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「それじゃあ『我が奥義書』を返す代わりに、もう一人のアンソルーペ、虚無を大王国に渡さないで欲しい、と」ユカリは再度アンソルーペに確認する。
「はい。もちろん使い魔たちも、私自身は求めません。救済機構を止めることはできませんが」とアンソルーペが言うと、かわる者が付け加える。「虚無を止めた後の話だからね。私はアンソルーペと一緒に戦うから」
戦いの喧騒に負けない声でアンソルーペとユカリはレモニカとグリュエーを交えて言葉を交わす。ベルニージュだけではなくソラマリアも戦場に飛び込んでいた。
「短い間に随分仲良くなったんですね」とユカリはかわる者の封印を見ながら感心した様子で言った。
「別に。約束したからね。それは命令よりも尊いの」とかわる者は答えた。
ラミスカはユカリなのだと確信を得たかわる者は、約束通り、その引き換えに大王国を追い出す手伝いをしてくれるということだ。
「それで、どうすればいいんですか? というか何であの巨人はベルを狙っているんですか?」とユカリに問われる。
「復讐心じゃないかと思います。巨人は神々に滅ぼされたので」とアンソルーペは暴れまわる魔法少女虚無を振り返りながら答える。
「本当の巨人なんですか!? つまりその虚無というのが巨人の魂とか霊とか、そういうこと?」
ユカリの問いにアンソルーペは頷く。「私も、そう聞いているというだけですけど。ガレイン半島の神話にある出来事は何度も聞かされましたが、真に迫るものでした」
「私もその神話はよく知ってるけど、勝利の女神は出てこないはず」
「神の血に連なる者なら何だって嫌いなんじゃないの?」とかわる者が指摘する。そしてユカリの背後で小さな悲鳴をあげたレモニカを見て付け加える。「半神はどうか分からないけどさ」
レモニカは指の輪から覗き込むように閉じた眼を当て、巨人を観察している。アンソルーペにも、それがドロラが使っていたような類の探知の魔術だということは分かった。
「どの巨人ですか? 虚無って名前は知らないんですが」とユカリは問いを重ねた。
アンソルーペが正直に答える。「虚無は私が名付けたあだ名です。本当の名前は神々に奪われたのだとか」
私と同様に、という言葉をアンソルーペを名乗る魂は呑み込む。
「ならあれが何者なのか見当は付きました」とユカリは巨人を見上げ、はっきりと断言した。「皆殺しにされた巨人たちの中で記憶抹消刑に処されたのは一人だけ。彼らを率いた女王だよ」
「どうやって打ち倒されたのですか?」とレモニカが指の輪を覗きながら問いかける。
「正確なところは分からない」とユカリは記憶を掘り起こすように天井を仰ぎながら言う。「討ち取ったのも、その戦争で神々を率いた天を司る神だとも、その第一の隷たる天使長が討ったともされている。女王に関連するお話は少なくて、かつ曖昧なんだよね。それこそ記憶抹消刑のせいなのかな」
「恐ろしいもの含め記憶も見えませんわね」とレモニカが残念そうに呟く。「わたくしの研鑽が足りないばかりに。申し訳ありません」
「記憶抹消刑のせいかもしれないよ」とグリュエーが慰める。
「閃きたり!」とユカリが嬉しそうに宣言する。「魂と記憶って別だよね? 魂は奪えなくても記憶を奪えば無力化出来るんじゃない?」
アンソルーペは知る由もないがユカリとベルニージュがアルダニの地で魔女シーベラを無力化した方法だ。
「惨くない?」とグリュエーが正直に言う。
アンソルーペも同じように思ったが他の策は思いつかないので黙っていた。
