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かめちょん
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長野の夏休みも折り返しを過ぎた頃、地元の小さな神社で花火大会が開かれることになった。
「りょうちゃん、見て。今日の日記はちょっと特別だよ。」
朝、いつもの生垣の前で、僕は少し照れくささを堪えながらノートを開いた。
昨晩、僕は東京の家から持ってきた黒いペンと色鉛筆を総動員して、夜空の深い青を何度も重ねて塗りつぶした。そこに、黄色や赤の鮮やかな火花がパッと弾ける様子を描き込んだのだ。
まだ見ぬ今日の夜を予言するような、僕のこだわりを詰めに詰めた力作だった。
「わあ…!夜の空に、すっごいきれいなお花が咲いてる!」
りょうちゃんは目をきらきらと輝かせ、ページに顔を近づけた。
「これは花火っていうんだよ。今夜、僕家族とみんなで見に行くんだ。」
「はなび…!僕も見れるかなあ、すっごく楽しみ!お母さんにお願いしてみる!」
「花火のとこでもさあ、会えたらいいね。そしたら一緒に見ようね。」
「うん、見よう!約束!」
絵日記のおかげで、りょうちゃんはまだ体験していない夜のイベントに、一瞬で胸を躍らせてくれた。
毎日「はじめまして」を繰り返しながらも、僕たちの距離は確実に縮まっている。そのことが、僕に小さな自信をくれていた。
「おーい元貴、まだぐずぐずしてんのか! 置いてっちゃうぞ!」
「またそのノート見てんのかよ、根暗だなー!」
玄関の方から、兄たちの騒がしい声が響く。いつものように僕を小馬鹿にしてくる兄たちに、僕は「根暗じゃねえよ!」と言い放っておいた。
兄たちは笑いながら、僕の頭をクシャクシャと乱暴に撫でる。口は悪いけれど、楽しいイベントには必ず僕を引っ張り出してくれる。まあよく僕だけおいていくけど。
やがて日が落ちると、山の間から涼しい夜風が吹き抜けてきた。甚平を着た僕と兄ちゃんは、地元の神社へと続く坂道を歩いていた。いつもは静かな避暑地なのに、今日ばかりはどこから集まったのかと思うほど、たくさんの人で溢れ返っている。
「うわぁ、人がいっぱい…」
東京の混雑には慣れているはずの僕でさえ、暗闇と熱気に少し気圧されてしまう。
「元貴、はぐれんなよ。」
兄ちゃんたちが前をぐんぐん歩いていく。いつもならついていけるはずだったが、出店の放つ眩しい光や、すれ違う大人たちの背中に遮られ、一瞬だけ視線を逸らしてしまった。
ドン、と大きな音を立てて、夜空に一発目の花火が打ち上がった。漆黒のキャンバスに巨大な光の大輪が咲き誇る。
鮮やかな紅、どこまでも深い青、そして眩いばかりの金色の火花が、同心円状に美しく広がっていく。光の粒は生き物のように夜空を泳ぎ、夜の闇を真昼のような明るさで照らし出し、煌めきながら落ちていく。
見上げる人々の顔が、代わる代わる赤や青の光に染まる。その中に、
向こうのほうで一人佇むりょうちゃんが見えたような気がした。
我に返ったときには、僕の周りには知らない大人の群れしかいなかった。
「あ…、兄ちゃん!? 」
必死に声を張り上げたけれど、次々に打ち上がる花火の爆音と、人々の歓声にかき消されてしまう。心に、一瞬で冷たいパニックが広がった。
だけど、それ以上に胸を突き刺したのは、りょうちゃんが一人でいるかもしれないという強い焦りだった。
「りょうちゃん…! どこ!?」
僕は自分の恐怖を無理やり抑え込み、人の波をかき分けるようにして元来た道を逆走した。
暗い境内の隅、大きな木の影に、小さな体がうずくまっているのが見えてくる。白い帽子をぎゅっと抱きしめ、肩を小刻みに震わせている。
りょうちゃんだ。
大きな花火が破裂するたびに、りょうちゃんはビクッと体をすくませていた。
「りょうちゃん!」
僕は駆け寄り、その小さな肩に手を置いた。りょうちゃんは涙でぐしょぐしょになった顔を上げ、くりくりとした瞳からボロボロと大粒の涙を溢れさせながら、僕を見た。今朝の記憶はもう消えかかっているはずで、暗闇の中、僕が誰だか分からなくてもおかしくないはずだった。それなのに。
「…もとき、くん…っ!」
涼ちゃんは、僕の名前を呼んだ。絵日記を見せる前なのに。今夜の混雑の中では、まだ一度も呼んでいなかったはずの名前が、りょうちゃんの唇から自然と零れ落ちたのだ。
「う、うわぁぁん! 怖かったあ!」
りょうちゃんは僕の甚平の裾を掴み、声を上げて泣きじゃくった。僕は自分の胸がギューッと締め付けられるのを感じながら、りょうちゃんの小さな手を、両手でぎゅっと握りしめた。
