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第1話「桜のあとに、夜がきた」
病室には点滴の機械音だけが静かに鳴っていた。
薄いカーテン越しに差し込む夕日が、白いベッドをほんのりと金色に染めている。
「……卒業、したよ」
咲夜は、ぎこちなく笑いなが制服の第2ボタンを指でいじっていた。胸ポケットには、卒業証書の筒。
ベッドに横たわる母・夜桜玲美は、やせ細った身体で、微笑んだ。
「ふふっ、そう……。咲夜、本当に……よく頑張ったわね」
「……べ、別に……。ただ、普通に学校行ってただけだし」
母親の前では、素直になりたい。でも、なんか気恥ずかしくて、そっぽを向いた。
「……ほんとはさ。…ちゃんと……母さんにも、卒業式、見せてやりたかったけど…」
「見えたよ」
「え?」
玲美は、掠れた声で、でも確かに笑っていた。
「咲夜が…真っ直ぐ歩いてる姿も、壇上で表彰を受け取ってる時も……ちゃんと、全部見えてた。……だって、咲夜のこと、見ないわけ、ないじゃない」
「……っ、そ、そんなこと言っても……母さん、今、ベッド…」
「咲夜は…私の、宝物だったよ」
「……や、やめろよ、そーいうこと言うの…」
咲夜は、唇をかみ締めた。泣きそうなのを誤魔化すように、顔を背けて、鞄からタッパーを取り出す。
「……今日の夕飯。ほら、ちゃんと作ってきたんだから……。冷める前に食べてよ」
「ありがとう、咲夜……でもね……」
「なに?」
玲美は、ゆっくりと昨夜の手を取って、暖かく握った。とても、細くて、弱い手だった。
「咲夜が……こうして、毎日来てくれて、毎日ご飯作ってくれて……私、それだけで……十分、幸せだったの」
「……そんなの、母さんが勝手に思ってるだけだろ。僕は……っ。もっと……」
「咲夜、ありがとう……」
「大好きよ……」
そう言った瞬間、玲美は、少しだけ、目を閉じた。
そしてーそれが、最期になった。
―葬式は、静かだった。
咲夜は、黒い喪服を着たまま、棺の前から動けずにいた。
たくさんの人が母のタヒを悼むんだ。でも咲夜の中では、どこか現実じゃないような感覚だった。
「……僕は……母さんに……何かしてあげられたのかな…?」
母の声も、笑顔も、触れた温もりも、昨日のことなのに、もう遠く感じる。
「……僕は……ちゃんと話せてたのかな……?」
胸の奥から、じわじわと熱いものが込み上げてくる。
涙は知らないうちに零れていた。
一筋の、静かな涙が、咲夜の頬を伝って落ちていく。
その時だった。
背後から、重たく、そして鋭い声が落ちてきた。
「……夜桜 咲夜だな」
咲夜が驚いて振り返ると、そこに居たのは、制服を着崩し、金髪を無造作に流した、鋭い目をした少年だった。
その少年の背後には、執事らしき男が、淡々と立っている。
「親父からだ、お前ー白銀家に来い。……うちで面倒見ることになった」
「えっ……」
この時、咲夜はまだ知らなかった。これが後に自分の運命をかき乱す存在、「白銀 玲王」との、最悪で最初の出会いだったことをー。