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あの日、ここで始まった

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あの日、ここで始まった

1 - あの日、ここで始まった

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2025年09月02日

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月明かりが座敷に差し込み、静けさの中で私は身を震わせていた。

胸の奥からせり上がる熱に、どうしても抗えない。体の奥が疼き、汗が背を伝って畳を濡らす。


「……はぁ……どうして、こんな……」


狐である血を引く私にとって、この夜は避けられぬ運命だった。

理性があっても、本能はそれを許さない。指先は勝手に着物の襟を掻き寄せ、乱れた息を止めることもできない。

震える尾が畳を叩き、耳は羞恥に赤く染まって小さく動いた。


そんな私を見下ろしていたのはアーサーだった。

その蒼い瞳は私の醜態を憐れむようで、けれどどこか熱を帯びている。


「菊……もう、抗うな」


低く囁かれ、胸の奥がぞくりと震える。

私は必死に首を振った。


「だ、駄目です……っ。私が……こんな姿を晒すなど……」

「違うだろう」


アーサーは私の顎に指をかけ、顔を上げさせた。

月の光が頬を照らし、涙に濡れた自分の姿が映る。


「お前は狐だ。これは、どうしようもないことなんだ」

「……っ……」


言葉を返そうとしたが、熱が強まり、声が震えて途切れた。

理性が壊れていく。瞳が潤み、喉からは耐えきれない声が漏れた。


「いや……っ、私は……っ」

「大丈夫だ」


アーサーはそう言って私を抱き寄せた。

広い胸に押し包まれ、心臓が激しく脈打つ。

尾がふるふると揺れて、畳を叩く音が部屋に響いた。


熱い吐息が首筋を撫で、私の体は跳ねる。

そのまま押し倒され、畳の冷たさと彼の熱が交錯する。


「……あ、ぁ……」


畳に爪を立て、必死に耐えるが、すでに体は彼を受け入れる準備を整えてしまっていた。

狐としての本能が「受け入れろ」と命じている。


乱れる息、涙に濡れた頬、耳は羞恥で真っ赤に染まり、尾は大きく震えている。

私は震える声で呟いた。


「……どうか……、どうかこれ以上……私を……」

「菊、俺を信じろ。全部、受け止めてやる」


その言葉に、残っていた理性は溶けていった。

私は涙を流しながら彼に身を委ねる。


狐としての宿命――一度の交わりで、多くの命を宿してしまう運命。あの夜から幾日が過ぎただろうか。

私はここ数日、体の重さをひどく感じていた。吐き気に襲われることもあり、食事も喉を通らない。


「……どうして……私の体は……」


ふと、帯の下に手を当てると、以前よりも腹が張っているのに気づいた。

気のせいだと目を逸らそうとするが、確かな違和感がそこにはある。

狐の血を引く者として、この変化の意味を悟るのは難しくなかった。


私は震える声でアーサーに告げた。


「……もしや、私……」

「気づいたか」


アーサーは真剣な顔で頷き、私を医師へと連れていった。




診立てはすぐに下された。

医師は厳しい表情で口を開く。


「……ひとりやふたりではありません。あなたのお腹には、複数の子が宿っております」

「……え……?」


耳が信じられぬものを聞いたと訴えるように動いた。

私は膝の上で両手を組み、震えを抑えきれなかった。


「そ、そんな……ひとりではなく……?」

「四……いや、六……」

「……六……っ」


声が震え、尾が力なく垂れた。

細身の私の体に、これほどの命が宿っているなど――。

想像しただけで息が詰まり、胸が締め付けられる。


私は思わず腹を抱いた。

まだ小さいはずの膨らみが、途方もなく重い未来を示しているようで。


「私の体で……耐えられるのですか……? こんなに……」


嗚咽混じりに吐き出すと、隣に座っていたアーサーが強く私の手を握った。


「菊。お前は一人じゃない。俺が守る。……この子たちも、お前も」

「アーサーさん……」


その言葉に縋るしかなかった。

しかし心の奥底で、私は恐怖していた。

狐としての宿命を受け入れてしまったあの夜の代償が、これほどまでに重いものだとは――。


私はその夜、自らの運命を拒めぬまま、深い闇に呑み込まれていった。

月日が経つにつれ、私の体は目に見えて変わっていった。

細い腰に不釣り合いなほど、腹だけが大きくせり出していく。

かつて鏡に映る自分を「華奢」と思った日々が、今では遠い。


