テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
じりじりと照りつける太陽が、アスファルトをフライパンのように熱していた。港湾の倉庫街は潮風すら生温かく、立っているだけで体力が削り取られていくような真夏日である。ポートマフィアの密輸組織の鎮圧任務は無事に終了したものの、残されたのは酷暑と強烈な疲労感だけだった。
「あー……っ、くそっ! あっちいな、おい!」
血塗れの敵を片付け終えた中也は、耐えかねたように声を張り上げると、黒い外套のボタンを勢いよく外した。肩から脱ぎ捨てた外套を片手に引っ掛け、さらに首元を固めていたチョーカーの金具を外す。首筋を流れる汗が太陽の光を反射してきらきらと光った。帽子を脱ぎ捨てると、濡れた橙色の髪が首筋にくっついて気持ち悪い。
「暑い暑い……こんな日に屋外で暴れさせんなってんだよ」
愚痴をこぼしながら胸元を手で扇ぎ、呼吸を整えようとする中也の後ろから、呆れたような、どこか力のない声が響いた。
「……たく、相変わらず品がないねえ、中也は。そんな大声で野蛮に衣服を剥ぐんじゃないよ。見てるこちらまで暑苦しくなるじゃないか」
振り返ると、日陰でもない倉庫の壁際に太宰が立っていた。いつも通り全身に包帯を巻き、黒いコートを羽織ったままだ。腕を組んでこちらを見ているが、その声にはいつもの嫌味なキレがない。
中也は眉をひそめ、汗を拭いながら太宰へと歩み寄った。
「ああ? んだよ、文句あんのか。お前だってその重苦しいコート脱げばいいだろ。こんな猛暑日に全身包帯だのコートだの着込んで、馬鹿じゃねえの」
「ふん、私は君と違ってエレガントだからね。どんなに暑かろうと、美しくない姿を晒すつもりはないのだよ……」
軽口を返してくるものの、太宰の呼吸がかすかに浅い。いつもなら中也の頭を小突いたり、もっと小賢しく立ち回ったりするはずだった。
「おい、太宰……?」
気になって顔を覗き込もうと、中也が数歩近づいた。
間近で見た太宰の顔は、驚くほど真っ赤だった。白い肌が熱を帯びて赤く染まり、唇だけが血の気を失ってカサカサに乾いている。瞳の焦点は定まっておらず、どこか遠くを見つめているようだった。
「お前……なんだその顔。熱でもあんのか?」
「……え? なにいってるんだい、中也……私は、至って……」
太宰が強がろうと口を開かけた、その瞬間だった。
ぐら、と太宰の体が大きく揺れた。
「……あ」
くらり、と視界が歪んだように太宰が目を見開き、膝から崩れ落ちる。
「おい! 太宰!?」
中也は反射的に腕を伸ばした。どさ、と倒れ込んできた太宰の細い身体を、慌てて抱き止める。腕の中に収まった太宰の体温は、尋常ではないほど高かった。まるで服の上からでも火傷しそうなほどの熱気が伝わってくる。
「おい、しっかりしろ! 太宰!」
呼びかけても、太宰は力なく息を吐くだけで、反応がない。まぶたがうっすらと開いているものの、こちらの顔すら認識できていないようだった。ハァ、ハァ、と苦しそうな浅い呼吸を繰り返している。
「くそっ、熱中症かよ……!」
中也は焦りを押し殺し、すぐさま周囲を見渡した。近くにある巨大な倉庫の影が、分厚い陰を作っている。中也は太宰の細い身体を軽々と横抱きにすると、足早に木陰ならぬ倉庫の大きな影へと向かった。
冷たいアスファルトを探し、太宰を優しく寝かせる。
「おい、太宰、聞こえるか? 今冷やしてやっからな」
中也は自分の脱ぎ捨てた外套を丸めて太宰の頭の下に敷き、枕代わりにした。それから、太宰の黒いコートのボタンを素早く外し、強引に脱がせる。
「たく……このくそ暑いのに、なんでこんなもん着込んでんだよ」
