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最初こいつとバディを組むと告げられた時は、正直この先ちゃんとやっていける自信がなかった。単純だし、余計なことを言うし、たまに意味がわからないことを口走ったりするし。それでも共に色々なことを経験するうちに、こいつが持つ優しさと情の深さを知った。本当に良い奴だと思っているし、俺の最高のバディという認識はしていた。が。向こうからはまた別の感情を向けられていたことには気付かなかった。
――――――
「斐甍!おっはよ〜」
「あぁ、おはよう」
「相変わらず斐甍は出勤早いね〜」
「ルーティーンになってるだけだ、気にするな」
「ふぅん……。ところでさ、明日って俺たち非番だよね?」
「そうだな」
「その、予定なかったらでいいんだけど、明日会えないかな。言いたいことがあるんだ」
「……今じゃダメなのか?」
「個人的なお話を、斐甍にしたいと思ってて。だから職場じゃ言えないことなの」
いつになくヴォルテの声色が真面目だった。仕事には関係ないが重要な話なのだろうと推測した俺は、ふぅと息を吐いた。
「……分かった。どこがいい」
「斐甍ん家」
「お、俺の家か」
「うん」
「まぁいいが……」
「じゃあ明日の10時に家に行くね!いい?」
「了解だ、待ってる」
妙な空気が漂う。ヴォルテは変に緊張しているし、それほどまでに重要な相談なんだろうか。職場では話せないと言っているくらいだからかなり個人的なことなのだろうが。
――――――
翌日、俺は普段通りの時間に起きて朝食を済ませた。休日だろうと生活リズムを崩したくない。時計を見ても約束の時間まであと2時間はある。近所を散歩でもしてくるか。
比較的ラフな格好に着替えて、最低限の荷物だけを持って外に出た。
20分くらい歩き、最寄りの隣の駅まで来たのでそろそろ帰るかと踵を返す。気分がリフレッシュできるので散歩するのは好きだが、さすがにいつもより早く切り上げなければ。
――――――
ヴォルテに出せるまともな飲み物がないことに気が付き、最寄りの駅前にあるコンビニでジュースでも買おうと店に入る。おなじみのリンゴジュースとオレンジジュースが並んでる横に、新商品と書かれたバナナジュースが置いてあるのが目に入った。なんとなくそれを一本手に取り会計を済ませて外に出ると、駅の方から見覚えしかない人物が降りてくるのを見つけた。ついいつもの癖で建物の影に隠れてしまう。
「1時間半も前なのになぜもういる……」
あの特徴的なアホ毛を生やしてるのはあいつしかいない。目で追いかけていると、駅前のでかいショッピングモールに入っていった。来たついでに買い物でもするつもりなのか。しかし追いかけて声をかけるべきなのか悩ましいな。
「……とりあえず、ついていってみるか」
これは別にストーカー行為ではない。知り合いを見かけたから、ついていくだけだ。
――――――
中に入るとすぐにあいつの姿を捉えた。エスカレーターに乗って上の階に移動している。相手に気づかれないが自分の視界には入る程度の距離を保ちながら、あとを追いかけた。
ヴォルテが入っていったのは小物屋のような店だった。女性客が多い店のようだが、よくもまぁ堂々と入っていけるな……。そもそもなにが目当てなのだろう……?
さすがに店の中には入らず遠くから見ていた。程なくして店から出てきた。かと思ったら、店の前で右往左往していた。次どこに行くのか決めていなくて結果として怪しい動きになってしまっている。そして突然動きを止めたかと思えば、あいつは店横の壁に寄りかかりスマホを取り出した。せわしなく指を動かしている。店の検索でもしているのか?そんな憶測を立てていると、自分のスマホに通知が来た音がした。メッセージアプリを開くと、あいつからのメッセージが届いていた。
『予定より早く着きそうなんだけど、大丈夫?』
約束していた時間まであと1時間とちょっと。ここから家に行くのに10分程度。1時間近くも早くに来ようとしているのか。さすがに早すぎやしないか。人によっては相当迷惑だろう、準備中だろうに。遅刻するのと同レベルでは……。
かまわないが他の人に絶対するなよ、と入力したはいいものの、思い直してメッセージを消す。
『1時間も前に来るつもりか?』
『余裕持たせたら早く着きすぎちゃって』
『なら買い物の続きでもして時間を潰せばいいだろう』
メッセージを送った瞬間、面白いほどヴォルテの肩が跳ね上がった。遠くから見てるにも関わらず分かるほど大きな動作だったため、ヴォルテの前を歩いていた人まで一緒に驚いていた。そんなことは気にも留めず、ヴォルテは焦りながら周りをきょろきょろし始めた。傍から見たら挙動不審すぎる。さすがに出て行ってやるか。
――――――
斐甍ん家の最寄りの駅の階段を、緊張しながら降りていく。なんで階段降りるだけで緊張してるかって?そんなの、これから斐甍に愛の告白をしに行くからに決まってる!こちとら昨日の夜から……、いや、昨日斐甍に話があるから家行っていいか聞いたときからずっと緊張してるんだから!そのせいで朝早くに目が覚めたし、居ても立っても居られないからって家を飛び出して気づいたら電車に乗ってて。駅に着いたの、行くって言った時間より1時間半も早いし。そんな早くに家に押しかけたら、人の都合考えろ!って斐甍にどやされそうだし。とりあえず時間を潰せる場所はショッピングモールしかなかったので、自然と足取りはそっちに向かった。
モールの中に入って、ふと思い出す。前回斐甍ん家に行ったついででここに入った時、やたらキラキラした小物が置いてある店を見かけたんだった。あの時はなんとなく通り過ぎちゃったけど、なんだか無性にその店に入りたくなった。
エスカレーターを使って2階に行ってちょっと歩くと、その店はあった。中に入って置いてある商品を見てみる。女の子が喜びそうな、キラキラした小物屋さんって感じの品揃え。そんな店の奥の方に、ひと際輝いてる棚があった。近くに行って見てみると、色んな色の宝石が置いてあった。さすがに本物じゃなくてレプリカだけど……。その中で俺の気を引く宝石を、見つけてしまった。青と紫、両方の色を放ってる宝石を見つけたのだ。俺は衝動的にその石を手に取った。それは俺の想い人を体現してるような色をしていて。宝石なんか興味ない俺でも、見ていて綺麗だと思うほど魅力的だった。その宝石が置いてあった場所のタグを確認する。どうやらこの石はタンザナイトというらしく、冷静、高貴、知性などの石言葉を持っているらしい。あいつにぴったりの言葉すぎて、さすがの俺もびっくり。これは……、お守りに買っていこう。
ストラップが付いていてキーホルダー型の物を手に取って会計を済ませる。そのまま手に持っていた財布に早速付けて、無くす前に鞄にしまう。店を出たはいいものの、時計を見てもまだ時間はたっぷり余ってる。とりあえず斐甍に早く行っていいかだけ確認しよう。
送ったメッセージはすぐに既読が付いた。
『1時間も前に来るつもりか?』
あれ、おかしいな。俺の予想だと、人の都合を考えろとか、他人にそんなこと言うんじゃないぞみたいな苦言を添えられると思ったのに。
とりあえず素直に、早く着いた旨を送る。程なくして返信が返ってきた。
『なら買い物の続きでもして時間を潰せばいいだろう』
な!?なんで買い物してるのを知ってる!?!?
まさか、俺が斐甍色の宝石買ってるの見られた……!?だとしたら告白する前に色々悟られるのでは……!?
思わず周りを見渡す。と、柱の後ろから姿を現した斐甍を見つけた。俺が入った店とは反対側の廊下にいたから俺が何を買ったか見えてないはず。思わず安堵のため息をついた。何も知らない斐甍は呑気に手を振っている。俺がびっくりした姿を見て笑っているのだろう、くくくと肩を揺らしてる。あーもう、斐甍の挙動が全部可愛く見える自分の好き好きフィルターが恨めしい。なんでここにいるのか、斐甍を問い詰めてやんないと!
――――――
話を要約すると、散歩してた帰りに俺を見かけてついてきたらしい。全然気づかなかった、やっぱ斐甍尾行とかのプロなんだなぁ。いや、危うくタンザナイト買うの見られるところだったんだし!感動してる場合じゃない!
「見かけたなら普通に声かけてくれれば良かったのに」
「お前の買い物が終わってからかけようと思っていたんだが。お前からの連絡を見て、魔が差したんだ」
「もう!油断も隙も無いんだから!」
「はは、悪かったよ、そう怒るな」
「怒ってはないけどさぁ……」
俺の横を歩く斐甍は愉快そうに笑ってる。散歩するときはポニーテールにしてるらしい後ろ髪が、歩くリズムに合わせてユラユラ揺れた。視線を下に落とすと、ビニール袋を手にぶら下げていた。
「斐甍も買い物してきたの?」
「ん?あぁ、お前に出す飲み物が家になかったのを思い出してな。散歩ついでに買ってきた」
「えーそんな気使わなくても」
「大事な話なんだろう?長くなったらのどが渇くと思ってな」
「え……」
斐甍、長くなっても真面目に聞いてくれるつもりなんだ。飲み物まで買っちゃって。ほんと、どこまでも優しいんだね。
――――――
そのあとは駄弁りながら歩き、程なくして斐甍ん家に着いた。
「少し歩いて汗をかいたから軽くシャワー浴びてくる。来て早々なにももてなせなくて悪いが、好きにくつろいでいてくれ」
「気にしないでよ、予定より早く来ちゃったのはこっちなんだし」
「あぁ、そういえばそうだったな。じゃあ入ってくる」
「はーいいってら~……」
脱衣所に入ってった斐甍がドアを閉める。あれ。なんかこの状況。斐甍がシャワー浴びに行って俺が待ってるこの状況。……いやいやなに考えてるの俺!変な思考どっか行って!斐甍にどうやって告白するか、脳内シュミレーションして準備するんだから!えーっと、まずは誠意を見せるために正座して。回りくどい言い方しないでストレートに、好きです付き合ってください!って言って、右手を差し伸べる。そのあとのことは想像しない!想像……しない!やんわり断られるならまだしも、嫌悪感出されたらショックで死んじゃう!いやいや、ポジティブにいこう!ダメだったときのことばっか考えちゃダメだって!……いやいやいや、だからあとのことは考えない!いやでももしかしたら……いやだから!!
