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「…おはよう。」
「おはよ〜。」
元貴と口を利かなくなって3日目の朝。
昨日もずっと葬式のような雰囲気は続き、朝昼晩と、何を食べたかなんて思い出せないくらい、何を食べても味がしないし、何をしててもあの時の元貴の顔がチラついて、落ち着かない1日だった。
今日も外は雨が振り、どんよりとしていて、沈む心が更に沈み、まるで底なし沼にでもハマってしまったように思えた。
リビングでは涼ちゃんがひとり、テレビを眺めていた。
おれが窓の外を見ながらため息をついたのを察したのか、 ちらりと視線をよこして、ふわりと微笑む。
「隣、座る?」
そう言って、ソファーのクッションを軽くポンポンと叩いた。
ふと気付くと、涼ちゃんはいつもの一人掛けではなく、二人掛けのソファーに座っていた。
もしかしたら、最初からおれと話をするつもりでそこに座って待っていたのかもしれない。
「うん。」
おれは、短く返事をすると、涼ちゃんの隣に腰を下ろした。
思えば、こうして涼ちゃんの隣に座るのは初めてで、少しソワソワしてしまう。
涼ちゃんを見ると、いつもの胡散臭いと感じるような笑顔はなく、本当におれの事を心配してくれているのだと分かる、静かな眼差しと優しい表情だった。
「元貴となにがあったの?」
喋り方もいつものふわふわした頼りない感じではなくて、初めてみる涼ちゃんの雰囲気に、改めて涼ちゃんは年上なんだなと、ちょっと失礼な事を思ってしまった。
おれは、涼ちゃんの質問になんて答えていいのか分からずに言葉を詰まらせた。
だって、自分でもなんであんな事を言ってしまったのか、今も分からないのだから。
「言い難い事?」
「あ、いや…その、なんて言って説明したらいいの分からなくて。」
「そうなの?」
「あ、おれが元貴を突き放すような事を言ったのが原因って事は分かってるんだ。でも、自分でもなんであんな事言ったのか分からなくて… 」
そこで、またおれは言葉を詰まらせた。
そんなおれの様子を見て、また涼ちゃんが口を開く。
さらにつっこまれた事を聞かれたらどうしようとおれは身構える。
だって、元はと言えば、元貴と涼ちゃんのやり取りを見て胸がざわついたのが原因なのだから…
「うーん…。“なんで”かはきっと若井が自分で気付かなきゃいけない所な気がするから、これ以上深くは聞かないでおくけど、言ってしまった事に関しては後悔してるんだよね?」
しかし、涼ちゃんから出た言葉は、おれが思ってたような、無理に追求するものでも、同情するようなものでもなくて、ただ、おれの気持ちに寄り添ってくれるようなものだった。
大人だった。
『あぁ、この人、年上なんだよな』と、また思ってしまう。
そして、それと同時に、自分の幼さが恥ずかしくなった。
おれは、涼ちゃんの事を誤解していたのかもしれない。
初めて会った時からこの1ヶ月ほど、常にニコニコ笑っていて、あまり本心を見せようとしない所がずっと気に食わなかった。
でもそう思ったのはおれが子供で涼ちゃんが大人だけだったのかもしれない。
一昨日も昨日も、涼ちゃんは何も言わなかったけど、あの最悪な空気の中で、困ったような顔をしながらも、笑顔を絶やすことはなかった。
それは、無理してごまかしていたわけじゃなくて、 むしろ、ちゃんと空気を読んだ上で、あえて笑っていたんじゃないかって。
本当は、すごく強い人なのかもしれない。
…そんな風に思った。
「…後悔してる。」
おれがそう言うと、『じゃあ、ちゃんとごめんなさいしなきゃね。』と涼ちゃんはいつもの笑顔でそう言った。
いつもは好きになれなかったその笑顔が今日は全然嫌じゃない。
むしろ、素直になれないおれの背中を優しく押してくれている感じがして二日ぶりに凝り固まっていた心が解れたような気がした。
そして、同時に、人付き合いが苦手な元貴が涼ちゃんに懐いている理由が少しだけ分かった気がした。
その事に気付いた瞬間、胸の奥がほんの少しチリついたような感じがして、初めて会った時に気に食わないと思った理由が他にもあるんじゃないか…