「別にずっと奪ったままって訳じゃないよ。他の方法が見つかるまでの一時的な措置として、ね」
同意を求められ、アンソルーペは頷く。
「そういう魔術があるのですか?」
「うん。ベルニージュが修めてる」
当のベルニージュは健康体へと変身し続ける巨人を焼き殺そうと爆ぜる者や焼べる者、更には煮炊く者、拵える者、饗す者の力まで借りて火力を底上げしていた。真冬は既に城の隅々から追い出され、巨大な竈の如き熱に満たされている。しかし巨人の女王は火など存在しないかのように群れ集う戦士たちを杖で薙ぎ払っていた。
その鬼気迫る表情のベルニージュの元に駆け寄ったユカリはそっと耳打ちをする。そしてベルニージュの返事といくつかの言葉を聞き、笑みを浮かべて頷く。そうして戻ってくるとアンソルーペたちに策を授ける。
「手で触れないと記憶を奪うことは出来ないから気を引いて欲しいんだってさ。私たちが何か企んでいるかのように見せかけて、本命から注意を逸らそう」
「じゃあそれらしいはったりも考えないと」とグリュエーが提案する。
「それならばわたくしを使ってください」とレモニカが進み出る。「わたくしの呪いのことは巨人の女王陛下もご存じですわよね?」
「うん。でもいいんですか?」とアンソルーペが不安そうに尋ねる。「王女自ら……」そこまで言って言い淀む。ラーガ王子も身を曝け出しているのだ。「もしかしてリューデシア王女も?」
「ええ、最前線ではありませんが」とレモニカが答えた。
その時雄叫びが倍増する。とうとう救済機構の僧兵たちが要塞に侵入してきたのだった。戦場は更なる混乱を生む。僧兵たちは既に巨人についても把握していたようで、持ち込んだ攻城兵器で戦士もろとも巨人を粉砕しようとする。一方大王国にとって巨人の死骸は所有物であり、今まさに傷つけることも厭わず巨人の女王を止めようとしていたとはいえ、僧兵の攻撃から守るべきなのかという葛藤が生じていた。
「ややこしいことになってきた。ほら、急ぐよ」とかわる者が急かす。
アンソルーペとユカリは魔法少女に変身し、グリュエーはグリュエーの姿のレモニカを負ぶって城の内部を飛ぶ。
予想通り巨人の注意がレモニカに向けられる。巨人の最も嫌いな生き物が何なのかアンソルーペには分からないが、巨人の表情を見るに巨人自身も分かっていないようだった。神々を憎んでいるのだから、その中の誰かなのだろう、とユカリたちと当たりは付けている。しかしその柱の如き巨大な杖を振る手も、火に耐える変身も全く緩まない。
足下から絶えることなく攻め立てられ、更には二人の魔法少女によって無数の礫を浴びせられながらも、巨人の女王はひたすら猛攻を耐え忍んでいる。ベルニージュが近寄る隙など全く無かった。そして当然レモニカが近づく暇もない。最も近くにいる者に反応する呪いである以上、一瞬でもグリュエーから離れなければならず、それはあまりにも難しい。
何か新たな一手を繰り出さなければ変化は生まれない。アンソルーペは頭を捻り、一つの策にたどり着く。
「建てる者か築く者はどこ?」とかわる者に尋ねる。
「分からないよ。ユカリ派か大王国が所持しているから要塞のどこかにいるはずだけど」
「じゃあ伝える者か観る者は!?」
「どっちも機構だね」
大声をあげて建てる者と築く者に呼びかける案も思い浮かんだが、巨人に察せられるのは出来るだけ避けたい。アンソルーペは巨人をユカリに任せ、城門から侵入してくる機構の元へ飛ぶ。
後方で大きな輿の上で両手を振っている人物がいた。詳細は知らないアンソルーペでもノンネットと隣に立つモディーハンナ、周囲の雰囲気の違いで事情が察せられた。
