「桜の別れと君の笑顔」
春の柔らかな陽気が校庭を包み、満開の桜が風に揺れている。三月、卒業式の日だ。体育館には袴や制服に身を包んだ生徒たちが集まり、笑い声と涙が響き合っていた。僕は、その喧騒の中で静かに葛葉の姿を探していた。
「葛葉、みいーっけた」
柔らかな声でそう呟くと、僕は人混みの中をすり抜けて葛葉の背中にそっと手を伸ばした。振り向いた葛葉は、少し照れたように笑う。長い黒髪が風に揺れ、袴の裾に桜の花びらが絡まっていた。
「叶、おせぇ。もう式始まるぞ。」
葛葉の声は少しぶっきらぼうで、でもどこか温かかった。彼らしいその口調に、僕はくすりと笑う。
「ごめんね、ちょっと花壇の桜に見とれてて。きれいだなって。」
僕の目は優しく細まり、葛葉を見つめる。その視線に気付いた葛葉は、頬を少し赤らめて目を逸らした。
「…お前、いつもふわふわしてるよな。」
そう言いながらも、葛葉は僕の手を軽く引いて、体育館の席へと連れて行く。二人は並んで座り、校長の長いスピーチを聞きながら、時折視線を交わした。葛葉の横顔を見ていると、三年間という時間があっという間に過ぎたことを実感する。入学式の日、初めて会った時のぎこちなさも、今では懐かしい思い出だ。
体育館の中は、少し蒸し暑くて、制服が窮屈だった。でも、葛葉が隣にいるだけで、なんだか安心できた。僕たちはクラスメイトとして、時には勉強を教え合ったり、文化祭で一緒に模擬店をやったりした。葛葉はいつも少し強がりで、でも困っている人を見ると放っておけない優しさを持っていた。そんな彼が、僕には特別な存在だった。
式が終わり、校庭では生徒たちが記念撮影に興じていた。桜の木の下で、僕と葛葉は二人きりで佇んでいた。風が花びらを散らし、二人の間に淡いピンクの幕を作り出す。花びらが葛葉の髪に引っかかると、僕はそっと手を伸ばしてそれを取ってあげた。
「葛葉、卒業おめでとう。」
そう言って、僕はそっと葛葉の手を握った。その手の温もりに、葛葉の表情が一瞬柔らかくなる。
「お前もな、叶。」
葛葉は目を細めて僕を見た。普段は強がってばかりの彼が、こんな時だけ素直になれる気がした。僕は少しドキドキしながら、口を開く。
「ねえ、葛葉。離れても、ずっと友達でいてくれるよね?」
僕の声は柔らかく、どこか不安げだった。大学進学で、僕たちは別々の道を歩むことになる。僕は東京の大学に進み、葛葉は地元に残って別の道を進む。それが分かっていても、この繋がりを失いたくなかった。
葛葉は一瞬黙り、それから小さく笑った。
「友達って…それだけでいいのか?」
その言葉に僕が目を丸くすると、葛葉は少し意地悪そうに続ける。
「俺さ、お前とただの友達でいるつもりないから。」
風が一瞬止まり、桜の花びらが静かに地面に落ちる。僕の頬がじんわりと熱くなり、言葉に詰まる。
「葛葉…?」
「好きだよ、叶。ずっと前から。」
葛葉の告白はストレートで、彼らしい潔さがあった。僕は目を潤ませながら、柔らかく笑った。
「僕も…葛葉のこと、大好きだよ。」
桜の下で、僕たちは初めて互いの気持ちを確かめ合った。卒業という別れの日が、同時に新しい始まりの日になった瞬間だった。花びらが舞う中、僕たちはそっと手を繋ぎ、未来への一歩を踏み出した。
その夜、卒業パーティーが学校近くの公民館で開かれた。クラスメイトたちが騒がしく笑い合い、懐かしい思い出話を語り合う中、僕は葛葉と二人で外のベンチに座っていた。夜風が少し冷たくて、桜の香りがまだ鼻先に残っている。
「葛葉、今日って夢みたいだね。」
僕がそう言うと、葛葉は少し照れくさそうに鼻を鳴らした。
「夢なら覚めなきゃいいよな。」
その言葉に、僕は笑いながら頷く。
「そうだね。でも、離れるのはやっぱり寂しいよ。」
僕の声は少し震えていた。葛葉はそんな僕を見て、そっと肩を寄せてきた。
「寂しがり屋だな、叶。でもさ、俺だって同じだよ。東京なんて遠いけど、会いに行くから。」
その言葉に、僕の胸が温かくなる。葛葉のこういう不器用な優しさが、ずっと好きだった。
「ありがとう、葛葉。僕も頑張って会いに行くよ。」
そう言って、僕は葛葉の肩にそっと頭を預けた。夜空には星が瞬き、遠くでクラスの仲間たちの笑い声が聞こえる。別れの日なのに、なぜか悲しくなかった。葛葉が隣にいてくれるから。
次の日、僕は荷物をまとめて実家を出る準備をしていた。部屋には三年間の思い出が詰まっていて、教科書やノート、葛葉と一緒に撮った写真が机の上に並んでいる。その写真を見ながら、昨日のことを思い出す。葛葉の告白、繋いだ手、桜の下での約束。あの瞬間が、僕の心に深く刻まれていた。
玄関で靴を履いていると、インターホンが鳴った。ドアを開けると、そこには葛葉が立っていた。
「葛葉、どうしたの?」
驚いた僕に、葛葉は少し恥ずかしそうに笑う。
「見送りに来た。…それと、これ。」
そう言って、葛葉は小さな紙袋を差し出した。中には、手作りの桜の花びらのしおりが入っていた。
「昨日、桜の下で拾ったやつで作った。持ってけよ。」
そのしおりを見た瞬間、僕の目が熱くなる。
「葛葉…ありがとう。本当に嬉しいよ。」
「泣くなよ、ばーか。」
葛葉はそう言って笑ったけど、その目も少し潤んでいた。僕たちは最後にぎゅっと抱き合って、それから別れた。駅までの道すがら、僕はしおりを手に持って何度も見つめた。桜の花びらが、僕と葛葉の絆を象徴しているみたいだった。
東京での新生活が始まり、慣れない都会の喧騒に戸惑う日々が続いた。でも、葛葉との連絡は途切れなかった。毎晩のようにメッセージをやり取りして、週末にはビデオ通話をした。葛葉の声が聞こえるたびに、離れている距離が少し縮まる気がした。
ある日、葛葉から突然「来週、東京行くわ」と連絡が来た。驚いた僕は、すぐに予定を調整して葛葉を迎える準備を始めた。そしてその日、駅の改札で葛葉を見つけた時、僕は思わず走り寄って抱きついた。
「葛葉、会いたかったよ。」
「俺もだよ、叶。」
葛葉はそう言って、僕の頭を軽く撫でた。
その日、僕たちは東京の街を歩き回った。桜はもう散っていたけど、僕たちの間にはあの卒業式の日の温もりがずっと残っていた。離れていても、心は繋がっている。そんな確信を、葛葉と過ごすたびに感じた。
卒業は終わりじゃなくて、新しい物語の始まりだった。僕と葛葉は、これからもずっと一緒に歩いていくんだ。桜の花びらが舞うあの春の日を、ずっと忘れない。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!