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第三十八話 玉座突入、聞いてほしかった
白紙の中に、一文字だけが残った。
聞。
それは、願いになりきれなかった願いだった。
助けて、でもない。
許して、でもない。
戻ってきて、でもない。
生きたい、でもない。
もっと前。
願いが形になる前。
言葉が誰かへ向かう前。
心が外へ出ようとした、その最初。
聞いてほしかった。
ただ、それだけだったのかもしれない。
だが、その「それだけ」は、神杯の炉よりも深く、願録の石板よりも冷たく、無答核の黒い穴よりも重かった。
聞かれなかった願いは、沈黙を選んだ。
沈黙は冠になった。
冠は王のように振る舞い、すべての願いの上へ降りようとした。
傷つかないために。
拒まれないために。
失望しないために。
願いが願いになる前に、黙らせるために。
だから、士郎たちはその玉座へ向かう。
沈黙冠を砕くためではない。
最初の一文字を、最後まで書かせるために。
◆
衛宮邸の朝は、重かった。
けれど、誰も沈黙してはいなかった。
沈黙冠と戦う日に、黙っているわけにはいかなかった。
凛は座卓に宝石板を置き、地図を広げた。
「今日、玉座まで行く」
短い言葉だった。
士郎は頷いた。
「沈黙冠の本体だな」
「ええ。無応答層最奥、白紙玉座。そこに沈黙冠の起源願望核がある。前回取得した一文字、“聞”を足がかりにして、玉座へ直接接続する」
メディアが神代文字の紙片を並べる。
「ただし、向こうも起源を見られたことで警戒しているわ。白紙化干渉は前回の比ではないでしょうね」
ミライが記録帳を開く。
「想定敵。白紙兵増加型。白紙騎士強化型。沈黙輪群。起源封鎖輪。沈黙大冠再構成体。加えて、沈黙冠本体による発話意思消去」
イリヤが包みを机に置いた。
「今日も卵焼き、持っていく」
凛は少しだけ表情を緩めた。
「帰還アンカーね」
「うん。でも今日は、それだけじゃない」
イリヤは小さな箱をもう一つ出した。
「こっちは、沈黙冠の中の子に見せる分」
ユイが箱を見る。
「聞いてほしかった子?」
「うん。食べられないかもしれないけど、見せる」
メディアが肩をすくめる。
「卵焼きが、ついに起源願望干渉媒体にまで昇格したわね」
凛が苦笑する。
「もう正式礼装扱いでいいんじゃない?」
士郎は少し笑った。
その笑いが、重い空気を少しだけ動かした。
桜は布袋を全員へ配る。
前回の紙片アンカー。
だが、今日は一枚ずつ言葉が増えていた。
士郎の紙片には、こう書かれている。
一人で突っ込まない。手を伸ばす。戻ってくる。
凛の紙片。
黙らない。見捨てない。管理する。
イリヤの紙片。
生きる。作る。帰って食べる。
ユイの紙片。
ここにいる。聞く。結ぶ。
ミライの紙片。
未定。記録する。選ぶ。
桜の紙片。
言っていい。怒っていい。歩いていい。
メドゥーサの紙片。
守る。支える。隣にいる。
メディアの紙片。
道具ではない。魔女として選ぶ。
桜は少し照れながら言った。
「前より、少し増やしました。消されても思い出せるように」
凛は紙片を見て、静かに言った。
「ありがと、桜」
桜の目が少し揺れた。
だが、彼女は逃げなかった。
「はい」
ユイは自分の紙片を胸に当てた。
「聞く」
ミライも紙片を見て頷く。
「選ぶ」
士郎は紙片を握りしめた。
言葉を守る準備はできた。
後は、行くだけだった。
◆
柳洞寺地下。
返事の庭は、昨日より強く光っていた。
おかえりの芽。
ごめんの芽。
見ている芽。
送別の芽。
届いた芽。
五つの芽が、それぞれの色で小さな輪を作っている。
その中心には、十二の小さな鐘。
沈黙大冠を砕いた時に生まれた、庭の鐘。
