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「…………あのころは、とても楽しかった……」
方円は、おぼろげの遠い微かに覚えている
記憶を思い返す。
「でも……兄上……。 なぜ……なのですか……」
ーーーーーー
そして――。
茜姫失踪事件から、数年が経っていった。
「えいっ! やー! えいっつ!!」
茜は、木の棒を手に鍛錬を続けていた。
それを見ていた飯富虎昌は、困ったように声をかける。
「……姫様。 はしたないですぞ」
「でも、私は以前より大きくなりました。
それに……私も、いつかは嫁ぐときが来ます」
茜は木の棒を握りしめる。
「武田のみんなは、守ってくれます。
でも……他家の人は、きっと守ってはくれないでしょう……。
なら……、自分で守れるようにならねば……!」
「……姫……さま……」
「これは、もう決めたことです。
止めないで…………」
虎昌は、何も言えなかった。
その時――。
「茜……」
信虎がやって来た。
「そうか……。 お主も、色々考えたのだな」
信虎は茜を見つめる。
「分かった……。 もう止めぬ。
虎昌、お主も付き合ってやれ」
「はっ……。 かしこまり……ました……」
ーーーーーー
「ブンッ!」
「キンッ!」
「カンッ! カンッ!!!」
「ぐぬ……!」
「…………」
茜の棒と虎昌の木刀が激しくぶつかり合う。
「カンッ! カンッ!!!」
「ブンッ!!!」
「なっ……!」
「からんっ……」
虎昌の木刀が、地面へ落ちる。
「馬鹿な……。 いくら長い木の槍と木刀の差があるとはいえ、こうもあっさり……」
茜は、少し息を切らしながら答える。
「むかし、よく……兵をしっかり観察して、自己流で鍛錬していたものですから……」
「…………!!!」
その光景を、遠くから眺めている男がいた。
太郎――いや。
既に元服し、晴信と名乗っていた
「なにっ……!!」
(馬鹿な……。 いくら槍と刀の差があるとはいえ……なんだ、あの動きは……)
(無駄がなさすぎるぞ……)
(まずい……。 これはまずい……。)
(まだ俺は、本気の虎昌には勝てていないというのに……)
「………………」
(まずい……)
(ただでさえ、ここのところ嫡男らしい扱いをしてもらえていないというのに……)
(……このままでは……!!)
ーーーーーー
「ブンッ! ブンッ……!」
晴信は、一人で木刀を振っていた。
そこへ虎昌がやって来る。
「若……。 今日は随分と素振りが荒れておりますな」
「それは……」
晴信は木刀を振りながら答える。
「お前と茜の試合を見ていたからな」
「……あれは、試合ではなく、実力の確認をしようとしていただけですが……」
虎昌は苦い顔をする。
「……でも、すぐに……」
「そうか……」
「ブンッ! ブンッ……!」
晴信は黙々と木刀を振る。
「ここのところ……、父上は次郎の方を嫡男にしようとしているという噂もあるし……」
「…………」
虎昌はしばらく黙っていた。
「最近の御館様は、陳言した家臣を粛清したりと、荒れておりますからな。
本当に、そうする可能性もございます……。
内藤殿……山縣殿……くっ……」
晴信は木刀を止める。
「俺は……怖いのだ……。
あの実力を見て、さらに自分の扱いを悪くするのではないかと……」
「若……」
虎昌は晴信を見る。
「……立ちなされ、若。
あなたが御館様になるのです」
「それは……無理ではないか……」
晴信は俯く。
「その前の初陣で奇襲した時も……、褒めてはもらえなんだ」
「…………」
虎昌は決意したように口を開く。
「……追放なされませ」
「……何?」
「信虎様を追い出して……、御館様となるのです!!!」
「それは……!!!」
晴信が驚く。
「御旗楯無に聞いてみましょう。
それが正しいのか……。
御旗楯無の近くで、サイコロを振って確認するとしましょう、若!!!」
ーーーーーー
晴信はサイコロを手に、御旗楯無の前に正座をした。
「……御旗楯無。 これからしようとしていることが、正しい行いなら……。 奇数を出して下さい」
晴信は、サイコロを振る。
「カラッ……」
「三」
虎昌が目を見開く。
「……奇数ですな」
「…………」
「若……。 これは、正しいということです」
「いや……偶然かもしれぬ。
もう一度やるぞ……」
「カラッ……」
また奇数。
「もう一度……」
「カラッ……」
また奇数。
「…………」
何度振っても――。
奇数。
奇数。
奇数。
晴信は、サイコロを握りしめた。