「……重い……こんなにも……」


息をするのさえ苦しい。

少し歩けば腰に痛みが走り、横になれば中で命たちが暴れて安眠できない。

尾は無意識に腹を庇うように巻きつき、耳は小さな物音にさえ敏感に動く。


ある夜、胎動に強く突き上げられ、私は声を漏らした。


「……あ、ぁ……っ……中で……暴れて……」


畳に爪を立て、必死に耐える。

けれど腹の奥から伝わる生命の力強さは容赦なく、私は涙で顔を濡らした。


「……私には……重すぎる……」


そのとき、背後からそっと抱きしめられる。

アーサーの腕が腹を包み込み、温かな声が耳に届いた。


「大丈夫だ、菊。これはお前のせいじゃない。お前の中にいる子たちが、生きようとしているんだ」

「……っ……でも、私……怖いのです。産まれるまで……本当に無事でいられるのか……」


震える声で吐き出すと、彼は私の耳に唇を寄せて、


「お前も、子たちも、俺が守る。……だから、泣くな」


囁きに、胸の奥が熱くなる。

私は羞恥に頬を染めながらも、彼の胸に背を預けた。

尾は震えながらも、少しだけ力を抜く。


狐としての本能が「この者を信じろ」と告げているのかもしれない。

私は腹に手を重ね、わずかに笑みをこぼした。


「……皆……どうか、無事に……」


静かな夜、六つの命が腹の中で確かに息づいていた。

季節がひと巡りするころ、私の体は限界まで膨らんでいた。

立ち上がることも難しく、わずかな動きすら息切れを伴う。

それでも腹の中の命は日に日に力強さを増し、私は夜ごと眠れぬまま過ごした。


そしてある晩――。


「……っ……あ……!」


腹の奥が急激に収縮し、私は畳の上で体を折り曲げた。

襲い来る痛みに息を奪われ、爪が畳に深く食い込む。

尾はばらばらに震え、耳は汗で張りつき、理性を失った獣のように声が漏れる。


「アーサーさん……! 私……っ……!」

「菊!」


駆け寄ったアーサーが私の体を抱き支える。

荒い息を繰り返す私の額から汗を拭い、必死に声をかける。


「大丈夫だ……俺がここにいる。お前は一人じゃない」

「……っ……でも……こんな……無理です……!」


腹の中で命たちが暴れ、次の痛みが全身を貫いた。

視界が白く揺れ、涙が止まらない。


「……皆……産まれるのですか……? 私の体で……っ」


恐怖と苦痛に押し潰され、私は嗚咽を漏らす。

だが彼は私の手を強く握り、揺るがぬ声で答えた。


「全員だ。お前の中にいる命は、ひとつ残らずこの手で受け止める。……だから耐えろ、菊!」


その言葉に縋り、私は必死に声をあげた。

幾度も波のように押し寄せる痛みに身を裂かれながら、ただ彼の手を握り続けた。


どれほど時間が経ったのか。

やがて部屋には小さな産声が響き渡り、私は涙に濡れた顔で天を仰いだ。


「……あ……ぁ……」


1人、また1人。

次々と産まれる命に体力を削られ、声も出せぬほどに疲れ果てていく。

それでも最後の声が響いたとき、私はかすかに笑んだ。


「……無事に……皆……」


全身が汗に濡れ、涙で顔はぐしゃぐしゃだった。

それでも、胸の奥には確かな安堵が広がっていた。


私は狐として、多くの命を抱きしめたのだ。

産声がすべて収まったあと、座敷には静かな空気が戻っていた。

私は畳に身を横たえ、息も絶え絶えに天井を仰ぐ。

汗に濡れた着物は肌に張りつき、体はまるで燃え尽きたように重い。


「……私……まだ、生きて……」


自分でも信じられなかった。

六つもの命を宿し、産み落としたというのに、私はここにいる。

狐としての血がそうさせたのか、それとも――。


視線を横に向ければ、アーサーが小さな命を抱いていた。

その腕にすがるように並ぶ子たちは、小さな手を動かし、かすかな声で泣いている。


「……菊。見ろ、全員……生きている」


彼の声は涙で震えていた。

私は頬を濡らしながら、かすかに笑みを浮かべる。


「……よかった……本当によかった……」


胸に溜め込んでいた恐怖と絶望が、少しずつ溶けていく。

指先が力なく伸び、彼の手を探す。

すぐにその大きな掌が私の手を握り返し、温もりを伝えてくる。


「菊……お前は強い」

「……強くなど、ありません……ただ、必死に……」


言葉はすぐに涙に変わった。

耐えきれず嗚咽を漏らす私を、アーサーは黙って抱き寄せた。


耳は彼の胸に押し当てられ、心音が伝わる。

尾は弱々しく揺れながら、彼の体に絡むように伸びた。


「……もう、独りではない。お前にも、俺にも」


その囁きに、心臓が静かに震える。

私は重い瞼を閉じ、深い眠りに落ちていった。


――六つの新しい命と共に。


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