そんな事に気付きかけたけど、 それをはっきりと認めるのは、まだ時間が掛かりそうだった。
・・・
「…はよ。」
しばらくすると、元貴も眠そうに目を擦りながらおれと涼ちゃんが居るリビングに入ってきた。
涼ちゃんはぼくの肩をポンっと軽く叩くと、ソファーから立ち、キッチンに向かっていった。
おれは、それを『頑張れ』と言うサインだと感じ、リビングを通り過ぎようとしている元貴に声を掛けた。
「元貴、ちょっといい?」
「え、あ…うん。」
謝るところを涼ちゃんに見られるのは、何となく恥ずかしかったので、おれは元貴の手を引き、 廊下に出た。
元貴との喧嘩は初めてなので、謝る事も初めて。
緊張で顔が強ばるのが自分でも分かり、そんなおれの様子に、元貴も“何を言われるんだろう”と不安そうな表情を浮かべた。
「元貴、ごめん!」
そんな元貴の様子に、胸がチクリと痛む。
おれは、緊張を押し切るように、勢いよく言葉を吐き出し、頭を下げた。
余りに勢いよく言った為、キッチンに居る涼ちゃんにも聞こえてしまっているのではと思うくらい、自分でも驚くほどの声量だった。
顔を上げると、元貴はぽかんとした顔で、目をぱちくりとさせていた。
その反応に、少しだけ力が抜けて、 おれの中の張りつめていたものが、ほんの少し緩んだ気がした。
「あの、元貴…ごめん。おれ、一昨日…正直、自分でもなんであんな事言ったのか分からないんだけど、元貴を傷付けた事は分かってる。だから、それを謝りたくてっ…」
何をどう言えばいいのか、頭はまだぐちゃぐちゃで、言葉を整理する余裕なんてなかったけれど、それでも、今度は元貴にだけ聞こえる声で、自分の素直な気持ちを口にした。
「だから…とにかく…本当にごめんっ。」
そう言って、おれはもう一度最後に頭を下げる。
すると、そんな必死なおれの様子を見ていた元貴が口を開いた。
「…ぼくの方こそ、ごめんね。」
顔を上げると元々下がり気味の眉毛が更に下がっていて、八の字を描いていた。
「なんで、元貴が謝るのさ。」
おれは、そんな風に申し訳なさそうな顔をする元貴を見て、思わず苦笑いのような小さな笑みをこぼした。
「あの…ぼく、若井に甘え過ぎてたなって思って…。だから、若井はぼくの事、嫌になったのかなって思って…。」
語尾にかけて、少しずつ声が小さくなっていく元貴に、胸がギュッと締め付けられた。
元貴をの事を嫌になる?
そんな事、ある訳ないのに。
元貴は甘え過ぎてたと言う、確かに他人から見ればそう見えるのかもしれない。
だけど、おれはそれを「重い」とか「面倒臭い」と感じた事は一度もなかった。
むしろ、元貴が甘え、頼ってくれる事が、いつの間にか、おれの中では当たり前になっていたんだ。
だから一昨日の朝、元貴が涼ちゃんに甘えているのを見て、“そこはおれの場所なのに”と思ったのかもしれないと、おれは、あの日の胸のざわつきに説明をつけた。
「おれ…嫌じゃないよ。」
「え?」
「元貴に甘えられるの。」
「…。」
「…むしろ、もうそれが当たり前だから、なくなったら寂しいし。」
元貴は、ぽかんとした顔でおれを見ていたけど、数秒遅れて、ふわりと笑った。
「…じゃあ、これからも、甘えるけど?」
いいの?と言うように、元貴はおれの目を見て首を傾げた。
「どうぞ、ご自由に。」
そう言って、おれは口の箸を上げて、ニッと笑う。
「とりあえず、グループワークは一緒にやろ。」
「いいの?!」
「当たり前じゃん!でもあと二人どうしよっかなー。」
「んー…若井ならなんとかなるでしょ!」
「おいっ、さっそく甘えんのかよっ。」
「んふふー。お願いしますよ、若井さーんっ。」
気付いたら、おれ達はいつもの仲の良いおれ達に戻っていた。
元貴と久しぶりに笑い合いながらリビングの扉を開くと、キッチンから『ご飯出来てるよー!』と言う、涼ちゃんの元気な声が飛んできた。
ふと窓の外に目をやると、さっきまで降っていた雨がいつの間にか上がっており、つけっぱなしにしていたテレビからは、『関東甲信、梅雨明けが発表されました。』とアナウンサーが夏の始まりを告げているの聞こえてきた…
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