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線上のウルフィエナ ―プレリュード―

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線上のウルフィエナ ―プレリュード―

16 - 第六章 迷いの森を目指して(Ⅱ)

♥

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2023年08月07日

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昼食を済ませ、午後もひたすらに南西を目指す。それ自体は変わりないが、満腹ゆえに無茶はせず、一先ずはゆっくりと歩いていたその時だった。

 ポツリ、ポツリと水滴が空から降ってくる。


「雨降ってきちゃったねー」

「あぁ、本当ですね……」


 エルディアとウイルは空を見上げる。不気味な雲が空全体を覆っており、朝の時点から懸念していた通り、ここからは悪天候と向かわなければならない。


(となると、今日は小屋で夜を越した方がいいのかなん。私は大丈夫だけど、この子に無茶はさせられないしなぁ)


 雨降りの中で野宿。テントのようなものがあれば話は別だが、夜通し雨に打たれながらの睡眠など体に良いはずもない。それどころか眠ることさえ困難だ。

 もちろん、彼女なら問題ない。そんなことは傭兵ならば日常茶判事ゆえ、大雨の中でさえ安眠を貪ることが可能だ。


「えっと、えっと……」


 この後の予定について考え直していると、その隣で少年が自身の鞄を漁り始める。雨具を取り出すのだろうと用意に想像出来たため、今はその様子をじっと見守る。


(そっか。雨降ってきたんだからそうするよね。町中以外だと傘すらささなくなったなー)


 傭兵ゆえの出不精だ。彼女だけというわけではなく、傭兵や軍人の多くは濡れることに抵抗が少ない。


「ご、ごめんなさい。ちょっとだけ良いですか?」

「おっけー。あ、傘じゃないんだ」


 ウイルは立ち止まり、薄赤色のマジックバッグを大地に置く。

 右手には紺色をしたビニールのような塊。幾重にも折りたたまれており、綺麗な長方形だ。

 それが何を意味するのか、エルディアは一目で理解する。


「はい。レインコートにしました。傘だと片手が塞がっちゃいますし、視界も狭まりそうで。だから、こっちの方が安全かな、と」

「えらいねー。そんなことまで考えてるなんて」


 少年の発言は的を射ている。実力は半人前にすら届いていないが、思考の方向性だけは優秀だ。


(やっぱり、この子……、頭良いなぁ。育ちの差? うらやましいわー)


 準備の良さに思わず唸る。雨具は旅の必需品だが、傘を選ばなかった理由には歴戦の傭兵とて感心してしまう。


「このレインコートも、アレーネって人が発明したんですよ。正確には生地の方ですけど」

「ほほー?」

「ただのナイロンではなくて、撥水効果が付与されてるんです」


 アレーネ。近年、活躍した天才錬金術師だ。銃を発明した偉人でもあり、ウイルの言う通り、この雨具も彼女なしでは誕生しなかった。


「はっすい?」

「はい。よいしょ……。こんな感じで、水を弾いてくれるんです」

「ほんとだ、粒になって浮いてる。全然染みないんだねー」


 ウイルはレインコートを着こむや否や、右腕を差し出し、雨粒が染みずに弾かれる様子を披露する。


「エルディアさんは傘とかささないんですか?」


 少年の疑問はもっともだ。何もしなければ雨で濡れてしまう。


「うんー。濡れたところでねー。鞄は多分、はっすい? なのかよくわかってないけど、中身は濡れないから、だいじょぶだし」

「風邪ひいたりしないんですか? いや、しないんですよね、きっと……」

「そだねー。風邪なんて、生まれて一度もなったことないなぁ」


 不思議そうなウイルを横目に、エルディアは話を続ける。


「なんせこちとら、魔物の魔法で氷漬けにされたとしてもビクともしないしね。いやまぁ、寒いことには変わりないんだけど。後、魔法だとさすがにちょっと痛いけど」

「ちょっと、なんですか……。その頑丈さ、少しでいいから分けて欲しいです」


 氷の魔法、アイスクル。氷塊を作りだし、相手にぶつける攻撃魔法だ。被弾の際はそこが凍り付くのだが、彼女にとっては些細な問題らしい。


(さてー、どこの小屋を狙おうかな。というか、この子が自分で走るのか、それ次第なんだよねー)


