中学時代の旧友──というより、私たちの関係性を正しく呼ぶなら主人と雑用係などの方が近いだろうか。関係を遡ること数年前、あの頃では想像もつかなかったが後に長い付き合いとなる一ノ瀬咲希という転校生がうちのクラスに来た。
その子は肩ほどまで伸び、艶やかな金の髪と雨雲のような灰色っぽい瞳が特徴的で、転校して来てすぐの頃、偶然私が学校の案内係を任されたりするなど何かと一緒に行動することが多く、そういったことがきっかけでよく話すようになった。
「あなたが案内係なの?ふうん、そう。じゃあ、よろしく」
「一ノ瀬さん…だっけ、よろしくね。教室の場所とか、聞きたいことがあったらなんでも聞いて欲しいな」
これが私たちの初対面であり、この時の私には想像も付かないような関係の始まりだった。案内係を任されたこと自体は良いもののなんと彼女は不真面目なサボり魔常習犯で、問題児リストがあればまず真っ先に名前が載るような男子生徒たちがその姿を見ただけでしゃんと背を伸ばし、眠気を堪え、ある程度の話は聞くような校内では有名な鬼怖先生が手を焼き、どうしたものかと考えあぐねるほどの問題児であった。
「聞いた?あの転校生、また職員室に呼び出されたんだって!」
「聞いた聞いた。あのゴリ先でも手に負えないってヤバいよねー、あっねえ次授業なんだっけ?私数学の教科書忘れちゃって…」
と言った具合にマァ思い返せばキリがないほど廊下や教室の隅などあちこちからうわさ好きな女生徒の声が絶えなかった。初めのうちは転校生という興味を持たれるには十分すぎる立場に加え、黒髪がほとんどで、染髪も禁止されている校内では目立ちやすく、とりわけ人目を引く髪の色や、多くの生徒たちの心を折ったあの鬼教師に頭を抱えさせたという事実が在校生たちにとってはあまりに衝撃的で、瞬く間に噂が広まるとクラス関係なしで興味本位や好奇心で彼女の元を尋ねる生徒はそこそこにいて、最初のうちは会話もしていたように思うが付き合っていくうちにあれだけ集まった野次馬もそそくさと彼女の元を去っていった。
その原因は彼女がいじめられていて関わったらいじめられるからだとか、よそ者と仲良くしちゃいけないという田舎特有の意識ゆえにとか、そんなものではなかった。
「え、転校生?あー…一ノ瀬さんだっけ?いやあ最初は確かに気になったけど…あの感じゃあ、ちょっとねえ」
「一ノ瀬?あー、俺ちょっと話したことあるけどあれは無いわ。周りに居る人間を召使いかなんかだと思ってんじゃねえの?」
──もっと単純なもので、彼女自身の性格の難である。転校して間もない上他者に囲まれても自分を貫ける強さがあって、芯があると言えば聞こえは良いかもしれないがお綺麗なことを言っていられるのは束の間、口を開けばわがまま放題でその振る舞いは絵に描いたようなお嬢様……というより、わがままな令嬢のそれなんかに近かった。
「ねえ、消しゴム忘れたんだけど」
「それ何の本?へー、面白いの?貸してよ。良いでしょ?」
「暑いから窓を開けてちょうだい」
など、その他にも振り返ってみれば頼まれたお願いは数え切れないほどだった。当然親しくもないわがまま人間の世話を焼きたい人間などほとんど居ない訳で、気付けば私がその役割を担うようになっていた。分からないことを教えるのはもちろんのこと彼女が休めば遠い家までわざわざプリントや課題類を届けたり、忘れ物をすれば私がカバーして当たり前。それどころか主従関係のようなものに近いそれは、学校の枠を抜け出し日常にも侵食していた。
例えばの、皆で遊ぶとなれば定番の公園やちょっとした広場があるとしても、当然転校してきて間もない彼女はそこへの行き方が分からない。そうなると案内役が必要なのだが、彼女を案内したがる者はそう居なかった。
実際案内していても、口を開けば「喉が乾いた」、「足が疲れた」、「到着はまだなのか」。
その他諸々文句と言う文句は全て言う上、善意で飲み物を買ったり少し休憩の出来るベンチを教えてやってもそうして当然、なんて偉そぶった顔しかしないのだ。人にしてもらっておいて不満だらけで、どこか可愛げがある訳でもない。実際何度か明日が終われば絶交してやるし、面倒なんてもう見てやらない!と固く決意した回数も少なくはない。
それでもいざ翌日になって対面すると不思議なもので、昨日まで言おうと思っていた不満はどこへやら、気付けば彼女の面倒を見ているばかりだった。
「薄水さんって一ノ瀬さんとずっと一緒に居て疲れないのかな、私この前も振り回されてるとこ見たよ」
「きっと逆らえないんでしょ、大変そうだよね…」
しばらく一緒に居るうちに、クラスメイト達から憐憫や同情の目を向けられるようになっていった。傍から見れば振り回される私が不憫なものに見えていたのだろう、私も第三者ならそう見たかもしれない。マしかしそんな噂も彼女と居る間は気にする暇もなかった。
「駅前にカフェ出来たらしいの、聞いたことあるでしょ?私土曜日なら暇だから連れてってよ」
「ええ〜…その日私友達と遊ぶ約束入れてるんだけど」
「私が頼んでるのに?それとも何、私よりその友達の方が大事なの?」
「分かった分かった、断っとくって。いつも通りお昼になったら迎えに行くから」
そこまで言ってようやくご機嫌です、という顔を浮かべては自分の席に戻っていくのだ。多分私が長らく彼女の面倒を見れたのはそういう瞬間に可愛げを覚えたからだと思っている。
