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「そんな心配は無用です。私は、私自身の魅力で、典晶を墜とします!」
「……イナリ、だからその言葉はなんか怖いって……」
典晶は笑った。笑いながら、また涙を流してしまった。
「さて、色々あったけど、これで一段落かしら? 二人の間もグッと縮まった事だし、後は二人に任せましょうか」
宇迦は喜々として言ったが、流石に那由多もそれには頷けず、返事の代わりに溜息を返した。
「そうだ! 素戔嗚は? アイツは、俺を助けようとしてくれたんだ」
強烈な出来事が続いたお陰で、素戔嗚の存在をすっかり忘れていた。彼は、那由多と宇迦の演技に気がつかず、本気で典晶を救おうとしてくれていた。股間を蹴られ湖の中に蹴落とされたが、大丈夫なのだろうか。こうして話している間も、素戔嗚は浮かんでこない。
「心配には及ばないでしょう」
宇迦はフンッと鼻を鳴らすと、クルリと背を向けて歩き始める。
「愚弟はバカだが、生命力は人一倍だ。いずれ這い出てくるだろう」
同じように、月読もスタスタと歩き出す。
二人の言葉を聞いても、典晶は素戔嗚が心配だった。残った那由多を見たが、那由多は小さく肩を竦める。
「大丈夫、アイツ、絶対に死なないから」
「さ、行こうぜ」と、那由多が歩き出そうとした瞬間、湖面から素戔嗚が出現した。
「ちょっっっっと待てェェェェ! オメェ等、ちょっとおかしぃんじゃねーのかい? ええ? 那由多と宇迦が一芝居打っていたというのは、千歩譲って認めよう、だが、湖に落ちた俺を助けずに帰るってのは、どういう了見だ! 神としてどうかと思うぞ!」
「愚弟、それだけ元気があるなら、人の話を盗み聞きしないでサッサと出てきたらどうです? 貴方は、昔からそう言う女々しいところがありますよね。イザナミ母様に会いたいからと言って、お姉様を困らせたりして」
「……あれは、俺が悪かった」
「天岩戸の話か」
典晶がイナリに確認すると、イナリはコクリと頷く。
「全く、引きニートのオリジナルが我が姉の天照大神だなんて……」
月読は深い溜息をつく。素戔嗚はシュンと小さくなり、湖の中に佇んでいる。
「だが、俺はどうしても母ちゃんに会いたかったんだ! 会って、話をしたかったんだ!」
「会って話をしたとて、どうにかなるものではないでしょう?」
月読は冷たくあしらう。素戔嗚は拳を握り締め、全身を震わせていた。
典晶も、天岩戸の件は知っている。
彼、素戔嗚は火之迦具土神を出産した際に陰部を火傷し、黄泉の国へ下ったイザナミに会いに行こうとしたのだ。その際、素戔嗚は天照大神に止められ、高天原で大暴れをした事になっている。彼の暴挙に恐れをなした天照大神は、天岩戸の奥に隠れてしまい、そのせいで世界が闇に包まれたと言われてる。
「だがよ……! 俺はどうしても確かめたかったんだ! 父ちゃんは肝心な事は何も教えてくれねーしよ……」
素戔嗚から流れ落ちる水滴。それはまるで、彼が流す涙のようだった。素戔嗚は母が恋しかったのだ。あんな彼でも、やはり母は恋しいのだろう。
「知らない方が良いときもあるのですよ。特に、貴方の場合は」
「だけどよ! 俺は、どうしても知りたかったんだ! 知らなければ、前には進めない!」
「………」
月読は諦めた様に、目を閉じる。
「アニ……、いや、アネキ、俺は知りたかったんだよ。俺はどうしても、自分の血液型が知りたかったんだ! 皆、俺がB型だと言い張るんだ! だが、俺は自分はA型だと思う!」
「………」
「………」
典晶とイナリは顔を見合わせた。期待した自分がバカだった。
「素戔嗚……。イザナミ母様と言いますが、元々、私達は父から生まれ落ちたのですよ?イザナミ母様が私達の血液型を……。いや、そもそも、我々に血液型があるのかどうかさえ怪しい」
「だがよぉ……! 俺はそれが気になって気になって仕方がねーんだ! 父ちゃんは教えてくれないしよ。人間界の医者に診せるわけにもいかないだろう?」
「………さあ、典晶さん、イナリ、マスター、帰りましょうか」
「そうですね」
「そうじゃな」
「そうすっか」
湖に佇む素戔嗚を置いて、典晶達は歩き出した。その後を何かを喚きながら素戔嗚が付いてきた。
常世の森が闇に包まれた頃、典晶達は再び宇迦達が住まう村へ辿り着いた。
村に着くと、宇迦が夕食の準備をしてくれていた。宇迦の神所に入ると、そこは先ほどまでのだだっ広い広間ではなく、外見からは想像も付かない小洒落た洋風の一軒家だった。