さらに胸元を緩めようとして、中也の手が止まった。
首から手首、胸元に至るまで、太宰の肌には隙間なく包帯が巻き付けられている。それが熱を逃がさず、まるで保温材のように太宰の体温を内に閉じ込めていた。
「これのせいかよ……っ!」
中也はナイフを取り出すと、太宰の首元や手首の包帯を躊躇なく割いて緩めた。太宰の肌は尋常ではない汗をかいているはずだったが、包帯に吸い取られているせいか、あるいは体温調整機能が狂っているのか、皮膚そのものは乾いて熱を持っていた。
そもそも、太宰は中也よりも遥かに虚弱体質だ。身体能力も耐久力も、鍛え上げられた中也とは比べものにならないほど華奢で脆い。そんな体が、この猛暑の中で全身に包帯を巻き、熱を溜め込み続けていたのだ。無事に済むはずがなかった。
汗腺が閉じてしまっているのか、まともに汗もかけずに熱が体内に籠もっている。
「本当、手のかかる奴だな……」
中也は腰のポーチから、予備で持っていた冷却シートと、常備しているペットボトルの冷水を取り出した。冷却シートを太宰の首筋と脇の下、鼠径部に貼り付ける。ひんやりとした感触に、太宰が「う……」と小さく声を漏らした。
「よし、少しは冷えてきたか……?」
次に、ペットボトルのキャップを開け、太宰の唇に少しずつ含ませようとした。だが、意識が朦朧としている太宰はうまく水を飲み込むことができない。口角から水滴がこぼれ落ち、太宰の鎖骨を伝っていく。
「ちっ……飲めねえか」
中也は少し眉をひそめた後、迷うことなく自分の口に水分を含んだ。
そして、太宰の熱い唇に自分の唇を重ねる。
すっと太宰の口腔へ水を流し込むと、太宰の喉が小さく動いて、ゴクンと水が飲み込まれた。何度かそれを繰り返し、少しずつ水分と塩分を補給させていく。
付き合っている仲とはいえ、こんな状況での口移しに色気など微塵もない。ただひたすらに、目の前で苦しむ恋人を助けたい一心だった。
太宰の乾いた唇に自分の唇が触れるたび、その熱さに胸が締め付けられるような感覚を覚える。
「頼むから……早く目を覚ませよ、太宰」
呼吸を整えさせながら、中也は太宰の手をぎゅっと握り締めた。細くて柔らかい、普段は皮肉ばかり吐く口筋とは裏腹に、華奢で儚い手だ。中也の重力操作でも守りきれないような内側の弱さに、今更ながら痛感させられる。
包帯を巻く理由は太宰の過去や性癖に関わることだし、中也もそれを頭ごなしに否定するつもりはない。だが、こんな風に己の身体を顧みずに倒れられるのは、たまったものではなかった。
どのくらい時間が経っただろうか。
陰の角度が少し変わり、そよ風が吹いた頃、太宰の浅かった呼吸が次第に深く、落ち着いたものへと変わっていった。顔の鬱血したような赤みも引き、本来の白い肌に戻りつつある。
「……ん……っ」
太宰の長いまつげが微かに震え、ゆっくりとまぶたが開かれた。
ぼやけたブラウンの瞳が、頭上からのぞき込む中也の顔を捉える。
「……ちゅ、や……?」
「おう。気づいたか、アホ太宰」
中也がホッと胸を撫で下ろしつつ、強がった声で返した。
太宰は自分が倉庫の影に寝かされ、コートを脱がされ、包帯を切られていることに気づくと、力なく目をしばたたかせた。
「私……倒れたのかい……?」
「そうだ転がりやがったんだよ。熱中症だ。お前、自分が虚弱体質だってこと忘れてんのか? こんな猛暑日に全身包帯ぐるぐる巻きでコートまで着込んでりゃ、熱が逃げるわけねえだろ。汗腺閉じてまともに汗もかけなくなってただろうが」
中也は呆れたように言いながらも、太宰の額に手を当てて熱を確かめた。さっきまでの異常な熱さは引いており、うっすらと心地よい汗をかいている。