――――――
シャワーを浴びて髪を乾かし、リビングに戻るとヴォルテが机に突っ伏していた。ソファにかけておいた服を着て、ジュースをコップに注いで机に置く。一口飲んでみると、バナナの甘い味が口に広がった。悪くない。
「……斐甍、服着た?」
「ん?あぁ、着たが」
おそるおそる顔をあげた。俺の裸を見ないようにするために顔を伏せていたのか。職場の更衣室で上裸なんて見慣れてるだろうに、何を今更恥ずかしがってるんだこいつは。
「あー……ジュースありがと。……ん……、これバナナジュース?」
「そうだ。新商品で出ててな。試しに買ってみたが悪くない。お前はどうだ」
「おいしいよ、そもそも俺普通にバナナジュース好きだからね」
「そうなのか」
「あまり人前では飲まないけど。子どもっぽいって思われそうだし」
「お前は人の目を気にするタイプじゃないだろう、らしくもない」
俺がそう言うと、こいつはなんとも言えない顔をした。笑ってるようにも見えるし、悲しんでるようにも見える。とにかく昨日と今日はこいつの様子がいつもと違う。普段より物静かで、大人しい。特に俺の部屋に入ってから。十中八九、職場ではできない話とやらの影響だろう。けれど俺は急かすようなことはしない。こいつが話したくなったタイミングで……
「斐甍」
突然名前で呼ばれ思わず向き直す。見ればこいつは正座をして、正面から俺を見つめていた。俺もコップを置き、胡坐を解いて正座する。どんなことを言われるか皆目見当もつかない。ゴク、と唾を飲んだのは果たしてどちらなのか。
「……俺、斐甍が好きだ。付き合ってください」
震えた声と紅に染まった頬で、ヴォルテは俺にそう告げた。
――――――
言った。言ってしまった。どくどく心臓が煩い。斐甍に聞かれちゃう。静まれ……!返事が聞こえないだろ……!
けれども、なかなか斐甍から言葉が発されない。いざ告白した時は面と向かって言えたのに、その後は視線が下がって自分の太ももをじっと見る羽目になった。あぁ怖い。この時間早く終わってくれ。俺はゆっくりと前に傾き、頭を机につけた。
「斐甍なんか言って……」
「……すまない。予想外すぎて混乱している」
「だ、だよね、びっくりしたよね」
「……あぁ」
あーきーらーかーにー、口数が少なすぎる。動揺してるのか、なんて言えばいいのか分からないのか……。けど俺に出来ることはない。ただひたすら、斐甍の返答を待つのみ。でも一世一代の告白だ、気持ちはちゃんと伝わったはず。何も包み隠さずに言ったんだから。
「……ヴォルテ、その」
「……うん」
「俺は……。正直に言う、お前をそういう目で見たことはない」
「……うん」
「だがお前に告白されても……嫌な気持ちにはならなかった」
嫌悪感出されなかっただけまだマシだ、と自分に言い聞かせる。同性愛に偏見がないことはずっと一緒にいたから知っていた。けど自分がいざ当事者になると色々変わるだろう。最悪の想定は回避出来たんだ。ほら、いつも通りに戻らないと。斐甍に気を使わせるなよ。
「おっけぇ、まぁ今の忘れてくれてもいi」
「無かったことにはしないからな」
「えっ」
「お前は真摯に気持ちを伝えてくれた。俺も相応の対応をするべきだ」
しどろもどろしてる俺とは裏腹に、斐甍は泰然たる態度でこのことに向き合った。それだけで俺は嬉しかった。
「……分かったよ。ありがとね、ちゃんと真剣に考えてくれて」
「当たり前だ。むしろ面と向かってシンプルな言葉で伝えてくれて感謝する。お前との距離は元々近い、アプローチなどされても気付けない可能性が高いんだ。その方が拗れてたと思う」
「斐甍そーゆーとこ鈍臭いもんねー!距離が近いのは俺が近づいてたからなんですけどねー!……俺も駆け引きなんかしても良いことないと思ったからストレートに言うこと選んだし!結果オーライだね〜」
大体俺だって人をここまで好きになったの初めてなんだ。そりゃ初めは告白なんてするつもりなかったし墓場まで持って行くつもりだったのに。斐甍の隣に居られれば本当にそれで良いと思ってたのに。仲間が異動になって違う部署に行ってるのを見てると、俺たちがずっと相棒でいれる保証なんてどこにもないことに気が付いて。だったら、後悔しないようにしたいと思ったんだ。これで玉砕しても、悲しくはあれど後悔はしない。
「……1つ聞いていいか」
「なぁに?」
「俺たちが恋人になったとして。今まで通り、刑事としてのバディのままでいられるのか」
「えっ当たり前じゃん。斐甍ずっと言ってるでしょ、公私混同するなって。流石に勤務中にイチャイチャするつもりないよ」
「……そうではない……。俺の安全が脅かされている状況で、俺を犠牲にしてでも犯人を捕まえられるのかと聞いているんだ」
「え……」
「恋仲になんてなってしまったら、俺を犠牲にすることを躊躇してしまうのではないか?」
そんな、そんなこと。……恋人にならなくったって、躊躇するよ。犯人を逮捕することが刑事として優先すべきなのは頭では分かるけど。いざそんな状況になったら。……斐甍を犠牲にするなんて、そんなことできる自信ないよ。
「……ヴォルテ。俺は自分の仕事に誇りを持っている。お前が教えてくれたんだ、人を救う尊さ大切さを。だから酷なことを言うようだが、相棒と恋人は両立できないように思う」
「……」
「俺はなにより仕事を優先するような人間だ。だがお前は優しい。身内に対しては特に。だから分かる、恋仲になったらお前は俺を切り捨てられない」
斐甍の言葉が重くのしかかる。俺より色んなことを経験した斐甍の言葉だからこそ、なにより重かった。
「……お前のことは好きだ。相棒としても、人間としても。だけど、……恋仲にはなれない。……すまない」
そう言って、斐甍が頭を下げた。
――――――
無事玉砕かぁ……。
斐甍ん家からの帰り道、財布につけた宝石を眺めながらため息をつく。朝見た時はキラキラ光ってるように見えたのに、今は心做しか輝きが鈍い。
なんとなく、断られるだろうなとは思ってた。斐甍が仕事第一なのは知ってたし。どれだけ距離が近かろうと、ボディタッチしまくっても、呆れられるだけで甘い雰囲気になった試しないし。ていうか待って、今まで許されてたパーソナルスペース0距離を拒否られるなんてことないよね?そんなことになったら失恋よりショックなんですけど?それくらい大丈夫よね……?別に俺の気持ち知ったくらいで嫌がらないよね……?あれ……なんか不安になってきた……
ずっと上の空。ボーッと歩いてた。だからこそ、突然のことに咄嗟に体が動かなかった。
「あっ、」
後ろからドンとぶつかられる。その衝撃で手に持ってた財布を落としてしまう。財布に手を伸ばそうとしたら、黒い影が横を通って財布を持って走った。
「……は?っ、ふざけんな!おい、止まれ!」
まさか自分がスリにやられるなんて。くそ、何たる失態だ。とにかく追いかけなければ。
「俺から逃げ切れると思うなよ……ッ!」
数秒のロスがなんだ。こっちは50m走6.3だぞ。高校ん時のタイムだろって?うるせー記録は記録だ!一般人より速ぇんだよ!