 実は、エルディアはこの旅に少し戸惑いを感じている。非力な同行者に足を引っ張られているからではなく、進行具合を思い通りにコントロール出来ないからだ。

 ウイルが自分の足で歩くのか、もしくは走るのか。

 抱きかかえて走ってしまってもよいのか。

 進み方次第で移動距離が大きく変わるため、今日中にどこまで進めるのか、見通しが立てられない。

 彼女とて、商人の護衛依頼を受注したことならある。銃という武器が発明されたことでほとんど失われた仕事だが、それでも極稀にギルド会館の門が叩かれる。

 商人と共にイダンリネア王国を出発し、南方のどこかしらの村を目指すことになるのだが、その際は魔物を警戒しつつ黙々と歩いての移動となる。

 最初から最後まで徒歩ならば、傭兵は即座に予定を組み立てられる。

 マリアーヌ段丘を三日かけて南下し、ルルーブ森林も同様に、といった流れで移動距離から逆算し、安全かつ無理のない旅を依頼主に提供する。

 だが、今回は異例だ。

 相手は傭兵の、しかも等級二だが、その実、ひ弱な子供でしかない。

 魔法を使えるが一つだけ。それすらも現状は焚火の火起こしか夜の灯り代わり程度にしか使えない。

 にも関わらず、目的地は非常に遠い上、可能な限り急いでいる。

 彼女は歴戦の傭兵だが、迷いの森に子供を送り届けた経験はなく、護衛という依頼においては過去最長の遠出だ。

 戸惑ってはいないが、むず痒い。いっそのこと常に抱えての移動で良ければ、計画も立てやすく、さらには数日でたどり着けてしまう。

 しかし、この少年はなぜか自分の足で歩きたがっている。否、走ろうとしている。

 太っているせいか、その速度は遅く、彼女からすれば早歩きにすら劣る速度だ。

 急いでいるのか、時間がかかってもよいのか。

 ウイルの矛盾しているような言動が、この傭兵の調子を狂わせる。


(まぁ、間に合わせてあげる。十日だったっけ? いざとなれば夜通し走れば済む話だし。あーでも、ルルーブ森林からは楽しめるから、じっくりいきたいなー。護衛なんて久しぶりだし、燃えるぅ)


 少年からの依頼内容は、迷いの森への同行。

 期間は先ほど決めたばかりだが、十日間。

 問題ない。むしろ簡単だ。

 懸念点がないこともないが、それについても苦戦はしないと考えている。


(ケイロー渓谷だけかなぁ。もったいないけど突破しちゃおうかなー。まぁ、あっち着いてから考えよ)


 ゴブリン族。理由は定かではないが、道中通ることになるケイロー渓谷にゴブリンが大勢集まっているらしい。巨人族ほど手ごわいわけではないが、人間同様、個体毎に強さが異なるため、油断は禁物だ。

 慎重に進むのなら、遭遇した順にそれらを殲滅すれば良い。時間はかかれど安全なはずだ。今回は彼女一人ではなく、ウイルというお荷物を抱えている。守りながらの進行ゆえ、無茶はしたくない。

