「…なんか、全然落ち着かな、」
少しだけ窮屈な衣服を纏い、何度か身体を動かしてみる。この屋敷の主と名乗る人物とやっと出逢えたかと思えば、いきなり高そうな服を手渡されほぼ強制的に着替えさせられる始末だ。俺が着ていた服よりも遥かに上質そうな素材で、肌に触れる布も感触がいい。
「はぁ、…やっぱ帰ろうかな。そもそも何やるかすら知らないし、」
「君には」
「、!?!?」
溜息混じりに呟いた俺の言葉が、突然後ろから聞こえた声によって返される。完全に誰も居ないと思い込んでいた身体がビクリと大きく震えた。
「君には私の子供の世話をしてもらう。」
「は、はぁ?」
驚く俺の様子を気にせず説明を続ける主人の姿に思わず困惑した声が溢れ出る。初対面から何だか癖の強そうな雰囲気が漂っていたがここまでとは。
「世話だけでいいんですか?」
「ああ。君の衣食住もこちらで保障しよう。」
子供の世話をするだけで衣食住付きとは。こんなにも良い仕事だったのなら早く言ってくれれば良かったのに。なんて思いながら主人の言葉を潔く了承する。とは言え、子供とは一体どのくらいの歳だろうか。きっと世話が必要な年齢と言うのなら10歳くらいだろう。
現れたそれは春の真っ最中
「涼架、入ってきなさい。」
考え込む俺の思考の中に、ひとつの扉の開く音が入ってくる。反射的に顔を上げた目線の先には、想像よりも大人な人が立っていた。少しパーマのかかった長めの髪をハーフアップにし、金色で綺麗に染められている。一見すると女性に見えるが、喉や身体付きを見ると男性のようにも見える。
えも言えぬまま輝いていた
「初めまして〜!涼架です、!」
「、は、初めまして…若井です。 」
「えっと、…今日から僕の新しい執事さんになってくれるんだよね?」
考えていたよりも柔らかく優しく耳に入る声色だった。物腰も低く、笑顔がとても素敵だ。少し緊張したように両手の指先を絡み合わせている様子も、凄く魅力的に感じてしまう。
どんな言葉も どんな手振りも 足りやしないみたいだ
「…はい。よろしくお願いします。」
心臓が酷く煩く鳴く。宜しくね、と差し伸べられた手のひらを映す視界がいつもよりも明るい。
その日から僕の胸には嵐が 住み着いたまま離れないんだ
「じゃあ早速屋敷案内してあげる!ここの執事さんたち癖強い人多いから、僕が案内した方が分かると思うよ〜!」
「、ありがとうございます…」
彼の手を握ったまま部屋の外へと身体を引かれる。ただ少し手を繋いただけなのに、己の中の何かが満たされる気がした。久しぶりのこの感覚、不思議と自分でも驚いていた。俺きっと、この人を好きになってしまったんだ。
「わん!!わん!!!!」
「っと、あれぇ?この時間お部屋にいるはずなんだけど…」
浮かれた思考のまま手を引かれていた俺の意識が現実に戻される。わんわんと鳴き声をあげる生き物の正体は、凛々しい顔立ちに青い瞳がよく映えるハスキーだった。てっきりトイプードルかそこらかと思っていたが、それなりの大きさのある犬が廊下を走り回っていた。
「シズ!おいで〜! 」
「わんっ!!!!」
涼架さんの呼ぶ声で踵を返した犬が勢いよくこちらに走ってくる。少し身構えた俺とは反対に涼架さんは目いっぱいに手を伸ばして犬を抱きしめようとしている。
「わん!!わん!!!!」
「よーしよーし!誰かがお部屋開けてくれたのかな?」
完全に涼架さんのことしか視界にないような犬のしっぽがぺちぺちと俺の足に当たっている。なんとも言えない居心地の悪さに1歩下がろうとした時、突然犬がこちらを振り向いた。
「……、」
先程までキラキラとした笑顔でわんわんと吠えていた癖に、俺に振り向く瞳は酷く冷めていた。涼架さんはそれに気付いていないのか、わさわさと毛を楽しそうに撫でている。
「涼架さん、そろそろ俺の部屋の案内を、」
「っわ!!!!!」
何とか意識をこちらに向けようと声をかけた瞬間、突然飛び上がった犬によって涼架さんの身体が後ろへと倒れた。働いてものの数分で怪我を負わせてしまったら、なんて冷や汗が頬を伝う。
「…もう〜!!そんなに顔舐めないでよ……」
焦る俺とは裏腹に涼架さんはあまり気にしていないようだった。寧ろぺろぺろと顔を舐め続ける犬に満更でもない笑顔を浮かべている。
「、よし!!シズ、僕忙しいから夜また遊ぼうね。」
「わんっ、!!」
「ごめんね若井くん、行こっか。」
「…はい。」
優しい手つきで犬を身体の上から退かし、ゆっくりと立ち上がった涼架さんが俺に微笑みかける。先に進み出した彼の背中を追う俺の右手には温もりはなく、少しだけ寂しさが滲む。そんな俺をじっ、と見つめる涼架さんの愛犬。何だか俺の恋心を見透かしているような青い瞳が痛く刺さった。
人の声を借りた 蒼い眼の落雷だ。
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更新ありがとうございます✨ ホワホワ涼ちゃんが可愛すぎます🫠🫠 2人の関係がこれからどうなるのかドキドキです〜🥹 次のお話も楽しみにしています✨