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父親から話を聞いた後、和織の母親の部屋を見せてもらった。
そこは1人の作家の部屋でもあり、母親の部屋でもあった。
2つある本棚の1つには、資料や、好きだったのであろう作家の本、自身が出版した本が並んでいた。
もう1つはアルバムなど家族写真が飾られていて、
一番真新しそうなフォトフレームには、和織の中学校の入学式の写真。
他にも小学校の卒業アルバムや、母親が見届けることのできなかった中学校の卒業アルバムが置かれていた。
机にはたくさんの原稿用紙や使い込まれた万年筆、仕事関係の資料が整然と並んでいて、 部屋の主が戻ってくるのを待っているかのようだった。
ここで、『見習い天使の郵便屋さん』が生まれたのだろうか。
許可を貰って、坂城くんといくつかアルバムを見させてもらう。
きっと仕事で家を空けがちな父親に代わって、母親がほとんど和織の世話をしていたのだろう。
家族写真とはいっても、父親の姿はほとんどない。
写っているのは、公園で楽しそうに笑う和織や、運動会で転んで泣いている和織。
どれも、母親がカメラ越しに見つめていた和織だった。
よくある家庭の、何気ない幸せを切り取ったような写真ばかり。
けれど、温度を持たないはずの写真から、不思議とその日の暖かさが伝わってくるようだった。
「…懐かしい。」
そう呟いた坂城くんの手元には小学校低学年くらいであろう男の子2人の写真があった。
ゲームのコントローラーを握って笑っている和織。 その隣で、悔しそうに拗ねている男の子。
どこか見覚えのある面影が、目の前の少年と重なった。
「よくゲームで遊んでたっけ。 和織のやつ、ゲームいろいろ持ってるくせに、
「1人だとつまらないから」って、 わざわざ俺ん家にソフト持って遊びに来てたんですよ。」
「…和織らしいな。」
家に押しかけてくる性格は今でも健在だ、と出かけた言葉を飲み込む。
昔から、自分の家より、誰かと一緒にいられる場所の方が居心地が良かったのだろうか。
アルバムに収められた笑顔は、どれも屈託のない子供らしい表情だ。
中学生になった和織も、今とそこまで変わらない。
表情は今よりずっと豊かだが、顔立ちや背格好はほとんど同じだった。
父親は背も高く、どちらかといえば厳格な顔立ちをしている。
母親似なのかもしれない。
和織への愛情が溢れているこの部屋さえも、和織にとっては自分を責める材料になってしまうのだろうか。
どこまでも噛み合わない親子の姿に、もどかしさが募った。
「俺、和織と出会ってくれたのが河目さんで良かったって、本当に思ってます。」
「…坂城くん…?」
「河目さん、どことなく和織の母ちゃんに似てるし。懐いてますしね。」
「…懐くっていうか…、ただ文章を依頼されただけで…。」
…そういえば。
和織は何故、手紙ではなく遺書を頼んだんだ?
誰かに何かを伝えたいだけなら、手紙でいい。
それなのに、和織は「遺書」を選んだ。
遺書は、残された人へ向ける言葉だ。
けれど、それだけじゃない。
自分がいなくなった後に、何かを残すためのものでもある。
……和織は、何を残したいんだ?
俺から見た和織の父親への対応は、冷たくはあるが、憎んでいるようには見えない。
本当に憎んでいたら、きっと家にも帰ってこないだろう。
母親のことへのわだかまりや、跡取りという将来への不満はあるかもしれない。
けれど、父親そのものを否定しているようには見えなかった。
……だとしたら。
和織が残そうとしているものは、何なんだ……?
俺は無意識に、『見習い天使の郵便屋さん』を和織に重ねて、 『大人びた顔で空を見上げる』あのシーンに辿り着ければいいと思っていた。
そんな綺麗な絵空事を、呑気に描いていたんだ。
「依頼こないねぇ。」
俺の家で何のためらいもなく寝そべり、和織はスマホを見つめた。
ちらっと見えた画面には、先日作られたホームページが表示されている。
元々そう簡単に依頼が来るものではないだろう。
仕事を始めてすぐ依頼が来るなら、営業なんて存在しない。
とはいえ、わざわざそこまで言う必要もないかと、俺は口を噤んだ。
「また火葬場行ってみる?」
簡単に提案する和織を視界にいれながら、 一体、依頼を何件受けるつもりなんだ?
遺書はいつ完成させる気なんだ?
頭の中で疑問がどんどん膨れ上がる。
けど、いきなり核心を突くようなことを聞くのは憚られた。
「…和織、」
「んー?」
「……牛すじカレー、食べるか?」
今日、和織が来る前に作っていた牛すじカレーは1人で食べきれる量ではない。
半日は煮込んでとろとろになった牛すじはきっと美味いだろう。
和織はスマホから視線をはずして、まるでご褒美をもらう子供のような目でこっちを見た。
「もしかして、前に言ってたやつ!??」
「ああ。」
「やった!実は来た時からカレーの匂い、気になってたんだよね!」
無邪気に笑って、散らかった俺のテーブルを片付け始める。
このまま、日常を続けられるんじゃないか?
