心中を決めた日から、世界は静かに歪み始めた。 鮮やかに見えていた教室が、どこか薄く色を失っていった。
夏の光は眩しいはずなのに、どこか遠く感じた。
俺と“?”は、決めた通りに動き始めた。
放課後、誰もいない教室で、あの席に並んで座る。
窓の外では夕日が沈みかけていて、黄金色に染まった光が、机を長く照らしていた。
「……ほんまに、これでええんか?」
“?”はかすれた声で言った。
関西訛りがいつもより弱かった。
生きる気力が少しずつ抜けているようだった。
「お前だけを行かせる気はないよ。俺が隣にいる」
そう答えると、あいつは俯いたまま小さく震えた。
「……ウチ、ホンマ弱いんや。ひとりで死ぬん怖いし、生きるんはもっと怖いし、どっちの道も地獄みたいや」
「俺も弱いよ。だから……一緒に行こうって言ってんだ」
風が吹き込んで、カーテンが揺れた。
その向こうの夕空は、今日に限ってやけに綺麗だった。
「ウチ、お前とおって……ほんまは死にたないって思った日もあった」
「……いいよ。俺も思ったから」
あいつは目を見開いたまま、少し笑った。
「ウチら弱いなぁ」
「弱いよ。だからずっと隣にいたじゃん」
◆
心中のために用意した場所は、学校から少し離れた古い展望台だった。
町外れにある、誰も寄りつかない場所。
錆びついた鉄の階段が、ぎしぎしと軋む。
「落ちたら即死やな……」
「怖ぇこと言うなよ」
「だって事実やん」
笑い合いながらも、互いの手を繋ぐ指は硬かった。
展望台の上に立つと、風が強く吹きつけた。
真下は森の深い影。落ちれば助からない高さだ。
俺たちは、その手すりに寄りかかるようにして立った。
「……最初に飛ぶ?」
“?”が少し視線をそらしながら聞いてくる。
「いや、一緒に。せーので」
「せーのか……なんか運動会みたいやな」
「最後くらい、合わせようぜ」
あいつは、泣きそうな顔で笑った。
「……最後の最後に、ウチと合わせてくれるんやな」
「最初から最後まで合わせてきたくせに、何言ってんだよ」
◆
夕日が沈む。
空は赤と紫の境目で揺れて、風はどこか湿っていた。
あいつは手を繋いだまま、ゆっくり口を開いた。
「……ウチな、実はまだ言ってへんことあるねん」
「言ってみ」
「ウチ……お前のこと守りたかったんや。弱いくせに、守りたかってん」
「守ってくれたよ。何回も」
俺がそう言うと、あいつの喉が震えた。
「でも、最初に声かけた日……ウチほんまは、助け求めてたんや。
『誰か……ウチ見つけて』って。
そしたらお前が、横の席でさ……なんか、ほっとした」
「知るわけねぇよ」
「そらそうやけど……お前が隣におってくれたから、ウチ、死ぬの一年遅れたわ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が強く締め付けられた。
「一年……?」
「うん。一年前に死ぬつもりやった。でも、お前が来たから……生き延びてしもた」
夕日が影を伸ばし、俺たちの姿を揺らす。
「ありがとな……お前のせいで、やっと苦しめた。
……ホンマに、ありがとう」
涙が頬を伝って落ちた。
◆
ふたりで、ゆっくり手すりに足を掛ける。
風が強くなり、体が少し揺れる。
「なぁ……最後に確認させて」
“?”が震えた声で言う。
「お前……ウチのこと、好きやった?」
答える必要はなかった。
けれど、俺ははっきり言った。
「好きだったよ。お前の全部が」
あいつは顔を覆い、声を殺して泣いた。
「……良かった……ウチも、お前が好きや……
好きすぎて……死ぬときまでお前とおりたい思うくらい……
ほんまに……ほんまに好きや……」
俺はあいつの手を強く握り返した。
「じゃあ……行こうか」
「うん……行こ……」
◆
手を繋いだまま、ふたりで柵の向こうに身体を乗り出す。
足先が空に浮く。
風が俺たちの髪を乱す。
心臓の鼓動だけがやけに大きく聞こえた。
「……なぁ」
隣で“?”が囁く。
「最後の最後に……お前の名前、呼んでもええか?」
「待ってたよ、それ」
涙が溢れそうになった。
風が吹く。
空が沈む。
世界が消えるように暗くなっていく。
あいつの唇が震えながら動いた。
「……ないこ……」
その瞬間、俺の胸が張り裂けるほど痛んだ。
俺も、震える声で言った。
「……まろ……」
世界が揺れた。
そのまま、ふたりは手を離さず、
――落ちた。
名前を呼び合ったあの一瞬が、
生まれてから一番あたたかかった。
そして、俺たちの物語はそこで終わった。
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