 だが、時間を優先するのなら、もう一つの選択肢もありだ。

 エルディアの走力による一点突破。ただただ全力で、その地域を走り抜けるという非常識な作戦。

 ウイルを抱えての疾走になるが、子供一人の体重など、重荷にすらならない。

 倒すか。

 無視するか。

 どちらにするかは今決めることではない。そう考え、エルディアはこの件については先送りにする。


「雨降った場合、夜ってどうされるんですか?」


 雨対策を済ませ、鞄も背負いなおしたウイル。駆け出しの傭兵らしい疑問を率直に尋ねる。


「私は気にせず寝ちゃうねー」

「えぇぇ……」


 彼女の返答が少年の顔を引きつらせる。それもそうだろう、そんなことをすれば普通なら体調不良で倒れてしまう。それどころか寒さや雨粒で寝ることさえ困難なはずだ。


「あ、心配しないで。今晩はちゃんと小屋を目指すから。屋根付きのとこねー」

「あ、時々見かけるあれですね」

「そうそう、吹きさらしの。雨はしのげるから、君でも安心! 問題は、どこのにするか、なんだよねー」


 商人や傭兵のような旅をする人間のため、マリアーヌ段丘やルルーブ森林等には夜を明かすための小屋がところどころに設けられている。

 決して立派なものではないのだが、屋根があるだけでも行き交う人々には非常にありがたい。風はともかく雨だけなら凌げることから、食事や睡眠には事足りる。

 風を遮れない理由は、三方向にしか壁がないからだ。つまりは、一方向は吹き抜けており、側面と後方にだけ壁があり、さらには屋根兼天井が備え付けてあるというシンプル過ぎる構造を採用している。

 小屋と呼ぶにはおこがましいのかもしれない。

 しかし、利用者は誰一人として文句を言わない。屋根があるだけでも違うと、皆が理解しているからだ。


「マリアーヌ段丘に二か所。あと、ルルーブ森林との境目付近にもありましたよね?」

「うん。わかりにくいけど、ルルーブ森林にも二つあるよー。雨降りの時は、小屋を目指すのがセオリーかなぁ。私は無視するけど!」


 雨を見上げるウイルの隣で、エルディアは満足そうに笑う。発言内容は誇らしくないのだが、どこか満足そうだ。


「なるほど。でしたら、急ぐためにもがんばって走ります」

「おっけー」


 レインコート姿のウイルが一足先に駆け出す。短距離走ではないのだから、その速度は無理のない範囲に抑えられている。

 トコトコと歩くように走るその後ろ姿を見守りながら、未だ歩き続けるエルディア。一秒もかからず追いつけるのだから、焦る必要はどこにもない。


(私が十二歳の頃って……、それでも、もっと足速かったような。となるとこの子は、俗に言うハズレってことなのかな)


 ハズレ。軍人や傭兵が口にする用語の一つだ。

 才能無し。つまりはそういうことであり、魔物を倒す側ではなく、魔物に殺される側。つまりはそういうことだ。

 それ自体は悪いことではない。人間のほとんどが狩られる側なのだから、魔物を屠れる彼らこそが異常でしかない。

 エルディアを筆頭に軍人や傭兵のほとんどが、生まれながらの狩る側だ。

 才能。

 親からの遺伝。

 そのどちらかを満たしてこそ、魔物への挑戦権が与えられる。

 ウイルについては、そのどちらも所持していない。それが普通であり、当たり前なのだが、言い換えると傭兵としては不合格を意味する。


(ま、ウサギくらいは倒せるようになるでしょ。あー、晩御飯は何かなー、楽しみ)


