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モノクロナツキ
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「あ、ごめん!」
お互いの指先が触れ合った瞬間、俺は弾かれたように慌てて手を引っ込めてしまった。
すると、空くんはポツリと、自分の大きな手のひらを見つめながら呟いた。
「……久しぶりやな。誰かに触ったの」
「……そんな貴重な瞬間に、こんな無骨な手でごめんな?」
ジムの仕事でガチガチに作り上げられてしまった、男らしすぎる自分の手が、急に嫌になった。秀太や洸みたいに、職業関係なく、いつも綺麗に保ててたら良かったのに。
情けなくなって縮こまる俺に、空くんはフードの奥の瞳を優しく揺らした。
「……ううん。久しぶりに触れたのが、弦で良かった」
「……っ。そんなこと言われたら、お兄さんキュンキュンしちゃうじゃないか」
「……きもちわる」
ふふっ、と空くんが楽しそうに笑いながら、俺の手の甲を人差し指でツンツンと突いてくる。思わず「ん?」と顔を上げると、正面から至近距離でバッチリ目が合った。
うわ、やばい。至近距離で見ると顔が良すぎて、俺今ガチで鼻血出そう……!
脳内がパンクしかけていると、空くんは突いていた指を止め、手のひらを上に向けて俺の前に差し出した。
「……ちゃんと、触っていい?」
俺の手を重ねて、と誘うような仕草。
おい、待て。この人、引きこもる前は絶対にとんでもなくモテてたやろ……! こんなん恋愛の確定演出やん!!
限界を迎えた俺の理性は、考えることを放棄して床に置いてあったお酒の缶に飛びついた。
こんなん!! こんな甘酸っぱいシチュエーション、素面で耐えられるわけがありませんて!!
グビグビと一気にお酒を流し込む。
初めはきょとんとしてその様子を見ていた空くんだったが、すぐにクスクスと声を立てて笑い出した。そして、自らもお酒の缶に手を伸ばすと、俺の真似をするようにグイッとお酒を喉に流し込んだ。
「ん、ジュースみたい」
「これ、飲みやすいやろ? でもな、度数が高いやつは後から頭がぐわんぐわんしてきて、『あ~たのしぃ~』ってなるねん。飲みすぎたらあかんけどな?」
もう一度俺がお酒に口をつけると、空くんは膝を抱えたまま、ジィッと俺の顔を見つめてくる。あかんな、いつまで経ってもこの綺麗な顔に慣れへん。
「……じゃあ、次はもっと度数の高いやつ持ってきてくれる? それ飲んだら、楽しくなって、俺と手繋いでくれるやろ?」
「へ!? いや、嫌やったわけやないねんで!? ちょっと緊張しただけで……!」
「……それは、俺も同じやけど」
少し拗ねたように、ふいと顔を背ける空くん。
あかんやん。空くんがせっかく勇気を出して行動してくれたのに、年上のお兄さんである俺がビビって台無しにしてどないすんねん!
手が荒れてるとかゴツゴツしてるとか、今は気にしてる暇じゃない! 今、この最高の流れで、空くんの可愛い要望に応えるのが俺の仕事やろ!!
「──ほら」
俺は、一度下ろされてしまった空くんの手を、今度は自分からぎゅっと力強く握り締めた。
肌と肌が密着して、熱が伝わってくる。
思えば、俺だってこんな風に誰かの手を握るのは久しぶりや。洸とハイタッチをしたり、仕事でお客さんの体に触れたりはするけれど、こんな、心臓が爆発しそうな恋愛のシチュエーション、下手したら空くんより他人に触れてへんかもしれん。
「……ど、どう?」
「……なんか、仕事頑張ってる人の手やなって思った」
空くんの手の力がふっと抜けて、俺の手が離れた。
一瞬、心臓がぎゅっと冷たくなる。やっぱり、俺のこんな無骨な手じゃあかんかったんやな、と落ち込みかけたその時。
「……あかん、めちゃくちゃドキドキしてる。お酒のせいかな……」
空くんが顔をごしごしと擦りながら、可愛らしく膝の間に顔を埋めて悶え始めた。
え、待って……これは、めちゃくちゃ喜んでええことなんやんな!?
お酒の勢いも手伝って、今なら、なんだって言えそうな気がする。
「あの、空くんが良かったらでええねんけど……今度、映画観に行かへん? 夜のレイトショーとか、人少なくてええなぁって思ってるねんけど」
思い切って、真っ直ぐな気持ちを伝えてみる。今日の、こんなに心を開いてくれている空くんを見ていたら、絶対に行ける気がした。
空くんは膝からゆっくりと顔を上げると、潤んだ瞳で俺を見た。
「……それって、デート?」
「……そう、デートやねんけど。やっぱり、男同士で気持ち悪い?」
「……ううん、嬉しい」
空くんはそう言って、今度は隠すことなく、真っ直ぐ俺を見つめて優しい笑顔を向けてくれた。
「……俺な、この人やって思ったんよ。弦が毛布をかけてくれたあの日……俺を救ってくれるのは、絶対にこの人やって」
胸の奥が、温かい何かでいっぱいになる。
大丈夫や。空くんはこんなにも強くて、優しい心を持ってる。きっともう一度、自分の足で外を歩ける日が来る。
「……じゃあさ、少しずつ人に慣れるために、俺の弟のカットモデル、やってもらえへん? うちの末っ子、めちゃくちゃええ子でさ。空くんと歳も近いし、優しくて、可愛いから、きっとすぐ仲良くなれると思う。お店に来るのが難しいなら、ここに来るって言うてくれてるんやけど……」
ダメ元で、リハビリの提案をお願いしてみる。
いきなり大勢の人の前に出るより、確実に優しくて味方やと分かっている洸や野中さんと会う方が、絶対に良いステップになるはずや。
空くんは少しだけ考えた後、小さく頷いた。
「……わかった。弦の弟なら、大丈夫な気がする」
「そっか! 俺もずっと隣におるから。安心してくれてええで?」
「うん。ありがとうね、弦。俺、頑張る」
空くんの瞳に宿った力強い光を見て、こっちまで飛び上がりたいくらい嬉しくなってくる。
「……じゃあ、そろそろ、空くんのお目目もトロトロして眠そうやし、俺は帰ろかな」
「ふふっ、弦こそ、もう半分しか目開いてないで?」
こないだまでの、ドア一枚を隔てた硬直状態が嘘のよう。一気に「友達」──いや、それ以上の特別な関係まで駆け上がれた気がして、最高の気分だった。
「じゃあ、おやすみ」
「うん、おやすみ。弦」
まるで、普通の友達同士みたいに手を振り合って、夜中の玄関で別れる。
お隣から自分の部屋に戻ると、さっきまでの出来事がすべて夢だったんじゃないかとさえ思えてくる。けれど、手のひらに残る空くんの手の温もりだけは、確かに本物だった。
お酒も心地よく回ってきて、俺はまるで天国にいるかのような、幸せで深い眠りへとついたのだった。