風もないのに、かすかに鳴っている。
ちりん。
ちりん。
音は弱い。
だが、確かだ。
ヘラクレスの守護結界は、今日は庭の奥に深く根を張っていた。
イリヤは卵焼きの箱を掲げる。
「バーサーカー。今日は、沈黙冠のところまで行く」
守護結界が揺れる。
「ちゃんと帰ってくる。帰って、これ食べる」
また光が揺れた。
イリヤは笑う。
「うん。約束」
ユイは届いた芽の前にしゃがんだ。
「行ってくるね」
届いた芽が揺れる。
『届く』
ユイの目が丸くなる。
「うん。届かせる」
ミライが十二鐘へ接続する。
「返事の庭、遠隔応答支援準備完了。玉座突入中、十二鐘の音を応答剣へ供給します」
凛が宝石楔を確認する。
「撤退線、三重。今回は向こうが撤退線を白紙化してくる可能性が高いから、桜の影道とメディアの神代術式も重ねる」
桜が頷く。
「影の道、維持します」
メドゥーサはその横に立った。
「私が守ります」
メディアが杖を掲げる。
「防白紙結界、防無答結界、防沈黙結界。全部重ねるわ。見た目は雑だけど、雑な方が白紙化されにくい」
凛が少し笑った。
「魔術師らしからぬ理屈ね」
「魔術師らしい綺麗な術式ほど、白紙化には弱いのよ。余白と汚れを混ぜる。そうすれば、消されても残る」
士郎は胸元の鈴に触れた。
そして、返事の庭を見た。
ここが帰る場所だ。
空席があり、芽があり、返事があり、まだ未定の未来がある。
「行こう」
全員が頷いた。
◆
断句門を越え、無応答層を抜け、白い第二領域を進む。
沈黙輪は現れなかった。
無声影もいない。
それが逆に不気味だった。
ユイは何度も周囲を見回した。
「静かすぎる」
ミライが答える。
「敵性反応なし。ただし、沈黙冠の干渉密度は増加中。攻撃前の収束状態と推定」
凛が宝石を構える。
「嵐の前ってわけね」
やがて、白い玉座が見えた。
前回よりも巨大になっている。
玉座は階段の上にあり、その背後には空白の天幕が広がっていた。
天幕には、何も書かれていない。
しかし、見ているだけで胸の奥の言葉が薄くなる。
玉座の上に、沈黙冠が浮かんでいる。
黒い冠。
白い輪を幾重にもまとい、中央に小さな影を閉じ込めている。
その影は、白紙の手紙を抱えていた。
一文字だけが書かれている。
聞。
沈黙冠の声が響いた。
『来るな』
空間が震える。
『読むな』
白い輪が広がる。
『書くな』
足元が白く染まる。
『聞くな』
その言葉と同時に、玉座の階段から白紙兵が溢れ出した。
前回とは数が違う。
数十。
いや、百を超える。
白紙兵の手には剣、槍、弓。
どれも白紙でできた武器。
その上空には、未完の文字片が渦を巻く。
さらに左右には、白紙騎士が二体。
背中に未読封筒を無数に貼りつけた、白い大騎士。
ミライが警告する。
「白紙兵群、白紙騎士二体、断句弾幕多数。加えて起源封鎖輪、玉座上空に形成中!」
イリヤが息を呑む。
玉座の上。
小さな影を覆うように、巨大な白い輪が現れていた。
起源封鎖輪。
あれが降りきれば、おそらく「聞」の一文字さえ白紙に戻される。
凛が叫ぶ。
「時間がない! 士郎、玉座まで道を作るわよ!」
「分かった!」
戦闘が始まった。
◆
白紙兵の群れが押し寄せる。
士郎は鈴盾を投影し、最前線に立つ。
ただし、突っ込みすぎない。
右に凛。
左にメドゥーサ。
後方にメディア。
中央にユイとミライ。
イリヤと桜が庭から持ってきた根と影で足場を支える。
士郎は盾で白紙剣を受け流す。
受け止めすぎれば、盾の意味が消される。
だから流す。
凛の宝石弾が、流された白紙兵を撃ち抜く。
メディアの文字鎖が、白紙兵を紙束へ戻す。
メドゥーサの鎖が、横から迫る槍兵型をまとめて絡める。
桜の影が、その紙片を飲み込まず、輪郭だけを保って地面へ固定する。