 この少年の行く末に、興味などない。彼女はそういったところに踏み込まない人種ゆえ、ここまで交わされた会話もほとんどが質疑応答のようなやり取りばかりだった。

 わずかに開いた距離を一瞬で詰め、エルディアは早歩きで追従する。

 雨脚は徐々に強まり、先ほどまではパラパラ雨だったが、気づけば本降りへ移行する。小粒は大粒へ変わり、大地と二人はびっしょりと濡れてしまう。


「はぁはぁ。ほ、本当になんともないんですか? お風呂上りみたいになってますよ……」


 たいした距離を走ったわけではないはずだが、ウイルの息は既に乱れている。それでもエルディアを気遣える理由はその性格も去ることながら、両親の躾の賜物だ。


「下着まで濡れ濡れになっちゃったねー。とくにスカートがひっついて気持ち悪い……けど、ここまで濡れると開き直れるもんよー」

「なるほど、勉強になります。ところで、レインコートで走るのは失敗ですね……。汗の湿気と雨のせいで、死ぬほど……蒸し暑いです」


 レインコートの弊害だ。雨を完全にシャットアウトするのだから、発汗による湿度も閉じ込めてしまう。その結果、皮膚周辺の湿度と温度は急上昇し、少年の体力を急激に奪う。


「だいじょぶー? 雨降ってるし、無理しない方がいいと思うよ。ずぶ濡れの私が言っても説得力ないけど……」


 雨対策をしている子供。

 雨を浴び続ける大人。

 不思議な光景だが、凡人と傭兵という覆せない差が両者には存在している。


「もう、きつそうです……」


 肩で息をしながら、ウイルは徒歩へ戻る。誰の目から見ても既に限界だ。足取りは重く、顔もすっかり下を向いている。


「よっしゃ。ここからは任せて。気持ち良いくらい突っ走るよー」

「お手数ですがお願……、うわっ! 速い! そして雨が痛い!」


 エルディアは返答を待たずにウイルを拾い上げ、笑顔で駆け出す。その速度は悪天候でも落ちることはなく、物理的には雨粒も同じ速さでぶつかってくるのだから、少年の悲鳴は必然だ。


「夕方までにはルルーブ森林まで行っちゃうゼ」

「普通は三日くらいかかるんだけど……」


 雨に濡れながら、子供を脇に抱えながら、傭兵は広大な草原地帯をひた走る。

 休むことなく、弱音すら吐かず、スタミナが無尽蔵だからこそ可能な芸当だ。

 速度を維持したままの疾走は、二人の予定を繰り上げる。初日はルルーブ森林まで到達し、彼女の狙い通り、日が暮れるより先に小屋へたどり着く。

 もちろん、これは全力疾走ではない。雨粒が痛いという声に考慮し、彼女は半分以下の速さで駆け抜けた。


(まぁ、十分でしょ。今日はここまで。明日はシイダン耕地まで。順調、順調。この子の体力の無さには驚かされたけど、おかげでサクサク進むわ)