犯人は路地裏に入っていった。構わず俺も曲がり路地裏に入ろうとしたら、待ち伏せしていた犯人が財布を持った手で殴りかかってきた。刑事舐めんな、何度犯人との追いかけっこを繰り返してきたと思ってる。
振り降ろされた手を腕で受け止める。その衝撃で財布に付けていたストラップが外れて地面に落ちてしまった。あっ、と一瞬気を取られた隙に奥に逃げられる。あーもう。今日はすこぶる調子が悪い。俺は逃げた犯人を追いかけ、犯人がT字路を右に曲がる。俺も走る勢いを緩めないまま曲がった。
……曲がった先に、誰かがいたのだろう。十中八九、犯人の仲間。普通スリなんて単独の犯行で、仲間がいるなんて想像もしておらず。曲がってすぐのところにいたもので衝突は避けられず、頭からそいつに突っ込んだ。
顔を押さえてよろけた瞬間に。
俺は後ろから鈍器のような物で殴られ。
視界が反転した。
――――――
ヴォルテが帰ったあと俺はずっと考えていた。もっと言い方があったのではないか、とか。あいつを傷つけてないか、とか。考えれば考えるほど正解が分からなくなった。あの時あいつに言ったことは本心だ、それは確実に言える。けれど、俺が恋仲にはなれないと頭を下げて、もう一度顔を上げたとき、あいつは今にも泣きだしそうで。小さく震えた声で、そっか、と言って。そのあとの沈黙を破ったのもヴォルテ自身で。あーあ、振られちゃった~!と言いながら立ち上がったと思ったら、ちょうどお昼の時間だからキッチン借りるね~と台所に消えていった。そのあとはヴォルテが作った飯を食べ、15時過ぎまで雑談をして解散した。
俺は何も言えなかった。あの時の対応が良かったのか悪かったのか分からない。けれどきっと、あいつも普段通りに接しようと思ったからあのあと一度も告白について触れなかったのだと思う。あるいは俺が勝手にそう決めつけている。だから俺も普段通りに接する。勤務中は以ての外。それはあいつも分かっているはずだ。
相棒としてのヴォルテを、俺は選んだのだから。
――――――
「おはよう、アルテ」
「あれ、斐甍さん。おはようございます。今日は随分ギリギリの出勤っすね」
「……昨晩は考え事をしていてな。寝るのが遅くなった」
「そうっすか。けどヴォルテさんよりは早く来れたようで」
「あいつもまだ来ていないのか」
「いつも遅刻ギリギリっすから、今日も例に漏れずでしょう」
「……」
昨日の今日なので若干心配になる。いくらあいつが単純バカでも、社会人としての責任感はあると思ってるので無断欠勤はしないと信じたいが。
「今日は最近多発してる、警察官を狙った傷害事件についての捜査になりそうっすね」
「あぁ、加害者はみな警察官に恨みを持っているそうだな。ただ全員インターネットを通じて集まった連中ばかりで、首謀者の足取りが掴めていないとか」
「物騒っすよねぇ……」
――――――
「……ヴォルテさん、来ませんね」
「……」
結局あいつは始業時間になっても姿を現さなかった。何度確認しても新着のメッセージはない。返信も返さなければ電話にも出ない。寝坊だと言われればそれまでだが。こんなにも起きないことなどあるだろうか。
その時、入口のドアが開いた。ヴォルテかと思ったが、入ってきたのは俺の上司である大斐だった。
「おっはよ~」
「「おはようございます」」
「じゃあ早速朝の挨拶を……って、あれ、ヴォルテまだ来てないの?」
「……すまない」
「斐甍が謝ることないよ~、寝坊ならあいつの自己責任だし。まあでもヴォルテが来るまでちょっと待ってよっか」
「……ったく、早く電話出ろ……」
「電話も出ないの?おかしいねぇ、夜の呼び出しに備えて寝てるときでも着信をオンにするのは義務なのに」
「さすがにあいつもそのくらい分かってるはずだが」
「……ねぇ?その様子を見るに何度も電話してるんでしょ?それなのに出ないのおかしくない?」
「だが……」
「私用のスマホでかけてみたら?」
「は、え?」
「ハエじゃなくて!どうせプライベートでも付き合いあるんでしょ?連絡先くらい交換してるんじゃないの」
「……おっしゃる通りで」
職場なのに私用のスマホを操作するなんておかしなことだが、言われた通りバッグからスマホを取り出してヴォルテの名前を探し、部屋の隅に移動し電話をかける。
プルル……と鳴る無機質な音。どうせまたさっき散々聞いた『ただいま電話に出ることができません』が流れるんだろう、と期待しないで待っていた。
が、プツ、という音が聞こえた。電話を取った音だ。
「おい、ヴォルテ!やっと出たか。今何時だと思っている、寝過ごしすぎだ!とっくのとうに始業時間は過ぎて……」
『あなたが斐甍さんですか?』
「っ!?」
ヴォルテの携帯に電話をかけたのに、聞こえてきたのは知らない男の声だった。
『ヴォルテさんかわいそうに。寝坊を疑われてますよ?どれだけ信用ないんですか(笑)』
嘲笑うかのようなトーンで誰かに語りかける。この状況で話しかける相手など、一人しかいない。
『ん゛――――っ、ン゛ン――――――ッ!』
「!」
通話越しからでも聞こえたうめき声。何かで口を塞がれて声を出せない、ヴォルテの声だった。
「誰だお前!」
いきなり声を荒げた俺に、その場にいた人間全員がこちらを見た。俺はなりふり構わず捲し立てる。
「そこはどこだ!ヴォルテに何をした!答えろ!」
『うるさ……。ちょっと落ち着いてくれませんかね二人とも』
『ん゛ぐ……!』
バキ、と鈍い音と共に、何かが地面に倒れ込んだ音がした。
体の奥から沸々とした怒りが込み上げてくる。
「……おい、今何をした」
『後ろでギャーギャー喚くのでお仕置きしておきました。まぁ、もう随分痛めつけちゃいましたけど』
「てめぇ……っ!」
『それにしても、あなたたちは刑事さんで相棒なんじゃないんですか?随分気づくのが遅かったですね。拉致してからもう17時間経ってますよ?かわいそうなヴォルテさん、電話1つ来ないし、やっと来たかと思えば開口一番心配もされずに怒られて』
「……っ、てめぇ、ただで済むと思うなよ。名前と居場所を言え」
『名前なんて教えるわけないじゃないですか~。どうせそこ職場でしょう?この場所は……ふふ、特定できるものならしてみてください』
「ふざけやがって……っ!」
『あんまりちんたらしてたら、しびれを切らしてヴォルテさんのこと殺しちゃうかもしれません』
「っ!」
『早く来てくださいね、ヴォルテさんの傷を増やしたくなければ。では』
「待て!おい……っ!」
ピー、ピー、と無機質な音が繰り返す。
「クソッ!」
俺はスマホをぶん投げそうになったが、最後の理性が衝動を抑えた。
こうしてはいられない。とりあえず外に出なければ、
「斐甍待て!」
ドアを開けようとしたら大斐に腕を掴まれる。俺は必死に抵抗した。
「離せ!早く行かないとヴォルテが殺される!」
「落ち着け斐甍!」
パンッと乾いた音が響く。カーっと熱くなる頬。
「落ち着け。これは命令だ」
「……命、令……なら……従う……」
「よし。なら状況を説明しろ。ゆっくりでいい」
「……状況……は……」
「おっと」
足の力がフッと抜けて、よろけてしまう。すかさず大斐が体を支えてくれた。
「とりあえず座れ。ちゃんと聞くから」
「……すまん……」
「謝るな。お前は気をしっかり持て。事件が起こったんだ、いつも通り冷静に対処しろ」
上司である大斐に命令口調で話されると、自然と落ち着いてくる。けれども普段通りにはなれない。
「……ヴォルテは、多分。今多発してる傷害事件に、巻き込まれた。監禁されている」
「……なるほどな。ちょっとアルテ、あたふたしない!メモとペン持って!」
「ひゃい!俺っすか!?……そんな睨まないでくださいぃ!」
「犯人と場所は?」
「……犯人は、男ということしか、分からない。場所は……。何も分からない。けど早く行かないと、ヴォルテが危ない」
「じゃあ……動機について心当たりは?」
「……今は、思い付かない……」
「なら、ヴォルテが拉致されたのはいつかの見当はつくか?」
「……昨日、あいつと会った。あいつが俺の家を出たのが……15時過ぎだった。だから少なくとも、それ以降の時間に……。俺が……送って行ってやれば……」
「斐甍。話が脱線してる」
気が動転してまともに話せていない俺を、大斐が𠮟責する。
「ヴォルテを助けるんだろう。お前がそんなでは普段なら気づくことも見落としちゃうぞ。いいのか」
「……よくない」
「じゃあほら。頑張って考えて。お前にしか分からないことなんだ。昨日の15時過ぎから今の8時半の間に拉致されたのは間違いないとして。それ以上限定できないか?」
「……そう、いえば。犯人は、……ヴォルテを拉致してから、17時間経ったと、言っていた気がする」
「今から17時間前って?」
「昨日の15時半っす」
「……!ちょうどヴォルテの帰宅時間だ。……寄り道してなければ、駅から家まで歩いてる時間だ」
「値千金の情報じゃん。よく思い出したね、斐甍。よくやった。おい誰か地図持ってこい」
そうだ。電話の会話内容は俺にしか分からない。俺が情報を拾わなければ、犯人の特定に繋がらない。犯人を特定できなければ、交渉することもできずずっとこちらが不利になる。
簡単なことなのだ。ヴォルテを助けたいなら、冷静になれ。乱心している暇はない。
ふぅ、と息を吐く。
「最寄り駅周辺の地図です」
「斐甍、ヴォルテが普段どのルートで帰ってるのか、地図上で線引ける?」
「……大斐」
「!」
「取り乱してしまってすまない。もう大丈夫だ。新米に話しかけるような口調はもういい」
「……へへ、良かった良かった」
もらった地図を広げ、赤ペンで線を引く。
「ルート上にある防犯カメラは全て把握している。該当するものは5か所。当時のヴォルテの服装は上が緑のパーカーで下がこげ茶のジーンズ、黒い肩掛け鞄をしている。帽子眼鏡等なし」