イリヤの豊穣の根が階段の白を破り、黄金の足場を作る。
「ここ、歩ける!」
士郎はその根の足場を駆け上がる。
だが、上空から断句弾幕が降る。
助け――
怖――
聞い――
返し――
言わ――
黙――
凛が叫ぶ。
「断片に返事!」
ユイが前へ出る。
「聞いてる!」
聞い――の文字が紙片へ戻る。
イリヤが叫ぶ。
「怖いよね!」
怖――の文字が落ちる。
桜が言う。
「言っていい!」
言わ――の文字がほどける。
ミライが分類する。
「“黙”断片、危険。沈黙冠権能直結。メディア、封鎖を!」
メディアの杖が光る。
「黙ること自体を否定はしない。でも、強制の沈黙はお断りよ!」
神代文字が“黙”の断片を包み、真っ白な余白へ変える。
士郎はその間を抜ける。
白紙騎士の一体が前に出た。
巨大な白紙剣が、階段ごと振り下ろされる。
士郎は盾を構える。
だが、この一撃は受けきれない。
メドゥーサの鎖が士郎の腰へ巻きつき、横へ引いた。
白紙剣が空を裂く。
音はない。
しかし、階段の一部が白紙化して消えた。
メドゥーサが低く言う。
「直撃すれば、戻れません」
士郎は頷く。
「助かった!」
白紙騎士が再び剣を構える。
凛が宝石を三つ投げた。
「騎士なら、まず足元!」
宝石が白紙騎士の脚部で弾け、赤い拘束光を作る。
だが、白紙騎士の鎧がそれを消そうとする。
桜が影を伸ばした。
「消させません」
影が拘束光の輪郭を包み、白紙化から守る。
メディアが神代文字を重ねる。
「鎧の封筒を開くわ!」
文字鎖が白紙騎士の背中へ走り、封筒を一つ引き剥がす。
封筒が開いた。
中から文字が溢れる。
聞いてほしかった。
全員が一瞬、息を止めた。
前回は「聞」だけだった。
だが今、白紙騎士の封筒の一つから、完成した言葉が現れた。
沈黙冠が激しく震える。
『読むな』
白紙騎士が暴走する。
剣がさらに巨大化し、士郎たちをまとめて白紙化しようと振り下ろされる。
イリヤが豊穣の種を掲げた。
「聞いてほしかったなら、聞く!」
黄金の根が白紙剣へ絡みつく。
ユイが叫ぶ。
「聞くよ!」
届いた芽の銀色の光が、遠く返事の庭から流れ込む。
ミライがその光を制御する。
「応答増幅、白紙騎士一へ照射!」
銀色の光が封筒へ届く。
白紙騎士の剣が止まった。
士郎は応答剣を投影する。
「投影、完了!」
彼は騎士の胸部へ飛び込む。
斬るのではない。
封筒の鎧を、ほどく。
応答剣が白紙騎士の胸へ触れた。
ちりん。
鈴の音。
封筒が次々と開く。
聞いてほしかった。
怖かった。
返事が欲しかった。
拒まれるのが怖かった。
でも、聞いてほしかった。
白紙騎士の鎧が崩れ、紙片へ戻った。
だが、もう一体が横から迫る。
メドゥーサが前へ出た。
「こちらは任せてください」
鎖が幾重にも走る。
白紙騎士の剣を絡め、腕を縛り、脚を止める。
メドゥーサの動きは美しかった。
だが、白紙騎士の鎧が鎖の意味を白く消していく。
メドゥーサの鎖が薄くなる。
桜が叫ぶ。
「ライダーさん!」
メドゥーサは振り返らない。
「大丈夫です」
桜は唇を噛み、前へ出た。
「私も、守ります」
桜の影がメドゥーサの鎖へ重なる。
黒い影が、白く消えかけた鎖の輪郭を支えた。
メドゥーサが一瞬だけ目を細める。
「サクラ」
「飲み込まない。支えるだけです」
「はい」
二人の力が重なる。
メドゥーサの鎖と桜の影が、白紙騎士を玉座の階段へ縫い止めた。
凛が叫ぶ。
「今度はこっち!」
宝石弾が騎士の背中の封筒を撃つ。
メディアの術式が封を開く。
ユイとミライが声を合わせる。
「聞いてる!」
「応答確認!」
封筒が開き、白紙騎士二体目も紙片へ崩れた。
◆
玉座までの道が開いた。
だが、起源封鎖輪はもう小さな影の頭上まで降りている。