 悪気はないのだが、エルディアは現状、ウイルを戦力として数えていない。走力の低さは庶民並であり、傭兵からすればただただ足手まといだ

 だったら大人しく運ばれて欲しい、とまでは思っていないが、少年の意欲は現状だと邪魔以外のなにものでもない。

 小屋と呼ぶには質素な、しかし屋根のおかげで雨だけはしのげているこの場所で、エルディアはロングスカートを絞って水を吐き出させる。

 四方が囲まれていないことから、風の侵入は当然だ。風呂場のような湿気が、ウイルの表情を歪ませる。


「うー、こんなんで夜寝られるかなぁ……」

「ダメそうだったら夜も走ろうか? まだまだ体力有り余ってるよー」

「えぇ……。それはエルディアさんに申し訳ないので、大人しく寝られるよう、夜の素振りをがんばって体力使い切ります……」


 紺色のスカートを脱水するエルディアへ、ウイルはレインコートを脱ぎながら意思を伝える。

 走るとしたらエルディアだ。自分は途中で寝てしまうだろうと容易に想像出来るため、彼女にだけ徹夜をさせるわけにはいかないと考え、ここでの一泊を提案する。


「ほいほい。天気悪いし、無理しない方が良いか。あ、上着脱いでいい?」

「どうぞー……。え⁉」


 彼女の発言を一旦はスルーしてしまったが、少年は事の重大さに気づき、慌て始める。


「いや、濡れてるから絞りたいなぁ、と」

「僕はあっち向いてます!」


 いかに傭兵と言えども、衣服が濡れたままの状態は不愉快だ。この後のイベントは夕食だけなのだから、雑巾のように上着を絞りたい。

 一方、ウイルは顔を赤らめる。年頃の男の子ゆえ、やむを得ない反応だ。


「下着付けてるから別にいいんだけど。中身はちょっと恥ずかしいけど、それだって減るもんじゃないしねー」

「……脚のラインも丸見えですよ」

「それは勘弁!」


 エルディアと言えども乙女だ。とりわけ、脚の太さはコンプレックスになっており、この部位だけは誰にも見られたくないと思っている。


(この子は私の足がいいって言ってくれたけど、どこまで本気なんだか……。太ってる子にはそういう風に映るのかな?)


 エルディアにはウイルの考えてることが全く読めない。

 二人の年齢差は六歳。大きいと見るか、小さいと見るか。少なくとも、現状は大人と子供という間柄だ。

 そもそも彼女は恋愛事に興味がない。そういった過去もなく、他人に対して恋愛感情を抱いたことすらない。

 傭兵稼業に専念。つまりはそういうことになるのだが、本人は現状それでよいと考えている。


(今が楽しいからなー。誰かを好きになったせいでこの時間が減っちゃうなら、それは勘弁だ)


 肌着のような黒色の服をいっきに絞る。滝のような水が流れ落ち、地面に水たまりが出来上がったが、エルディアは気にも留めずにそれを着なおす。

 ひんやりと冷たく、肌にへばりつく感覚はやはり気持ち悪いが、乾くまでの辛抱だ。そう自分に言い聞かせながら、今度は一度スカートを脱ぐ。


(そもそも傭兵に出会いってあるの? いや、ものすごいあるな。そういう意味では毎日がチャンス?)


 傭兵は他の職業と比べれば、他者との出会いや交流が豊富だ。一人で活動するにしても、ギルド会館に行けば同業者が仕事を探しているか食事をしている。声をかければそれだけで交流の始まりだ。


(まぁ、でも……、うん。やっぱり興味ないなー。そんなことよりも、したいことあるし)


 エルディアはそう結論づける。

 恋人が欲しいと思えない。

 誰かを好きになれない。なったことすらない。

 そもそも好意を寄せられた経験すらない。

 一人で生きてきた、というと語弊があるが、傭兵としてはほとんどの時間を独りで過ごしてきた。

 これからもそうなのか?

 今後は違うのか?

 自分の人生でありながら、彼女にはわからない。そもそもそんなことがわかる人間がこの世にいるのだろうか?

 最優先は色恋沙汰ではないのだから、現状に不満などなく、むしろ今の在り方こそがベストなのかもしれない。

 わからない。

 わからないからこそ、深く考えずに目先の作業に没頭する。

 脱いだロングスカートをぎゅっと絞り、足元の水たまりを拡大させる。

 下着姿も去ることながら、嫌いな脚が露出していることの方が恥ずかしい。ゆえにさっと履きなおし、そのしっとり感を嫌々ながらも我慢する。

 普通に着替えれば済む話だが、それをするにも鞄を漁り、荷物を広げ、色々準備しなければならない。

 一人なら他人の目を気にする必要などないのだが、今はウイルがすぐそこにいる。子供とは言え、男の子だ。煽情的なことは控えるべきだと、傭兵ながらも承知している。


「さーて、焚火は出来ないから、ランプの準備するねー」


 雨降りの森林風景を眺めながら、二人はゆっくりとした時間を楽しむ。

 薄暗い森は闇に飲み込まれ、小さな灯りが小屋の中を照らすも、正面に壁はないのだから光は外へ駄々洩れだ。

 質素な夕食をあっという間に平らげ、後片付けすらもさっと終わらせる。ならば、後は眠くなるまでくつろげば良い。


「欠かさずやってるねー」

「はい。やれることはこれくらいなので……。食後の運動も兼ねて、って感じです」


 折り畳み式の小さな椅子に腰かけながら、エルディアは静かに関心する。立ち上がったウイルが、雨粒を相手に素振りを始めたからだ。


(気のせいかな。少しだけ、鋭くなったような……)


