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第1節 葛城雪絵・千崎雄二『覚悟の選択』―3―
京介は、視線を雄二に向ける。
「千崎よ。お前の知識は、無駄にしねぇ。だが――最初からテメェに全て押し付ける気はない」
それは、拒絶じゃない。
配慮だった。
雄二は、小さく笑った。
「……分かりました。解体で行きましょう」
三井が、低く息を吐く。
「遠回りだが、死ににくいしな」
「そうだ」
京介は机を軽く叩いた。
「相良組は、そういうやり方で行く。組員は家族だ。受け入れたからにゃぁ責任をもって面倒を見る」
雄二は、その言葉に、何も言わなかった。
ただ――胸の奥で、少しだけ救われた気がしていた。
***
パソコンに向かったままフリーズしていた雄二は、向かいのソファに腰掛けたまま、こちらを見つめる三井の視線に気が付いて、顔を上げた。
「……三井、さっきから仕事をしているようには見えないんだが……何か言いたいことでもあるのか?」
三井は煙草に火をつけることもなく、指先で箱を弄びながら吐息を落とした。
「明日だな」
一瞬、意味を測りかねた雄二に、三井は続けた。
「雪絵さんの誕生日だよ」
その一言で、パソコンへ戻りかけていた視線が三井へ戻る。
「分かってんだろ? もうあの人も二十八だぞ?」
相良組の幹部として。
京介の片腕として。
その数字が何を意味するか分からないほど、雄二は鈍くない。
「祝ってやってくれ。頼む」
三井の声は低く、淡々としていた。
命令でも、忠告でもない。
それはかつては雄二と同じ立場にいた人間の、どこか悲痛な叫びだった。
「派手にする必要はねぇ。雪絵さんは小食だ。ケーキはイチゴが乗った小さいのが、ひとつありゃぁいい」
少し間を置いて、三井は付け足す。
「……彼女、ずっと同じ建設会社だろ。オヤジが口利きしたとこ」
雄二は小さく息を吐いた。
「ああ……」
一人で生きていくため手に職をつけて、ぐいぐい前へ進んでいく気がないことは、その働き方で分かっていた。雪絵は、変化を求めているようには見えない。その生活ぶりから、ずっと〝誰かに守られていたい〟という願いが、ありありと滲んでいるように、雄二には思えた。
三井はそれ以上、何も言わない。
相良組は、もう走り出している。
京介が前に立ち、雄二と三井は左右からそんな彼を支えていく。
組の中での立場は、すでに固まっていた。
――私生活だけが、取り残されたままだった。
***
翌日の夜、雄二はいつもより少し早く帰った。
相良組の事務所近くで買った、小さなケーキと、白い花を一本。
大きな花束を渡して気取る気にもなれなかったし、それで十分だと思った。
「……誕生日、おめでとうございます」
そう言ってケーキと一輪の花を差し出すと、雪絵は一瞬、目を丸くした。
「覚えてて……くれたの?」
柔らかく笑うその顔に、胸の奥がちくりと痛む。
祝うことはできる。
だが、答えは出せない。
雪絵は、了道が斡旋した建設会社で、変わらず事務の仕事を続けている。
生活は安定している。
――雄二との関係も何もかも、何も変わらないまま。
雄二はその事実から、目を逸らすことができなかった。
少し前に済ませた百合香の二十九の誕生日には、アクセサリーを渡して、もっと盛大に祝った。
それが、雪絵の笑顔の前で、やけに後ろめたかった。
***
相良組が動き出してしばらくしたころ。
百合香は勤めていたランジェリーメーカーを辞め、相良組の庇護のもと、ランジェリーショップ『YURIKA』を開いた。
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#極道
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表向きは自立。
実際は――雄二の目の届く場所へ、彼女を移してしまっただけだ。
守っているつもりで、――手放せない。
百合香は、次の誕生日で三十になる。
それでも彼女は、結婚の話をいっさい口にしなかった。
以前、腕の中で言った「影の女でいい」という言葉を、まだ守っているみたいに。
結婚はできない。
それでも、他の男のものになるのだけは許せない。
一度手放して、取り戻した瞬間から……もう、理屈ではどうにもならなかった。
その一方で、先日の雪絵の、「覚えてて……くれたの?」という笑顔が、頭の奥に残って離れなかった。
彼女の誕生日は、三井に言われて形だけ祝ったに過ぎないのに、あの笑顔は本当に堪えた。
雪絵の二十八という年も、祝って終わりにできる年齢じゃない。
だが――。
だからといって、今の雄二には、百合香を選ぶことも、雪絵をこのまま待たせ続けることも、自らの選択ではままならないのだ。
本当は、百合香と結婚したい。
それが許されないと分かっていても、最初から諦められる程度なら――取り戻したりしない。
(俺は……お嬢さんと結婚させられるのか?)
おそらくそうなるのだろう。
三井が雪絵の年齢を気にするように、了道もまた――彼女の誕生日が近づくたび、言葉を重くしてきた。
『いつまで〝預かり〟のままにするつもりだ?』
そんな電話が増え、呼び出しの間隔が短くなる。
雪絵が二十五を越えた頃からじわじわと強まっていた圧は、もう――臨界点に見えた。
そのとき、まるで雄二の迷いを見透かしたみたいに、胸ポケットの携帯が震えた。
画面に出た名前は――葛西了道。
もう逃げ道はない。
雄二は一度だけ目を閉じて、通話ボタンを押した。
***
その日の午後、仕事を終える少し前。
事務所の電話が鳴った。
書類をまとめていた雪絵は、反射的に受話器を取る。
「はい、川崎土建、事務の葛城です」
いつも通りの文言で電話に応じながらも、胸の奥がひやりとした。
相手の声を聞く前から、ナンバーディスプレイに表示された番号で、誰からなのか分かってしまったからだ。
『雪絵か』
低く、抑えた声。
聞き慣れたその声音に、背筋が伸びる。
「……はい、雪絵です。了道おじちゃん」
『そろそろ仕事、終わる時間だよな?』
用件を聞くまでもなかった。
理由を問う余地も、与えられない。
コメント
2件
雪絵さん、切ないな。三井さんならもっと盛大にと思うと余計(涙)
ああもう、雪絵ちゃんの「覚えてて……くれたの?」って笑顔が胸に刺さりすぎて泣きそう…😭💔 雄二くんの、百合香さんとの関係も雪絵ちゃんへの罪悪感も、どっちも本気なのにどっちも選べないもどかしさが痛いほど伝わってきたよ…。最後の了道さんの電話で「逃げ道なし」ってなったところ、続きが気になりすぎる!! この苦しい三角関係、どう転ぶんだろう…😣🌸