「自分映像の確認に向かいます」
後輩が名乗りを挙げてくれた。
「あぁ。俺はルートを目で確認しに行く」
「な、なんで斐甍さんが行くんすか!危ないっすよ!狙われてるんでしょ!?」
「俺にしか分からない手がかりがあるかもしれないからだ」
「は……」
「……行っておいで、斐甍」
「ちょ、え!?なんで大斐さんまで!」
「こうなった斐甍は止められない。アルテ、お前も同行しろ」
「ええ……」
「他に気づいたことある?」
「いや。ただ犯人は複数いる可能性が高いとだけ。そうでないとヴォルテを連れ去るのは困難だ」
「……同意だね。他に見つけたことがあれば随時報告して。それと、……勝手に一人で行動するな。分かった?」
「……了解だ」
「よし。痕跡を見つけてこい」
「あぁ」
――――――
「さて、どれくらいで特定できるのか楽しみですね」
「……」
「それでは先ほどの続きをしましょうか」
「っ!」
「たっぷり痛めつけたあなたを撮らないと、斐甍さんが早く来てくれないでしょう。ほら……大人しくしてくださいよっ!」
「――っ!!」
左肩に鋭い痛みが走る。コイツが持ってるナイフから血が滴っていた。
「……っ、フ――ッ、」
「やはり切りつける程度じゃダメですか。強靭な体を持ってますね、さすが刑事さん。ならこれはどうですかっ!」
「ぐ、ぅ……っ!」
先ほど切られた場所の上を思い切り踏まれた。生理的な涙が溢れる。
「あぁ……いいですね、その表情。もっと見せてください」
「ん゛――――、んン……!」
「痛いですか……?でもね……そんな痛みより、僕が感じた痛みの方が辛かったんですよ……?」
お前のことは覚えている。確か川井とかいう奴だ。俺が取り調べを担当してて、ずっと無罪を主張してた。そんで実際に無罪だった。……お前が拘束されてる間に、本当の殺人犯がコイツの妹を殺害したんだからな。そりゃ憎まれて当然だよな。俺を殺したいとも、警察組織を憎らしいとも思うわな。でもな……。俺を殺したとして、妹さんは返ってこないんだよ。
「僕はあなたに大切なものを奪われた……。だから僕もあなたの大切なものを奪ってやりますよ」
けど、復讐に駆られてる人間ってのは、理屈はどーでもいいんだよな。自分がどうなろうと、復讐を果たせれば満足なんだ。
「斐甍さんを殺した後、あなたのことも殺してあげます。僕が優しくてよかったですね。一緒に逝けるんですから」
「……」
「……なんですか、その目は」
俺は、俺らは、お前なんかに負けない。
「まだ足りないんですかっ!?」
「ン゛――――っ」
痛みくらい耐えるよ。俺は斐甍の相棒なんだから。
――――――
最寄り駅からヴォルテの家までの道のりはおよそ15分。このルート上にきっと何か手がかりがある。
「アルテ、お前は左側の歩道を行ってくれ。俺は右を行く」
「分かりました……」
駅前でアルテと左右に分かれ、地面や建物を注意深く見ながら進む。
歩きながら、俺はなぜか昨日の出来事を思い出していた。告白されるより前、ショッピングモールでヴォルテを見かけたときのことを。脳内にこびり付いて離れない。
俺の返信を見て飛び上がる姿が。
俺を探して周りを見渡す姿が。
俺を見つけて顔を真っ赤にする姿が。
ずっと頭の中でリピート再生される。
思考を振りほどこうとして、ふと思い出す。
返信を見て俺を探すとき、驚きと焦りが混ざった表情をしていた。
俺がいると知ってなぜあそこまで焦っていた?
ただの小物を買ったのを知られてなぜそこまで。
……あいつは小物屋で何を買った?
その時。視界の端で何かがきらめいたのが見えた。
気付けば体が勝手にその方向に進んでいた。
目の前まで来て、それがやっと宝石のきらめきだと分かった。手に取って角度を変えると、青色になったり紫色になったりする。千切れたストラップがかろうじて付いていた。
ヴォルテは勘がよく働いて、いつも「俺の勘がそう言ってる!」と言いながら突っ走っていく。そしてなぜか大抵の場合当たっている。しかし俺の勘というのはあくまでも経験則から来るもので普段はほぼ信じていない。それなのにこの宝石を見た途端、確信したのだ。
直感的に、これはヴォルテの物だと思った。
「アルテちょっと来い」
『何か見つけたんですか?』
「……ヴォルテのと思われる物を発見した」
『!わかりました、今行きます』
――――――
「……えっと……、これがヴォルテさんの物なんですか……?」
「多分そうだ」
「ヴォルテさんが持ってるのを見たってことですか?」
「……いや」
「え?じゃあなんで分かるんですか?」
「勘だ」
「へ!?斐甍さんまでヴォルテさんみたいなこと言わないでくださいよぉ!」
「でもこれ俺の色だろ」
「お……っ、いやいや、いくら相棒だからって相手のイメージカラーの宝石とか持たないでしょう……?偶然では……?」
「あいつには持つ理由がある」
「何ですか?」
「……あいつが俺に対して相棒以上の感情を持ってるからだ」
「……ん?え?それって……」
あいつがあの時買ったのはこれだ。そう仮定すると色々辻褄が合う。俺がいると知って焦ったのも。そのあと告白してきたのも。……なんだ、あいつ。告白が成功するようにとこんなお守りまで買って。いじらしい奴だな。それなのに俺は。
「根拠はどうでもいいだろう、いいからこの路地裏進むぞ。入口付近に落ちてたんだ、きっとヴォルテはここで犯人と接触し拉致された。この先にヒントがある」
「ちょ、ま、待ってくださいよ!」
奥へと進むにつれ焦燥感に駆られる。
嫌な予感がする。
突き当り。右を見る。
「……ひ、斐甍さん、これ」
「……っ、」
壁と地面に付いた血痕。転がっている血の付いた鉄パイプ。誰がどう見ても、連れ去り現場はここだった。
俺はすぐに防犯カメラを確認しに行った後輩に電話をかける。2コール目で電話が繋がった。
『もしもし』
「至急○○店の防犯カメラを確認してくれないか。路地裏に入っていくヴォルテが確認できるはずだ」
『○○店ですね、了解しました』
そう言って電話を切る。最低限の説明だけでいい、それほどまでに状況は切迫している。
「アルテ、お前は本部に通報しろ。そのあとの対応は任せた。俺は出口の防犯カメラを確認する」
「はい」
手に持っていた宝石をポケットに仕舞い、道の先に進む。しばらく歩くと道路に出た。
向かいにある店に入り、警察手帳を見せて防犯カメラを確認する許可を貰う。
昨日の2時半辺りの映像を出すと、すぐに見つけた。
黒いフードを着た三人の男が、気を失ったヴォルテを車に押し込んでる姿がばっちり映っていた。
人通りのない道なのもあって目撃情報がなかったのが悔やまれる。情報があればもっと早くに事件が発覚したのに。……いや、過ぎたことを悔やんでも仕方ない。一秒でも早く居場所を突き止めなければ。
――――――
「大斐さん!こちらがヴォルテさんと斐甍さんが逮捕した人物リストと、それぞれが担当した事情聴取のリストです」
「ありがとね。あっ、釈放済みの人とかの印付けてくれたの!?んも~気が利くぅ~」
「いえ、これくらいなんてことないです。少しでも絞り込まないと」
「……そうだね。場所特定のヒントは斐甍たちが見つけてくれるのを信じて、俺たちは犯人の特定に専念しないとね。えーと、今までの関連事件の傾向からいくと……逆恨みのパターンが大多数を占めてるね」
「えぇ、今までは傷害といっても歩いてるところを切りつけられたりスタンガンを当てられる程度でいずれも軽症でした。しかしヴォルテさんを監禁して暴力を振るうのは、相当な恨みがあると思われます。考えられるのは……そうですね、冤罪などでしょうか」
「……冤罪か……」
「……なにか心当たりが?」
「君がここに異動に来る前のことだったんだけど、ヴォルテが殺人容疑のかかった男を取り調べしてる最中に本当の犯人がその人の妹を殺害したっていう事件があって。名前は確か……川井、だったかな」
「え」
「……ヴォルテは、さ。ずっとこの人はやってないって主張してたんだけど。でも容疑がかかってる以上取り調べはしないとだし、俺が命令してやらせたんだよね。……実際冤罪だった。だから覚えてる」
「それは……」
「まっ、とりあえず候補に入れるだけ入れようか」
「……そうですね」
その時、無線が入った。
『機捜より通達、○○駅西口から800m地点の路地裏にて血痕を発見。検証班をお願いします』
「……!検証班、準備!」
「はっ!」
アルテの声が聞こえたと思ったら、別の無線も飛んできた。斐甍からだった。
『大斐、ヴォルテを連れ去った車のナンバーが割れた。行先を追ってくれ』
もー、うちの部下みんな優秀すぎな。
「あいよ、ナンバーちょーだい」
斐甍が言ったナンバーを交通部に伝えて、あとは結果を待つのみ。道路を走る車はこっちで追跡できるんだよ。逃げられると思うな。絶対居場所を割り出してやる。
――――――
大斐にナンバーを伝え、あとは結果を待つのみ。俺にできることはない。それでも居ても立ってもいられず、路地裏に戻ろうとした。が、突然スマホの通知音が鳴った。慌てて私用のスマホを開くと、一通のメッセージが届いていた。すぐさま開く。
そこには地図情報が添付されていた。
詳細を開こうとして、直後電話がかかってきた。ヴォルテからだ。ワンコールで取る。間を入れずに向こうから話を切り出した。
『なんか待つのに飽きたんでこの場所を地図で送りました。あなた一人で、来てください。じゃないとヴォルテさんがどうなっても知りませんよ』
「は?」
『僕の仲間が血だらけのヴォルテさん見てちょっと興奮しちゃってるんですよね。早く来ないとあなたの相棒が、犯されちゃうかもしれませんよ』
何を、言って。
『ってことで斐甍さん、待ってますよ~』
ブツ。
切られる電話。
また鳴るスマホ。
メッセージを開く。
「……っ!」
