テラーノベル
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守が転倒し、痛みと混乱の中で立ち尽くしていたその時
小百合の後ろに闇から浮かび上がったスウォームフライの大群が
けたたましい羽音を立てて一斉に守めがけて襲いかかってきた。
無数の不気味な赤い目が守を捉え、黒い塊となって迫ってくる。
羽音が耳をつんざき、空気はさらに粘つく臭いを増した。
守は恐怖のあまりその場にしゃがみ込み、頭を抱えた。
全身が震え、声にならない叫びが喉の奥で詰まる。
「無理だ……無理だ……!」
自分には何もできない。為す術がない。
このまま、無数の虫に飲み込まれてしまうのか。
絶望が守を支配した。
その時、耳をつんざく羽音の中に、鋭く裂けるような音が響き渡った。
何かが猛烈な勢いで空気を切り裂き、スウォームフライの群れの中に飛び込んでいる。
「キィィィッ!」
悲鳴ともつかぬスウォームフライの甲高い鳴き声が次々と響き渡る。
「ボス!ボス!」という、人間にはない、不気味な音が重なり合う。
守はその場で震えたまま、恐る恐る顔を上げた。
そして、目の前の光景に息が止まった。
小百合が変異した体でスウォームフライを素手で叩き伏せていたのだ。
彼女の手は血と粘液で覆われ、荒々しい息遣いとともにスウォームフライを次々と薙ぎ倒していく。
「さ、小百合さん!!」
守は驚きと動揺の中で叫んだ。なぜ彼女が自分を?なぜ、仲間を相手に戦っている?
小百合は彼の方向に目を向けると、歪んだ顔にかすかな微笑みを浮かべた。
だがその笑顔の背後では、無数のスウォームフライが襲いかかろうとしていた。
小百合はすかさず拳を振り上げ、一体を叩き落とした。
しかし、その荒々しい動きの中にも、疲労と痛みが滲んでいるのが明らかだった。
彼女の体はすでに限界に近づいている。
「逃げて・・・」小百合の声は荒れ、かすれていた。
それでも彼女は必死に言葉をつむぐ。「守さん……生きて……」
守は困惑し、震える声で答える。
「小百合さん……ボクは何もしてないのに」
小百合は微かに微笑んだ。痛々しいほど儚い笑顔だった。彼女の目は、
もう人間のような感情を明確には映していなかったが、その微かな口元の動きに、守は確かに何かを感じ取った。
大群の猛攻にさらされながらも、必死に守を守ろうとしている。
小百合の体に次々とスウォームフライの攻撃が突き刺さる。そのたびに彼女の体は揺れ、
苦痛に歪む。血のような粘液が流れ落ちるのが見えた。
「小百合さん……ボクは逃げようとしたんだ。それなのに、どうして……どうしてボクを守るんですか……」
守は震える手で落としたスマホを握りしめた。すると、スマホが突然振動し始める。
「ブーッ」という音が響く。はっとして画面を見ると、通知が表示されていた。
「スウォームフライがいます。至急防衛してください。」
その下には「ログイン」という文字が浮かんでいる。
守は画面を見つめたまま動けなかった。マリアも、ルナも、
そして小百合までもが命がけで戦っている。自分一人がここで逃げてもいいのだろうか?
その時――。
「小百合さん!!」守の悲痛な叫びが響く。小百合がスウォームフライの一撃を受け、
力なく倒れ込んだのだ。最後のとどめを刺そうと、群れが小百合に向かって襲いかかる。
「ダメだ……!!!」
守は震える手でスマホを握りしめていた。手の中から伝わる振動──それはポケットの中で
ずっと鳴り響いていたものだ。ブーッ、ブーッ、と規則的な音。心臓の鼓動と重なるように、頭の中に響く。
「……防衛軍からの通知……」
薄々分かっていた。これを押せばログインしなければならない。そしてログインすれば、
目の前のスウォームフライの大群と戦う羽目になる。その事実が恐ろしく、ボタンを押す事ができなかった。
守は自嘲気味に笑った。「ルナさんは……それに気づいてボクを逃がしたのか……」
勇気なんて、最初からなかったのだ。誰かを救うだなんて
正義感ぶってかっこつけた言葉を心の中で呟いておきながら
結局は全てルナやマリアに任せきりにしてきた。
自分には「力がない」だとか、「戦うタイプじゃない」だとか、様々な言い訳で、
自身の無力さを、そして戦うことへの恐怖を覆い隠していた。
出会い系サイトで知り合った、小百合が
今、変わり果てた姿で、この場から逃げようとした守を、命懸けで守っている。
守は勝手に彼女を勝手に見限り、自分の無力さを理由に、
目の前の危険から、そして行動することから逃げようとしていた。
――なのに、なんで小百合さんは僕を助けるの?