 傭兵から見れば、少年の動作はおままごとだ。

 拙い斬撃。

 蚊の止まりそう腕の振り。

 眠くなるペース。

 しかし、最初の頃よりは上達したように映る。あまりに低いレベルでの比較だが、成長には違いない。

 降りやまない雨に切りかかるブロンズダガー。数をこなせば時折命中するのだが、狙いを定めるからか、動作がわずかにぎこちない。


(まだ体が引っ張られちゃってるなぁ。もうちょっと筋肉つけないとダメそうねー。いや、体幹が弱いのかな? となると、遅いなりにも走ろうとしているのは、訓練としては正しいのかも。やっぱり、頭良いんだなぁ)


 シトシトと降る雨音に、少年の素振り音が合唱のように重なる。それをバックグラウンドミュージックにしながら、エルディアは見守る。

 やることがない。この時間はその一点に尽きる。

 明日の道のりを予習しても良いのだが、湿気がやる気をそぐ。

 健気に素振りを続けるウイル。

 それを眺めるエルディア。

 イダンリネア王国から遠く離れた地で、二人は傭兵らしく一日を締めくくる。

 大事な旅の、その初日。何事もなく、マリアーヌ段丘を突破出来たが、彼女が同行してくれているのだから、安泰なことは確定済みだ。

 降り注ぐ雨。

 額に流れる汗。

 それらを見守りながら、エルディアは人助けを言い訳に己の欲求を満たし続ける。



 ◆



 青空の下、河底を覗き込む二つの顔。


「おぉ! これが甌穴群」

「へー、これ……これ? 何これ?」


 翌日、二人は朝も早くから移動を開始する。夜中の内に雨は止み、今日という日は絶好の旅日和だ。

 意気揚々と走り出すウイルだが、ぬかるんだ大地に苦戦を強いられ、あっという間にスタミナを使い果たす。

 だが、問題ない。むしろ、そうなってからが本番だ。

 エルディアがルルーブ森林をいっきに駆け抜け、二人は昼過ぎの時点で新たな土地にたどり着く。

 シイダン耕地。王国民だけでなく、周囲の村々を支えている農業地域だ。流れる川が水源となり、豊かな土壌も相まって多数の畑が広がっている。果樹園もあちこちに存在しており、高級品は貴族や王族さえ虜にする。

 ウイルとエルディアは一旦足を止め、今は川の中を眺めている最中だ。

 魚がいるわけではない。そもそも目当ては別にある。

 川幅は太く、しかし浅瀬ゆえに流れが速くとも十分視認可能だ。


「なるほどなるほど……。習った通りだぁ。うん、確かに不思議な光景」


 少年の瞳は輝いている。

 旅の目的は薬の入手だが、それとは別に二つの野望を抱いていた。

 シイダン耕地の甌穴群。

 ミファレト荒野のミファレト亀裂。

 この二つを自分の目で確かめたいと常々思っていたのだが、一つ目とこうして出会えたのだから、今はただただ感慨深い。


「おうけつぐん……。 えっと、確か教えてもらったような気がするんだけど、もう一回教えて」


 エルディアの頭上にハテナマークがピョンと出現する。

 わからない。

 ウイルがなぜ嬉しそうなのか。

 そもそもこれがいったい何なのか。

 さっぱりわからない。だからこそ、素直に教えを乞う。


「川底に穴っぼこがいっぱいありますよね? これらを総じて甌穴群と呼ぶんです。バニラアイスをスプーンで食べる時みたいにえぐれてますけど、誰かがそうしたわけじゃなくて、長い年月をかけて自然が作り出したんです」

「ほ~……。君はこれが見たかった、と」

「はい。感無量です」

(これのどこに感動出来る要素が……。むしろちょっと気持ち悪いような……。)


