テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
35
67
44
その日、私は同期の壮馬とランチをしていた。
本社に近い私の店舗は、なにか施策が行われる前の実験店舗として、よく使われる。
今回は顧客満足度向上のための新施策の打ち合わせのため、壮馬が店舗を訪れていたのだ。
〝本部の人間は店舗に来たら、店長とランチ休憩〟
という謎の風習のせいで、今日もこうして彼とカフェに来たのだが、そうすると当然のように壮馬が壱月とのことの続きを聞いてくる。
隠すこともないので、私は同居から今に至るまでを、壮馬に洗いざらい話した。
「つまり、そのパイロットの彼は愛音が好きだった、と」
彼が私の話を要約したので、私はこくりと頷く。
「なんか、すごいことになってきたな」
「……正直、どうしていいかわからない」
口からもれ出たのは、そんな言葉だった。
「そっか」
壮馬は困ったような笑みを浮かべて、ランチのパスタを口へ運ぶ。
だから私も、パスタを頬張った。けれど、味を感じない。
咀嚼しのみ込むと、ため息がこぼれそうになった。
「でも、ある意味ロマンチックじゃない?」
壮馬のその言葉で、ため息が止まる。
代わりに顔を跳ね上げて、壮馬をまじまじと見た。
「ずっと好きだった人が、実は自分をずっと好きだった。しかも、その人が実は子どもの父親だった、なんて」
改めて口にされると、奇跡のように感じてしまう。だけど――。
胸に渦巻くのは、複雑な思いだ。
「そう?」
私が聞くと、彼は自嘲するように笑った。
「うん、俺とは大違い」
その言葉に、私は相づちを打つことはできなかった。代わりに、曖昧な笑みを浮かべる。
すると、壮馬がふっと笑みをこぼした。
「はは、気を遣われた」
「そういうつもりじゃ……」
「いいよ、気なんか遣わないで。俺の中では、もう終わったこと」
彼が『終わったこと』と言ったのは、私と付き合う前の、壮馬の恋の話だ。
壮馬の彼女は、壮馬の上司だった。そして同時に、誰にも言えない秘密の恋だった。
壮馬の彼女は、既婚者だったのだ。
『妊娠したから、別れてほしい』
それが彼女の最後の言葉だったと、壮馬から聞いた。
彼女は今、長期育休中で、会社で顔を合わせてはいないらしい。
けれど、そのお子さんと花斗が同じ学年だということが、なんとも奇妙で変な気持ちになる。
壮馬と私が付き合うことになったのは、お互いが似ていることに気づいたからだ。
私たちは、恋に破れたはずなのに、ひどいことをされたはずのに、なぜか相手を憎めないでいた。
恋の傷を癒すのは新しい恋だと、誰かが言っていた。だから、互いの傷を舐め合うように、壮馬と付き合い始めたのだ。
――付き合ったところで恋なんて始まらなかったのだから、私たちにはなんの意味もなかったのだが。
彼との馴れ初めを思い出していると、不意に壮馬が口を開いた。
「花斗の父親だってことは、彼に伝えたの?」
「ううん。でも気づいてると思う」
そう言うと、壮馬はきょとんとした。
「言わないの?」
「今はまだ、言えない」
「どうして?」
壮馬は〝意味がわからない〟というように、私の顔をじっと見る。
その視線に耐えられなくて、私は顔を背けた。
「……彼を花斗の父親だって、認めたくないんだよね」
言いながら、一緒にため息がこぼれ落ちた。
好きだと言われても、甘やかしたいと言われても、妊娠が発覚してからの毎日が帳消しになるわけではない。
壱月はあの日のままなのに、私だけがお腹で命を育んで、私だけが〝親〟になってしまった。
だから、花斗を取られたくないという独占欲が、親としてのプライドが、壱月を父親だと認めることを拒否するのだ。
「まあ、突然現れた父親に、手柄を全部取られたら、たまんないよな」
壮馬がそう言うのは、今までの私の苦労を全部、彼が知っているからだ。
壮馬には、どうしたって気持ちを読まれてしまう。似た者同士だから。
「……」
なにも言えないでいると、また壮馬は苦笑した。
「まあ、父親の建はそのうち伝えるとして、さ。付き合う気は、あるの?」
「え?」
唐突な問いに、思わずそう返してしまった。
「告白されたんでしょ?」
「うん。でも……まだ、考え中」
謝られたからといって、壱月への嫌悪感が拭えたわけじゃない。
それに……今、花斗の母としている自分が〝女〟として壱月の隣に立つことに、戸惑いがある。
壮馬はパスタを食べ終えて、アイスコーヒーのストローをカラカラ回している。
そんな彼に、私は告げた。
「新たに恋をしようなんて、今さら思えなくて」
けれど、言ってからふと思ったことがある。いや、口に出したから思ったのかもしれない。
私はそっと、口を開いた。
「……ねえ、壮馬」
「ん?」
「彼と恋、まだできると思う?」
つい、彼に聞いてしまう。
似た者同士の彼なら、なにか答えてくれるかもしれない。
「……俺に聞くなよ」
壮馬は自嘲するように、「ははっ」と困り顔で笑う。
「ごめん」
私の言葉に、壮馬は「よく考えてからでいいんじゃない?」と付け加えてくれた。
コメント
1件
うわあ…このエピソード、すごく重くて切なかったです。壮馬さんとの会話、お互い傷を舐め合うように付き合い始めた過去が生々しくて。愛音さんが「彼を花斗の父親だって認めたくない」って言葉、めちゃくちゃ胸に刺さりました。自分だけが親になってきたプライドと独占欲、わかる気がします。でも最後に「恋、まだできると思う?」って聞くところが…まだ諦めてないんだなって。壮馬さんの「俺に聞くなよ」も含めて、すごくリアルなやり取りでした。