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「……いえ」
ぽつりと呟く。
「嫌な気分になんて、なってないです。むしろ、聞いてよかった」
「え?」
健二さんが怪訝そうな顔をする。私は皿の上の馬刺しを見つめた。赤い肉。それはかつて、どこかの競馬場で誰かの期待を背負って走っていたサラブレッドの一部だったのかもしれない。
「供養、みたいなものじゃないですか」
「供養?」
「はい。競馬界の厳しい現実の中で、ひっそりと消えていく馬たち。誰にも看取られず忘れ去られるくらいなら、私が応援した馬、私の推しが、最後は私の体の一部になってくれる。それってすごく素敵だと思いませんか」
「は……?」
健二さんの顔から笑みが消えた。
私は自分の胸に手を当てた。
「だって、そうでしょう。他人に売られて、知らないところで処分されて、誰かもわからない人に安い馬肉だって食べられるくらいなら、私が全部食べてあげたい。一口馬主として愛して、応援して、お金を払ってきたんです。その子の最後まで、私が責任を持ちたい。私の血となり肉となって、一生私の中で生き続ける。これ以上の愛の形って、ありますか」
熱を帯びた言葉に、健二さんは引きつった笑みのまま後ずさりした。
「さ、美月ちゃん。それはちょっと、極端っていうか……」
「極端ですか? そんなことありません。推しと一つになりたい、推しを自分の中に閉じ込めたいって思うのは、ファンなら自然な欲求ですよ」
箸を持ち直し、残っていた最後の一枚をゆっくり口に入れる。噛みしめると、繊維の一本一本が千切れ、旨味が染み出した。これが、かつて命だったもの。美しく気高く走っていた、誰かの推しだったかもしれないもの。
ゴクリ、と飲み込む。
「美味しい。本当に、美味しいです」
満面の笑みで健二さんを見つめた。
「……やばいね」
健二さんは乾いた声で呟き、おでこの汗を拭った。
「美月ちゃんに推された馬は、最後は食べられちゃうんだ。怖くて、もうお勧めしづらくなっちゃったよ」
「ふふ、何を言ってるんですか。もしメルティハートが引退することになったら、健二さんのルートでなんとか仕入れてくださいね。私、絶対に買い取って、全部食べますから」
「冗談きついって……」
「冗談に見えますか?」
首を少し傾げ、健二さんの目をじっと見つめる。健二さんはそれ以上何も言えなくなり、苦笑いを浮かべながら常連客の注文を取りに逃げていった。
私は一人、空になった皿を見つめる。スマホの画面を点けると、メルティハートが健気に走る姿があった。
「がんばってね、メルティ」
画面の中の愛馬に、そっと囁く。
「たくさん走って、たくさん勝ってね。でも、もしダメになっても大丈夫だからね。お姉ちゃんが、最後までずっと愛してあげるから」
胸の奥が、じんわりと温かくなっていくのを感じていた。
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