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3月。
校庭の桜はまだつぼみで、冷たい風が吹いていた。
卒業式を終えた体育館から、生徒や家族の笑い声があふれている。
その中で私は、先輩を探していた。
――見つけた。
制服姿の先輩は、友達に囲まれて笑っていた。
その笑顔を見た瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
「先輩!」
呼びかけると、すぐにこちらを向き、歩み寄ってきた。
「○○…来てくれてありがとう」
花束を渡すと、先輩は少しだけ俯いた。
人のいない校舎裏に移動し、しばらく沈黙が続いたあと、先輩が静かに口を開く。
「…○○。俺、来月から海外の大学に行くんだ」
「……え?」
「向こうで勉強して、夢を叶えたい。…でも、何年も戻ってこれないと思う」
耳に入った言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
ただ、遠くの風の音だけがやけに大きく響く。
「だから…これからは会えないかもしれない」
先輩の声が少しだけ震えていた。
「…嫌です」
やっと出た言葉は、涙で滲んでいた。
「俺だって嫌だよ。でも、○○を待たせたくない」
次の瞬間、先輩は私を強く抱きしめた。
「本当にありがとう。俺を好きでいてくれて」
離れると、先輩はいつもの笑顔に戻り、短く言った。
「じゃあな」
その背中は振り返らず、春の風の中へ消えていった。
桜が咲く頃、もうこの人はここにいない――そう思うと、胸の奥が痛かった。
卒業式から一週間後。
校庭の桜は少しずつ花を咲かせ始めていた。
私は、あの日と同じ場所――校舎裏に立っていた。
もう先輩が来ることはないとわかっているのに、足が勝手にここに向かってしまった。
ポケットの中には、小さなマフラー型のキーホルダー。
冬のデートの帰りに、先輩が「おそろいだな」って笑いながら渡してくれたものだ。
それをぎゅっと握ると、少しだけ心が温かくなる。
遠くで、練習中のバスケ部の掛け声が聞こえた。
あの中に先輩の声はない。
でも、ふと目を閉じると、シュートを決めたあとにこちらを見て笑う顔が浮かんでくる。
スマホに保存してある最後のメッセージは、あの日の夜に届いた短い文章。
――「ありがとう。幸せだった。」
それを見返すたび、胸の奥がじんわりと熱くなる。
もう会えない。
それでも、あの時間は確かに私の中で生き続けている。
春風が頬をなでる。
私はキーホルダーをそっと握り直し、空を見上げた。
「先輩、どうか元気で」
声は風に溶け、どこまでも遠くへ運ばれていった。
第4話
ー完ー