「大丈夫だよ、りょうちゃん。もう大丈夫。僕がここにいるからね。」
「うん、ありがとう…お母さんと一緒に来てたのに、気づいたらはぐれちゃってて…。
ぼく、頭のなかは真っ白で、だれが助けに来てくれたのか分かんなかったのに、」
りょうちゃんは涙を拭いながら、鼻をズビズビと鳴らして微笑んだ。
「なんか、もときくんって口に出したら全部思い出してきて。もときくんってヒーローみたい。こっちに走ってきてくれた時、すごくかっこよかった。」
ヒーロー、子供心にやけに煌めくその言葉に、テレビの画面の向こう側にしかいなかった憧れの存在に、自分が並べたような感覚で、背筋がピンと伸びた。こちらを見つめるりょうちゃんの目がまぶしくて、靴の先で地面を小突く。
出来事としての記憶は消えてしまっても、りょうちゃんの身体は、心が震えるほどの確かさで覚えていたのだ。
花火がまた、体を揺らすような音とともに打ちあがり、僕らは同時に空を見上げた。
「…きれい…。」
「そういえばさ、一緒に花火見ようって言ってたよね?ふふ、叶ったね。」
「すごいね、りょうちゃん。今日はめっちゃ覚えてる。」
「今日はねなんか特別。もときくんとずっといるからかな。あれ、そういえばもときくんは一人?」
「あ…。」
りょうちゃんといたことですっかり忘れていた。そうだった、兄ちゃんとはぐれちゃったんだった。
急に、知らない土地での心細さと迷子の恥ずかしさとがあふれ出して、ヒーローの目からぽろぽろと涙がこぼれた。
「…兄ちゃんと、はぐれちゃった…。」
「そっかあ、僕と一緒だね。だいじょぶだいじょぶ、絶対見つかるよ。」
りょうちゃんのちょっぴり冷たい手が頭を撫でる。さっきりょうちゃんが僕のことヒーローって言ったのわかるかも。今、りょうちゃんもヒーローみたい。
しばらくして涙はおさまり、兄ちゃんたちが心配してるかもしんないなと思いながら、りょうちゃんと境内の階段から人混みをあれじゃない?とかあそこは?とか言いながら見ていた時だった。
「あ! いたぞ! おーい、元貴!!」
聞き慣れた大声がして振り返ると、人混みをかき分けて、兄ちゃんたちが息を切らせて走ってきた。
「こら元貴! 何勝手にはぐれてんだよ! 心配しただろ!」
「そうだよ、お前は本当にどんくさいんだから!」
頭をゴツンと軽く叩かれ、僕は「うぅ、ごめんなさい…」と首をすくめた。けれど、兄たちはすぐに僕の隣でまだ目が赤いりょうちゃんに気づくと、顔を見合わせてニカッと笑った。「まぁ、友達一人にしないで、ちゃんと見つけて守ったのは偉いか!」
「名前言える?迷子?」
「り、りょうか。」
「ああ!もしかして元貴がいっつも遊んでるりょうちゃん?さっきお母さんと会ったよ。まだ向こうのほうで待ってると思う。」
「えっほんと!?」
「よし、じゃあ一緒に母さんのとこいこう。その前に、あっちの屋台でりんご飴買ってやるよ。もちろんりょうちゃんの分もな!」
「りんごあめ!?やったあ!」
さっきまでちょっぴり不安そうだったりょうちゃんが、りんご飴という言葉に目をぱあっと輝かせた。
「ほら、行くぞ! 遅れるなよ!」
兄たちに背中を叩かれ、僕とりょうちゃんは手を繋いだまま、兄ちゃんたちの後ろを追いかけた。大きな花火が破裂するたびに、やっぱりりょうちゃんは僕の手をぎゅっと握りしめてくる。
夜空に、ひときわ大きな大輪の金色の花火が咲き誇り、僕たちの影を長く地面に映し出した。繋いだ手は汗ばんでいたけれど、僕はその手を絶対に離さないように、一層強く握りしめた。
涼ちゃんの心の奥底に、僕という存在が、溶けない確かな記憶となって深く深く刻まれていくのを、夜空の光の中で祈るように感じていた。
コメント
5件
はぁぁ、今回も素敵でした💕 💛ちゃんの中にちょっとずつ❤️君が残っているのかなって思えて、ほっこりしました。 ヒーロー、カッコいいですよね✨ 続きが楽しみです。 ありがとうございました💕
うわあああもう今回もエモすぎた😭💕💕 花火大会のシーン、頭の中で映像がバーッと浮かんだよ…!りょうちゃんが迷子になって泣いてるのに「もときくん」って名前呼べたの、マジで心臓ぎゅーってなった。記憶が消えちゃう設定なのに、心の奥底ではちゃんと覚えてるって尊すぎるでしょ…!! 最後に手繋いで花火見上げる所、もう完全にエモポイント凝縮されてて何回も読み返したよ✨兄ちゃんたちも口悪いけど実は優しいし、りょうちゃんの「ヒーローみたい」のセリフに元貴くんが照れてるとこも可愛すぎた!! かめちょんさんの描く心情描写、ホント繊細で大好きです…次の話も待ってるね🌸