血だらけの、ヴォルテの写真。意識がなくてグデッっとしてる。そして横たわってるヴォルテに馬乗りになってる、男。ヴォルテの周りは血の海だった。
俺の中の糸が。
プツンと切れた。
――――――
『大斐さん!』
突然のアルテからの無線に思わずイヤホンを外して耳から遠ざけた。
「うわぁっ!?ちょ、いきなり声出さないでよ!ワンクッション置いてから……」
『そんなことより大変なんです!』
「俺の鼓膜がそんなこと!?」
『斐甍さんが車乗ってどっか行っちゃいました!』
「……へ?」
『俺にも何も言わずに、勝手に行っちゃったんですよ!無線にも応えてくれなくて……。ど、どうしましょう』
「……ったくあいつ……!一人で乗り込みに行きやがったな」
『でも場所はまだ分からないんですよね!?』
「おおかた犯人から呼ばれたんだろ……、あーもう、多勢に無勢って分かってて何で一人で行くかな……!」
『いつもの冷静な斐甍さんならあり得ないですよ!まるでヴォルテさんが乗り移ったみたいです』
「ったく、こっちはまだ特定に時間かかるってのに……!」
大体予想はつく。犯人から脅迫されたのだろう。しかし普段の斐甍ならこちらに情報を渡し応援要請をするはず。こんな自分勝手な行動をとるなんて。
『ど、どうしましょう……乗ってきた車斐甍さんが一人で使ってるから追跡もできません……』
「とりあえず場所を特定しない限り何もできない。そこで待ってろ」
『でも……』
「お前まで俺の指示を無視するつもりか?」
『ひぇ!?と、とんでもないっすよ!てか大斐さん……めっちゃ怒ってます……?』
「当たり前だ、あいつは俺の指示を無視した。一発ぶん殴りたい」
『ひぃぃぃ』
「けど今はともかくヴォルテの救出だ。場所を特定するまでお前は待機。いいね?」
『はい……』
ため息とともに無線を切る。
斐甍……。頼むから無茶するなよ……。
――――――
「……ん……、っ、痛っ、」
「あ、やっと起きたんですか?」
「っ!?おまっ、縄外せ、……!」
「ふふ、猿轡は外してあげましたよ」
「……なに企んでんだ」
「やだなぁそんな怖い顔しないでくださいよ♪それにほら、もうすぐ相棒が迎えに来ますよ。どんなふうに痛めつけてやろうか考えるだけで楽しいです」
「っ、残念だったな!斐甍は一人で来ないよ!応援呼んでここ包囲して、お前ら全員とっ捕まえに来るんだから!」
「一人で来なければあなたを犯すと言いました」
「は、」
「まぁ斐甍さんを呼ぶための嘘なので安心してくださいよ、ここにいる全員あなたみたいにぎゃんぎゃんしてるのタイプじゃないみたいなので。よかったですね、あなたの貞操は守れそうで」
「な、なに言って、」
「斐甍さんみたいに、冷静沈着で聡明な人を組み敷きたいって人が大多数でしてね。ふふ、あとはもうお分かりでしょう?」
「……っ、ふ、ふざけんな!俺が憎いなら俺を……っ」
「分かっていませんねぇ。あなたが憎いから、あなたが一番絶望することをするんです。斐甍さんが自分のせいで犯される方が、あなたにとってはよっぽど辛いでしょう?」
くそっ、くそっ!今すぐここにいる奴ら全員ぶん殴りてぇっ!
「どれだけ暴れても縄は解けませんよ。それに、あんまり動くと失血死しますよ?」
「うるせぇ!大体斐甍は一人で来ない!いくら脅したって斐甍はお前ら全員の逮捕をちゃんと選べる!俺と違ってな……っ!」
あぁくそ、頭から垂れてる血のせいで目があまり見えねぇ。視界がくらくらする。
「……ふふ。でも、ちゃんと王子様は来たようですよ?」
「っ!?」
外で車が止まる音がした。そしてバタンッ!と乱暴に閉まるドアの音。早足でこちらに近づいてくる足音。一人の足音しかしなかった。……どうして?どうして一人なの?
「……っ!斐甍来ちゃダメ!」
出せる声の限り叫んだ。しかしずっと殴られ切られで散々声を出したもので、かっすかすの声しか出なかった。
「う゛っ」
襟を後ろから引っ張られ首元にナイフを当てられた。
それと同時に扉が開いた。
――――――
車を走らせながら、考える。なぜ、大斐にもアルテにも場所を言わずに一人で特攻しようとしているのか。アルテからの無線を無視して走り続けるのか。どう考えても一人で行くのは得策じゃないし、人数を集めて一斉に乗り込まなければ犯人グループを全員捕らえることができない。犯人を逮捕するのが刑事の仕事で。それが最重要事項なはずなのに。どうしても俺はヴォルテにこれ以上苦しい思いをしてほしくないと思ってしまった。
昨日自分がヴォルテに言ったことを思い出す。
『俺の安全が脅かされている状況で、俺を犠牲にしてでも犯人を捕まえられるのか』
俺はあいつにそう問うた。ヴォルテにはそれができないだろうと言う理由で、俺は告白を断った。
だが今の状況はどうだ。
俺は犯人の逮捕よりも、ヴォルテの安全を取ったのだ。
なんて半端な人間なのだろう。
口では偉そうなことを、ご立派なことを言っているくせに。
行動には移せていないではないか。
ふと、目の前で信号が赤になった。それを無視するほど俺は冷静さを失っていなかったらしい。きゅ、とブレーキを踏んで止まる。
……あぁ、そういえば。
俺はポケットに入れてた拾い物を手に取った。太陽光に反射して輝いている。けど、輝きが足りない。ヴォルテ、お前が持っていないときっとダメなんだ。周りはみな、ヴォルテを扱えるのは俺しかいないと言っているが今日やっと自覚した。逆だったのだ。俺はヴォルテがいないとダメなんだ。あいつがいないだけで、俺は普段の力を発揮できない。あいつがいないだけで、普段の俺なら絶対に取らない行動をしてしまう。あいつが。隣にいないと。
だからもし生きて帰れたとしたら。告白の正しい返事を、しなければ。
信号が青になった。
それと同時に本部からの無線が入ってきた。
『斐甍、応答しないならしないでいいから、聞いてくれ』
――――――
地図が示していたのは廃墟の工場だった。街の外れにあるその場所は監禁するのに持ってこいの場所らしい。入口らしいところに適当に止め、さっさと車から降りる。
「斐甍来ちゃダメ!」
ヴォルテの掠れた声が中から聞こえてきた。あぁ、かわいそうに。そんな声になるまで酷いことをされたんだな。でももう大丈夫だ。俺がすべて、引き受ける。
重い扉を開ける。中には男が3人と、首元にナイフを添えられた血だらけのヴォルテがいた。
「斐甍……!なんで……っ、なんで1人で来たの……っ!」
「……ヴォルテ……、来るのが遅くなってすまない」
罠だったとしても。ただの脅迫だったとしても。俺はもう、これ以上お前を苦しめさせたくないんだ。
「こんにちは、斐甍さん。やっとお会いできましたね。待ちくたびれましたよ」
「待たせたな。それで、何をすればヴォルテを解放してくれる」
「ふふ、解放してあげるかはあなたの態度次第です」
「何したって解放してくれないだろっ、ぅぶっ」
ヴォルテが後ろにいた男に頬を殴られた。思わず拳を強く握り締める。
「ヴォルテさんうるさいですよ。では手始めに、地面に膝をつけてください」
「分かった」
「……ひ、いら……?」
言われた通り地面に両膝をつける。
「僕は冤罪で濡れ衣を着せられ、そこの人はヴォルテさんに逮捕され、もう一人はあなたに逮捕されました。覚えてますか?」
「あぁ。覚えてる。市川に、高木。……川井、お前のことは特に」
「……そうですか。なら土下座してください」
「……」
両手を地面につけて、頭を下げる。正しい土下座のやり方なんて知らないが。
「すまなかった」
「斐甍やめて!こんな奴らなんかのために頭なんて下げないでよっ!」
「……もうヴォルテに危害を加えないでくれ。頼む」
「……ふふ。本当に相棒のことが大好きなんですね?ならヴォルテさんの代わりに痛みを耐えてください。市川さん、どうぞ」
「っ!やめろ!斐甍に近づくな!」
一人の足音が近づいてくる。そして目の前で止まった。
「覚えてるか。おれのこと」
「……市川だな。覚えている。万引きの現行犯で逮捕した」
そう俺が口にしたら、ゴッと鈍い音が頭に響いた。どうやら頭を思い切り踏まれたらしい。多分額が擦れた。
「斐甍っ!くそっ、縄解けよ……っ!」
「おれの両親はなぁ、父親はギャンブル狂で母親は遊び人、まともな奴らじゃなかったんだよ!だからおれは成人したらそのまま、まだ未成年で小さかった弟を連れ出して二人で暮らしてたんだよ!でもなぁ、バイト代だけじゃ養うのが手一杯で、あいつの学費も全然足りなかったんだ!だから少しでも金を浮かせるために、仕方なく、だったんだよ!」
「う゛っ」
肩を蹴り上げられて仰向けに転がされた。と思いきや胸ぐらを掴まれて起こされる。
「それなのにてめェが余計なことをした!」
思い切り顔を殴られて、そのまま床に倒れる。こぶしをモロに食らったのは初めてかもしれん。口の中に血の味が広がった。
「おれが逮捕されたせいで弟は強制的に両親の元へ戻された!釈放されてから見に行ったら心身ともにボロボロだった!おれが!おれが守ってやるはずだったのに!」
「ぅぐっ、」
上から足を振り下ろして容赦なく何度も踏みつけられる。ヴォルテが一生懸命に叫んでるのが聞こえた。そんなに無理して声を出すなよ。お前はこれより酷い目に遭ったんだろう。
「はは、本当に無抵抗ですね。相棒のために体を張る姿、感動的です」
「う、ごほっ、」
「市川さん、一旦ストップです。殴る蹴るより、斐甍さんにとって屈辱的なことがあるでしょう?」
笑みを浮かべながら川井がゆっくりと近づいてくる。体に力が入らない中、俺は懸命に上半身を起こしコイツを睨みつける。よくも。ヴォルテを傷つけやがって。
「ふふ、そんな反抗的な目をできるのは今だけですよ」
こいつは後ろから俺を持ち上げて、ヴォルテの方を向かせた。
「斐甍、っ!」
一瞬絡まる視線。ヴォルテの心に直接語りかけるように見つめる。
俺の相棒なら、分かるだろう?