「おやおや、随分と派手な格好で派手なお出ましだね。第四局首席焚書官、アンソルーペちゃん、だっけ?」
ノンネットが両手で二枚の封印を摘まんでいることに気づく。伝える者と観る者だ。
「新たな、聖女様?」
「その通り。第八聖女ノンネットをよろしくね?」
「よく分かりましたね。私の狙いが」アンソルーペはノンネットの摘まんでいる封印を見つめて言った。
「まあ、この二枚があれば大抵のことは分かるものだよ。で? 譲って欲しいかい?」
「条件は?」
「ことが終わった後、こちらに戻ってくることだ。君に会いたがっている人がいてね」
「奪えばいいでしょ、アンソルーペ」とかわる者が訴える。「こんな奴の言うことなんて聞く必要ない」まだアンソルーペは何も言わない内からかわる者がそう言ったのは、アンソルーペの心の内が分かるからだ。「ねえ、大王国を追い出すんでしょ?」
アンソルーペは輿に降り立つ。
「魔法の誓いでいいですか?」
「十分。喉の渇きに大河の源を求める者はいないよ」
早速アンソルーペは伝える者を通じて戦場に散らばる者たちに指示を出す。建てる者と築く者に天井の一部を崩落させる準備をさせ、耕す者と掘る者に地面を陥没させる準備をさせた。その他思いつく限り、非戦闘的な使い魔も総動員して巨人を拘束する手立てを行う。
戻ってくると巨人の女王はユカリと言葉を交わしていた。それはアンソルーペの中でも時折呟いていた巨人の言語だ。
「地上に留まる最後の巨人さん。貴女は死霊でしょ? 境遇には同情するけど、諦めて仲間の元へ向かっては?」
「黙れ。何も知らねえ、くそがきが。俺の一族は今もここにいる。お前らが踏みつけている地上こそが誇り高き一族そのものなんだよ!」
「それは神話にも伝わっているよ。でも魂は去った。貴女が今ここでこうしているのが何よりの証拠だよ。本来の肉体を離れているんだよ、貴女と同様に皆も」
「いいや、そうじゃねえ。俺に魂について講釈垂れようなんざ一万年はええんだよ。肉体と魂は不可分、肉体が縛られているなら魂も縛られてんだ。お前には聞こえねえのか。深奥の奥底から響く奴らの怨嗟の声が」
議論は平行線だが、巨人の女王の動きは少しばかり鈍っている。度重なる無傷の姿への変身とて限度が無いわけではないのだ。畳みかけるようにアンソルーペは策を実行するよう伝える者を通して命じた。
戦士たちにも僧兵たちにも分け隔てなく、これから起きることを伝える。殺し合っていた者たちが一斉に巨人から離れていく、と同時に天井と地面が崩壊する。激しい崩落音で悲鳴すら聞こえなくなり、濛々と立ち昇る土煙で視界が遮られる。降って来た瓦礫に頭を打たれ、地面が抜けて足を取られた巨人に、駄目押しするようにグリュエーに連れられたレモニカが女王の額に着地した。そうして変身したレモニカの姿は眩いばかりの光を放つ女だった。蒼空を照らし、白雲を焦がす燦々と輝く真夏の太陽よりも、深き夜に神秘を遣わす皓々とした月よりも遥かに眩い顔貌に魅入られる。真紅の髪と真紅の瞳の魅力は、身に纏う繊細な造りの衣や驚異と畏怖を秘めた装飾品を霞ませた。
「何だ。てめえか」そう言って女王は額の上のレモニカの体を握りしめる。「そうだよなあ。一番憎いのはお前だぜ。パデラ。よくも俺の子等を!」
「やめて! 母上を放して!」
作戦が失敗したのだと、王手を取りながら詰ませることに失敗したのだと察せられる。ベルニージュは炎の魔術を止め、地面に足を取られた巨人の元に駆け付けたが、ただその巨大な膝の辺りに縋りつくだけだった。
そこに高らかな笑い声が響く。
「情けないなあ! ベルニージュ! 母上がそんなに恋しいか!」
