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修理に出したフルートは、思っていたよりずっと早く戻ってきた。
ケースを開けた瞬間、銀色の管が蛍光灯の光を拾って、
まるで新しい楽器みたいにきらめいた。
涼ちゃんが「やっぱり、プロの手ってすごいね」と小さく笑って、
指先で優しく触れる。ほんの数時間前、
床に落ちて軽く歪んだキー
を見たときの青ざめた表情が嘘みたいだった。
「で、試し吹きはここでやるんだろ?」
若井が待ちきれない様子で言う。
部室の蛍光灯の下、
僕と若井はギターを膝に抱えながら、彼の準備を見守った。
涼ちゃんは少し照れたように肩をすくめ、「音出しだけだからね」と息を整える。
次の瞬間、管から零れた音が、
夜の校舎を柔らかく揺らした。
修理直後のはずなのに、どこか澄んでいて、
真新しい透明さを持っている。
僕は指が勝手に動いて、コードを探しながら弦を弾いた。
「お、合わせんのか?」
若井がにやりとして、低音のリフを添えてくれる。
三つの音が、ふいに絡まり合った。
予定していなかったはずなのに、気づけば小さなセッションになっていた。
夜の静けさの中で、ギターのリズムが土台を作り、
フルートの旋律が空に溶け、もう一本のギターがその間を縫っていく。
音楽室の空気が、まるで別の場所みたいに変わっていくのを感じた。
僕は不思議だった。
練習でも本番でもない、ただの試し吹きなのに、
どうしてこんなに胸が熱くなるんだろう。
フルートが軽やかに跳ねるたび、若井のコードが確かに受け止める。
その間に僕の音がすべり込み、三人で一つの景色を描いていく。
涼ちゃんは、ふっと目を細めて僕らを見た。
その顔に、
「ありがとう」と言葉にしない感謝が浮かんでいる気がして、思わず息が詰まる。
最後のフレーズが静かに途切れた瞬間、
部室に残ったのは三人の呼吸音だけだった。
「……いいな」若井が珍しく真顔で呟く。
「なんかさ、本番よりも、本物って感じした」
僕は笑って「何それ」と返したけど、
心の中では同じことを思っていた。
涼ちゃんも頷いて、
少しだけ赤くなった耳を隠すみたいにフルートをケースに収めた。
その夜は、もう一度演奏することもなく、
ただ三人でプリンを食べて解散した。
けれどあの小さな音楽会は、確かに僕らの中で消えずに残った。