俺が何を考えているのか。
「っ、」
川井が俺のシャツのボタンを一つずつナイフで切っていく。ナイフの先端は赤く染まっていて、それはヴォルテに対して使ったという何よりの証拠だった。
「聡明な斐甍さんなら、今から何をされようとしているのかお分かりですよね?抵抗しなくていいんですか?」
「……」
「……そうですか。ならあなたが嬲られる姿をちゃんと相棒に見てもらいましょうね」
あっけなく胸元が開く。生ぬるい風が素肌を撫でた。
ゴク、と誰かののどが鳴った。
「市川さん、どうぞ。好きにしちゃってください」
俺を掴んでいた川井の手が離されて、前に立っていた市川に倒れこむ。さっき散々体を痛めつけられたせいで自力で立つのも厳しい、というような演出にすべく、そのまま市川に抱きつくことにした。途端に前方から物凄い殺気を感じた。待てヴォルテ、頼むから抑えてくれ。
「……たの、む。手加減、してくれ」
市川の耳元で囁く。男に縋るような、声色で。
――――――
目の前で斐甍が暴力を振るわれてるのに、俺はただ声を上げることしかできなかった。手足がきつく締められてる上に、後ろにいるこいつ……高木にナイフを構えられてるから斐甍の盾になることすらできない。
斐甍に対する怨み言をひたすら市川は浴びせてる。けど俺からすれば全部ただの逆恨みだし、斐甍に対する当てつけだ。大体刑事の仕事は犯罪者を逮捕することで、犯罪を犯す経緯や背景なんて知ったことではない。ただお前が万引きという犯罪を犯したから、逮捕したっていうだけの話なんだよ。
「斐甍!もういいよ!抵抗してよ、お願いだから……!そのままじゃ死んじゃうよ……!」
「斐甍さんはあなたのことが本当に大切なのですね。でも僕から見ると、なんだか相棒という枠を越えてる気もしますが……」
「うるさい!お前なんかに俺たちの何が分かる!」
「あぁもう、血が足りなくて頭くらくらのくせにそんな大声出さないでくださいよ。まったく……」
そう言いながら、俺の前に立っていた川井がゆっくりと斐甍に近づいていった。
「はは、本当に無抵抗ですね。相棒のために体を張る姿、感動的です」
「う、ごほっ、」
「市川さん、一旦ストップです。殴る蹴るより、斐甍さんにとって屈辱的なことがあるでしょう?」
川井が斐甍の体を持って立ち上がらせる。その時、斐甍と目が合った。ずっとぼやけて焦点が合わなかった視界が一気に鮮明になる。射るような視線で俺を見る斐甍の眼差しが、俺に訴えた。『俺を信じろ』と。
それを認識した途端、スッと思考がクリアになった。いつも斐甍言われる、冷静になれという言葉が脳内でこだました。
……ごめんね、斐甍。ただされるがままになってたのかと思ってた。疑ってごめん。斐甍はずっと、斐甍だったんだね。チャンスを作るまで、俺頑張って大人しくなるよ。
でもね。俺もずっとは待てないよ。されるがまま、いいようにされる斐甍をずっと眺めるなんてことできないよ。ほら、今だって。斐甍のシャツのボタンを外されるたび、目の前のこいつを殴り飛ばしたい衝動を抑えてるんだよ。
さっき踏みつけられて赤くなったであろう斐甍の胸元が露出し、思わず顔をしかめる。あの傷も全部俺が受けるはずだったのに。
「市川さん、どうぞ。好きにしちゃってください」
そう言って川井は斐甍を離す。斐甍が前にいた市川に倒れ込んだ。咄嗟に腕を伸ばして抱き着いてるみたいになっている。
途端に強烈な殺気を覚えた。無意識に奥歯を強く噛んでギリギリ音が鳴る。弱ってる演技なんだとしても、斐甍が好きな自分には相当クる。
斐甍がチラッと俺の方を向いたが、すぐ流された。そして市川になにやら囁いた。腕で隠されてなんて言ったのか聞き取れない。
その瞬間。突然斐甍が横の壁に押し付けられた。
「い゛っ」
斐甍が短く呻き声を上げた。見れば市川が斐甍の首元に嚙みついている。俺はもうはらわたが煮えくり返る感覚を抑えるのに必死だった。斐甍はそれを拒む素振りを見せず、市川の肩に乗せた腕を下に滑らせるだけ。
酷な奴だなお前は。俺の気持ちを知ってるくせに。そんなの見せられて耐えろなんて。
「……っ」
「おや、ダメじゃないですか目をそらしちゃ。それじゃ意味ないですよ」
「うるせぇ……っ、あんなの見てられない……っ」
「……うーん。斐甍さん、なんだか男慣れしてる気がするんですよ。それであなたのその嫌がりよう。……あなたたち、もしかしてデキてるんですか?」
「っ、」
「図星ですか!?ははは、傑作ですね!絶望を味合わせるには最高の展開じゃないですか!」
すぐに否定するべきだったのに言葉に詰まってしまった。こんな時にあいつみたいな冷静さは保てない。斐甍が関わると弱ってしまう自分の心を心底恨んだ。
「そういうことなら予定を変更しましょう」
「は?」
「あなたを犯してもあなたは大して傷付かないと思ったのでやめたのですが。相手がいるとなれば色々違ってくるでしょう?」
「な、何言っ、い゛たッ」
ナイフで切られた肩を掴まれて地面に転がされる。手足がきつく縛られてるせいで碌に抵抗ができなかった。痛みに悶える俺に川井が馬乗りになってくる。
「や、っ、どけ、どけよっ」
「体が震えてますよ。怖いんですか?なんだ、最初からこうすれば良かったんですね」
斐甍のボタンを切ったのと同じナイフで、俺のシャツを裂いていく。必死に首を振って拒否するが、それが全くの逆効果だということはすっぽり頭から抜け落ちていた。
「今にも泣きそうな顔になってますよ。ゾクゾクするなぁ、あんなに痛めつけてもずっと僕を睨みつけられるくらい痛みに強いあなたが、顔を歪ませて怖がってるなんて」
「ひ、っ!」
裂けたシャツの間から手が入ってくる。いやらしい手つきで腰を撫でられた。
斐甍、なんでこんなの我慢できるの。俺には無理だよ。殴られ続けるのを耐える方がずっといい。
体を捻らせようとしたら痛む肩をさらに強い力で押さえつけられた。声にならない悲鳴をあげる。
「これ以上傷口を開かせない方がいいんじゃないですか?ただでさえ出血量が酷いんだから。死期が早まりますよ」
「ぅ、ぐ」
「……ふふ。もっと苦痛に歪んだ表情を、見せてくださいよ」
そう言って口元を歪ませた川井は、俺のベルトに手をかけた。
――――――
単純な奴は扱いやすい。少し色っぽく囁いただけで食いついてきた。
壁に押し付けられたと思ったら、ガリッと音を立てて首元を噛まれる。
「い゛っ」
鈍い痛みに思わず声を上げる。てっきりキスでもされるのかと思ったが、よくよく考えたら憎んでる相手にそんなことはしないな。
食いちぎらん勢いで噛みついてくるこいつに回した腕を、ゆっくりと下ろしていく。
川井もナイフを持っていたんだ、こいつもきっと持ってる。それを奪ってしまえばこちらが有利に立つ。だが性急に探すとさすがにバレそうなので、時間をかけなければ。
「っ、ん、好きにしろと言われて、やることが、噛むだけなんて、それでいいのか……っ?」
「うるせェ。てめぇを噛み殺す」
「うぐッ」
「本当は喉元搔っ切ってやりたいところだがな。それじゃあまりにも簡単すぎる」
喉仏の辺りを狙って噛んでくる。噛まれた箇所から血が滲んでるのを感じ取った。
こいつが噛むのに夢中になってる隙にさらに手を下へ滑らせる。
コートのポケットの中を確認する前に、ふとヴォルテの様子を見ようと思って向こうに視線を向けた。
……視線を向けた先で、ヴォルテの上に川井が馬乗りになっていた。嫌だ嫌だと顔を振るヴォルテのシャツを、川井のナイフが裂いている。嫌がっているヴォルテの表情は演技によるものではなかった。
ドクン、と自分の心臓が大きく鳴った。
はやく、早く助けなければ。
まず落ち着け。俺が失敗したらすべて終わる。
――――微かに震える手を抑えて、市川のコートのポケットを上からなぞるとナイフが入っている感触があった。非常にゆっくりとした動作でポケットに手を滑り込ませる。
ここから見ても分かるほどヴォルテの体は震えていた。川井はそんなヴォルテを歪んだ笑顔で見下ろしながら、シャツの間に手を滑り込ませていた。
――――指先にナイフのハンドルが当たる。
身を捩ろうとしたヴォルテの肩を、川井が思い切り押さえつけた。ヴォルテの体が大きく跳ねる。そんな姿を見て何かを言いながら、川井はヴォルテのベルトに手をかけた。
――――それと同時に、俺はナイフを掴んだ。
「ガッ!?」
市川の腹を思い切り蹴った。いきなりの衝撃に市川は体が吹っ飛び、頭を地面に打ち付けて気を失った。それを見る前に全力でヴォルテの元へ向かう。ハッとこちらを振り向いた川井の顔面を蹴り上げた。側に立ってた高木は手刀で落とした。
「斐甍ぁっ」
「ヴォルテ、後ろ向け」
「あ、ぇう、えっと、右向きに転がしてくれる?左肩痛くて」
「分かった」
ヴォルテの言うと通り右向きに転がして、奪ったナイフで腕の縄を切る。あまりにキツく縛られていたからだろう、手首が真っ赤に腫れていた。
「……遅くなったな」
「ううん。俺は大丈夫だよ。ありがとね」
ヴォルテは上半身を起こしこちらに向き直しながら、まだ縛られたままの足首を俺に差し出した。
「これもやって~」
「はいはい、動くなよ」
「えへ、関節凝っちゃって動かしたくても動かないよ」
足を支えながら、縄を切った。無事を報告しようと無線を取るためにヴォルテから目を離した瞬間だった。
「い゛、……!」
「っ!?」
ヴォルテが悲鳴をあげた。こちらに倒れてくるのがやけにスローモーションに見える。こいつの肩に刺さっているのは。血に染まった、ナイフ……?
