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「高杉美香さんは、高杉海斗さんに対して離婚の申し入れと慰謝料三百万円を請求します」
栗山政治の言葉に義母が口を手で押さえて笑ったのが見えた。
三百万など高杉家にとって小銭と変わらない。そのような微々たる金銭を要求してきた私を嘲笑ったのだろう。
「お金が欲しいの? 本当に片親の子って卑しいのね。経済的に貧しいと心まで貧しくなるのかしら? 何でもお金って、親族に尽くすという心がないのかしら」
義母の言葉に周囲の集まった人たちがからくり人形のように首をコクコク頷かせる。
ふと夫の海斗を覗き見ると馬鹿にしたように笑ったのが分かった。
(もう、本当に一つまみの未練がなくなったわ。このクズ男が!)
「お金じゃありません。貴方たちが私に対して慰謝料を払わなければいけないような事をしてきたという事実を刻みたいだけです。早朝に起きて、食事にありつけたのは深夜を回ってから。残飯を平らげる事を強いられました。お米には神様が宿ってるから、捨てるのは罰当たりで天罰が下ると言われて⋯⋯」
私が詰まる想いで口を開くと、愛子が楽しそうに口元を緩めたのが分かった。私が学生時代に相棒だと思っていた女は私の苦しみに快楽を覚えるらしい。
「いや、でも、結局はお金だよね。美香さん。それで満足なら三百万でも、一千万でも払うよ。高杉家の嫁なんだから家計は同じだけどね」
義父が笑いを堪えきれなそうに言葉を紡ぐ。全く、この家の人間には話が通じない。高杉家は茨城の辺鄙な場所にあったが、駅ができた為に土地価格が高騰。一気に不労所得が年間一億以上の家になった。
家業は農家だが外国人を安く雇い働かせ、自分たちは働かずに悠々自適な生活を送っている。田舎の畦道を高級外車が爆走する光景は合成写真のようで滑稽だ。
「私は離婚を望んでいます! それは一年前に別居した時点からお伝えしたはずです」
私の言葉に周囲がどっと笑った。何が楽しいのか理解できない。一年間、離れていたけれどこの家は何も変わっていない。
「片親で学歴もない掘立て小屋に住んでいた貴方をこちらは泣く泣く受け入れたのよ。これだけの格差婚を許してやったのに離婚? 一年間も家出までして何様のつもりなの? 貴方も貴方のお母様も、高杉家に背を向けてこの辺りで生きていけると思ってるの?」
義母が笑いを堪えながら発した言葉に皆が頷く。
父が轢き逃げされ亡くなってから、私の家は困窮した。母は銀行にパートに出ていたが、父を失ったことで心を患い外に出られなくなった。外に出て、車を見ると過呼吸を起こす。
私は現在、神奈川県の大学に通っている。一年前、高杉家の嫁としての生活に悲鳴をあげた私に母がここから逃げるようにと背中を押してくれたのだ。私は母を神奈川の家に呼び寄せるつもりだ。私の世界はもうこの茨城の小さな村だけではない。
「ふっ」
一年前まで世界の全てだったこの場所と、ここにいる人間を見て思わず笑いが漏れた。
「何笑ってるんだ? やっぱり、隣の弁護士と出来てるのか? お前も浮気してたんなら、お互い様って事で良いじゃないか。戻って来いよ美香」
海斗が私に手を伸ばして来て、私の腕に触れる。私は思わず体が震え一歩引いた。あんなに好きだったのに、体も心も彼を拒絶している。結婚する前から愛子と裏切っていても、地獄まで秘密を持っていって欲しかった。私の前では優しい男でいて欲しかった。でも、実際は嫁入りして逃げ場のなくなった私の足元を見るように、やりたい放題し私をモノのように扱った。
「私と美香さんはそのような間柄ではありません。今後は私を通して連絡をとりましょう。美香さんは貴方に対して拒絶反応が出ています」
皆が私にまじまじと注目するので、腕を見た。海斗に触れられた箇所がアレルギー反応を起こしたように真っ赤になっている。それを見て海斗が羞恥で唇をワナワナさせているのが分かった。
私は栗山政治に促され立ち上がる。そっとその場を後にしようとすると後ろから義父の声がした。
「おいおい。いいのかー! 三百万円じゃこの先生きていけないぞー。この家は年間不労所得が一億あるんだ。意地張ってないで目を覚ました方が良いんじゃないかー」