実際長く付き合っていくと感覚が麻痺するのか、あるいは慣れなのか犬や猫のそれに近いように思う。すごく面倒くさい上わがまま放題で、好きじゃなければ放り出したくなるようなもの。少なくとも、私にとってはそうだ。
彼女が転校してきたのは春の終わり頃、通学路に咲き誇っていたほとんどの桜が散り若葉が出始めた季節だったが、気付けばあっという間に肌を撫でて吹き抜けていく風はどこか熱を持ったものへ変わり、セミの鳴き声をアラームに強い日差しと共に目が覚めるような夏を迎えていた。去年までならお盆休みや墓参り、親戚の手伝い以外に誰かとどこかへ行って遊ぶでもなく、それなりに課題を終わらせつつ夏休みを過ごし二学期もそこそこに過ごしていたと思うが今年はそういう訳にも行かず、やはり多くの時間を彼女と過ごすことになった。
どうやら彼女はあまり家に居たくないらしく、基本的に行先はショッピングモールやカフェに行くか私の家に転がり込むかの二択だった。両親共に私が何をしていようと基本気にしないので夏休みの課題は基本私の家に持って来てやることが多く、なんなら私の部屋に置いて帰ったりしていた。
「ねぇ、ここ分かんない。答え見せてよ、というかわざわざ真面目にやってる奴なんてほとんど居ないって。もう答え移した方が早いでしょ」
「咲希ちゃんこの前小テストのカンニングだっけ?バレて呼び出されてたじゃん、怒られても知らないよ」
「はー、うざ…というか松崎も松崎じゃん、いちいち説教長すぎ。たかがカンニングだってのに」
「わざわざ目の前で舌打ちとかするから荒れるんだって、もー…分かんないのどこ?教えてあげるから」
そんな会話を何回か重ねていくうちに、何回目からか夏休みの宿題で分からない所があればまず私に聞くようになっていた。ただ毎日真面目に勉強していたという訳でもなく、日によっては普通に課題の途中で休憩と称してゲームの誘惑に負けてしまったり、あるいは少し疲れて仮眠を取るつもりが2人揃って眠りこけてしまったり、夏休みの自由研究をどうしたものかと悩んでみたり、至ってなんでもない穏やかな時間を過ごしていた。
否、正式に言うと一度だけ、夜遅くまで我が家に居ることも多いが家に帰らなくても平気なのか?と聞いたことがある。家庭の事情に踏み込むことはあれが初めてだったので、もしかしたら怒るかなとも思ったが彼女は数十分に渡る沈黙の後、初めて聞くような、か細い声で一つ答えた。
「うちは帰っても妹のことばっかで、何も言われないか怒られるかだから別に……」
いつの間にか伸びていた前髪で隠れてしまい、肝心の表情はあまり見えなかったがいつもは忙しなく何かを見たり食べたりしている表情は沈み顔を伏せ、なんとも気の毒な顔を浮かべていた。それを見ているうちになんだかたまらなく哀れに見えて来て、同時に、何故不思議とクラスメイトたちに勝った気がした。
彼らはこんな彼女を見たことがないだろう、知るはずがないだろう!マそもそも夏休み中は私とずっと過ごしていたからのびのび過ごす彼女だって私しか知り得ない訳だが。
こんな状況じゃなければ今頃鼻歌交じりにスキップでもしたい所だが生憎そういう訳にもいかないだろう。なんとも呼べない幸福感で頬が緩みそうになるのを抑え、口元に手をやり、その時だけ女優になった。
「大変だったね。私だけは咲希ちゃんのこと見てるからね」
それで、彼女になんと返されただろうか、今思い返しても声が上擦っていなかったか不安になる。マしかしそのあとも私たちの日常は続いたし気付いていたとしても分かっていて私と過ごしているし、同罪であろう。そんなこんなで普通に夏休みも終わり、いつの間にかまた二学期も終わりを告げていた。そこまで来ると時間が流れるのは一瞬で、そこそこに楽しかった中学生生活ももう終盤であった。優等生のあの子はどこの高校へ行くとか、不真面目なアイツが意外と偏差値高いとこへ行くらしいとか、そんな話題で溢れかえっている中私達は相変わらずだった。口に出すまでもなく同じ高校へ行くつもりだったし向こうもそんな所だろう。
そうして惜しむ間もなく流れる時の速さに身を任せるうち迎えた卒業式も、私たち二人の間に感傷的なムードは一切なかった。
別れを惜しんで泣くクラスメイトたちの姿を横目に、私はふと隣を見ると、彼女はいつものように退屈そうにくるくると指先に髪を巻いては解いていた。写真を撮り合ったり、3年間共に過ごした友人達との会話に花を咲かせる者も居たがそれに目線をやることはなくて、ただ雑音を流し続けるラジオのように聞き流していた。
「ねえ、この後どっか行こうよ。前行きたいって言ってたカフェとかどう?」
「…良いね、期間限定メニューが美味しいんだっけ?私マカロン食べるからそっち頼んでよ。早く行こ」
お世話になった先生なんかの挨拶回りもそこそこに、どちらともなく集まるといつも通り彼女の荷物を押し付けられなんとなく、高校に入ってからもこの生活は変わることなく続くんだろうなぁ、なんてことをふと思いながらスタスタと前を歩く彼女の背を追った。
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冬のコンテスト参加感謝 ‼️ 🙏 1話目からす っ っ ごく天才的で 文章力さすが化け物だなー!!!って感じたよぅ‼️続き楽しみーー!!💕