして俊と桃は、俊のプッシュプッシュありきの猛烈なアプローチで付き合うようになり
2年余り付き合った後、結婚したのだった。
最終的には両想いで結ばれたのだが、当初より断然俊の方の思い入れが遥かに
大きかったことは言うまでもない。
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◇ 社内イベント七夕祭り2
[今原の発言と俊の驚きと困惑]
奈々子の子守をタッチ交代したあと、手元にあるドリンクを口にして
奈々子と桃の様子を見ていたら視界にある男が入り込んできた。
確か今年入社組で店舗に配属されているはずの何て言ったかなぁ~?
そうだ確か今原 恭廉とかって聞いてたな。
ずっと熱心に桃と奈々子の様子を目で追っている。
今更桃に恋したって駄目だぞっ!
桃は俺の奥さんなんだからな。
ちょっとそんな埒もない言葉を胸の内で呟いた。
その新人から視線を逸らし、室内をぐるりと見回した。
なんとなく、周囲はどんなふうに動いているのか偵察の為。
皆家族と一緒ということもあり、和気あいあい楽し気に祭りを
満喫しているようだった。
少しずつでいい、出来る限り桃に尽くして昔のようにとはいかずとも、
少しでも信頼を得ていかなければ……。
これを機に休暇には家族での外出を増やして楽しい時間を増やしていこう、
そんなことを俺は頭の中で考えつつ再度視線を娘たちに戻した。
すると目の前に、いつの間に近づいていたのか……今原が立っていた。
「あっと……今年入社した今原と言います。
これまであまり接点もなかったのにいきなり話かけてすみません。
実は奥さんを知ってるっていうか……」
俺に話掛けてきた今原が妙なことを言い出した。
思わず俺は今原の顔を凝視した。
そんな俺の様子に今原は一瞬怯んだように見える。
36☑
「水野だが、俺の妻と知り合いってこと?」
「奥さん、ほんとにお綺麗ですよねー」
今原は俺の質問に、質問とはかけ離れたことを言い出した。
ますます怪しい奴だ。
コイツ、何なのだ。
俺は呆れた感を醸し出したのだが、目の前の男は場違いというか
雰囲気にそぐわない言葉を繰り出すのになんの躊躇も持たない人種のようで、
苛立ちながら俺はヤツの話を続けて聞かされた。
とにかくヤツは桃のことを綺麗だと何度も誉めそやす。
よその男の伴侶を褒めることって、奴にとって何の意味があるというのだ。
何が目的なんだと、キモイ奴認定しかけた時のこと。
「いや、あんなにきれいな身体をいつも見られるなんて、羨まし過ぎて……。
それと水野さんは奥さんが他人に見られるのを許されていて心の広い人だなぁ~って、
僕ならもったいなくてとても人様には見せたくないというか出したくないっていうか。
僕は狭量な人間なものですから。
水野さんのように心の広い人のお蔭で僕も含めて裸婦画の授業を取ってた
学生はとてもいい絵を描くことができました」
「裸婦って? なんだそれ」
「あぁ、僕は芸大卒で女性の裸を描く授業があって、その時のモデルが
奥さんでした。学期の途中からで短期間でしたが」
「その授業っていつだった? 大学だから平日なんじゃないのか?
妻は休日のバイトはしているが平日に働いてるなんて聞いたことがない。
お前の勘違いじゃないのか?
第一俺が裸のモデルなんて許すわけないだろ!」
俺がイラついたまま話を続けたのと、許すわけないと言ったことで
流石のニブチン野郎も何かを察したようで
『すみません、つい見知った人の顔をみて懐かしくなったものですから、
馴れ馴れしく話し掛けてしまいました。
そうですね、僕の勘違いかもしれません。
申し訳ありませんでしたっ、失礼します』
と言い置き、彼は自分の元いたテリトリーに戻っていった。
裸のモデル、いくら考えても妻の桃からは遠い仕事だった。
よりによって先輩に向かって奥さんの裸が綺麗でしたなんて、アイッの頭は
ネジが何本か抜けているとしか思えない。
まったく。