私は義父の声を無視した。この辺りの土地は高杉家のもので、五年前に駅ができてから土地価格が跳ね上がった。新しくできたレストランも、マンションも全部高杉家の土地を貸している。
「美香さん、もう行きましょう」
「すみません」
栗山さんに私は甘える事にした。声を出すのがやっとな程、何もかもが怖い。結婚して豹変した夫、ずっと裏切っていた親友と思っていた女、一年経っても何も変わらない高杉家の人々。
高杉家の広大な敷地を抜け、大きな門を出たところに急にタクシーが止まった。
タクシーから飛び出るように出てきた人物に私は思わず口を開いた。
「マリ! 私じゃないから! 私は何も言ってない」
脇田マリ、私が大学に入ってから初めてできた友達で、喧嘩ばかりしている。
今回も彼女の整形を私がバラしたと言いがかりをつけられて喧嘩していた。
「あっ! 何、整形のこと? 私、整形インフルエンサーでバズりはじめたの。バラしてくれた美香に感謝だよ。めちゃ儲かってるもん」
私を冤罪で睨みつけ無視した友人は笑顔を浮かべている。
そもそも私は彼女の整形をバラしてもいない。
都会の大学では浮いてしまっていた私を受け入れてくれた、自称港区女子の群馬出身のマリ。
彼女とは価値観も何もかも違うけれど、お互いを擦り合わせながらうまくやっている。
何度喧嘩しても仲直りする私たち。そんな関係を本当は海斗と築きたかった。
それでも、やっぱりジェットコースターのように変わる人の感情についていけない。
もう、苦しい。どこに安らぎの里はあるのだろう。
私が胸を押さえて蹲ったところに、栗山政治が屈んで背中を撫でてきた。
「大丈夫、息をゆっくりして。大丈夫だから」
私は彼に言われた通りに深く息を吸い込む。
小さな世界で虐げられていた私は村を出て多くの人と出会った。
「美香に手を触れるな!」
声優オタが歓喜しそうな低いイケボでタクシーから出て来た男。
現在二十二歳。遅れてきた思春期を拗らせているセリザワフーズの御曹司、芹沢慎也。
社会人になって半年だが、既にスーツ姿が様になっていた。
私は彼の告白を断ったはずだ。
出会うのがもっと早ければ夢中に慣れていただろう完璧王子。
でも、今の私はそんな彼の好意が受け入れられない。
「美香! 芹沢さんを連れて来たよ。やっぱり、芹沢さんに助けてもらった方が良いよ」
意を決したようなマリの告白に私は心臓が止まりそうになった。
マリは栗山政治に弁護を頼んだ私に対して、身元のはっきりしない人を信用してはいけないと再三注意して来た。
自分を心から思ってくれる男に助けて貰った方が良いと言われても、私は芹沢さんともう関わるつもりはない。
そして、私のような怯えたおたまじゃくしが何故、芹沢慎也のような超高級鯛を釣ってしまったのか理解できず後悔している。
私は彼と付き合う気は全くない。
「美香! やっぱり諦めきれない。初めて幸せにしたいと思った人なんだ。俺の気持ちを軽く思わないで欲しい」
私の前に跪く美男子に私は固まる。
芹沢慎也はいつ私を好きになったのだろう。
気がつけば私にまとわりつくようになっていた。
「芹沢さん、ごめんなさい。私⋯⋯」
芹沢慎也は私の返事を予測したかのように顔を顰めた。そして、隣にいる栗山政治を見るなり燃え上がるように口撃を始めた。
「美香! そいつは弁護士なんかじゃない! 栗山政治なんて偽名だ。本名は根岸学! ただの結婚詐欺師だ!」
(えっ?)
別に栗山政治とどうこなろうとは思っていない。
ただ、彼が弁護士ではなく結婚詐欺師だとしたら私の離婚はどうなるのだろう。
「私、お金なんてありませんよ」
思わず口をついた言葉に栗山政治はニヤリと笑った。
コメント
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第2話、読み終えました……。もう、胸がぎゅっとなる展開ばかりで、気づいたらページを捲る手が止まらなかったです。義母の嘲笑や「お金じゃない」って言い切る美香さんの強さ、すごく印象に残りました。ラストで芹沢さんの登場と栗山さんの正体明かし…えっ、どうなるの?!ってなりました。続きが気になって仕方ないです…!