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やりたいことリスト**
机の上にノートを広げた。
シャーペンを握る手が、どうにも落ち着かない。
――三十日後に死ぬ。
あの日、死神のいふにそう告げられてから、もう三日が過ぎた。
実感はまだない。毎朝同じように目を覚まし、制服に袖を通し、学校へ行く。友達と話して笑うし、授業中は眠くなる。けれど、どんな瞬間にも「あと何日」という数字が頭の隅に張りついて離れない。
昨日、いふに「残された日をどう過ごすかはお前次第や」と言われた。
だからこうして、ノートの最初のページに「やりたいことリスト」と書いて、ペン先を宙に浮かせているわけだ。
「……何書けばいいんだよ、こんなの」
ぽつりとつぶやいたとき、ふいに窓の外から声がした。
「ええやん。素直に思いついたことから書いてみたら」
ぎょっとして顔を上げると、窓枠に腰かけた長身の男がこっちを覗き込んでいた。
黒いコート、赤みがかった青髪。昨日も一昨日も見た姿。死神――いふだ。
「お前な……ノックとかできないのかよ」
「死神が人んちの窓から来るんは普通やろ。ノックして『お邪魔します』言う死神、想像してみ。間抜けやろ?」
「間抜けでもいいから、ちゃんと来いよ……」
俺はため息をついた。こいつは本当に、恐ろしい存在なのか、それともただのふざけた兄ちゃんなんじゃないかと錯覚する瞬間がある。
「で、何してんの?」
「……やりたいことリスト、作ろうと思って」
「お、ええやん。どうせ三十日しかないんやしな」
いふはひょいと部屋に入り込み、机の前に腰を下ろす。気配も音もなく動くのに、空気だけはがらりと変わるから不思議だ。
「まだ全然書けてないんだ」
「見せてみ」
ノートを覗き込んだいふは、俺がでかでかと書いたタイトルの下に真っ白な余白が続いているのを見て、吹き出した。
「ははっ、見事に真っ白やな」
「笑うなよ! ……だって、やりたいことなんて急に言われても思いつかないんだよ」
「なるほどな。ほな、うちも一緒に考えたるわ」
「え……死神なのに?」
「死神やからこそやろ。お前の三十日、うちが全部見届けるんやから」
いふは勝手に引き出しから紙とペンを取り出し、自分の分のリストを書き始めた。
俺は仕方なく、またシャーペンを握り直す。
しばらく沈黙が続いた。
ペン先を走らせる音だけが部屋に響く。
最初に俺が書いたのは――
「……遊園地に行く」
なんとなく浮かんだのがそれだった。友達同士で行く予定もあったけど、タイミングを逃して行けなかった場所。どうせ死ぬなら、ジェットコースターとか観覧車とか、乗ってみたい。
次に書いたのは「ケーキを一ホール食べる」。
ありえないくらい甘いものを腹いっぱい食べるのは、子どものころの夢だった。
そして「誰かに本気で告白する」。
書いた瞬間、胸が熱くなった。好きな子がいるわけじゃない。でも、自分の気持ちをまっすぐぶつけるってことを一度くらいしてみたかった。
ちらりと横を見ると、いふの紙にはもういくつも項目が並んでいた。
「お前……書くの早すぎだろ」
「慣れとるからな」
「慣れてる?」
「人間の“やり残し”とか、よう見てきたんや。死ぬ前に『あれしたかった』って後悔しとる奴、腐るほどおる」
そう言いながら、いふは真剣な顔でペンを走らせている。
死神なのに、妙に人間くさい。
「……何書いたんだ?」
「ええよ、見せたる」
差し出された紙を覗き込む。そこには意外すぎる項目が並んでいた。
――『ラーメン屋の替え玉限界まで』『プリクラ撮る』『深夜アニメ一気見』『金魚すくいで十匹取る』『告白される側になってみたい』……
「なんだよこれ! 思ってたより庶民的すぎるだろ!」
「ええやん、死神かて元は人間や。生きとったら二年生やったし、やりたかったことぎょうさんあるわ」
俺は笑ってしまった。
さっきまで胸にのしかかっていた重苦しさが、少しだけ軽くなる。
「……なんか、お前と一緒にやりたいこと、増えそうだ」
「せやろ? どれもおもろそうやしな」
いふはにやりと笑い、俺の書いた「遊園地」の文字を指差した。
「まずはこれからやな」
「は? もう決めんのかよ」
「決めんと始まらんやろ。三十日しかないんやぞ?」
その真剣さに押されて、俺は黙って頷いた。
夜。
机の上には、二人分の「やりたいことリスト」が並んでいる。
白紙だったページが文字で埋まり、見ているだけで胸がざわめいた。
三十日後に死ぬ――その事実は変わらない。
けど、こうして文字にした瞬間、ただ恐れるだけじゃなく、やりたいことに手を伸ばす勇気が少しだけ芽生えた気がした。
「……なあ、いふ」
「ん?」
「ありがとな」
「おう。礼言うんは、全部叶えてからにせえや」
そう言って笑う死神は、不思議なくらい人間らしかった。
そして俺たちの三十日間は、確かに動き出したのだ。
コメント
1件
30日後に死ぬ桃((((