この作品はいかがでしたか?
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「私の名前なら、もうすでにお伝えしております。」
照れからなのか、さっきまでより幾分しおらしく、うつむき加減でそう答えた彼女だったが、名前をすでに伝えているという彼女の言葉に対してアタマの中にデッカくてプルンプルンのクエスチョンマークが浮かぶ俺だった。
もうすでに名前を伝えている?俺に?嘘だろ?
必死に記憶を辿ってみるが、彼女と初めて対面してから数十分、ひたすら俺だけ喋っていたように思う。
彼女が発したわずかな言葉の中にも、名前らしきワードは無かった。
こういった場合、その場を取りなそうと知ったかぶって適当に話を合わせるのは悪手で、一発目で正直に訊くのが最善と相場は決まっている。
全く、俺も大人になったもんだな。
「すみません。お名前ですが、ちょっと思い当たるアレが思い当たらないんですが」
「いえ。私の名前なら、もうすでにお伝えしております。」
「あぁ……」
いや、「いえ」じゃなくて。思い当たらねぇっつってんだよ。こっちが大人になって正直にわからないって答えてるんだからオメェも少しは歩み寄ってこいや。
と思うんだけどね。それを言っても仕方がないというか、ここを、このやり取りを楽しむのが恋愛ってもんだからね?
そのへん隆々太も理解あるから。大人の恋の駆け引き楽しむくらいの嗜みはありますから。
「ハハハ。そうですよね。あなたはこれまでの会話の中で私に対してすでにご自身のお名前をおっしゃられている。しかし私はそれをキャッチアップできていない。いやぁ、いやはやこれは困ったものだ。ハハハ。」
「すいません、よく考えたらまだ名前言ってませんでした。」
言ってないんだって。まぁでもそれは仕方ないわ。
誰にだって勘違いってあると思うし更に加えれば未来の結婚相手になるかもしれない男性と初めて対面した今日だもの。冷静でいられる方がおかしいよねって話。
逆にこういった場に慣れておりこちらをリードしてくれちゃうと僕ァいくぶん気圧されてしまうんだ。
これは別に女性にリードされることを恥と感じているわけではなくて僕みたいに異常に発達した筋肉(発達させたのは他ならぬ僕)を持つ者がモジモジ縮こまっていては格好がつかないからなんだけどね。
ところでみんなは僕の一人称が『僕』とか『俺』とかでバラバラな理由はわかるかな?逆に問いたい。みんなは一人称を統一していますかと。シチュエイションによって使い分けて
「あの、聞いてます?聞こえてます?私の声」
「ハッ!しまった!またしまってしまいました。すいません。つい一人の世界に浸ってしまう癖がありまして。ゴミが落ちていると拾わずにはいられないんですけどね。」
「そろそろ私の名前を言ってもいいですか?」
「あ、はい。それはもちろんもちろん。はい、お願いいたします。」
女性はスッと背筋を伸ばしふぅっ、と息を吐いた。
自分の名前を告げるだけなのに、なんだかやけに緊張感を醸し出している。
まぁそれもそうだ。今日までお互い本名を名乗らずに関わり合ってきたのだ。どんな名であれ名乗るのに少し緊張感は伴うだろう。
シェークスピアが名前がどう、バラの香りがどうみたいな名台詞を残していたような気がする。が、また一人の世界に浸ってしまう可能性が大きいので考えを巡らせるのはこのまでだ。
さぁ、聞かせておくれ。君の名を。
「私の名前はーーー」
彼女は鼻から息を吸い込み、僕はごくりと生唾を飲んだ。
「私の名前はキャン友ヒア美」
「キャン友……ヒア美…」
「はい、キャン友ヒア美です。聞こえてますか?Can you hear me?」
そう言って小首を傾げた彼女はどこか悪戯っぽい笑みをたたえていて、僕はその顔を見た瞬間に、たしかに恋に落ちたんだ。
いや、白状しよう。
初めて実物の彼女を見た瞬間から僕は恋に落ちていた。
これから先、彼女と結婚することになるかも、とかいうことよりも、今この瞬間、この人を何処へも行かせたくない。このままずっと一緒に居たいと心の底から思った。
「あの……筋骨さん、また一人の世界に浸ってます?」
彼女が、いや、ヒア美さんが初めて僕の名前を呼んだ。
「ひ、ヒア美さん、とおっしゃるんですね。苗字も相まってとても素敵なお名前と思います。」
「ありがとうございます。ヤスオが付けてくれたんです、この名前。あ、ヤスオというのは父方の祖父ですね。」
へぇ、そうなんだ。としか答えようのない補足もなぜだろう。ヒア美さんの口から聞くとそれはまるで美しい詩の一編のように響くから不思議だ。
「たまにね、太ってる人が、なんていうんだろう、片膝をこう庇う感じで歩かれてることってあるじゃないですか。ああいうの見るとあぁ、そんなに太ってるから膝やっちゃうんじゃない。って思うことはありますけどね。」
それに関しては本当にどうでもいいというか、ほっといてやれよと言いたいような所感もなぜだろう。ヒア美さんの口から聞くとそれはまるで、少年の日の憧れだとか、焦がれだとか、そんな種類の甘美な響きを伴って。
「筋骨さん、ちょっと気が早いかもしれないけれど、私たちもし結婚したらーーー」
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