典晶は機を得たりと立ち上がり、那由多の方へ行った。文也も、渡りに船と後に続いてくる。
「そんなバカな……。お前という奴は、それは……予想外だぞ!」
珍しく、那由多が色を失って大声を上げている。
凶霊と戦ったときも、彼は表情一つ変えなかった。どんな場面でも冷静沈着。それが、典晶が抱く那由多の印象だった。
「クソッ! 想定外だ……!」
長い髪をかき上げ、額を押さえた那由多は、そのまま力なく座り込んでしまった。
何事かと、食事中のイナリや宇迦までもが廊下に出てくる。
「ハロ……! 何とかならないのか?」
電話の相手はハロのようだ。確か、彼女は一足先に帰っていたはずだ。もしかすると、地元で何かしらのトラブルに巻き込まれたのだろうか。あの那由多が頭を抱えてしまうほどのトラブルとは、一体どんなことなのだろうか。
「神様絡みのトラブルかな?」
心配そうに文也が囁く。
「かもしれない。あの素戔嗚を子供の様に手玉に取る那由多さんが、あれほど狼狽するなんて……」
「ルシファーとか、サタンとか、そんなレベルか?」
「…………」
どうなのだろう。今まで出会った神様達は、皆陽気なタイプだった。しかし、那由多が無限獄へ落とすような悪魔もいることは事実だ。もしかすると、誰もが知っているメジャーな悪魔が暴れているのだろうか。
「……お前の力じゃ、どうにもならないか……」
力なく那由多は呟く。これ程までに落胆した那由多。一体、ハロに何が起こったというのだろう。
舌打ちをしながら那由多は立ち上がった。その手は硬く握られており、壁に押し当てられていた。
「俺は、お前に二万渡したはずだ。お土産と電車賃でも、十分にお釣りがくるだろう。しかも、家に帰らず旅館で一泊しただと? お前、母さんに連絡は入れたんだろうな?」
どうやら昨日、ハロは自宅に帰らず、近くの温泉旅館に泊まったようだ。話の内容からして、お金が足りない、そんな所だろう。イナリと宇迦は、話に緊急性がないと判断し、さっさと戻って食事の続きを始めた。
「………ちょっと待て。お前、昼になに食ったって言った?」
那由多の声が沈んだ。雑になったその口調から、静かな怒りが感じられる。
「………美味しい牛肉? 鉄板の上で焼いて、目の前で切ってくれた? お小遣いも全て使い切った?」
鉄板焼きの事を言ってるのだろう。
「緊急性はなさそうだな」
「そうだな」
典晶と文也はクルリと回転すると、食卓へ戻った。直後、背後から那由多の怒鳴り声が響き渡った。
「お前! なに食ってんだよ! 鉄板焼きなんて食ったら、俺の渡した二万じゃきかないだろうが! え? 鞄の中に入っていたお金を使った? バカ天使! それは俺の小遣いだよ! 緊急時のために、いつも入れてあるんだよ! お前! ハロ! 殺す! 絶っっっっっ対に殺す!」
初めて聞く那由多の怒鳴り声に、イナリはビクリと体を強ばらせる。
「ありゃ、本気だな。殺気がビンビン伝わってきやがる。ハロのヤツ、本当に殺されるんじゃねーか?」
素戔嗚は面白そうに笑うが、それを聞いているこちらは笑い事ではない。皿に盛られていたピクピクと動く蝉をつんつんと突きながら、典晶は背後から聞こえる声に意識を向けた。
「どうにかして金を稼ぐから、知恵を貸せ? 良し、良い方法がある。お前の体を使え! え? 数分で稼げる仕事? だったらあるだろう? お前が毎晩、部屋に籠もって楽しんでいる、 エロ漫画やエロゲーの様に、オッサン相手に体を売れ!」
隣でブッと文也が水を吐き出す。衝撃的すぎる言葉に、典晶の箸は力が入り蝉を貫いてしまった。
「エロゲー? なんだ、それは?」
イナリが尋ねてくるが、「ゲームだよ、ゲーム」と典晶は適当に答えをはぐらかす。素戔嗚が身を乗り出して説明を始めようとしたが、それは宇迦の鋭い一瞥で阻止された。
「クソ天使が。最悪だぜ」
ブツブツと文句を言いながら、那由多は戻ってきた。
「トラブルみたいですね?」
那由多は「ああ」と言いながら、ドカリと座る。
「ハロが命令を無視して、家に帰らなかった。折角の遠出で、旅行気分を味わいたかったんだと。しかも、昼食で鉄板焼きを食いやがった」
「………今日もうちに泊まっていきますか?」
「いや、明日は学校だしな。帰りの新幹線の時間も考えると、そろそろあちらに戻らないといけない」
「そうだぜ、典晶。俺達も帰らないと」
「そうだったな。……イナリ、君も一緒に」
イナリは頷くと、スクと立ち上がった。
「母様、そう言うことだから、私は人間界に戻る」
「ええ」
宇迦も立ち上がった。素戔嗚も同じく立ち上がる。
「よし! 腹も満たされたことだし! 帰るか!」
素戔嗚の号令に、典晶と文也は同時に腰を上げた。