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そもそも、そっち絡みの事件であることは、最初から明白だった。
神使に影響を及ぼす、何らかの要因。
しかし、それにしたって、まさか妖怪。
すぐには事態を飲み下せずにいる私だったけど、頭の片隅に、ひときわ光明のようなものを感じていた。
やっぱり居るんだ、妖怪。
そう、何かと話題の妖怪だ。 小さい頃から、絵本やアニメで事あるごとに触れてきた妖怪である。
そんな彼らが、実在している。
言葉を選ばずに言えば、図鑑の中にしか存在しないと思っていた絶滅動物が、まだそこに居るよと、そんな風に明かされたような気分だった。
そんな私のテンションは、続く友人の言葉を経て、いよいよとなる。
「九尾の狐………」
「え……っ? ホントに!?」
その名を知らない者は、今やほとんど居ないのではなかろうか。
三国伝来 白面金毛九尾《はくめんこんもうきゅうび》の狐。
名称が示す通り、元は大陸のほうから伝わった怪奇譚に登場する妖狐である。
この妖怪の最大の特徴として、頭がたいへん良く、権謀術数に長けること。
時には権力の中枢に入り込み、人間社会を裏から掻き乱すような悪事を好む。
のみならず、その本性は獰猛の一言に尽きるもので、血腥いエピソードには事欠かない。
霊力も尋常ではなく、並みの術者や祈祷師では手に負えない。
そういった逸話が、この日本において、独自の様相を呈したものが、“玉藻前”の伝説だ。
時は平安、藻女という大層美しい少女が、民衆の雑歌に紛れていた。
義理の父母によって大切に育てられた彼女は、齢十八にして、朝廷にのぼる。
役職は内侍司とする説もあれば、同じく後宮十二司の縫司と見る向きもある。
数いる女官・女御の中でも、抜きん出た美貌と才を併せ持つ藻女は、次第に鳥羽上皇の寵愛を受けるようになった。
民草のなかに埋もれていた一介の女子が、絶大な地位・発言権を得たのである。
それまで鬱屈していたものが解き放たれる訳だから、性根に歪が表れるのも無理はない。
藻女は変わった。
つねに冷ややかな嬌笑を装い、氷のような眼を絶やさない。
口を開けば、その麗しい声音からは想像もつかない呪言を垂れ流す。
彼女に惚れこんだ弱みがあるとは言え、上皇とて、次第に気味が悪くなった。
かといって、手放すには惜しい。 これほどの美女は、世に二人と居まい。
そんな心の不衛生が祟った結果、上皇は臥せることが多くなった。
その模様に、人並みに胸を傷めたのか。 もしくは、単に上辺だけの姿勢だったのかは定かでない。
真っ当に気づかう素振りをみせる藻女ではあったが、相変わらず折に触れては冷笑と呪言に塗れている。
上皇の快方をのぞむべく、名うての陰陽師・祈祷師が召集された。
「なんと美しいことか……」
その中のひとり、陰陽師の安倍氏は、藻女の姿をひとめ見て、息をのんだ。
うわさに違わぬ絶世の美女。
まさに、玉のような御前だった。
「されど、なんと禍々しいことか……」
同時に、それは藻女の正体が、ついに露見した瞬間でもあった。
「かの御前は、人にあらず」
藻女は、宮中を逃走した。
逃げて逃げて、逃げ走った。
追撃の手をゆるめない討伐隊を蹴散らしながら、ひたすら逃げた。
絵に描いたような消耗戦と耐久戦。
圧倒的な物量で攻めてくる討伐隊と激戦を繰り広げるうちに、藻女の体力は、次第に尽きていった。
九尾狐の霊威をもってしても、死物狂いで攻めかけてくる人間の底力を往なすことは、容易ならないものだった。
そして───
処は下野国、那須野。
ついに、藻女は力尽きた。
殺意の込もった白刃が、その身に食い込む瞬間まで、冷めた嬌笑と卑しい呪言は、延々と続いていた。
波乱の生涯を経た絶世の美女は、赤潮にたゆたう藻草の一葉になり果てた後、生を蔑む殺生の権化となって、永遠にその口を閉ざした。
彼女は、自分が何者なのか、己の正体に、初めから気付いていたのだろうか。
だとすれば、端から朝廷を呪うつもりで、宮中に乗り込んだのか。
その冷笑と呪言が、果たして誰に向けられたものだったのか。
今となっては、知る由もない。
「ほぉ〜!」
「千妃ちゃん、妖怪好きなんだねぇ」
すこし夢中になり過ぎたようだった。
気がつくと、当座の二名が感心したような目をこちらに向けている。
胡梅さんにいたっては、パチパチと心の込もった拍手を贈ってくれていた。
お恥ずかしい限りだ。