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友達から恋人になるというのも、案外苦労する。
「はぁー…」
私はクマのぬいぐるみを前に、ため息をついた。
「…君に対してならいくらでも呼べるのにね。
ね、亮平」
苦笑まじりに呟いて、恋人と同じ名前をつけたぬいぐるみの目を見つめていると、何だか「さっさと勢いで呼んじゃえよ」と急かされているように感じる。
いやいや、そんなに簡単に呼べるならそもそも君で練習なんてしてないのよ。
──長いこと友達関係で、両想いだったことが発覚した阿部ちゃんと付き合いはじめて早3ヶ月。
元々気の合う友人で、付き合ってすぐに同棲も始まるくらいには親密な私たちだけれど、問題がひとつ。それが、私から彼に向けての呼び方だ。
阿部ちゃんは元々私のことを下の名前で呼んでくれていたけれど、私はずっとみんなと同じ阿部ちゃん呼びで、付き合ってからも何となく慣れ親しんだその呼び方を使ってしまっている。
…でも。
”俺、恋人には下の名前で呼んでほしいな〜。
苗字で呼ばれがちだから、なんか特別感あるんだよね”
だいぶ前に雑談の中で聞いたそんな情報が頭を過ぎる。
この3ヶ月、呼び方について彼に何か言われたことはないけれど、内心ではやっぱり名前で呼んでほしいと思っているんだろう。
とはいえ、いきなり呼び方を変えるのも何だか照れる。
そんなわけで、ひとまずこうしてぬいぐるみに亮平と名付け、名前呼びへの抵抗感を減らす試みをしているのだけれど…肝心の本人には呼びかけられずじまいだ。
「…亮平、」
一体いつになったら呼べるのやら。ぬいぐるみを抱きしめながらもう一度呼びかけた声は今にも泣き出しそうなほどか細くて。
情けなくなって、縋るようにぬいぐるみを抱きしめる腕の力を強めた、その時。
『呼んだ?』
「…へ、」
驚いて振り返ると、部屋の入り口にはにっこり笑ってこちらを覗く阿部ちゃんがいた。
「阿部ちゃん…?え、待って、今の聞いて、」
『うん、ばっちり聞いてた。やっと名前で呼んでくれたのに、また阿部ちゃん呼びに戻っちゃうの?』
「いや、さっきのはこの子に呼びかけただけで…」
『へー、その子亮平っていうんだ。ぬいぐるみにも俺の名前つけちゃうくらい俺のこと好きでいてくれてるっていう認識でオッケー?』
「えと、違くて、いや違わないけど…!
〜〜〜っ、も、やだぁっ…!」
恥ずかしさのあまり泣きそうになりながら俯くと、阿部ちゃんはそっと近づいてきて、優しく私を抱きしめた。
『ごめん、ちょっと意地悪だったよね。あまりにも〇〇が可愛すぎてつい…』
「え…?」
『〇〇のことだから、俺が恋人には名前で呼ばれたいって言ったの覚えてて、頑張って練習してくれてたんでしょ?』
「…!」
阿部ちゃんには、全部お見通しだったみたいだ。
素直にこくりと頷くと、阿部ちゃんはこれ以上ないほど優しい顔で笑って、頭を撫でてくれた。
『焦らなくていいからね。そりゃ名前で呼んでもらえたら嬉しいけど、俺にとっては〇〇に呼ばれるならどんな呼び方でも特別なんだから』
阿部ちゃんの一言で、あんなに緊張していた心が途端に解れていくのだから、本当にこの人は凄い。
何だか、今ならなんだってできそうな気持ちになってきて、私は思い切って大胆な行動に出た。
部屋を出ていきかけた阿部ちゃんに、後ろからぎゅっと抱きついて。
「…亮平。大好きだよ」
『……!
…ねぇ待って。それは狡い、』
「ドキドキ、してくれた?」
『…自分で確かめてみて、』
振り返った彼に優しく頭を引き寄せられて、その胸に耳が押し当てられる。
聞こえた鼓動はちゃんと普段よりも速くて、嬉しくなってしまう。
「いつも私ばっかりドキドキさせられてるから、私からもいつか仕掛けたいなとは思ってたんだぁ」
『あのさあ……ほんと、俺より〇〇の方がよっぽどあざといと思う』
ようやく彼の一枚上をいけた気がして、満ち足りた気持ちでニヤけていると、そのままぎゅっと抱きしめられて。
『かっこつけて隠してるだけで、俺もいつも〇〇にドキドキさせられてるんだよ。
だから、あまり可愛いことばっかりしないでね?じゃないと…』
──俺の理性もたなくなって、急に襲っちゃうかもよ?
低音イケボで囁かれた爆弾発言を理解して私の顔が真っ赤になったのは、それから数秒後のことだった。
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