守の胸が強く締め付けられる。悔しさと情けなさ、そして、わずかな憧れが混ざり合う。
恐怖に足をすくませるだけの自分とは違い、彼女たちは迷いなく戦っている
違う……彼女も、マリアさんも、ルナさんも、今できることを最大限にしているだけだ。
自分にできることを――。
それなのに、なのに!!
震えは止まらない。それでも、守はスマホの画面を見つめた。
画面には一言だけ表示されている。
「ログインしますか?」
「守れないかもしれない……戦えないかもしれない……でも……」
それでも、ここで何もしなければ、一生、今日のことを後悔するだろう。
そして、今目の前で失われようとしている命を、見捨てることになる。
守は、意を決してログインボタンに指を伸ばした。震える指先で、画面上の「はい」をタップする。
瞬間、スマホの画面が強烈な光を放ち、耳をつんざくような電子音が響き渡った。
まるで世界との接続が切り替わったかのような、物理的な衝撃にも似た感覚。
守の心臓は、破裂しそうなくらい激しく高鳴っていたが、
その目には、恐怖だけではない、確かに覚悟の光が宿っていた。
ズガガガガガッ!!
耳をつんざくようなマシンガンの音が響き渡る。
その音と共に、先ほどまで守に殺到しようとしていたスウォームフライの群れが
まるでハリケーンに巻き込まれたかのように次々と空中で弾け飛んでいく。
黒い体液と破片が飛び散り、不気味な羽音が悲鳴へと変わる。
守の姿は、すでにゲームのアバター「フク」に変わっていた。
体の感覚が、全く違う。重いはずのマシンガンは驚くほど軽く、全身に力が満ちているのを感じる。
地面に転がっていたはずの体は、ふわりと立ち上がっていた。
「ボクが……やるんだ……!」恐怖はまだ消えない。それでも、背筋を伸ばし、銃を構えた。
『これはゲームじゃない』――そう思いながらも、今なら戦える気がした
守はアバターとして初めて立ち上がり、小百合を守るために銃を構えた。
フクにログインした守は、見慣れたゲーム内の装備、いつものマシンガンを手にしていた。
その感触はゲームとはまったく違う。ずっしりとした重みが両腕に伝わり、
マシンガンが放つ轟音が骨まで響く。目の前には襲いかかるスウォームフライの群れ。
それでも、守の体は驚くほど軽く、どこか冴えた感覚があった。
「これは……ゲームじゃない……!」
モンスターの耳障りな叫び声が響き渡る中、守の意識は冴え渡っていた。
不安も恐怖も薄れていく。ただ目の前の敵を撃ち倒し、小百合を守ることに集中していた。
「小百合さん、ここから離れて! 母体の近くにいると、モンスター化してしまう!」
守の声が鋭く響いた。小百合が不安げに見上げる。その目に浮かぶのは絶望かもしれないが、
守はただ真剣な顔で言った。
「守さん・・・でも・・・もう私は・・・」
その言葉を遮るように、守は決然と答えた。
「ボクがこいつらを引きつけます。すぐにここから逃げてください!」
小百合がためらいながらも頷く。その瞬間、守はスウォームフライの群れを自分の方に
引き寄せるように動き出す。身体を低く構え、疾走した。どんどん奥へ進みながら、
後ろに残る小百合に向かって振り返り、笑みを浮かべた。
「母体を倒したら、今度こそちゃんとデートしてくださいね」
その言葉とともに、守は一心不乱に敵を引きつけ、爆風を背に駆けていった。
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