遺書なんて、本当は必要ないんじゃないか?
…そう思うのは現実から目を背けているのだろうか。
こうしていると、普通の高校生にしか見えなくて。
つい、日常にしがみつきたくなった。
2人で適当につけたテレビを見ながらカレーを食べる。
じっくり煮込んだとろとろの牛すじを、和織はお気に召したようで、
食べ盛りだということを思い出させるようにおかわりをしていた。
「そういえば、僕の遺書なんだけどさ。」
和織が3回目のおかわりを完食したところで、口を開く。
まるで雑談のように軽い口調とは裏腹に、重い言葉が飛び出す。
必要なのか、本当に。
俺はテーブルの下で拳を握る。
どうしたらいい。
どうすれば、お前の心は救われる?
「僕、遺したい言葉ってないんだよね。」
「…………は。」
「空っぽなんだよ、僕。」
そんなわけないだろ。
反射的に出かかった言葉が勝手に出ないよう、口を閉じる。
何も考えずに答えていいことじゃない。
和織の視線はテーブルに落ちたまま、動かない。
「もう、おじさんなら気づいてるでしょ?
僕はね、『見習い天使の郵便屋さん』を真似をしてるだけ。
…お母さんが書いた本だから、参考にしてるだけなんだよ。」
何故、参考にしようと思ったのか。
母親の描いた主人公が理想の息子像だと思ったからか。
それが、償いになると考えたのだろうか。
息子の為に行動した母親が、”償い”なんて望むはずがないだろう。
言葉の選択を間違えたくはない。
俺は和織の思考を想像した。
心の大半を占めるのは罪悪感や後悔。
そして、それを少しでも和らげるための、償いたい気持ち。
その時に欲しい言葉は……。
「和織、…遺書、考えるか。」
楽になる方法が、命を投げ出し、すべてを失うことだとしたら。
すべてを吐き出せる場所があれば、何か変わるかもしれない。
俺はできうる限り、目の前の少年に寄り添うことにした。
「うん。」
顔を上げた和織はいつもと変わらない顔で、 それが余計に胸を締め付けた。
和織が帰り、布団に転がりながら書き留めたノートを眺める。
言葉に、生への執着を感じない。
生き生きとした表情を時折見せるのに、風のようにつかみどころがなかった。
ノートに散らばった言葉たちも、まるで地に足がつかない。
…許せないのだろう。
あの日、母親を事故に合わせるきっかけになってしまった自分が。
父親の話によれば、事故を起こした大型トレーラーの運転手も、病院に搬送された後亡くなったらしい。
ドライブレコーダーなどから、居眠り運転で過失であることは認められた。
ただ、そんなこと、和織には関係がない。
結果論など求めていないのだ。
問題は、事故の発端となる要因を作った自分。
その自責に押しつぶされているから、残したい言葉も未練もない。
ー「でもそれって、本人からの手紙じゃないってことっすよね。」
以前、坂城くんに言われた言葉を思い出す。
『見習い天使の郵便屋さん』と違って、俺たちの届けている手紙は偽物だ。
それでも、和織は本に倣った。
そこに意味があるんじゃないだろうか。
俺は言葉が散りばめられたノートをそのままに目を閉じた。
和織に必要な人、必要な言葉…。
パズルのピースのように、ひとつひとつ慎重に合わせていく。
『俺の気持ちなんて、わからないくせに!!』
頭の中で、少年が訴える。
俺はそれに、初めて笑って答えた。
「ああ、わからないよ。
だって俺はお前じゃない。」
だからこそ、もっと話を聞かなければいけなかった。
考えなきゃいけなかった。
口があって、言葉があって、耳があって、考える脳がある。
歩み寄る気持ちさえあれば、分かり合えるのが人間だ。
そんな大事なことを忘れていたから、関係は崩れた。
小説を読んで、胸を痛めることがある。
きっと、登場人物に感情移入してるんだろう。
だとすれば、逆も出来るはず。
小説家の武器は言葉だ。
その武器は、形がなく変幻自在で、ナイフにも薬にもなる。
俺はそう信じている。
だから、信じさせてくれよ。
俺の言葉で、少しでも痛みを和らげさせてくれ。
コメント
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第21話、読み終えました。 和織のお母さんの部屋の描写がとても丁寧で、写真アルバムから伝わる温かさと、そこにいない寂しさが同時に胸にきました。河目さんが「言葉は武器で、ナイフにも薬にもなる」って信じているところ、ぐっときましたよね。和織の「空っぽ」という言葉がすごく痛くて、でも河目さんが「考えよう」って寄り添う決意をしたラストにほっとしました。二人の距離がゆっくり縮まっていく感じが好きです。次が気になります。