「……っ!ヴォルテ!目を開けろ!ッあ゛、!?」
背中に強烈な痛みを感じた。
ヴォルテに倒れ込みそうになるのを片手でなんとか堪える。
「……っ、ぐ、」
背中が熱い。ポタリと地面に汗が落ちた。
前後から足音が近づいてくる。
「ヴォルテさんを早く助けたい一心で、蹴りが軽かったですよ?斐甍さん。互いが互いに甘いのは結構ですけど、そのせいでいつもの力が出せないんじゃ刑事失格ですねぇ」
「ヴォルテ……、おい、起きろって……なぁ……」
「ナイフは抜かない方がいいんじゃないですかね?ただでさえ多量出血してて危ないんですから。まぁもう手遅れかもしれないですけど」
「……っ、ぅ、あ、」
ヴォルテが俺に答えてくれない。いつも俺を映す瞳は閉じたまま開かない。
震える手で服の中に入れていた銃を手に取った。赤い視界の中、銃口を川井に向ける。
「許、さない……っ!」
「そうですか。僕もあなたたちを許しません」
「ころしてやる……、ころしてやるころしてやるころしてやる……ッ!」
俺は本気で発砲するつもりだった。
ヴォルテを刺した川井も、俺を切った後ろにいる高木も、ヴォルテを傷つけた市川も、本当に全員撃ち殺すつもりだった。
けれど俺がトリガーを引くより先に、後ろの扉が開かれた。
「全員動くな!手を上げろ!」
聞き慣れた声が響いた。
……アル、テ……?
「あーあ。ここまでのようですね」
俺の後ろでナイフが床に落ちる音がした。目の前の川井は降参のポーズを取った。
「斐甍さんあんたもです!武器を下ろして!」
ガツンと頭を殴るような怒号に思わず拳銃を床に落とす。
それが合図となって、応援部隊が犯人確保のために中になだれ込んできた。
――――――
外でパトカーのサイレンが響いている。ヴォルテを拉致し暴行を加えた三人は全員連行された。
「ヴォルテ……っ、起きてくれ……」
「……あなたも重体なんですよ。救急車が到着するのを大人しく待ちましょう。ちゃんと息はありますから。斐甍さんも楽な姿勢で止血を……」
「俺のせいなんだ」
「……斐甍さん、」
「ヴォルテがこうなったのは俺のせいなんだ」
ヴォルテの肩に刺さったままのナイフをぼんやりと見つめる。
最後川井に言われた言葉は、ずっしりと俺の心にのしかかってきた。
普段なら失敗しなかった。
だけどヴォルテのことになったら。
このザマだ。
「……ね、斐甍さん。ヴォルテさんの物だって言ってた、宝石」
「……?」
「見せてください」
ポケットに手を突っ込んで、取り出す。
すっかり忘れていた。
「斐甍さんは……この石に導かれたと思うんです」
「……」
「ここに来るのは斐甍さんなのが正解だったんじゃないんでしょうか。この石を見てると、なんだかそう感じます」
「……でもヴォルテは……」
「ヴォルテさんは、生きている。あなたも、生きている。それが答えですよ」
サイレンの音が聞こえた。こちらに向かってきている。
「ヴォルテさんが目覚めたら返してあげてください。この宝石の色は、ヴォルテさんのそばにいるとき一番輝きます」
「え、」
「……ほんと、眩しいくらいなんですよ」
救急車のヘッドライトが目に入ってきて思わず視界を腕で覆う。
眩しい。
人がぞろぞろとこちらに向かってきている音がした。
「さっ、ヴォルテさんとあなたのことは救急隊員さんたちに任せるとしますか。俺は現場検証で残ります。あなたの治療が落ち着いたら何があったか話を伺いにいきますね。では、お大事になさってください」
――――――
あの日から二日が経った。
ヴォルテに刺さっていたナイフは長時間の手術の末、無事に取り除かれた。この出血量でよく刺されるまで意識を保ってましたねと医師に言われたときは、あいつの体の頑丈さが逆に怖くなった。刺されるまで割と普通に喋ってたんだが。
追撃で、刺されたのが心臓の位置に近かったので危なかったでしたねと医師に言われたときは、それはもう凍ったのかと思うほど自分の心臓が冷えた。あいつは本当にいつも運に恵まれているな。
俺の背中の切り傷も意外と深かったらしく、包帯がぐるんぐるんに巻かれてる。今でもズキズキと痛む。
ヴォルテの傷は俺とは比べ物にならないくらい本当に酷いらしく、刺し傷一か所、深い切り傷一か所、打撲六か所、その他諸々とか言っていた。拉致されてから17時間、そして俺が現場に着くまでの計18時間半。その間ずっと暴行を受けていた可能性が高いので身体的にも精神的にも疲弊してるらしく、なかなか目を覚まさない。
そんな重体の俺らは同じ病室にぶち込まれ、絶対安静と言われた。そしてヴォルテの目が覚めたら呼んでくれと医師に頼まれている。
昨日も今日も、職場のみんなが合間を縫ってお見舞いに来てくれた。
大斐には勝手に行動したことで叱られてしまったが、最後は生きてて良かった、と抱きしめられた。
お前の一人行動は全て俺の指示だったってことにしておいたから、上からの処罰はないから安心してね~と軽く言った大斐に俺は思わず全力土下座をかましたかったが、背中が痛すぎて曲げられないので頭を下げる程度に留めておいた。もちろん心の中では全力土下座をした。
ヴォルテの元へ車で向かっていたあのとき、俺は大斐直々の無線を聞いた。要約すると、疑わしい人物と監視カメラの映像を照らし合わせたら犯人の可能性が高いとされる三人を特定したという話だった。三人の名前、過去に俺かヴォルテが逮捕に関与したこと、どんな罪を犯したかなどを大斐は簡潔に教えてくれた。俺もさすがに過去担当した人物を全員覚えていなかったので助かった。川井のことは強烈すぎて覚えていたが。
そしてその情報を俺に言ったあとで、場所の特定したらすぐ応援を向かわせるからなんとか時間を稼いでほしいと言って通信を切った。
正直その情報に助けられた。最初犯人と対峙して覚えているか聞かれたときに、覚えていないなどと抜かしたら何をされていたか分からない。
大斐は本当に頼りになる上司だ。
そんなこんなで昼間は何かと騒がしい病室だが、ヴォルテは一向に目を覚ます気配がない。夜になったら病室は恐ろしいほど静まり返る。昨日なんてたびたび夜中に起きては壁を伝ってヴォルテのベッドまで歩き、ちゃんと息をしてるかの確認と心臓が動いているかの確認をしていた。それが見回りをしていた看護師さんにバレて、絶対安静なんだから歩いちゃダメだとめちゃくちゃ怒られた。それに懲りた俺は、今夜はただヴォルテの胸が上下するのをじっと見ることにする。
あと一分で3日目に変わる。俺は早く目の開いたお前が見たい。静かな病室は寂しいから喋りかけてほしい。せっかくの一か月の入院期間だ、普段のクソ忙しい業務から解放されるんだからありがたく体を休めたい。でもお前が起きていないとつまらない。だから早く起きてくれよ。
テーブルの引き出しから、あの宝石を取り出す。調べてみたら、これはタンザナイトというらしい。石言葉というものもあった。まぁ、ヴォルテから俺はこんなふうに見えているんだろうなというのは分かる。実際はヴォルテが絡むとポンコツになるというのは今回の件で自覚したが。
窓側に寝ているヴォルテと、宝石を重ねてみた。宝石は月明かりが反射してキラキラと輝いていた。
俺は静かに目を伏せた。
「……ヴォルテ、好きだ」
無性に言いたくなった。だから声に出して言ってみた。
なんだか夜は感傷的になってしまうな。もう寝るか、とふと時計を見る。
ちょうど、針が12を指した。
ヴォルテに重ねていた宝石をずらす。
「……ん?」
なんかヴォルテの頬が引き攣ってるように見える。……暗いから影のせいでそう見えてるのかと思ってよく見てみると、口元もピクピクと動いている。
まっ、まさか痙攣か!?
