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七夕祭りを楽しく過ごし、帰宅。
入浴も済ませ、あとは寝るだけの時間になり、ちょうど麦茶を飲んでいると
桃も台所に来て麦茶のボトルを取り出しコップに注ぎはじめた。
あの日から夫婦の会話が極端に少なくなっていて、挽回でもないけど
今日の今原の話でも振って笑い話に繋げようと桃に今原のことを
持ち出してみた。
「今日さ、新卒の今原って奴が妙なことを言ってきたんだ」
「妙なこと?」
「そいつ、芸大卒らしい」
「芸大……」
「君を大学で見たことがあるって」
「……」
「正確には大学の授業で。言うに事欠いて何の授業だと思う?」
「芸大なんだから、体育とか社会じゃないわね」
いつものように鼻であしらわれるのかと思っていたら桃が話に乗ってきたので
俺は気分よく笑い話に持っていこうと更に話を続けた。
「ヤツは絵の授業で君を描いてたって。
しかも裸を描いてたってさ。
笑えるだろ?
よくあんな変な奴を会社も採用したもんだよ。
前途多難だな」
「わたし……たぶんその今原くんの顔を見ても分からないと思うけど……」
「そうだよな」
「会っても覚えてないと思うけどその人が言ってることは、そうじゃないのかな。
間違ってないと思う」
「えっ……なに……」
「私ね、去年から芸大で裸婦モデルしてるの。
今原くんの言ってることはほんとよ」
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「大学の授業って平日だろ、奈々子がいるのにどうやって行けるんだ」
「お母さんに見てもらって、週に一度だけ通ってるの」
「通ってるのってことは今も?」
「うん」
「なんでなんだよ。信じられない」
「信じなくていいんじゃない? 別に驚くことでもないしぃ~」
「何言ってるんだ! すぐに止めろよ」
「私のほうこそ、あなたにその言葉返したいわ。
私になんて、私の身体になんて興味もない人が何を今更夫ずらしてるのかしら?
自分の友だちと浮気するような破廉恥で人でなしに、裏切った妻のことを
詰る権利なんてあるのかしら」
折角刺々しさが取れてきたところだったというのに、今原が持ち込んできたネタで
俺たち夫婦間の隙間に、またまた余所余所しさが滑り込んできた。
お手上げだ。
それにしても……だ。
夫が浮気したら裸のモデルになるとは、これ如何に?
俺には100年掛っても解けない難問題だ。
ハタと気付いた。
俺への当てつけ?
意趣返し?
嫌がらせ ?
だけどたまたま今原が俺のいる職場に来たから俺が知るところとなったわけで、
こんなことは確率的にものすごく低いことだろ?
俺にバレない可能性のほうが高かったわけだから、それを鑑みてみると
どうなんだろうなぁ。
言えるのはもう俺の手には負えないということ。
そして桃は一生俺を許しはしないだろうということ。
その夜、悲しいかなそれだけは理解できた。
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私が若い男性たちの前で裸でポーズをとっていることは耐えがたく、
即刻モデルを止めてほしいと酷く懇願する夫の様子を見ているのは
考えていた以上に痛快で、自分の気持ちのありように驚いた。
けど、すごく面白いのだ。
どんなところが面白いって、俊は苦しくて辛いのだそうだ。
『それってあなたのただの勘違いじゃないの?』
あなたじゃない他の誰かと乳繰り合ってるわけでもないのに、
どうしてそんなに苦しいとか辛いなんて言うのだろう。
離婚してほしいという私の真っ当な願いは夫の無慈悲な拒絶で叶えられることは
なかったというのに、どうして自分の望みは叶うと思うのだろう。
しかも、私は夫を裏切ってもいないし誰の心も傷つけたりなどしてないと
いうのにだ。
私のことなんてただ子供を産んで家事をしてくれる人という認識を
しているだけじゃないの。
女としても妻としてもどうでもよい存在なのではなかった? 俊!
どうでもよい女が外で何をしようと気に病む必要なし。
悩む必要も苦しむ必要も全くなしで、いいのよ。
◇ ◇ ◇ ◇
翌日悩ましい気持ちを抱えて会社に出社したものの、俊は胸がざわつき
モヤモヤがちっともなくならない。
こんなドヨンとしたような、何とも言えない気持ちをもて余している自分。
酷く精神的に落ち込んでいるのを自覚する。
まず桃は大きな勘違いをしている……と思う。
昔も今も、俺がどんなに桃のことを恋しく思っているか……
彼女は分かっていない。
そんな俺が桃に興味がないわけないだろ?
俺は昨夜の桃の攻撃的なもの言いに唖然とするしかなかった。
勿論自分の本心など今更感が半端なく、おこがましくて言えなかった。
『はぁ~、どうすりゃあいいんだ』