太宰は中也の手のひらの冷たさに目を細め、少しだけ申し訳なさそうに微笑んだ。
「……なんだか、体が重くて頭が痛いよ……君の顔が二重に見える」
「そりゃそうだ。水分も塩分も抜けて熱が籠もってたんだからな。ほら、まだ動くな」
そう言って、中也は残っていたスポーツドリンクのペットボトルを太宰の口元に持っていった。今度は太宰自身が自分の手でボトルを支え、ゆっくりと喉を鳴らして飲み干していく。
「……生き返ったよ。ありがとう、中也」
「感謝するなら、次からは自分の体調くらい自分で管理しろ。お前が倒れたら、俺がどれだけ焦るか分かってんのか」
中也がそっぽを向いて不機嫌そうに呟くと、太宰は弱々しく手伸ばし、中也の服の裾をぎゅっと引っ張った。
「心配……してくれたんだ?」
「当たり前だろ、バカ! 付き合ってる彼女が目の前で倒れて心配しねえ奴がどこにいるんだよ!」
中也が赤くなって怒鳴ると、太宰は「ふふ」と満足そうに笑った。その笑みを見て、中也もようやく緊張の糸が切れたように、太宰の隣に腰を下ろした。
「まったく……お前は本当、目が離せねえな」
「君が私を見ていてくれればいいだけの話じゃないか」
「減らず口が叩けるなら、もう大丈夫そうだな」
中也はそう言いながらも、太宰が冷えないように、かつ熱が籠もらないように絶妙な力加減で太宰の肩を抱き寄せた。太宰は心地よさそうに中也の胸元に頭を預け、静かに目を閉じる。
二人はそのまま、風が通り抜ける影の中で、互いの体温を感じ合いながらしばらくの時間を過ごした。
数日後。
相変わらずの快晴で、太陽は容赦なく街を照らしていた。
今日も今日とて、ポートマフィアの任務で埠頭近くを走っていた二人の姿がある。
「はい、中也。喉が渇く前に飲みなさい」
移動の合間、太宰がすっと差し出してきたのは、冷えたスポーツドリンクのボトルだった。
中也はそれを受け取り、パチンとキャップを開けてゴクゴクと喉を鳴らす。
「ふぅ……さんきゅ。お前もちゃんと飲んだのか?」
「当然だよ。君にまた『アホ』だの『虚弱』だのと言われて、服を切り刻まれるのは御免だからね。ほら、ちゃんと経口補水液を携帯しているよ」
太宰はバッグから専用のドリンクを見せて、ふんと胸を張った。
その服装を見ると、コートは羽織っているものの、首元のボタンは幾分緩められ、包帯もいつもより通気性の良いものに変えられているようだった。さらに、ポケットには塩分補給のタブレットがしっかりと常備されている。
あの日の熱中症がよほど懲りたのか、それとも中也に本気で心配されたことが響いたのか、太宰は驚くほどこまめに水分補給を行うようになっていた。
「よしよし、感心だな。これで任務中に倒れられたら目も当てられねえからな」
「失礼だなあ。私は君の体を気遣って渡してあげているのだよ? 中也こそ、熱中症は重労働をする筋肉バカほどかかりやすいんだからね」
「誰が筋肉バカだ、コラ!」
いつものような軽口を叩き合いながら、二人はボトルを交互に口へ運ぶ。
適度な水分補給と息抜き。以前の無茶な戦い方からは考えられないほど丁寧な自己管理だったが、それもすべて、隣にいる大事な存在を不安にさせないためのルールだった。
「さて、喉も潤ったことだし、さっさと片付けて涼しい部屋でアイスでも食べようか、中也」
「おう、言われなくても速攻で終わらせてやるよ!」
真夏の強い日差しの中、旧双黒の二人は互いの無事を確認し合うように視線を交わすと、軽やかな足取りで次の現場へと駆け出していった。
怜
206
碧瑠(みどる)&理雨
44
コメント
8件
秋穂 めちゃくちゃてえてえ熱中症には気をつけよ!
ただひたすらに思った。空気になりたいと。(?)