白紙の手紙。
そこには一文字。
聞。
その一文字さえ、輪に触れれば消える。
士郎は走った。
凛が叫ぶ。
「士郎、待って!」
士郎は紙片アンカーを握る。
一人で突っ込まない。手を伸ばす。戻ってくる。
足を止めない。
だが、一人ではない。
「凛、援護!」
「言われなくても!」
凛の宝石弾が士郎の周囲へ光壁を作る。
メディアの術式が白紙兵の再出現を封じる。
イリヤの根が玉座へ階段を伸ばす。
桜の影が足場を補強する。
メドゥーサの鎖が士郎の身体を支え、崩れる足場から引き上げる。
ユイとミライの声が、沈黙冠の白を裂く。
士郎は玉座の前へ到達した。
小さな影が、白紙の手紙を抱えて震えている。
沈黙冠がその上に浮かぶ。
『書くな』
士郎の喉が締まる。
『書けば、返事を待つ』
声が出ない。
『返事がなければ、傷つく』
胸が重い。
『ならば、願う前に閉じよ』
士郎は鈴を鳴らそうとした。
だが、指が動かない。
起源封鎖輪の効果が、彼の意思を白く塗りつぶしている。
何をしに来たのか。
誰を助けるのか。
何を聞くのか。
白くなる。
その時、遠くから音がした。
ちりん。
返事の庭の十二鐘。
続いて、声が届く。
「士郎!」
凛の声。
「お兄ちゃん!」
イリヤの声。
「士郎、聞いて!」
ユイの声。
「任務継続!」
ミライの声。
「先輩!」
桜の声。
「戻ってください!」
メドゥーサの声。
「ここで止まる気?」
メディアの声。
白が薄れる。
士郎は紙片を見る。
戻ってくる。
そうだ。
戻る。
だから、ここで手を伸ばす。
士郎は小さな影へ向かって手を伸ばした。
「書いていい」
沈黙冠が震える。
『拒まれる』
「拒まれるかもしれない」
『返事は来ないかもしれない』
「来ないかもしれない」
『ならば』
「でも、聞く」
士郎は言った。
「俺たちは聞く。最後まで」
小さな影の手が震える。
筆が白紙へ近づく。
沈黙冠が叫ぶように震えた。
『聞くな!』
起源封鎖輪が一気に降りる。
士郎は応答剣を構える。
だが、輪が大きすぎる。
彼一人の剣では足りない。
凛が叫ぶ。
「全員、言葉を!」
イリヤが叫ぶ。
「聞く!」
ユイが叫ぶ。
「聞くよ!」
ミライが叫ぶ。
「記録ではなく、聞く!」
桜が叫ぶ。
「怖くても聞きます!」
メドゥーサが叫ぶ。
「届くまで守ります!」
メディアが叫ぶ。
「最後まで書きなさい!」
凛が叫ぶ。
「ここまで来て黙るな!」
十二鐘が鳴る。
返事の庭の五つの芽が光る。
おかえり。
聞いている。
見ている。
送る。
届いた。
そのすべてが、応答剣へ集まる。
士郎は剣を振るった。
起源封鎖輪へ。
鈴の音が、白い輪を割った。
ちりん。
輪が砕ける。
その瞬間、小さな影の筆が白紙へ触れた。
一文字目は、すでにあった。
聞。
そこへ、続きが書かれる。
震える線。
途切れそうな文字。
それでも、一つずつ。
聞いて
沈黙冠が激しく震える。
『やめろ』
さらに文字が書かれる。
聞いてほ
『やめろ』
聞いてほし
『やめろ』
聞いてほしか
『傷つく』
聞いてほしかっ
『拒まれる』
聞いてほしかった
書き終えた瞬間、白い玉座が大きく揺れた。
沈黙冠の輪がすべて止まる。
白紙兵の動きが止まる。
断句弾幕が紙片となって降る。
無応答層の白が、ひび割れた。
小さな影は、手紙を見つめていた。
そこには確かに書かれている。
聞いてほしかった。
ユイが泣きそうな声で言った。
「聞くよ」
イリヤも頷いた。
「聞く」
凛が静かに言う。
「聞いてるわ」
桜が言う。
「聞いています」
ミライが言う。
「応答、継続」
メディアが言う。
「まったく、最初からそう書けばよかったのよ」
メドゥーサが言う。
「もう白紙ではありません」