「…………これは……」
虎昌は御旗楯無を見る。
「御旗楯無。 若を認めていただき、感謝いたします」
そして晴信を見る。
「さあ、出ましょう。 そうと決まれば、
追放計画をしっかりと練らねばなりませぬ」
「………………。」
晴信は、御旗楯無を見つめ続けていた。
ーーーーー
「では信繁。 茜と、少し試合をしてやれ」
「はっ」
「兄上、お願いいたします」
「やあっ!!!」
「くっ……!」
「むむむむ……!」
「カンッ! カンッ!!!」
槍と木刀が激しくぶつかり合う。
「くっ……。茜 いつの間に、このような力を……!」
「ぐぬぬぬ……! だが、力では負けんぞ……!」
「むむむむ……」
(やはり男の力は強い……。 技に持ち込まねば……)
「カンッ! キンッ!」
「ぐっ……!」
茜が突然、動きを変える。
「急に動きを……! 一体どこで、そんな技を……!」
ーーーーーー
「茜……。 本当に強くなったな」
信虎は嬉しそうに笑う。
「お互いに互角の勝負だったではないか。
だが、信繁にはまだ勝てなかったな」
そして信繁を見る。
「少し前には虎昌にも勝っておったし……。
やはり信繁、お主が次の跡継ぎじゃな。
ガハハハハ!」
「父上、お戯れはおやめ下さい。 兄上が
おります……。 勉学では、兄には勝てませぬ」
茜も続ける。
「そうですよ、父上……。 晴信兄上の
ことも、見てあげて……下さい」
信虎は腕を組む。
「しかし最近は晴信は、初陣で殿を任せたというに奇襲をしたり、好き勝手に行動しすぎじゃ。
結局、虎昌には勝てておらぬし……」
「それは……。 兄上は勉学の方に優れていただけです」
信繁が庇う。
「そうですよ……。 とてもむずかしい本、
沢山読めますし」
茜も続けた。
「奇襲で城を落としたのも、実力ではありませんか。 たしかに殿でやることではないかもしれませんが……。
父上が落とせなかった城を、一瞬で落としたのですよ。 評価してあげて……」
「…………茜」
信繁は茜を見る。
「ありがとう……。 兄上の味方をしてくれて……」
ーーーーーー
「ようやく覚悟をお決めになられましたかな、若……?」
虎昌が晴信に問いかける。
「あれから何度やっても、ずーっと奇数であったな。」
晴信は問に答えていく、
「途中、虎昌にも代わってもらったが……
結果は奇数のままであった……」
覚悟を決め、晴信は静かに答える。
「分かった……。 やろう」
そして虎昌を見る。
「だが……味方はいるか?」
「板垣殿、甘利殿には、実は既に話をつけております」
虎昌は答える。
「特に板垣殿は、自分と同じ若の教育係でしたからな。 素直に受け入れてもらえましたぞ」
「そうか……、も う進めていたのか……」
「…………若」
ーーーーーー
丑三つ時 御旗楯無の間
「若……。 ご決断、ありがとうございます」
板垣信方が頭を下げる。
「若のため、某、全力を尽くさせていただきます」
甘利虎泰も続く。
「若ではない」
晴信は二人を見る。
「御館様と呼べ!!」
「「はっ!!」」
「どうするべきか、意見を聞かせよ」
板垣が口を開く。
「恐れながら……。 今度、御館様の姉君が今川に輿入れすることになっております。
その際に、ついでに追放するのはどうでしょう」
「賛成だ!!!」
甘利が頷く。
「信虎様も、姉君について行くはずじゃ」
その時――。
「……あ」
たまたま通りかかった信繁が、部屋へ入ってくる。
「あ…兄上……。 これは一体……」
「!!!」
晴信の顔が強張る。
「じ……次郎……。」
信繁は戸惑う。
「自分は厠から部屋に戻るところでした。
兄上……このような場所で、一体何をなさっておられるのです……?」
虎昌は観念した様子で素直に答える。
「信繁様……、 お父君を追放する話をしていたのです……!」
「…………」
信繁は目を閉じる。
そして、しばらくして口を開いた。
「兄上……。 某にも協力させて下さい」
「……!」
「近頃の父上の振る舞いには、某も呆れておりました。 兄上が御館様となり、武田を継ぐべきです」
晴信が驚く。
「次郎……! それは本当か?」
「はい。 誓いの証として……。
父上に渡されていた家宝すべて、
兄上に献上いたしましょう」
「次郎……!!!」
板垣が感嘆する。
「さすがは信繁様じゃ!!!」
虎昌は、話を続ける。
「で、続きですが……。 茜様も、おそらくついて行くでしょうな」
「…………」
「禰々様が諏訪に嫁いだ時も、ついて行きましたから。 どうにか信虎様から引き離さねば……。」