 河底を構成する岩の床。そこにはウイルの説明通り、似通った大きさの穴がいくつも点在している。

 拳がすっぽりと収まりそうなそれらは、最初からそこにあったわけではない。

 ひび割れや傷といったへこみに小石が入り込み、川の流れによってそれが中で回転を続け、その結果、そこに丸いくぼみが出来上がる。

 水流の速さ。

 入り込んだ異物の大きさ。

 それの運動量。

 そういった条件が重なり合った結果が、甌穴群という自然の芸術品だ。


「昔は、誰かのイタズラとか、魚や貝の仕業だって考えられていたんです」

「まぁ、そう……見えるねー」


 ウイルは楽しそうに講釈を垂れるも、エルディアは本件に興味を抱けない。返事にも生気が宿っておらず、無心で穴達を眺めている。


「この川は南と東へ枝分かれしますが、その先も含めて甌穴群はここでしか見つかっていません。不思議ですよね~」

「ソダネー」

「ちょっと触ってきていいですか?」

「イイヨー」


 許可が得られたのだから、少年は嬉々として靴を脱ぎ、一歩を踏み出す。ズボンは膝下までの長さゆえ、そのままでも濡れないかもしれないが、念のため、少しだけ持ち上げてから片足ずつ川に浸らせる。


(うーん、水が気持ち良い)


 ひんやりと冷たく、流れがこそばゆい。素足が感じるこれは、まさしく自然の躍動そのものだ。ウイルは小さく笑いながら、バシャバシャと歩く。


(どれどれ……。へ~、中はツルツルだ。綺麗な曲線を描いてるんだなぁ)


 くぼみの一つへ手を伸ばす。指先が川の表面に届き、入水を果たせばあっという間に到着だ。

 拳よりも大きな穴に入り込み、指先で内側をなぞる。中は綺麗な半円を描けており、凹凸の類は見当たらない。小石と対流が作り出した美しい曲線だ。


(楽しそうでなにより。私も少し休もうかなー)


 おーおー唸っている少年を眺めながら、彼女も靴を脱ぎ、淵に立って腰を下ろす。両足をぽちゃんと落とせば、長旅の疲れなど瞬く間に浄化される。

 昨日とは打って変わって、空の色は深々と青い。流れる雲は少なく、心地の良い風が二人を撫でる。

 ここはシイダン耕地の最北端。南には多数の畑が連なっており、多種多様な野菜達がすくすくと育っている。農家の血の滲むような努力と工夫により、作物は一年を通して収穫可能だ。

 ゆえに、金銭さえあれば食べるものに困りはしない。金がないのなら稼ぐしかないのだが、一方でそれすらも出来ない者はどうすれば良いのか?