士郎は小さな影へ向かって言った。
「聞いてる」
小さな影が、初めて顔を上げた。
顔はまだぼやけている。
けれど、泣いているように見えた。
その瞬間。
沈黙冠が割れた。
いや、割れたように見えた。
黒い冠の表面に亀裂が走る。
だが、その内側から、さらに濃い白が溢れた。
沈黙冠の声が変わる。
これまでの冷たい声ではない。
もっと深い。
もっと古い。
まるで、白紙そのものが口を開いたような声。
『聞かれた』
玉座が崩れ始める。
『聞かれたなら、次は返事を待つ』
士郎は身構えた。
凛が宝石を構える。
メディアが目を細める。
『返事がなければ、また傷つく』
沈黙冠の亀裂から、無数の白い糸が伸びる。
その糸は小さな影を包むのではない。
逆に、小さな影から沈黙冠を引き剥がしていく。
沈黙冠は、起源願望を守っていたのではない。
起源願望を封じていた。
そして今、願望が書かれたことで、冠は役割を失った。
だが、消えない。
役割を失った沈黙は、さらに危険な形へ変わる。
ミライが叫ぶ。
「沈黙冠、起源願望から分離! 霊基構造変化!」
凛が叫ぶ。
「どういうこと!?」
ミライの声が震える。
「沈黙冠が、願いを守る冠から、返事そのものを裁定する冠へ変質しています!」
メディアが低く言った。
「最悪ね。聞いてほしかったが書かれたことで、今度は“返事が正しいかどうか”を裁こうとしている」
沈黙冠が浮かび上がる。
玉座の上ではない。
白い空間の中央。
巨大な冠となって。
その名を、誰に言われるでもなくミライが呟いた。
「沈黙冠、最終変質体。仮称――審黙冠」
審黙冠。
沈黙し、裁く冠。
それは告げた。
『返事を問う』
空間全体が震える。
『聞いたと言うなら、正しく返せ』
『返せぬなら、すべての言葉は傷となる』
『傷となる言葉は、再び沈黙へ戻す』
凛が歯を食いしばる。
「次の段階に入ったわけね」
士郎は小さな影を見る。
影は、白紙ではなくなった手紙を抱えている。
聞いてほしかった。
そこまで書けた。
だが、返事はまだだ。
聞いた後、どう返すのか。
それが、次の戦い。
沈黙冠との本当の最終決戦になる。
◆
審黙冠が白い光を放つ。
その光は攻撃ではない。
問いだった。
だが、問いは刃より重かった。
『聞いてほしかった』
『ならば、何と返す』
士郎は答えようとした。
しかし、凛が腕を掴んだ。
「今じゃない」
士郎は凛を見る。
凛は真剣だった。
「ここで勢いで返したら、審黙冠に裁かれる。返事は全員で考える。庭へ戻るわ」
メディアも頷く。
「その通り。問いを持ち帰るのよ。これが次の、そして最後の宿題」
ユイは小さな影を見る。
「待ってて」
小さな影は手紙を抱えたまま、微かに頷いたように見えた。
ミライが撤退線を起動する。
「帰還開始。審黙冠追撃反応あり」
白い輪が背後から迫る。
しかし、今回は封じる輪ではない。
問いの輪。
触れれば、返事を強制される。
士郎は応答剣を構え、輪を受け流す。
凛の宝石弾が追撃を逸らす。
メディアの術式が撤退路を開く。
桜の影が全員の足元を繋ぐ。
メドゥーサの鎖が遅れそうなユイとミライを引き寄せる。
イリヤが卵焼きの箱を抱えたまま叫ぶ。
「帰るよ! ちゃんと返事、考えるために!」
白い空間が崩れる。
十二鐘の音が遠くから響く。
ちりん。
◆
返事の庭へ戻った時、全員が倒れ込んだ。
だが、誰もすぐには言葉を発しなかった。
沈黙ではない。
考えていた。
聞いてほしかった。
その願いに、何と返すのか。
おかえり、では違う。
聞いている、だけでも足りない。
見ている、だけでもない。
届いた、だけでもまだ足りない。
聞いた後に、どう返すか。
それが、審黙冠の問いだった。
凛はゆっくり立ち上がった。
「今日はここまで。答えを急がない」
