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その日、栞はミスをした。
任務内容は、ある港での監視と回収。
ターゲットの取引相手が“武装組織”と判明しており、緊張感は高かった。
栞にとっては二度目の実戦。だが、足元がまだおぼつかないまま、状況は一気に悪化した。
「……おい、合図を無視すんなって言っただろ!」
鈍い怒鳴り声が、耳元に飛び込む。
爆音。破裂音。悲鳴。そして銃声。
「っ……す、すみません……!」
右耳のインカムから聞こえた翠の声を聞いた瞬間、栞はようやく自分の“行動の遅れ”に気づいた。
隠れていたつもりの場所は敵の死角ではなかった。
迂闊に飛び出したその一歩が、仲間の潜伏ルートを台無しにしてしまった。
そしてその“穴”を、翠がカバーした。
一瞬の判断で相手を撃ち抜き、代わりに傷を負った。
──それでも、彼は怒鳴らなかった。
無言のまま、血の滲む袖を押さえ、任務を完遂させた。
***
「最低だ……私、最低……」
夜の帰路、組織の車の後部座席。
拳を握りしめ、栞は震える声で呟いていた。
「私、バディ失格だよ……足引っ張って、しかも……!」
「……」
隣の席に座る翠は、ずっと黙っていた。
傷の手当てを終えた腕には包帯が巻かれている。
その顔に怒りも苛立ちもなかった。ただ、無感情に窓の外を見ていた。
「何か言ってくださいよ……っ。怒ってください。怒鳴ってください。私……そうされないと、どうしていいかわかんない……!」
静寂。
だけど、翠は、ほんの少しだけ目を細めると、ゆっくりと顔を栞に向けた。
「……怒鳴ってどうする。お前が今、いちばん怒ってるのは、自分自身だろ」
「……っ」
図星だった。
誰よりも、自分に腹が立っていた。
役立たずだった。助けられた。
あんなに偉そうに理想を語ったのに、現場では足を引っ張るだけだった。
「任務は、成功した。死者ゼロ。失敗とは言わねぇ」
「でも、傷を負ったのは……!」
「それが“バディ”ってもんだろ」
静かな声だった。
けれど、確かにそこにあったのは、“怒り”ではなく、“信頼”だった。
「お前がやらかした分、俺がカバーする。それだけのこと。俺も昔はそうだった」
「……え?」
「俺が新人の頃、もっと酷かった。任務台無し、上司ぶちギレ、バディは解散。その時のバディに言われたんだ。“誰かの命を背負うってのは、自分だけの責任じゃ済まない”ってな」
そんな話をする翠に、栞は思わず目を丸くする。
想像できない。今の彼が“やらかしていた”なんて。
「……その人、今は?」
「……死んだよ」
ぽつりと、翠は呟いた。
その言葉は重く、空気を切り裂いた。
「俺がミスしたせいでな。だから、怒鳴りたくない。誰かの“最後の声”が、怒りの言葉になるのは、もう嫌なんだ」
「……」
栞の喉が、きゅっと締まった。
痛いほど、胸が苦しい。
「だから、お前も間違えんな。ミスは取り返せる。だけど、命は戻らねぇ」
そして、彼は小さく息をついた。
「……次は、死ぬなよ。新人」
その一言に、栞は気づく。
彼は冷たいように見えて、怒りをぶつけず、見捨てず、ただ静かに背中を見せ続けている人だと。
彼の背中に、今度こそ追いつきたい。
栞は拳をぎゅっと握ると、まっすぐ前を見た。
「……次は、失敗しません。絶対に」
「じゃあ、今度から“先に動くな”を守れ」
「……はい……!」
そうして、車は闇の中を走る。
新しいバディ関係は、ぎこちなくも確かに、少しずつ動き出していた。