「ようやく帰ってきたわね、夕食の準備ができているから」
エプロン姿の宇迦は、帰ってきた典晶達をリビングへ上げると、自身はキッチンへと入っていった。イナリも宇迦の後に続いてキッチンへ入っていった。
「へへ……楽しみじゃねーか」
ドカリとソファーに腰を下ろした素戔嗚は、漂ってくる良い香りにクンクンと鼻を鳴らしている。
「で? どうだった? イナリちゃんとは上手くいったのか?」
典晶の隣に座った文也は、キッチンの方を見ながら尋ねてくる。
「うん……。全部、宇迦さんと母さんの企みだったみたい」
「そうらしいな。お前が出て行ってから、那由多さん達に聞いたよ。ハハ、相変わらず、歌蝶さんはぶっ飛んでるな」
「宇迦さんもね……」
落ち着いて腰を落ち着けていると、激しい睡魔が襲ってくる。朝も早かったし、体も心も疲弊しきっていた。典晶は隠すことなく、大きなアクビをした。
「典晶さん、眠いんですか? もし宜しければ、今晩は泊まっていっても良いんですよ?」
「いえ、でも……」
「寝る場所は沢山あります。もちろん、お布団は二つ並べて敷いておきますから」
コロコロと笑う宇迦に、イナリが目くじらを立てる。
「母様! それを要らぬお節介というのです! 私は自身で何とかします。それに、私と典晶の布団は一つで結構! 二つも要りません」
ピシャリと言い放つイナリに、宇迦は「成長したわね」とイナリにハグをする。典晶からしてみれば、二人とも論点がずれている。いや、ずれているのは彼女たちではなく、彼女たちと典晶だ。
「典晶、文也、那由多、大した物は出ないが、沢山食べていってくれ」
「俺は無視かい」
ニヒルに笑う素戔嗚を華麗にスルーしたイナリは、再びキッチンに消えると、大きな皿を持って出てきた。
「腹減ったな。俺はペコペコだよ」
文也は水で喉を湿らせ、箸を手にした。昼を抜いた典晶も、気がつけば無性にお腹が空いていた。漂ってくる香りを胸一杯に吸い込むと、グゥーと、腹の虫が一声鳴いた。
「俺もだよ。色々とあった一日だったからね」
那由多もリラックスした雰囲気で、箸を手に取った。
「私と母様の自慢の一品だ! さあ、遠慮無く手を伸ばしてくれ!」
大きなテーブルの上に皿が置かれる。
「いただきます!」
と、声を揃えた典晶達は一斉に手を伸ばそうとしたが、その手は皿の数センチ手前でピタリと止まってしまった。
「……なに、これ……?」
典晶の呟きが呼び水となったように、スーッと皆の手が皿から遠のいていく。
「ん? タガメの卵とじだ。タガメの卵も入っているぞ。ならば、親子とじと言った方が正しいのか?」
黄色い卵焼きの中に、白いつぶつぶと黒い巨大な物体が幾つも横たわっている。その中の一つ、どう見てもタガメが、こちらを向いている。
「ほう、旨そうだな。頂くぜ!」
躊躇いもなく、素戔嗚は手を伸ばす。彼はごっそりとタガメの卵とじを箸で掴むと、豪快に口の中に放り込んだ。バリバリとタガメを咀嚼し、ゴクリと嚥下する。
「おお、良い味出しているじゃねーか! これは、隠し味に何が使われているんだ」
「ジャンボタニシの卵をすりつぶしたものが入っている」
そこまで聞いて、文也が「うぇ」と露骨に顔を逸らした。
ジャンボタニシの卵とは、ピンク色のブドウの房のようなグロテスクな卵だ。田舎育ちの典晶と文也は、ジャンボタニシを知っているので、一瞬にしてその卵が想像できた。
「……典晶君、嫁入り、考えたくなっただろう」
静かに箸を置いた那由多の呟きに、典晶は無言で頷いた。
次から次へと、食卓にグロテスクな虫料理が並んだ。カマキリの姿焼きに、蛍と蝉の躍り食い。食用ガエルのソテーに、スッポンの生き血がドリンクとして出された。
目の前に置かれた料理に、典晶達はすっかり食欲が失せてしまった。ガツガツと並んだ食べ物を胃袋へ収めていく素戔嗚と、イナリと宇迦。典晶は美味しそうに昆虫を食べるイナリを見て、軽い吐き気を憶えた。
「どうした? 食べないのか?」
イナリの言葉に、典晶は返事ができなかった。彼女の口から、タガメの長い足がにゅっと飛び出している。
「いや……、疲れちゃってるのかな。食欲がなくて」
「典晶さん、ならば飲み物だけでも」
宇迦は、グラスに並々と注がれたスッポンの生き血を差し出してくる。
「いや……その……」
典晶が恐縮しているとき、携帯が鳴った。
「もしもし」
那由多だ。彼は携帯を手に立ち上がると、リビングから出て行った。
なんだって!
廊下から那由多の大きな声が聞こえてきた。