俺は慌てて起き上がって、壁に寄りかかりながらヴォルテに近づく。また看護師さんにバレないように音は立てず。
ヴォルテの顔を覗き込む。やはりなにかおかしい。汗をかいていて顔も赤い。
これはやばいとナースコールを押そうとした、その時。
「……あの……、斐甍……。今のなに……?」
……腰を抜かして床に倒れこむのをすんでのところで踏ん張った俺を褒めてほしい。
いやいや!今のを聞かれたことよりも重要なことがあるだろう俺!
「起きていたのかお前ッ」
夜だからと声のボリュームを下げる配慮も出来ている。素晴らしいことこの上ない。ヴォルテが絡むとポンコツ発言は撤回させてもらう。
「……いや、たった今起きたんだけど……。斐甍の……、こ、……言葉で、意識が浮上したっていうか……」
3日ぶりに開いた緑の瞳。そこに映ってる俺は顔が真っ赤で、情けない表情をしていた。
「……はぁぁぁ……」
「クソでかため息つくなよ!さっきのどういうこと?ねぇってば!ッい゛で!」
俺を掴もうとしたのだろう。腕を動かしただけで痛がった。しかもよりにもよって刺された方の腕を動かしたらしい。肩を押さえてとても痛そうに悶えている。
「お前は満身創痍なんだ、体を動かすな」
「う゛……キッツこれ……」
「……すまなかった。その怪我は俺のせいだ」
「……あの時あったことと今の状況はあとで詳しく聞くからさ。俺は今、さっきの発言について詳しく聞きたいの。教えてよ」
「……」
俺は諦めてそばに置いてあった椅子に座った。
「俺、振られたと思ったんだけど」
「……あぁ。あの時確かに俺はお前の告白を断った」
「じゃあさっきのなに」
「……その……」
咄嗟に言葉が出ない。とりあえず手に持ってた宝石をヴォルテに見せる。
「こッ、これって……!」
「お前の物だろう。お前が連れ去られた現場で見つけた」
「そ、そういえば落としちゃった、けど」
見るからに動揺している。やはり俺の勘は当たっていたか。
「……この、宝石は。俺を想って買ったのか」
「ハ!?お、おま、なに恥ずかしげもなくそんな……っ」
「どうなんだ」
「……ハイハイそーですよ!斐甍の色してたから一目惚れして買いましたよ!これで満足!?」
「ふっ。可愛い奴だな」
「!?」
「……そうだな。なんだか、突然お前が愛おしく感じるようになった」
「……」
「お前が監禁されていると知った時……。俺は、我を失ったんだ。怒りで気が狂った。あんなことになったのは初めてなんだ。そしてその宝石が落ちているのを見たとき……。本能的に、お前の物だと悟って。気付いたら一人でお前の元へ車を走らせてた」
「……そうだよ。一人で来たんだもん、びっくりした」
「そうだ。らしくないだろう」
「……うん」
「だからその時自覚した。俺が俺らしくいるにはお前が必要だと」
「……は、はは、斐甍、自分がすげー恥ずかしいこと言ってるの、分かってるの……?」
「分かってるから黙って聞け。聞いてきたのはお前だ」
「う……どうにかなりそう……」
「……俺は思った。俺が感じてるこの感覚は、やはり俗にいう愛なのではないかと。だからさっき、声に出して言ってみたんだ」
「……」
「声に出してみたらすごくしっくりきたんだ。だから今は断言できる。俺はお前が好きだ」
「っ!」
俺を見るヴォルテの目がまん丸だった。月明かりが逆光になってヴォルテの顔はあまり見えないはずなのに、俺にはしっかり見えた。耳まで真っ赤に染まってるのも、ばっちり。
「……な、なにこれ。一回振られたのに今度は告られてるってどういうことなの」
「わがままな男ですまない。もう一度……、やり直させてほしい」
「え、」
「あの時の告白の返事を、撤回させてほしい」
俺はヴォルテの手を取って、宝石を手のひらに乗せた。
「お前が好きだ。付き合ってくれ」
手に落としていた視線をヴォルテの顔に戻した。
……ヴォルテは泣いていた。
「う、うぅ……っ、斐甍、ひいら……!」
「ヴォルテ……っ」
痛むであろう腕を懸命にこちらへ伸ばしてるヴォルテの胸元に抱きついた。加減を間違えないようにヴォルテの体を包み込む。
「お前を傷つけてすまなかった。もう悲しませたくない」
「ひぃら……」
「……お前の答えを聞きたい」
「……分かってるくせに。斐甍のいじわる」
いじけた声でそう言って、俺の前髪を弄る。されるがままになっていたら、ヴォルテの手が止まった。
「……こっちむいて」
言われた通りに顔を上げた。
目の前にヴォルテの顔がある。俺の頬に手を添えながらゆっくりこちらに近づいてきた。俺も瞼をゆっくり伏せる。
互いに引き寄せられるように、俺たちはキスをした。
――――――
「……ということで。俺たちは付き合うことになった」
「「……」」
目の前にはお見舞いに来てた大斐とアルテ。ヴォルテはいえーいとタンザナイトを二人に見せびらかした。
「これが俺たちをくっつけたんだよ!もうまじ感謝~」
「おめでとうございます……うっ、お二人が幸せそうで……俺も嬉しいっす……」
「アルテ……。お前には色々助けてもらった。ありがとう」
「ううぅう、泣かせないでくださいよ斐甍さんンン」
「えちょっと待って」
「大斐、仕事に支障はきたさない。だからどうか……」
「いや、ちがくて。え、お前らってまだデキてなかったの……?」
「は?」
「え?」
俺とヴォルテがそろって首を傾げたのを見て、大斐がバッと立ち上がる。
「だからハエじゃなくて!……ってこのくだり前もやったから!んぇ、なに、付き合ってなくて、斐甍に関しては気持ちを自覚してなくて?なのにあの距離感?えおかしくない?」
「だから言ったじゃん!斐甍にアピールしてもニブチンすぎてダメだったから直接言ったの!で玉砕したのになんか付き合えたの!」
「えぇ……アルテは疑問に思わなかったん……?」
「いえ……あの距離が、お二人には自然なんだろうな……としか……」
「プライベートで連絡先も交換しといて……?あんな怒りようで……?俺の言うことガン無視して一人でヴォルテを助けに行っといて……?ただの相棒って認識だったの……?嘘だァ……。ヴォルテマジおつかれ……そんでおめでとう……」
「えへへ、ありがとう♪」
ジト目でこちらを見てた大斐が、今度は頬杖をついて口元を緩ませた。
それはまるでいたずらっ子のような顔で。
嫌な予感がした俺はなんとなく視線を背ける。
「……っふ、それで?昨日の真夜中、イチャイチャしてたら見回りの看護師さんに見つかって大騒ぎだったんだって?」
「あああ!その話はもういい!」
「あっはは、勝手に移動したこととヴォルテが目を覚ましたのにコールしなかったことでしこたま怒られたって~?」
「へへ、落ち込んでるひーらちゃん可愛かったよ」
「ひーらちゃんだって!きゃ~カワイイ~♡」
「ヴォルテ……っ!大斐もからかうなよ……っ」
「あーもう最高な日だよ今日は!」
病室に笑い声が響く。
それが廊下にまで聞こえて、通りかかった看護師さんに全員怒られたのは言うまでもないだろう。
――――――
「もう夜だね」
「……あぁ」
窓の外には月が浮かんでいた。月明かりでヴォルテの輪郭はぼやけている。
「……ねぇ、ひーらちゃん」
「なんだ?」
「好きだよ」
「!」
「えへへ。昨日はちゅーしてるの見つかって言えなかったけど。……俺、ひーらちゃんが好きだよ」
「……はぁ……。今すぐお前にキスしたい」
「あはは、また立ったら今度こそゲンコツ食らうよ!それでもいいならどーぞ?」
「……やめておく」
「えー!?そこは俺とちゅーするの選んでよ!」
「けどこれからいつでもできるだろ」
「え、っ、ぅ、も、もー、しょうがないなぁ……」
ヴォルテの手に握られているのはあのタンザナイト。お前がヴォルテに触れられて俺が触れられないとはどういうことか。
「……ヴォルテ。早く治して外出許可を貰おう」
「え?どこ行くの?」
「ペリドットを買いに行く」
「ぺりどっと?なにそれ」
「緑色の宝石だ」
「へー、ひーらちゃんそういうのに興味が、あ、……っ!?」
「俺もお前を想って宝石を買いたい。いいだろう?」
真っ赤な顔をしたヴォルテがそっぽを向いて布団を被ってしまった。
しばらく見つめていたら、もぞもぞと動いて顔と手だけ出てきた。
「投げるよ」
「ん?」
ひょいと投げられた物を受け取る。見ればそれはタンザナイトだった。
「それにちゅーしといたから。明日はひーらちゃんが持ってていいよ。明後日ちゅーのお返しちょうだいね」
「……ヴォルテ、やっぱり今からキスしに行っていいか」
「だめ!それで我慢して!」
そう言ってまた布団を被ってしまった。ヴォルテはこんなに可愛い奴だったか。……そして、これが幸福感という感覚か。……あぁ、幸せだな。
俺の手の中で、タンザナイトが煌めいた。
『黝簾石を探して』