「その必要はない」
晴信が静かに言った。
「……え?!」
「茜には悪いが……一緒に追い出そう」
「兄上……!!!」
信繁が驚く。
「……あの才能は脅威だ。」
「嫁がせるにしても、その際にあやつの才がその家に渡ることになる」
「兄上……。 それは……!」
「分かってくれ、次郎……」
「…………あ……兄上……。」
ーーーーーー
だが――。
彼らは話に夢中で気が付かなかった。
茜を追い出すと話した、その瞬間。
御旗楯無が――。
黒い輝きを放ったことを。
ーーーーーー
そして――。
信虎追放の予定日がやってきた。
「では、行ってくる」
「兄上。 姉上を、みおくってまいります」
「……ああ。 気をつけるのだぞ」
(許せ、茜……。 家のためだ……)
信繁も、信虎へ頭を下げる。
「行ってらっしゃいませ、父上」
(茜…………。 すまない、
兄上を止められなかった……。
お前は兄上を庇ってくれていたというのに……)
虎昌も心の中で呟く。
(では、予定どおり今川と武田の国境を、
閉鎖しに行きましょう。)
晴信も頷く。
(うむ……。)
ーーーーーー
数刻後。
国境へ戻ってきた信虎は、門の前で驚愕した。
「お前たち!!!💢💢 これはどういう
つもりだ!! 門を開けよ!!!」
晴信が、門の向こうから答える。
「父上はこれから、今川でお過ごしなさるよう……。 お願い申し上げます」
「戦ばかりして民を苦しめ、家臣の陳言軽んじ、粛清なされる父上は、もう甲斐国では
必要とされていないのです。」
信繁も続ける。
「父上は、もう御館様ではないのです。
どうか…お引き取りを……」
「…………えっ」
茜は、その言葉を聞いて固まった。
信虎が振り返る。
「待て……。 茜も追い出すつもりか?
せめて茜は……」
「それは、なりませぬ!!!」
晴信が叫ぶ。
「そう言って甲斐へ入るつもりでしょうが……。残念ながら、 そうはいきません。
今川にはしっかり話はつけてあります。
茜と共にどうか、駿河へお引き取りを!」
「晴信……!! 貴様!!!」
「…………」
茜は、晴信を見る。
「兄上……。 これは、どういうことです……?」
晴信は、目を逸らす。
(すまぬ……茜……)
「弓、構え!!!」
虎昌の声が響く。
兵たちが一斉に弓を構えていく。
「放て!!!」
「ヒュン! ヒュン!!!」
矢が飛んでいく。
「くっ……!!!」
信虎は、矢を避ける。
「兄上……!!」
茜は叫ぶ。
「これは……どうして……。 信繁兄上も……
なんで何も言わないのです……?」
「…………」
信繁は、俯く。
「……すまぬ」
茜には聞こえないほどの、小さな声だった。
ーーーーーー
駿河・今川館
「舅殿、災難でござったな。
だが、心配なさるな。
舅殿がご不便にならぬよう、
心を込めてお世話をさせていただきます」
今川義元は、信虎にそう告げた。
太原雪斎も続ける。
「もちろん、そちらの姫君も同様でござる」
二人は笑顔で信虎を迎える。
しかし――。
(ほほほ…これから晴信から2人分の世話金が毎月貰えるからな。 死なせたら儲からぬわ……。)
(ハッハッハッ……!!!!)
信虎は頭を下げる。
「ありがたい……」
そして、心の中で呟く。
(くそっ……晴信め……!!)
その隣で、茜はただ呆然としていた。
「…………兄上……」
「………………」
「兄上…………。
何故……なのですか……」
「兄上……」
茜の胸の奥から――。
今まで感じたことのない、黒い感情が込み上げてくる。
ーーーーーー
そうして――。
茜は、目覚めていった。
怪物に。
そして今も、御旗楯無は――。
茜を追い出すことが間違いだと知らせんが
ごとく、黒く輝いている。
だが――。
武田の家臣たちは、その輝きに気づかない。
その輝きが示す知らせのとおりに――。
晴信は、数年後。
茜に追い詰められることとなる。
――茜と太郎―― 終
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コメント
1件
「茜と太郎 後編」、読了しました……。もどかしくて、切なくて、胸がぎゅっとなりました。晴信の焦りや葛藤は分かるけれど、茜の『兄上……』という呼びかけが何度も刺さって。才能を恐れられて追われる茜の無念さと、それでも強くあろうとした日々の鍛錬が、ラストの怪物としての覚醒へつながる構図が本当に美しく、怖かったです。御旗楯無の黒い輝きの描写もゾクッとしました。重厚な人間ドラマをありがとうございます……!