 金を支払わずに食べ物を盗むか。

 飢えに苦しんで死ぬか。

 飢えに耐えながら生き地獄を味わうか。

 もっとも、何も口にせず、それでも生き続ける存在などいないはずだ。

 少なくともこの二人は当てはまらない。

 遊ぶように観察を続けるウイル。

 保護者のようにそれを見守るエルディア。

 小さなマジックバッグの中には、携帯食料が山ほど詰まっている。長旅に備えての準備であり、素人なりもわきまえている。


「満足しました。すみません、お待たせしてしまって」

「あいよー。さて、と……」


 遊びというよりは野外学習だったが、ウイルはこの時間を切り上げる。

 太陽は軌道の頂点付近で輝いており、ここで一日を締めくくるにはあまりにもったいない。

 ならば移動だ。ここはゴールではなく寄り道でしかないのだから、本懐を成すため、気を引き締めて旅を再開する。


「ご飯はまだいっぱいあるんだよね?」

「はい。このペースだと余るくらいには……」

「なら、シイダン村に寄る必要もないかー。ちょっとだけ遠回りになっちゃうしね。このまま西に向かおう」


 シイダン村。巨大な農村であり、野菜や果物の出荷が主たる財源だ。

 シイダン耕地の南に位置するこの村は、唯一のイレギュラーでもある。

 実はこの地にだけ、ギルド会館が存在しない。傭兵組合がそうしないのではなく、シイダン村が拒絶したからだ。

 傭兵制度を嫌っているというよりは、自分達のことは自分達でなんとかする、という精神の元、日々、外敵に立ち向かっている。

 魔物討伐は軍人と傭兵の専売特許ではない。重要なことは肩書ではなく、実力だ。彼らと同等の身体能力を備えていれば、農家だろうと漁師だろうと魔物を屠ることが出来る。

 傭兵がシイダン村に立ち寄る理由は、主に寝泊まりのためだ。当然だが、野宿よりもベッドの方が安らぐ。ついでに食糧も買い足せるのだから、近くまで来たのなら足を運ぶ理由は十分にある。

 だが、今回はそうしない。南に遠回りとなることから、今回は見送りだ。二人は一直線のルートを選び、目的地を目指す。


「甌穴群、思ってたよりもしょぼかったですね」

「え⁉ あんなにたっぷりとはしゃいでたのに⁉」


 ウイルは笑顔をこぼしながら、さらりと毒を吐く。

 甌穴群。珍しい自然現象ではあるが、観光客を満足させられるかどうかは別の話だ。少なくとも、十二歳の子供には少々退屈だった。

 水気を飛ばし、靴下と靴を履き直す。

 鞄を背負えば準備完了。

 牧歌的な平原を駆け抜けるため、二人は肩を並べて走り出す。


「ミファレト亀裂も楽しみだなぁ」


 本来の目的を忘れたわけではないが、少年の顔は綻んだままだ。

 迷いの森が存在するミファレト荒野には、いくつもの裂け目が存在する。乾燥した肌のように大地がひび割れており、落ちたら最後、軽傷では済まない。


「まぁ、そっちは迫力あると思うよー。おもしろいというよりは怖いんじゃないかなぁ。けっこう大きいしねー」

「おぉ、期待してます」

「落ちないでね。君くらいならすっぽりだよ」


 ミファレト亀裂。ウイルが見たかったもう一つの自然物。中を覗き込もうと何もないのだが、授業で習ったことをこうして復習出来ることが、少しだけ楽しいと思えてしまう。

 不謹慎かもしれない。

 それでも傭兵という道を選んだ以上、日々の何かしらに興味や関心を抱くべきだ。そうでなければ、戦うだけの廃人になってしまう。


(このペースなら、明日にはケイロー渓谷? だとしたらすごいな、昨日の今日なのに。さすがエルディアさんだ)

(今日も進めるだけ進んで、境界手前くらいで野宿かなー。ゴブリンがうんぬんって言ってたけど、なんとかなるっしょー)


 現在地はシイダン耕地。旅の進捗としては中間付近だ。

 ここからは西を目指し、ケイロー渓谷、蛇の大穴、ミファレト荒野の順に渡っていく。

 イダンリネア王国を飛び出してまだ二日目、その昼過ぎだ。

 ウイルの考える通り、順調過ぎる勢いを保てている。もちろん、エルディアのおかげであり、一人では到底不可能だった。

 徒歩での移動なら、一週間程度はかかるだろう。それが普通であり、このペースが異常なだけだ。

 旅は折り返し地点。

 否、帰りを含めるのならば、まだ四分の一だ。

 明日はケイロー渓谷。

 その事実は揺るがないが、二人はまだ知らない。

 簡単な旅路はここまでだったと。

 退屈な旅路はここまでだったと。

 この世界の理に従い、争う二つの種族。

 人間と魔物。

 そのルールには抗えない。二人とて例外ではないのだから。

 殺すか、殺されるか。

 どちらであろうと、実に傭兵らしい結末だ。

 そして、ウイルは知ることとなる。

 魔物の強さを。

 エルディア・リンゼーの、真の実力を。

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