いつの間にか要塞の内部へと入って来ていたノンネットがベルニージュの背後で巨人を見上げている。土煙が晴れると共に幾人かの僧侶が現れ、何処から用意したのか祭壇のようなものまで据えられている。そして昇天の儀式を執行した。僧兵たちは巨人に挑みながらその儀式の準備までしていたのだった。
「何れ来る我らが神よ。
世を浄めし救いの乙女よ。
我らが祈りを聞き届け給え。
遥か北方の地に伏す巨人の落人に変わらぬ憐れみを与え給え。
今、彼の者、清浄なる大地の来るその日まで、世が幸に満ちるその日まで眠り給う。
彼の者の生を嘉し給え。
汚穢を雪ぎ給え。
死を寿ぎ給え。」
巨人の女王は力を奪い取られたかのように両手を地面につく。
「やめてくれ。俺も大地に……」そう言い遺して巨人の女王は腰を折り、追って倒れ伏した。
パデラの姿のレモニカは巨人の指から放り出されて地面に転がり、そこへベルニージュが駆けてきて縋りつくとラーガへと変身した。冷静さを取り戻したベルニージュは気恥しそうにレモニカの手を引いて巨人の遺骸から離れる。
「良いとこ取りしちゃったかな? 悪く思わないでね」とノンネットは揶揄うように言った。「さあ、戦いは終わり。屈強な戦士たちも帰って母親に慰めてもらう時間だね」
アンソルーペはユカリの元へと急ぐ。
「お別れです。貴女の未来に幸あることを願っています」そう言って返事を待たず、かわる者の封印を剥がし、その他の使い魔の封印と共にユカリへ差し出す。
ユカリは驚きの表情を見せつつも封印を受け取る。そうして何を思ったのか、アンソルーペの手を取った。
「良ければ一緒に来ませんか?」とユカリに誘われる。「想像ですけど、もう救済機構に居場所はないんじゃないかと思って」
たとえばここで助けを求めれば聖女と戦ってくれるのかもしれない。だからこそ、それはできない。アンソルーペは心の内を秘めるように首を横に振る。
「その通りですが、私のしたいことが貴女と交わることはありません。でも、お誘いいただきありがとうございます。かわる者をよろしくお願いします」
そう言うとアンソルーペは背を向けて、ノンネットの背中を追う。
戦いから数日が過ぎ、冬の始まる直前の重い雪が降り始めた昼頃、再び戻ってきたロガット市の城壁、ガレイン半島における救済機構の最大の拠点の一室でアンソルーペは待たされていた。窓際の椅子に座り、外の景色を静かに見つめる。窓から見える景色は真っ白で、暖炉の無い冷たい部屋の室温はますます下がっていく。アンソルーペが白い溜息を一つつくと同時に扉が開かれた。
「会いたがっていたって、貴方だったんですか? チェスタ」
「ええ、お久しぶりですね。ずっと会いたかったんですよ。まさかこんなに近くにいたとは」
チェスタは顔を覆っていた魔術を解いており、魔導書に奪われたという鼻から上の消失した無貌を曝け出している。
「そう? それで、何の用ですか? 聖女に言伝るほどということは救済機構にとってそれほど重大な案件ということですよね?」
「ええ、ですが何より重大なのは私たちにとって、ですよ。 」
と呼ばれたアンソルーペは跳ねるように立ち上がり、倒れた椅子は石の床を打つ。そして目のあるべき虚空をじっと見つめる。
「その名前は私しか知らないはず。どうして?」
「どうして? その通り貴方しか知らない名前ですよ。何も疑問に思うことなどありません。まあ、お互い当時とは別の顔になってしまいましたが」
はチェスタの顔の無い顔を見つめ、そしてかっと目を見開く。
「貴方でしたか……」そして否定するように首を振る。「嫌です。戻りたくありません。どうして今更」
「聖女様がそうお望みなのですよ」チェスタはそう言って、薄い笑みを浮かべる。