士郎は頷いた。
「ああ」
ユイが手を握りしめる。
「聞いた。でも、返事がまだ」
ミライが記録する。
「起源願望完文成功。“聞いてほしかった”。次回目的、返答文の確定および審黙冠攻略」
イリヤが卵焼きの箱を見た。
「帰ってきたから、食べよう」
誰も反対しなかった。
◆
衛宮邸へ戻った夜。
全員で卵焼きを食べた。
今日は、少し甘かった。
イリヤは一口食べて言った。
「返事って、難しいね」
凛が頷く。
「難しいわ。聞いたからって、何でも正しく返せるわけじゃない」
桜が言う。
「でも、返せないから黙る、だけでは戻ってしまうんですよね」
メディアが湯呑みを置く。
「そうね。次は、正しい返事ではなく、逃げない返事を探すべきでしょうね」
ユイが顔を上げる。
「逃げない返事」
ミライが記録する。
「重要語。逃げない返事」
士郎は空席のある居間を見た。
アルトリアがいれば、どう言っただろう。
アーチャーがいれば、何を皮肉っただろう。
ジャンヌなら祈っただろう。
ギルガメッシュなら鼻で笑いながらも核心を言ったかもしれない。
でも、今ここで答えるのは自分たちだ。
聞いてほしかった。
その願いに、返す言葉。
士郎はまだ答えを出せなかった。
だから、逃げずに考えることにした。
◆
深夜。
願録聖堂に、新しい頁が浮かんだ。
玉座突入、聞いてほしかった。
そこには、今日の戦いが記されている。
白紙兵群。
白紙騎士二体。
断句弾幕。
起源封鎖輪。
玉座突入。
そして、完成した起源願望。
聞いてほしかった。
士郎の文字。
聞いた。けれど、まだ返事は出せていない。急いで正解を言うことが返事ではない。
凛の文字。
起源願望の完文に成功。沈黙冠は審黙冠へ変質。次は“返事”そのものが問われる。
イリヤの文字。
聞いてほしかったって書けた。よかった。でも、何て返すかはまだ分からない。
ユイの文字。
聞いたよ、だけじゃ足りない気がした。もっと考える。
ミライの文字。
次回目的、逃げない返事の構築。正答ではなく、応答継続可能な返答が必要。
桜の文字。
聞いてほしかった気持ちは分かる。返事を間違えるのは怖い。でも逃げたくない。
メドゥーサの文字。
返事を守る戦いになる。サクラと共に。
メディアの文字。
審黙冠は“正しい返事”を要求してくる。完全回答を求める敵ほど厄介なものはない。
玄礼の文字。
聞くことと返すことは違う。記録は聞いた証になり得るが、返事そのものにはならない。学習継続。
返事の庭では、五つの芽が静かに揺れていた。
届いた芽の銀色の光が、願録聖堂の頁に記された一文へ届く。
聞いてほしかった。
その文字は、もう白紙には戻らない。
だが、無応答層の最奥では、審黙冠が静かに浮かんでいた。
『聞いたなら、返せ』
『返せぬなら、沈黙と同じ』
『誤った返事は傷となる』
『傷となるなら、言葉は不要』
白い空間に、小さな影が立っている。
手紙を抱えたまま。
返事を待っている。
神杯戦争、第三十八夜。
士郎たちは沈黙冠の玉座へ突入し、起源願望を最後まで書かせた。
聞いてほしかった。
その願いは、ついに白紙ではなくなった。
だが、沈黙冠は審黙冠へ変質し、今度は士郎たちへ問いを突きつける。
聞いたなら、何と返すのか。
次は、返事そのものを巡る最終決戦。
第三十九話へ続く。
コメント
1件
聞いてほしかった…その願いがついに書かれた瞬間、泣きそうになったよ😭💕 玉座突入シーン、みんなの紙片アンカーが一人一人の個性出ててめっちゃグッときた!特に桜が作った言葉たち…「言っていい、怒っていい、歩いていい」って優しさが沁みる… そして最後の審黙冠、次の問いは「返事」か…聞いただけじゃ足りないってのが深いね!次話、完全に待ってる!!🌸